熊本YMCAグローカルに活動する「熊本YMCA」
セネガルでの経験がもたらした新たな価値観と協力隊経験者の役割

  • グローバル人材の育成・確保

熊本YMCAは、明治時代のプロテスタント派のグループ「熊本バンド」を起源とし、今日に至るまでその精神を受け継ぎ地域に貢献する活動を続けている。幼い頃から熊本YMCAの活動に参加してきた堤雄一郎さんは、JICA海外協力隊への参加の夢を叶えた後、熊本に戻って自分を育ててくれた熊本YMCAの職員として働いている。今回、キャンプ場の所長として青少年活動を主導する堤さんと、堤さんを幼少期から知るという熊本YMCA総主事の光永尚生さんのお二人にお話を伺った。

熊本バンドから受け継がれる熊本YMCAの精神

YMCAとはYoung Men's Christian Association(キリスト教青年会)の通称で、世界的な非営利組織です。1844年にイギリスで設立され、日本では1880年に東京YMCAが設立されたことを始まりとしています。現在、国内には約35ヶ所のYMCAがあり、熊本YMCAもそのひとつです。各地のYMCAは公益財団法人日本YMCA同盟(以下、日本YMCA)に加盟していますが、本部・支部という関係ではなく、それぞれが各地で独立した組織として活動しています。

熊本YMCAの法人化は1948年ですが、活動の精神は、日本にYMCAが上陸する以前の1876年に発足した「熊本バンド」から受け継がれています。「熊本バンド」とは、同志社大学に入学した熊本出身の学生グループで、明治プロテスタント派の3つの源流のひとつです。近代日本の形成に大きく貢献したと言われており、この中から東京・大阪・神戸の各YMCAの初代会長が誕生しました。熊本出身者が日本のYMCAのパイオニアになったことが、私たちの大きな誇りです。こうしたことからも、熊本YMCAでは、キリスト教のシンボルである十字架の縦軸を歴史の深さ、横軸を世界の広がりと捉えています。「世界を見つめ、地域に生きる」を標語に掲げ、世界に視野を向けながら、関係地域の発展に寄与する活動に取り組んでいます。

熊本YMCAの活動の間口は広く、幼稚園、日本語学校、スポーツ施設、キャンプ場など、多岐にわたる事業を行っています。最近ではプロ野球の村上宗隆選手が、幼少期に熊本YMCAが運営する体操教室に通っていたことでも話題になりました。こうした事業を、現在、公益財団法人、学校法人、社会福祉法人、有限会社の4つの法人で運営しています。基本は会員制のボランティア組織なので、会員数は800人ほど。施設の利用者や学生を合わせると約6,000人の大所帯で、職員数も常勤・非常勤合わせて約400人います。国内のYMCAの中の予算規模で6番目に大きい組織です。会費や募金を原資とするキリスト教界の民間組織として、「右手に聖書、左手に算盤」という考え方を忘れず、愛と奉仕の精神で業務を遂行することにも努めています。

多種多様な事業を行ってはいますが、本来はボランティア活動を行う非営利組織です。2016年に起きた熊本地震では、被害が最も大きかった益城町の避難所の運営を先導し、各地のYMCAやNGOなどからのボランティアを取りまとめ、熊本市との連携に取り組みました。地域のプラットフォーマーとして、これからも地域との関わりやパートナーシップを大切にしていきたいと考えています。

総主事の光永尚生さん

熊本YMCAの「わさもん」が育む世界との絆

熊本YMCAは、明治時代に世界に目を向けて行動した「熊本バンド」の精神を受け継ぎ、長きにわたって海外との交流事業や支援活動にも取り組んでいます。なかでも歴史があるのは韓国大邱市にある盲学校との交流で、ほぼ毎年、学生たちを連れて大邱と熊本を行き来しています。また、タイのチェンライ市には山岳民族のための寮を作り、里親支援の活動を続けています。

最近はウクライナとの繋がりも強くなっています。しかし、ロシアにもYMCAはありますので、世界の平和を願う人々または関係性を大事にするような人たちを育てようというYMCAの考え方を重んじ、どんな状況においても、どちらか一方の国に偏らないことを交流や支援の原則としています。

熊本地方の方言に「わさもん」という言葉があります。これは新しいものを好む人を意味する言葉です。「熊本バンド」は、まさに「わさもん」の象徴です。こうしたなかで、現代の「わさもん」のひとりが、熊本YMCAで積極的に新しいことを見つけて取り組んでいる協力隊経験者の堤さんです。異国の地に派遣され異文化に揉まれた経験は、彼に新しい価値観をもたらしたことでしょう。そのことが熊本YMCAの未来に活かされていくことは間違いありません。

熊本出身の堤さんは、自身も幼い頃から熊本YMCAの活動に参加してきました。YMCAの精神を受けて育った彼は、大学卒業後に広島YMCAに就職し、その後、日本YMCAの所属として協力隊に派遣されました。現職参加1の前例がなかった組織にとっては、堤さんの派遣は新しいチャレンジでした。コンピテンシーの高い人材を一定期間手放すことになるため、当時は多くの関係者の間で様々な協議がなされたと聞いています。日本YMCAにとって堤さんの協力隊参加は、個人と組織の価値観を合致させて新しいことにチャレンジできたひとつの事例となりました。

隣県の鹿児島には、他の人に負けずに行動することを奨励する薩摩の「郷中教育」の教えがあります。これに逆らうかのように、肥後の熊本では、出る杭を打とうとする風潮が根強く残っています。翻ってみれば「熊本バンド」や「わさもん」は、こうした閉鎖的な環境に耐えきれず生まれたもののように思います。 堤さんにも、自身の思いと価値観を大事にしながら、もっともっと新しいことにチャレンジして行ってほしいです。


1現在の職場を退職せずに、 所属先に身分を残したまま休職してJICA海外協力隊に参加すること。

JICAボランティア経験者から

YMCA阿蘇キャンプ場所長 堤雄一郎さん
(セネガル/青少年活動/2009年度派遣)

ボランティア活動から協力隊へ
夢を叶えた10年

私が協力隊を目指したきっかけは中学生の頃にさかのぼります。1998年、中学1年生のときに「JICA中学生・高校生国際協力エッセイコンテスト(以下、エッセイコンテスト)」で準特選を受賞し、その副賞で中国に研修旅行に行った経験があります。そこで生の協力隊活動に出会い、深く感銘を受けたことで、いつか自分も必ず協力隊員になろうと決意しました。現地で活動する協力隊員の姿は、当時中高生だった私たちに大きな感動と余韻を残してくれました。その後、研修旅行で出会った友人と同時に協力隊に合格することができました。中学生の頃に誓った夢が、約10年の時を超えて現実のものとなった喜びを共に分かち合うことができました。

私は、父が熊本YMCAの職員であった関係から、幼い頃から野外活動やボランティア活動に参加する機会が多くありました。エッセイコンテストで入賞した作品も、父に連れられて参加した重油回収のボランティア活動のことを綴ったものです。その後は私も熊本YMCAに所属して、キャンプやレクリエーションなどのリーダーとして学生時代を過ごしました。大学では水産の勉強をしていましたが、学業の合間でタイのワークキャンプに参加するなど、いつか協力隊員になる夢をずっと抱いて、青少年活動を続けてきました。

しかし、大学卒業を目前に控え、いつでも受験可能になった途端に急に自信を失ってしまいました。目指していた職種「青少年活動」の倍率が想像以上に高く、新卒の自分には大した活躍はできないだろうと尻込みしてしまいました。悩んだ末に選んだのが、YMCAで働き実務経験を積むという道でした。もちろん、幼少期から関わっていたYMCAという組織自体に興味があったこともありました。最終的には、多くの理解者に恵まれて、現職参加という形で協力隊員になるという夢を叶えることができました。

セネガルへの派遣が決まった時、一番に喜んでくれたのが父でした。長年YMCAで社会課題に向き合ってきた父には、若い時にアフリカに行けることが羨ましいと言われました。反対に、母からはとても心配されました。その心配が的中したのか、活動中は何度も体調を崩しました。そんなとき心の支えになったのは、医者でも薬でもなく母が送ってくれた日本食でした。

今、私には小さな子どもが2人います。もし、大きくなって協力隊に参加したいと言い出したら、父や母が私にしてくれたように、笑顔で送り出して活動を見守ってあげたいと思います。

セネガルで青少年活動隊員として活動した堤さん

セネガルの経験がもたらした新しい価値観

セネガルでは、情操教育の教員として、幼稚園や小学校を巡回指導する活動をしていました。音楽や体育、図工といった身体を使う授業は、情操教育に馴染みのない子どもたちにとっては遊びと同じで、毎回楽しみに待っていてくれました。しかし、私にとっては授業時間がせいぜい1時間程度だったため、何もしない時間をどう過ごそうか悩みました。また、1年のうち雨季と乾季に2回の長期休暇があり、2~3ヶ月も子どもたちと会えない時間があることが分かりました。そこで、持て余している時間を有効活用できないかと知恵を絞り、自宅を解放して子ども達を招き入れることにしました。私が住んでいた家は元幼稚園だったため、テニスコート3面分ほどの広さの庭は子どもたちとの活動にはうってつけでした。

私は長年YMCAでの経験から、面白そうなことをやっていれば声をかけなくても子どもたちは集まってくることを知っていました。案の定、湯船に浸かる文化のないセネガルでドラム缶風呂を作って見せたら、好奇心旺盛な子どもたちがたくさんやってきました。当地では珍しかったインターネット電話を使って、日本とセネガルを繋いでみたこともありました。私自身も、日本にいたらできないことをやってみようと決めていたので、子どもたちとロバの糞を使った肥料作りにも挑戦しました。

長期休暇は、零細農家の子どもたちにとっては家の手伝いをする期間でもあったため、仕事をサボって私の家で遊んでいると、時々お母さんが怒って迎えにくることがありました。ですから一緒に卵や魚を採った時には、お土産を持たせて帰したりしていました。ところが、不思議なことにしょっちゅう食事に招かれもしました。貧しくても幸せな家族の姿を見ていたら、私も早く自分の家族を持ちたいと強く思うようになりました。セネガルでの協力隊経験は、私に、幸せ=家族という新しい価値観を与えてくれました。

セネガルから帰国後はYMCAに復職し、現在は熊本県にある「YMCA阿蘇キャンプ場」で所長をしています。キャンプファイヤーやレクリエーションなどの野外活動を指導するなかで、セネガルで経験したことを積極的に子どもたちや親御さんに伝えるようにしています。

昨年は、セネガルで実際に使われている方法を用いて、薪が無ければお湯を沸かせないことや誰かが殺めなければ肉が食べられないことを、親子で体験し考えてもらう機会を作りました。協力隊経験を地域の人たちや後世に伝えていくのが私の役目だと考えています。子どもたちの将来の夢のひとつに、協力隊という選択肢が加わったら嬉しいなという気持ちで、これからも青少年活動を続けていきたいです。

YMCA阿蘇キャンプ場 所長の堤さん

※このインタビューは、2023年2月に行われたものです。

PROFILE

熊本YMCA
設立:1948年
所在地:熊本市中央区段山本町4-1(本館)
事業内容:国際協力・国際交流、緊急災害支援活動、地域福祉活動、観光保全活動、青少年育成等の支援活動
協力隊経験者:1名在籍中

HP:https://www.kumamoto-ymca.or.jp/

 
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