金秀バイオ株式会社協力隊マインドが海外営業を支える
「金秀バイオ株式会社」

  • グローバル人材の育成・確保
  • 開発途上国でのビジネス展開

オキナワモズクから抽出するフコイダン、沖縄の農家さんが丹念に育てたウコン、ゴーヤー、シークワーサー、グァバ、もろみ酢など、沖縄特産の素材で健康食品を製造・販売している金秀バイオ株式会社。海外での健康ブームと日本製品という高い信頼性により、同社売上の約4割が海外市場だという。生活習慣病予防対策を目指す改革が進むなど、アジアを中心に目覚ましい成長を遂げる世界の健康食品市場。国内市場が成熟期に入り、海外市場の期待が一段と高まる今、海外営業を担うJICA海外協力隊経験者への期待について、同社取締役執行役員常務の佐々木努さんに話を伺った。

まだまだ強いと感じるMade in Japanのブランド力
海外営業を支えるJICA海外協力隊経験者

弊社は、沖縄特産の素材にこだわった健康食品を製造・販売している会社です。工場を併設した本社が、沖縄県糸満市にあります。かつて沖縄は健康長寿県として名を馳せたこともあり、県として特産品を利用した経済振興が図られてもいます。健康食品を扱う会社は多くありますが、弊社もそのひとつです。近年は、IT産業への投資が盛んになりつつありますが、今でも沖縄は、野菜や果物、海藻などの農・水産物が豊富なことには変わりありません。現在、弊社の売上の約4割が海外市場。長年培ってきた発酵・バイオ技術を活用して、安全・安心な健康食品を、沖縄から世界にお届けしています。

沖縄の特産品というと、ご存知のとおりゴーヤーやモズク、シークワーサーなどが挙げられます。もともと沖縄では、素材をそのまま調理して食してきた文化がありますが、弊社はそうした素材を研究・開発して、健康食品として製品化してきました。少し前にブームになったもろみ酢も、沖縄の地酒「泡盛」の副産物から得られるクエン酸・アミノ酸飲料です。現在の弊社の主力製品は、海藻であるモズクから抽出するフコイダンです。売上全体の約7割を占めていて、その多くが海外へも輸出されています。

海外市場への最初の一歩は、香港でした。もう20年近く前に遡りますが、その後、台湾やアメリカへと市場を少しずつ拡大。海外での売上が伸びてきたのは、10年くらい前からでしょうか。今は、ベトナムも主要な輸出先となっています。生活が豊かになったことで健康意識が高まってきたというのもありますが、それだけではなく、健康食品が海外で売れることの背景には、日本製品全体への高い信頼性が根底にあることは間違いありません。まだまだ”Made in Japan”という堅固なブランド力に支えられているな、と実感することは多いですね。

弊社の製品は、商社や代理店経由で海外へ販売される場合もありますが、OEM1製品や原料として輸出することも多いです。製品がさまざまな形で海外市場に流れていくなか、無視することが出来ないのが、各種法令や関税です。当然、国によって輸出入のルールが異なりますから、対象国の法令に則り、規格基準などを満たしていく必要が出てきます。その上で、相手が何を求めているのかきちんとヒアリングし、ニーズを的確に把握することも欠かせません。私自身も、海外向けの営業をしてきましたが、こうしたことは、ただ語学ができるというだけで務まるものではないと確信しています。今、いま弊社に必要なのは、海外のお客様を相手に物怖じしないマインドを持つ人材。協力隊経験者に期待するのは、まさにこの点です。


1「Original Equipment Manufacturing(Manufacturer)」の略で、他社ブランドの製品を製造すること。大きく分けて、①完成品または半完成品を相手先のブランド名で製造する、②企業がメーカーに対して、自社ブランド製品の製造を委託する、の2種類がある。

取締役執行役員常務の佐々木努さん

語学力だけでは通じない海外営業
怯むことなく海外へ出ていくからこそ語学は活かされる

現在、弊社には製造部門と営業部門を合わせて、3名の協力隊経験者が在籍しています。きっかけは、県内の活動を通してつながりのあったJICA沖縄からの紹介です。たまたま、私には協力隊経験者の友人がいたので、個人的にも協力隊には好感を寄せていました。その頃、中華圏を担当していた社員が育児休暇に入る時だったこともあり、とても良いタイミングでご縁がつながったことに感謝しています。

私の友人もそうでしたが、協力隊員というのは、もともと旺盛なチャレンジ精神があるなかで、さらに開発途上国というフィールドで経験値をあげて帰ってくる、そういった印象が強いです。弊社の協力隊経験者を見ていても、異文化でのかけがえのない経験が、さまざまな課題や困難を乗り越える上での礎になっているということがよく分かります。

私は大学時代に、海洋生物から医薬品のもとになる物質を探すという研究をしていたことがきっかけで、弊社に入社しました。それがどうして海外営業を担当するに至ったかというと、たまたま大学で入った研究室が英語を重視していた関係で、否応なく英語を学んだ経験があるからです。最初は自分の意思ではなかったものの、英語で留学生とやりとり出来るようになると、それはそれで喜びや楽しさにつながってきますよね。協力隊の活動というのも、何かしらの専門性を持って派遣されるなかで、コミュニケーションのツールとして語学を身につけていく。そのように想像しています。

ところで、弊社の事業は専門性のある分野ではありますが、採用で重視するのは必ずしも専門的な知識や技術だけではありません。特に、海外事業に関しては、繰り返しになりますが、怯むことなく海外に出ていける精神力や好奇心が不可欠。専門的な知識は、入社してからいくらでも学ぶ機会はあります。協力隊経験者である又吉恭平さんは、ソフトボールの隊員でしたからね。私のマネジメント業務が増えてきたタイミングで、私が持っていた海外得意先のいくつかを彼に担当してもらいしました。高い信頼を寄せていると同時に、彼も強いバイタリティで業務をこなしてくれています。ちなみに、又吉さんのおかげで弊社は、グループ企業対抗のソフトボール大会で連続優勝を果たすことが出来ました。職場にもすっかり溶け込んでいる姿を見ると、そうしたことも協力隊ならではの資質であると感じます。

JICAボランティア経験者から

製造部門 又吉恭平さん
(ペルー/ソフトボール/2014年度派遣)

価値観の違いやコミュニケーションの大切さを学んだ3年間
多文化と接することで身に付けた交渉力

私は、JICA海外協力隊でペルーに派遣されました。帰国後、すぐ生まれ故郷の沖縄に戻り、弊社に入社。最初は営業部門でしたが、4年目になる今は製造部門に配属され、工場勤務をしています。ソフトボール隊員でしたので、身体を動かすことはまったく苦にならず、むしろじっとしていられないタイプ。一日中動きまわる工場内の仕事を楽しんでいます。ただ、工場は製品を作るのがメイン。物と接するよりも人と接していたいので、最近は少し営業の仕事が恋しくなってきました。

営業部門から製造部門に異動したことで、学んだことは多いです。工場勤務は体力勝負なところがあり、それによる人と人との関わり方に違いがあることが分かってきました。協力隊の経験を思い出して、いろんな人と一生懸命コミュニケーションを図るよう努めています。

営業部門にいたときは、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど、弊社がカバーする海外エリアの全域を担当していました。弊社は、海外からも電話で問い合わせが入ることが多く、着信表示に見慣れないナンバーを見つけると「又吉さん!」と呼ばれて、私が英語で応答するということが頻繁にありました。協力隊の派遣国ペルーはスペイン語でしたが、小学生の頃から英会話を習っていたことと、大学時代の選考が英米言語でしたので、英語に抵抗はありません。強みを活かせたので、海外のお客様とのやりとりはとても楽しかったですね。

語学が出来るだけでは、営業の仕事は務まらないということ。これは入社してすぐ気づきました。海外の取引先に行く時、もちろん自分でタクシーを見つけて移動するわけなのですが、そうした日常的なことも、協力隊経験がなければ出来なかったように思います。言葉が話せても、料金をごまかされるかもしれないという状況でどう対処すべきか、これは学校で教えてもらえることではありません。ペルーでの2年間の暮らしで、ずいぶんと交渉力が上がったと実感しています。ペルーでは、出稼ぎに来ているキューバ人とも関わることが多かったのですが、国民性なのか人間性なのか、価値観の違いというのを突き付けられました。そうしたなかで、相手の価値観を尊重することの大切さや自分の価値観を守る術について、自然と身に付けられたと感じます。

製造部門の又吉さん

ソフトボールと日系人コミュニティが教えてくれたこと
人と人とをつなぐ存在に

私がソフトボールを始めたのは小学生の頃です。最初は友だちと遊ぶ程度でしたが、本格的に取り組むようになり、小学生で全国大会出場、中学生で九州大会2連覇を果たしました。その後、高校と大学でも強豪チームのピッチャーとしてプレイしました。

大学時代は、ソフトボール部に所属しながらエイサーのサークルにも入っていました。ある時、みんなの輪に入れていないペルー人を見つけ、声をかけたところ意気投合。卒業したらペルーで会おうと約束をして別れました。JICA海外協力隊を目指したきっかけというのが、まさにこれです。ただし、ペルーに行きたくても協力隊として出来ることが見つからない。そこで何度もJICA沖縄を訪ねていたところ、なんとペルーでソフトボールの要請を1枠発見。合格した時は、長年続けてきたソフトボールで夢を実現できたことに、胸がいっぱいになりました。

ペルーでは、日系人コミュニティで、主に女子ソフトボールの代表チームを指導しました。ソフトボールは、野球と比較すると道具代などが嵩むことから富裕層のスポーツとされ、代表選手の約8割が日系人。また、女子のスポーツというイメージが根強く、男性である私の着任に現地の人たちは驚くほどでした。この悔しさを挽回したく、男子野球と試合を行い、ソフトボールの私が圧倒的な強さを見せると、雰囲気が一変。みんなが信頼を寄せてくれるようになり、2年目は15歳以下チームの監督を任されるようになりました。

やりがいのある活動でしたが、選手として最前線で活躍してきた私の心のなかでは、いつか男子チーム相手に全力で試合をしたいという思いが燻っていました。そんな矢先、中南米男子ソフトボール大会がパナマで開催されることを聞き、急きょ任期を延長。3年目は男子チームを作ることに成功し、パナマ大会でのペルー初出場に貢献することが出来ました。何よりも嬉しかったのは、私自身も選手兼コーチとして出場することが出来たこと。思いっきりボールを投げることが出来た時は、それはもう言葉で表せないほど気持ち良かったですね。

配属先の日系人コミュニティには、沖縄出身の方が多くいました。そのため、沖縄のソウルフードである油味噌の匂いが、いつもどこかで漂っていました。また、エイサーが聞こえてくると、みんな自然と身体が動く。日本語を話す日系人が少なくなったペルーでも、こうして沖縄の文化が脈々と受け継がれていました。こうした歴史と文化の一面を体感することが出来たのは、沖縄出身のひとりとしてアイデンティティを考える上で貴重な経験となりました。協力隊参加で一番培われたのは、コミュニケーション力でしょうか。さまざまな人たちとの交流の輪が広がったことは、自分にとって大きな財産です。これからは、仕事でもプライベートでも、人と人が繋がるところに自分の力を活かしたい、そう思っています。

ペルーでソフトボール隊員として活動した又吉恭平さん

※このインタビューは、2022年12月に行われたものです。

PROFILE

金秀バイオ株式会社
所在地:沖縄県糸満市西崎町5丁目2番地2
協力隊経験者:3名在籍

HP:https://www.kanehide-bio.co.jp/corporate/jp/information.html

 
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