神奈川県民際外交発祥の地、神奈川県
自らも家族とのかけがえのない日常を大切にしながら
外国人住民の暮らしを支援するJICA海外協力隊OGたち

  • グローバル人材の育成・確保

「JICA海外協力隊で知ったのはワークライフバランスの大切さ」。そう話すのは、神奈川県庁国際課に務めるJICA海外協力隊経験者の稲元浩子さんと赤穗沙織さんだ。お二人の上司である国際課課長の今井明さんは「仕事と家庭を両立しながら率先して行動できるのは協力隊経験者ならではの強みだ」と彼らを高く評価している。今回、国際課にお邪魔してそれぞれにお話を伺った。

「民際外交」から
「多文化共生」へ

神奈川県は全国的にみても在留外国人が多い都道府県のひとつです。2023年1月の時点で23万人を超え、県の調査では過去最高を記録しました。本県の外国籍県民の推移を歴史的にみると、まずはオールドカマーと呼ばれる中国や韓国・朝鮮をはじめとするアジアの方々、次に1980年代に国を追われてやってきたインドシナ難民の方々、そして日系3世までの就労を認めた1990年の入管法改正で入国した中南米の日系人の方々といった流れがあります。

このうちインドシナ難民は、1980年から1998年にかけて国の難民定住促進センターが神奈川県大和市に設置されたことが関係しています。彼らやその子どもたちの多くが周辺地域に定住を始めたことから、大和市などの県央地区では早くから外国人を受け入れてきました。中華街やコリアタウン、県央地域の日系人社会など、地域ごとに特色ある外国人コミュニティがあるのが神奈川県の特徴です。

こうした中、神奈川県は、1970年代半ばから、国レベルでの「外交」ではない、人と人、地域と地域の交流である「民際外交」や、異なる国籍、民族、文化を理解し、尊重しながら共に生きる地域づくりを進める「内なる国際化」といった施策を進めてきました。

今では、国や地方自治体など様々なところで「多文化共生」という言葉が使われていますが、神奈川県がこれまで進めてきた「民際外交」の考え方は、現在の「多文化共生」へと引き継がれているように思います。

また、神奈川県はベトナムとの交流を深めるとともに、多分野にわたる相互理解を促進することなどを目的として、2015年から「ベトナムフェスタin神奈川」を開催しています。県内在住のベトナム人は国籍別で中国に次いで第2位ですが、同じ県内に居住するベトナム人でも、1980年代にやってきたインドシナ難民の方と最近の留学生とでは、それぞれの来日理由や歴史背景が大きく異なります。こうしたイベントの開催を通じ、日本とベトナムとの相互理解に加え、外国籍県民においても互いの理解が進み、多文化共生の地域社会づくりにつながることも期待しています。

国際課長の今井明さん

「多文化共生」実現に向けた
協力隊への期待

協力隊の皆さんには、いつも派遣前に県庁表敬訪問をしていただいています。その際、黒岩知事はいつも、かつてマラウイで看護師隊員に会ったときのエピソードを、海外へ旅立つ前の隊員の皆さんに話されています。マラウイで看護師隊員が医療現場で奮闘している一方で、電気が通じず使われていない高価な医療機器を目の当たりにして、ODAのあり方や協力隊員が行う草の根国際協力の大切さを実感されたことなどをお伝えしています。

私も県の海外駐在員の経験があるため、JICA海外協力隊の活動は身近に感じています。言葉や文化の異なる国での業務は、苦労や葛藤が多いことかと思います。今、私の部署には3名の協力隊経験者が在籍していますが、皆さん仕事に対して前向きで挫けない姿勢は大変心強いです。

また、業務的には以前、外国企業誘致や県内中小企業の海外展開支援、インバウンド観光などに携わったことはありましたが、国際課では友好交流先との国際交流や外国籍県民の皆様が安心して暮らせる取組を進めています。それまで外国の方とはビジネスや観光客という関わりでしたが、今は、生活者、地域で共に暮らす一員としての視点から考えるようになりました。

昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、神奈川県にもウクライナ人の方が避難してきています。情勢が見通せない中、県内での滞在が長期化している避難民もいらっしゃいます。ウクライナ避難民に限らず、今後も様々な理由で日本に住む外国人の方が増えていくことと思います。

こうした多文化共生の地域社会づくりを進めていくには、行政だけでなく、NPO団体や民間企業、関係団体、県民の皆様との協働や連携が不可欠です。国際課で活躍する協力隊経験者の稲元さんや赤穂さんを見ていると、協力隊の活動中に培った経験や行動力を発揮して業務に取り組んでいます。これからも協力隊経験者ならではの強みを活かして、県政に貢献してくれることを期待します。

国際課の稲元浩子さん
国際課の赤穂沙織さん

JICAボランティア経験者から

国際課 稲元浩子さん
(ベトナム/番組制作/2016年度派遣)

ベトナムでの協力隊活動は
仕事や家族に対する価値観を変えた

私は、ベトナム国営放送の外国語放送局のひとつである、VTV4という日本語チャンネルで、日本とベトナムとの政府関係の交流を扱う番組「ジャパンリンク」の制作に関わっていました。この番組は、現在も週に1回30分間(再放送あり)、日本に住むベトナム人やベトナムに住む日本人など様々な人々に向けて放送されていて、両国の架け橋となっています。

番組制作にあたっては、協力隊員による日本語指導や添削、番組作りのサポートが行われていて、私は日本語を話すベトナム人のレポーターにアナウンスの指導を行っていました。日本語で意思疎通が図れたこともあって、着任早々、張り切って練習会を開いたり細かく添削をしたりしていたのですが、ある時レポーターから「貴女の指導にはついていけない」と非難されてしまいました。しかし、私自身もなかなか理解してもらえないことで感情が爆発してしまい、涙を見せ合いながら互いの思いをぶつけ合うこととなりました。結果的にはこのことが転機となって友情が芽生え、絆が深まりました。

現在「ジャパンリンク」は、ベトナムとの交流を推進する神奈川県にとって重要な役割を果たしており、私も国際課の職員として当時のスタッフと連携して仕事を続けています。

私は宮崎県の出身で、JICA海外協力隊を受けたのは地元のケーブルテレビで働いていた時でした。両親は、女性が単身で外国に行くことを心配していましたが、「番組制作」という職種を見つけたのは運命だと思い、反対を押し切って参加を決めました。いざベトナムに行ってみると、今度はホームステイ先のお母さんが私のことを娘のように可愛がってくれました。ステイ先では自炊も出来ましたが、よく家族の食卓に招いてくれて、家族同然に接してくれたのもありがたかったですね。

ケーブルテレビで働いていた頃は、徹夜で仕事をすることも珍しくなく、プライベートなど無いのが当たり前でしたが、ベトナムの番組スタッフたちは家族のことが理由で仕事を休むことがよくありました。どんなに重要な仕事でも家族には勝らないと言い切れる姿勢も、それはそれで素敵だなと思うようになり、ベトナムに行ったことで私自身の中での仕事に対する価値観が大きく変わりました。

帰国後は地方創生に関わりたくて、ベトナムと縁が深い神奈川県庁に入庁しました。その後、ベトナムで出会った同じ協力隊員と結婚し、現在は子育てをしながら国際課に勤めています。今後は、ベトナムや外国人だけでなく、子どもの貧困や障がい者支援などにも関われたらいいなと思っています。個人的には神奈川県に暮らし始めてまだ5年目なので、これからは子どもを通してもっと地域に入っていきたいですね。

ベトナムで番組制作隊員として活動した稲元さん

JICAボランティア経験者から

国際課 赤穗沙織さん
(マダガスカル/コミュニティ開発/2018年度派遣)

念願の協力隊参加で
第2の故郷となったマダガスカル

西インド洋に浮かぶマダガスカル島はアフリカの国とはいえ、ケニアのサファリなどに代表されるアフリカ大陸のイメージとは少し異なっています。私も派遣前は、アフリカらしい派手な民族衣装を着て高らかに笑う人々の姿を想像していたのですが、配属先のスタッフに会った時の第一印象はまるで正反対でした。顔つきはアラブ系やアジア系に近く、現地語はマレー語っぽい響きがありました。想像とはかけ離れていましたが、日本人の私には親しみやすく、親近感を感じる国でした。

そんな中で生涯の伴侶にも出会うことができました。今は、もうすぐ生まれる子どもと一緒に、義理の両親が待つマダガスカルへ遊びに行くことができる日を楽しみにしています。

私が滞在していたのは、首都からバスで4時間ほど行ったところにあるアンチラベという中央高地の都市でした。フランス植民地時代には避暑地として賑わっていたそうですが、現在は稲作や畜産が盛んで、そこで私は農家さんのための生活改善プロジェクトに関わりました。プロジェクトの課題のひとつは、農家さんに貯蓄の概念があまり無いことでした。実際に収穫した米をすぐに食べたり売ったりしてしまうので、私は農村を巡回して貯蓄の大切さを伝えたり、みんなで考えたりするセミナーを開催して生活環境の改善計画に取り組みました。

私が配属先でお世話になった同僚の1人は、日本での農業研修に参加した経験がある方でした。私には分かりやすいマダガスカル語で話しかけてくれ、いつも何かと気にかけてくれました。海外に行ったことがないマダガスカル人が大半の中で、こちらの文化を少しでも知ってくれている人がいるということは慣れない海外生活の中で本当に心強いことでした。帰国後は今度は自分が日本にいる海外の方と関われたら、と思い始めたのもこのことが大きなきっかけです。

マダガスカルでの活動は、本来2年間の予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で3ヶ月早く帰国することになってしまいました。国内で目立った感染は報告されていないような時期だったので、困惑しながら荷物をまとめて国を出たのを覚えています。緊急帰国は無念でしたが、その後協力隊を育てる会の青年支援プロジェクトに応募し、職場にも理解をいただき、昨年調査のためマダガスカルを再訪することができました

神奈川県庁に入庁して国際課に配属されてからは、特に、県内に住む海外にルーツを持つ方々との交流事業「かながわ探検隊」の企画に全力で取り組みました。やはり、海外の人たちと直接関われる仕事は楽しいですし、とてもやりがいがありますね。

マダガスカルでコミュニティ開発隊員として活動した赤穂さん

※このインタビューは、2023年5月に行われたものです。

PROFILE

神奈川県
所在地:神奈川県横浜市中区日本大通1
協力隊経験者:複数名在籍

HP:https://www.pref.kanagawa.jp/index.html

 
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