川崎市国家プロジェクトを担当する
異色の部署で奮闘するJICA海外協力隊経験者

  • グローバル人材の育成・確保

川崎市の臨海部国際戦略本部成長戦略推進部は、臨海部の国家プロジェクトを牽引するため、多様な経験を持つ職員が集まっている。JICA海外協力隊経験者の恩田健人さんもその1人だ。同部係長で民間企業からの転職組でもある伊藤純平さんは、何事にも新しい環境に順応しようとする姿勢が重要であると述べる。お二人が担当する国家プロジェクト「キングスカイフロント」のことを中心に、公務員の仕事や協力隊経験のことなどについて話を伺った。

キングスカイフロント
公害の地から世界最高水準のライフサイエンス研究拠点へ

神奈川県川崎市は、東京湾に面した自治体であり、重化学工業が中心の京浜工業地帯が臨海部に広がっています。市の税収の多くは、この臨海部から得られており、長い間政策上重要な拠点となっていました。かつて川崎市の臨海部といえば、公害や環境汚染が深刻な場所として全国的にその名が知られていました。しかし、現在は状況が改善され、このような歴史的背景や経験を踏まえて、世界最高水準を目指すライフサイエンスの研究拠点キングスカイフロントが設置されました。

キングスカイフロントは、多摩川を挟んで羽田空港の対岸に位置し、2000年代に撤退した大手自動車工場の広大な跡地に建設されました。キングとは、川崎市のK、イノベーションのIN、そして羽田空港を意味するゲートウェイのGから成り立ち、文字通り川崎市からイノベーションを起こすという想いが込められています。また、国家戦略特区・国際戦略総合特区にも指定されており、川崎市のみならず日本の成長戦略の一翼を担っています。

現在の立地機関は約70機関で、大企業からスタートアップ、外資系を含む多様な機関が、国際空港の近くという地の利を活かした様々な事業を展開しています。例えば、ある大手製造業者は、関西から移転してきて、カスタマー向けのショールームを設置しました。この例のように、空港を出口にして物を輸送するという発想ではなく、空港を入口にして人や物を呼び込み付加価値を生み出す、というのがゲートウェイの名を掲げるキングスカイフロントの目指す姿です。

私や協力隊経験者の恩田さんが所属する臨海部国際戦略本部成長戦略推進部は、キングスカイフロントのプロジェクトを市政として担当しています。通常の市役所内の部署は〇〇局と名が付いていますが、私たちの部署は臨海部の戦略推進に特化したプロジェクトチームとして〇〇本部の名称を採用しています。この成長戦略推進部には、20名ほどの職員が在籍していますが、私と恩田さんを含め、多くが民間企業での経験を持つ中途採用者です。多種多様な土壌における職員の経験値が、プロジェクトを進める上で欠かせないイノベーションの源泉になっています。もちろん恩田さんも、イノベーションを起こせるポテンシャルを持った期待の人材のひとりです。

臨海部国際戦略本部成長戦略推進部 係長の
伊藤純平さん

協力隊から公務員への転職
新しい環境に順応するために必要なこと

私が川崎市に入庁して以降、仕事を通して協力隊経験者と接したのは恩田さんで2人目です。1人目は入庁同期の職員ですが、2人に共通しているのは、何事も前向きに取り組もうとする姿勢を持っているということです。日本国内で社会人経験を積むという選択肢があった中で敢えて海外に出たことや、社会的な意義の中で自分の役割を果たすことを自ら望んだのだとすれば、彼らには元々ポジティブに考える素養があったのではないかと推測します。協力隊経験者には、名前の通り他者と協力しながら課題解決できる人材としての大きな魅力を感じています。

多言語や異文化経験をフルに発揮できるような民間企業の事業とは異なり、市役所の仕事には協力隊で培ったスキルを直接活かせるような業務は決して多くありません。こうした中で、民間企業から公務員に転職した私が思うのは、どんな経験の持ち主であっても、転職したら新しい環境に順応して仲間と良好な関係を作っていかなければならないことに違いはないということです。型にはまった業務をしているように見える市役所においても、周りを巻き込んでうまく物事を進めていくことは不可欠ですし、新しい風を吹かしてくれる人材は常に必要とされています。

むしろ、協力隊経験から公務員への転職において何かハードルがあるとしたら、ご自身が新しい環境に馴染もうとしているか、馴染めるかということなのではないかと考えます。転職時にこうしたカルチャーショックが起こるのは協力隊経験者だけではありませんから、何かに貢献しようと考えて新しい道を切り開く力さえ持っていれば市役所にも活躍の場はたくさんあるように思います。協力隊でも民間企業でも、大切なのはストレスに対処する方法を学んで自分自身を成長させることができたか、ということではないでしょうか。

現在、私と恩田さんは、キングスカイフロントへの企業誘致を担当しています。そこに集まる多種多様なジャンルの企業のひとつにナノ医療の研究所があるのですが、そこでは世界的に名の知れた医療関係の企業と連携してベンチャーやスタートアップを支援するインキューベーション事業が進められています。こうした取り組みは、市役所の業務の中でも海外色が強く、とてもユニークな位置付けです。恩田さんが成長戦略推進部に配属されたのも、協力隊という貴重な経験が評価され今後に期待されてのことのように思います。

JICAボランティア経験者から

臨海部国際戦略本部成長戦略推進部 恩田健人さん
(コロンビア/体育/2016年度派遣)

公務員としての私のキャリア
地域に貢献する仕事と、地域から世界に発信する仕事

私は今、伊藤係長と共に、ライフサイエンスの研究拠点であるキングスカイフロントへの企業誘致を担当しています。具体的には企業の皆さんが持つ世界水準の技術を川崎市から世界に発信するための支援をしたり、こうした企業が国家プロジェクトとしての助成が受けられるよう内閣府と連携したりする業務に携わっています。受け身でいるだけでなく積極的に外部に働きかける機会もあり、とてもやりがいを感じています。

成長戦略推進部に異動になる前は、川崎市宮前区役所で地域振興に取り組んでいました。実際に地域の方々と登下校中の子どもたちの見守りをしたり町内会の会合に参加したりと、今とはまた毛色が違った業務で面白みのある仕事でした。1人で机に座って仕事をするよりも誰かと一緒に行動するほうが性に合っているので、毎月2回の交通安全の日には早起きして備品の準備をするなど、率先して活動していました。地域振興では地域住民と共に考え行動していくことが求められるので、協力隊経験を十分活かせたのではないかと思います。

ある時スペイン語圏の住民と接した時、スペイン語で応答したらとても驚かれたことがありました。このように地域振興にやりがいを感じていた矢先だったので、成長戦略推進部への異動辞令が出た時は少し困惑しました。川崎市の大きなイベントに東京都世田谷区と合同で行う多摩川花火大会がありますが、どちらかと言ったら地域振興の延長でこうしたイベントに関わることになるのかなと漠然と考えていたからです。

ただ、キングスカイフロントに関わるようになって気がついたのは、ここも川崎市を象徴する地域のひとつだということです。企業や官公庁を相手にすることが多い今の仕事ですが、地域振興を経験したからこそ、世界に繋がる最先端の地域が川崎市にあることやその魅力を市民にももっと伝えていきたいと強く思うようになりました。

地域振興のようなローカルな仕事が好きか、それともキングスカイフロントのようなグローバルな仕事にやりがいを感じるかと聞かれたら、今はどちらでもないとしか答えられません。ただ一つだけ言えるのは、私は人と関わるのが好きだということです。この先何年かかるか分かりませんが、目に見える成果を残せて誰かに感謝された時に初めてやっていて良かったと実感できるのではないかと思います。

臨海部国際戦略本部成長戦略推進部の
恩田健人さん

コロンビアでの協力隊員経験
バドミントン指導から人権問題を考えるまで

私が川崎市役所を志望したのは、人権問題に熱心に取り組んでいる自治体のひとつだと知ったからです。コロンビアに到着してすぐの頃、配属先の同僚が周りではしゃいでいた子どもたちを怒鳴ったことがありました。後に聞いたら、私を差別的な言葉でからかっていたそうです。大学時代にアメリカへ留学した時はそのような経験はありませんでしたので、とてもショックを受けました。その後も、日本では全く感じることのなかった性別や人種によるあからさまな差別に直面することがあって、徐々に社会課題としての意識が芽生えていきました。

その時子どもたちを叱ってくれた配属先の同僚には最後まで助けられました。当時30代半ばだった彼は配属先の職業訓練校のスポーツの先生でしたが、私の職種であるバドミントンの経験は全くありませんでした。サッカーが盛んなコロンビアではバドミントン自体がマイナーなスポーツだったので、ゼロから指導することにはとても苦労しました。

しかし、私は選手を育成するのではなく、学校の体育授業での指導だったので、気持ちも楽でいられました。初めてラケットを手にする学生たちと楽しんで活動できたのはとても良かったです。私自身もバドミントンは強化選手ではなくプレイヤーとして楽しんできた人間なので、巡回指導で行った小学校で無邪気な子どもたちに囲まれて一緒にプレイできたことが一番の思い出です。異国の地にやってきた日本人というだけで興味を持って接してくれることの嬉しさは、協力隊員なら誰でも一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

元々協力隊に応募したのは、海外で体育の先生になりたかったからです。大学で体育の教員免許を取得し、アメリカに留学したのもそのためでした。協力隊という道があることを知った時は、ブータンを希望していたと記憶しています。物怖じしない性格の割には、アメリカの次に行くならもっと治安の良い国へと考えたのだと思います。結果的にコロンビアになりましたが、念願の体育の先生として子どもたちと過ごせたことはかけがえのない思い出となりました。

コロンビアの言葉で好きなのが「Vamos(バモス)」です。日本語だと「頑張れ」に近い意味で、特に現地の子どもたちが誰かを励ます時によくこの言葉を使っていました。私が言葉に詰まるとすぐに子どもたちから「Vamos」と言われました。大きな声で言葉を掛け合うという子どもたちの姿に何度も励まされた2年間でした。

コロンビアで体育隊員として活動した
恩田さん

※このインタビューは、2023年6月に行われたものです。

PROFILE

川崎市
所在地:神奈川県川崎市川崎区宮本町1番地
協力隊経験者:複数名在籍

HP:https://www.city.kawasaki.jp/590/soshiki/46-7-0-0-0.html

 
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