神畑養魚株式会社世界60ヵ国以上の観賞魚を取り扱う「神畑養魚株式会社」
生き物ファーストで考え困難を突破する協力隊経験者

  • グローバル人材の育成・確保

「本業を離れるな、本業をつづけるな」という創業者の思いを受け継ぎ、時代を超えて飛躍し続ける神畑養魚株式会社。海外から生き物を輸入する仕事に交渉力と語学力は不可欠だが、社員のほとんどは入社後に業務を通して語学力を身につけていったという。その根底にあるのが、挑戦する若者を応援する風土だ。その風土に魅了され入社し、現在は当社姫路支店副支店長として後輩の育成にあたるJICA海外協力隊経験者がいる。今回、人材採用を担当する教育開発部統括マネージャーの妹尾大輔さんに協力隊の魅力について話を伺った。

食用鯉から宇宙メダカまで
受け継がれる創業者の思い

弊社の創業は、明治時代に遡ります。1877年に食用鯉の養殖からスタートし、1961年に神畑養魚株式会社となりました。その後、飼料卸部門が分社化し、現在は3社(神畑養魚㈱、㈱キョーリン、キョーリンフード工業㈱)からなるグループ企業のひとつです。

当グループの大きな実績に、メダカ用の宇宙食の開発があげられます。1994年に、向井千秋宇宙飛行士と共にメダカが宇宙飛行をしたのはご存知でしょうか。どんな環境であっても生き物に欠かせないのがフード。宇宙空間においては、栄養価が高く水を汚さないというのがフードの条件でした。これを当グループがNASDA(現在のJAXA)から依頼を受けて開発し、世界初の宇宙での生命体誕生に一役買いました。

当グループのなかで、観賞魚を主体とする生き物のブリード・輸入・卸のほか、飼育用品の開発・輸入・販売を行うのが弊社になります。取り扱う生き物については、世界60ヵ国以上から輸入し、全国の小売店へ卸しています。詳しいデータは無いのですが、輸入統計の金額からみて、国内で流通している観賞魚のうち半分くらいが当社で扱っているものだと推測しています。

私たちが大切にしている創業者の言葉に「本業を離れるな、本業をつづけるな」という言葉があります。さらに事業拡大していくためには、時代の変化に合わせながら、社員一人ひとりが独創性・多様性を発揮していくことが不可欠です。協力隊経験者をはじめとする多様な経験値やスキルを持った方々の力を借りながら、業界を代表するリーディングカンパニーとして、これからも魅力ある生き物を市場に提供し続けていきたいと願っています。

さて、いま日本では、世界各地を原産とする様々な種類の観賞魚が流通しています。例えば、小型の淡水魚として人気のあるカージナルテトラは、自然界では主に南米のアマゾン川に生息する生き物です。しかし、ホームセンターやペットショップで売られているのは、東南アジアで人工繁殖されたものがほとんどです。南米で採取する野生個体にくらべて、近郊での人工繁殖のほうが良質で安価なものを提供することができるからです。東南アジアで朝一番に採取された個体は、夕方には日本に到着してしまいますからね。また、自然環境保護の観点からも人工繁殖は有用です。

このため当社では、2005年から人工繁殖、つまりブリーディング事業にも力を入れてきました。2007年にアフリカ産古代魚のポリプテルスビキールビキール、2021年には日本を代表する海水魚であるレンテンヤッコの人工繁殖に、それぞれ成功しています。とくにポリプテルスビキールビキールは、野生でも採取が難しくなかなか市場にあがってこない大型魚でした。人工繁殖が成功したことによって愛好家の拡大につながった、ひとつの成功事例といえます。

東京支店 教育開発部
統括マネージャーの妹尾大輔さん

1+1=2にならない生き物を扱う仕事
協力隊経験者の精神力と突破力に期待

長年、生き物の輸入に関わっていますが、今も課題が尽きることはありません。輸入への規制が強化される一方で取引先が減少するなか、安定供給を維持するためには、これまで以上に取引先との連携強化が必要になってきます。生体卸の大規模な拠点は東南アジアやヨーロッパですが、当社の場合は、比較的小さなマーケットからも生き物を仕入れています。世界各地の取引先から、新しい在庫が入ったという連絡が届けば、それをもとに発注をかけていく……。このような形で日々、現地との連携を深めています。

こうした業務に必要不可欠なのが、交渉力と語学力です。世界60ヵ国以上の取引先とのやり取りは、英語が基本。毎日、様々な国から届くオファーにメールや電話で対応していきます。もちろん、生き物を扱う上でトラブルは付き物ですので、都度、交渉する必要が出てきます。緊急な対応を迫られる場合もあり、迅速な判断も必要。それでも、当社の場合は、入社前から語学が堪能な社員は少なく、業務をこなしていくなかで交渉力と共に身につけたというケースがほとんどです。

そうしたなか、スペイン語にも精通し、困難に立ち向かえる精神力・突破力をもつ古牧さんは、とても頼りになる存在です。弊社は、常務取締役が協力隊経験者ということもあり、会社として協力隊の実力はすでに実証済み。海外と積極的にコミュニケーションがとれる異文化適応能力、多角的に物事を見られる観察力をもつ協力隊経験者には、これからもぜひ弊社の力になってほしいです。

もうひとつ、生き物を扱う上で、忘れてはならないのが危機管理意識です。生き物ですから、土日や祝日に関係なく、誰かが管理をしなくてはいけません。予想不能なことも起こりますから、私たちの仕事は1+1=2というように明確な答えを出せるものでは無いのです。常に生き物ファーストで考え、行動する気持ちが根底になければ務まらない仕事だと思っています。ですから、面接ではなるべくその人の情熱と誠実さを見るようにしています。

とはいえ、当社のような専門性の高い業種は、経験者がたくさんいるようなものでもありません。今お話しした観賞魚の名前だけでも、はじめて耳にしたものばかりだと思います。新人採用にあたっても、専門性は入社後に身につけてもらうことを前提としています。むしろ、新しい提案を歓迎する風土があり、そうしたチャレンジ精神を持った社員を求めているところです。こうしたところは、まさに協力隊経験者の思いと親和する部分になるのではないでしょうか。

JICAボランティア経験者から

姫路支店 副支店長 古牧大知さん
(グアテマラ/養殖/1996年度派遣)

奥が深い観賞魚の世界
専門性と語学力はチャレンジ精神で磨かれる

弊社の海外業務に語学力は欠かせません。しかし、私の場合、ボディ・ランゲージで乗り切っていることも多いです。かつては、しっかりした英語を使わなければと力んでいたこともありましたが、大切なのは伝えるべきことが伝わるかどうかです。また、こうしたコミュニケーションで現地の声に耳を傾けながら業務を進めることで、自ずと専門性も高められていると感じています。

私には、グアテマラでの養殖活動という協力隊経験がありましたが、実務に通用する専門性と語学力は、入社後に現地との折衝を重ねることで磨かれていったと思います。弊社姫路支店の副支店長として部下を育てる立場にある今、協力隊という貴重な経験を活かし、自分を育ててくれた“チャレンジする社員を応援する風土”をしっかりと次の世代に引き継いでいくことが、私の使命だと思っています。

さて、私が弊社と出会ったのは、グアテマラでの協力隊活動が終わる数ヶ月前のことでした。インターネットがようやく普及しはじめた時代、首都にある隊員連絡所でネット検索をしていたら「カミハタ探検隊」というページが目に留まったんです。日本の若者をアマゾンの奥地などに連れていき、希少な生き物を調査するというその活動に魅了され、ぜひ働かせてもらいたいと現地からファックスを送ったのがきっかけです。入社後は、南米での養殖経験を買われ、ペルーに2年間駐在する機会も与えられました。

ただ、弊社が扱うのは観賞魚なので、食用の養殖とはまた違った難しさがあります。輸入した生体の状態が少しでも悪ければ商品になりませんから、日本側の微妙な要求を伝えていくのは毎回根気がいる作業です。そのたびに協力隊経験を思い出し、取引先には、現地住民の視点に立って安定した収益につながるのだということを説いて回っています。

いま、私の部署で主に扱っているのは、金魚です。古くから日本や中国には金魚を鑑賞する文化があり、交配や繁殖の技術が発達してきました。現在は、シンガポールやタイなどに養殖場があり、弊社もそこから輸入して国内向けに販売をしています。観賞魚コーナーに行くと色んな種類の金魚を見ることができますが、学名はひとつなんですよ。数年前からはメダカを扱うようになりましたが、こちらもバラエティに飛んでいます。実は、メダカの品種改良は日本が最先端。ひと口に観賞魚といっても奥が深くて、とても面白い仕事だと思っています。

グアテマラで養殖隊員として活動した古牧さん

諦めずチャレンジする道を選んだ協力隊活動
困難を乗り越え仲間と過ごした3年間が人生の財産

私がJICA海外協力隊を知ったのは、高校生のときです。少年の好奇心を擽るような募集広告を見て引き寄せられました。大学で水産学を学んだあと、進路として選んだのが協力隊になります。私の故郷は桜エビ漁が盛んな駿河湾沿いの街で、祖父も漁業に関わっていました。生き物好きが高じて水産の道へ進み、エビ養殖の要請でグアテマラに派遣されることになったのは、どこかに祖父の血が流れているからかもしれません。祖父が生きていたら、私の協力隊参加を喜んでくれていたでしょうね。

新卒で社会人経験がない状態での派遣に自信がもてなかった私は、派遣前に大学時代の恩師にお願いして、水産試験場にてエビ養殖の実地研修をさせてもらいました。しかし、その努力も虚しく、任地に着いたら養殖場すらない状況。配属先のサンカルロス大学は首都グアテマラ市にありましたが、あえて附属施設があるモンテリコという漁村に暮らすことを選んだ私にとっては、ただ途方に暮れるしかありませんでした。入国初日に高熱を出して心身ともに疲れていたこともあって、着任後の数ヶ月が一番辛い思い出です。

諦めて帰国するという選択もできたと思いますが、私は、できることを見つけて頑張る道を選びました。附属施設の宿泊所を住居にしていたこともあり、周りを見たら、最前線で働く現地のスタッフたちがいたんです。彼らと同じ視点に立って共に働くことで、色々な可能性が見えてきました。具体的には、学生時代に学んだ知識をもとに、淡水オニテナガエビとティラピアの粗放養殖に全力を注ぎました。これは、首都の大学にいたら絶対できない経験だったと思います。

あるとき日本政府から供与された発電機があることを知り、附属施設で使いたいと大学に申し出たことがありました。その導入が決定したのがきっかけで、1年延長し3年間をモンテリコで暮らしました。新卒参加だろうとなかろうと、行き詰まったことのない隊員なんていないんじゃないかなと思うと、もし私じゃない人が着任していたらどんな活動をしたのかなと考えることはありますね。困難を乗り越えてこその経験値、といえるのではないでしょうか。

貴重な経験といえば、生活インフラが十分でなかった暮らしもそうです。モンテリコはマングローブが茂る自然環境豊かな地域ですが、その分、生活用水は井戸水で、電気も運河を隔てた街から電線1本で繋がっているような不便なところでした。海水が混じった井戸水でシャワーを浴びたり、雨が降るたびに停電が起きたり、日本ではなかなかできない経験だったと思います。グアテマラは、沿岸部に住む隊員が少ないので、海を楽しみに遊びにきてくれる仲間もいて、配属先の仕事以外でも充実した3年間を送ることができました。

自分がグアテマラのためにできたことは小さなことでしたが、私はグアテマラからたくさんのことを学ばせてもらいました。私がそうであったように、協力隊は日本の若者を大きく成長させてくれる機会だと思います。協力隊に参加しなければ来ることはなかったであろう国の人達と一緒に悩み、楽しんで行動すること、この経験が私にとっての大きな財産です。

姫路支店 副支店長の古牧大知さん

※このインタビューは、2023年2月に行われたものです。

PROFILE

神畑養魚株式会社
設立:1877年
所在地:兵庫県姫路市白銀町9番地
事業内容:観賞魚、観賞魚用飼育器具の輸出入及び卸、観賞魚の養殖
協力隊経験者:2名在籍

HP:https://www.kamihata.co.jp/

 
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