小笠原村離島における保健福祉の最前線で活躍するJICA海外協力隊経験者

  • グローバル人材の育成・確保

世界自然遺産に指定された小笠原諸島を有する東京都小笠原村。豊かな自然に人々が集まる一方で、医療人材が不足しているという課題を抱えている。こうしたなか、小笠原村が本土に向けて行なう求人に、これまで何名かのJICA海外協力隊経験者が応募しているという。離島ならではの生活環境や子育て事情があるなか、なぜ協力隊経験者が応募するのか。小笠原村総務課課長の杉本重治さんと長年にわたって協力隊経験者の採用に関わってきた同課職員の古川奈央子さんに話を伺った。

本土から1,000㎞以上離れた島
小笠原村の生活環境と子育て事情

小笠原村を形成する小笠原諸島は30あまりの島々から成り立っています。このうち、人が住むのは父島と母島だけで、人口の多い父島に小笠原村役場の本庁舎があります。人口が多いと言っても2,000名ほど。母島はもっと少なく、500名ほどです。本土から1,000km離れていて、交通は週1便の定期船のみ。地理条件だけを聞くと、厳しい生活のように思われるかもしれませんが、日常生活は十分可能です。もちろん、都会のようにいつでも好きな物が手に入るわけではありませんが、日々の買い物をするのに渋滞は無縁。ここ本庁舎の目の前に郵便局があるのですが、先ほど徒歩で荷物を出してきたばかりです。本庁舎からは海を一望することができますし、職場環境としては最高ですね。職場環境と言えば「社員食堂が充実している」という自慢話を本土の人から聞くことがありますが、私たちの本庁舎には食堂はありません。それどころかお弁当を持ってくる人もいません。小笠原村では、お昼休みに家に帰る習慣があるからです。こうしたところは、もしかしたらJICA海外協力隊の皆さんが派遣されるような地域に少し似ているのかもしれませんね。

こうした環境ですから、小笠原村は、都会の喧騒から離れて移住を希望する人も多い地域です。実は、私もそのひとり。20代のときに本土での仕事を辞めて、小笠原村役場に転職をしました。役場の職員のうち、7~8割はこのような村外出身者が占めています。村には高校がひとつしかないので、早い子どもは中学を出て一度島を離れます。その後、戻ってきて村内で仕事に就く子もいれば、そのまま本土で進学・就職する子もいます。こうしたことは、離島に共通している事情だと思いますが、小笠原村は移住者もいるので、比較的若い世代が多いというのが特徴です。

移住者のなかには、もちろん小笠原村で子育てをしている世帯も多いです。私もここで子育てを経験してきましたが、移住者ゆえの苦労や利点がありました。まず、実家が海を隔てた向こうにあるので、頻繁に親を頼れなかったことは最初の苦労でした。しかし、その分、同世代で助け合いながら子育てをしてきました。まだ子どもが小さかった頃、緊急入院をしたことがあったのですが、“ママ友”たちが声を掛け合って力になってくれたことは、とてもありがたかったです。小笠原村ならではの子育て事情では、“雨の日に遊ぶ場所がない”というのも親御さんの悩みのひとつ。都会であれば屋内のテーマパークがあったりしますが、ここにはありません。一見、自然が豊かであれば遊ぶ場所に困らないと思われがちですが、こちらに住んでみなければ分からなかったことはたくさんありました。

総務課長の杉本さん(左)と
同課職員の古川さん(右)

母子保健を支えるJICA海外協力隊の経験者たち
離島生活と協力隊活動の共通点

日々の生活には困らない小笠原村の暮らしですが、大きな課題は医療です。村外から移住して仕事に就く人が多いとはいえ、医療人材は慢性的に不足しています。このため村役場としては、医療関係者の確保のために本土に向けた求人を行っています。JICA海外協力隊経験者については、これまで看護師や保健師、理学療法士などがエントリーしてくれて、現在では事務職員を含めて6名が当役場に在籍中です。

私の記憶では、15年ほど前に助産師として就職してくれたのが最初の協力隊経験者だったと思います。離島医療に関心があったとのことで、役場のほうへ応募がありました。JICAを通じて求人を出すようになったのはその頃からでしょうか。これまで私は、6~7年ほど人事を担当してきましたが、うち採用に関わった協力隊経験者は4~5名。もともとエントリー数自体が少ないなかではありますが、他の応募者と比べて感じるのは、協力隊経験者は移住への不安をあまり持っていないことです。面接をしていると、開発途上国で暮らせたのだから離島の暮らしなど全く問題ない、そんな意気込みを強く感じます。さまざまなところに関心を持ち、自分の力を試してみたいという方が応募してくれるという印象です。みなさんの好奇心の及ぶ範囲に、ちょうど私たちの小笠原村が選択肢のひとつとしてあるのでしょう。このように、小笠原村に来る方はフットワークの軽い方が多いので、残念ながら、しばらくしたら新しい挑戦先を見つけて島を去っていく方も少なくなくありません。人事担当としては少し寂しいですが、小笠原村に縁ある方の活躍はやはり応援していきたいと思います。

職員数が少なく、無い物も多い村役場です。正直なところ、ひとりにかかる負担は大きい。しかし、だからこそ何事も助け合って工夫してやっていこうという風土があり、言い換えれば、自分の裁量で頑張ればさまざまなことに挑戦することが出来る職場環境とも言えます。小さな村役場に6名もの協力隊経験者が活躍しているというのも、どこか協力隊活動と通じるものがあるのかもしれませんね。

JICAボランティア経験者から

保健師 梶原輝史さん
(ザンビア/コミュニティ開発/2018年度派遣)

保健師としての第一歩
JICA海外協力隊での貴重な経験

現在、私は母島に住み、小笠原村役場の保健師として仕事をしています。父島には2名の保健師がいますが、母島に配属されているのは私だけです。保健福祉の課題を一手に担っていますが、業務のメインは母子保健です。日々お母さんと子どもたちに向き合って仕事をしているのですが、JICA海外協力隊の活動に近いものを感じています。

協力隊ではアフリカのザンビアに、コミュニティ開発隊員として派遣されました。配属先はチョマという都市から未舗装道路を1時間ほど走った先にあるヘルスセンターで、日本で学んだ公衆衛生の知識を活かして地域の人たちの保健活動を行なっていました。ヘルスセンターは、日本でいうと診療所のようなところですが、クリニカルオフィサーと呼ばれる准医師がひとりいるだけで、正規の資格をもった医師はいませんでした。ほかには助産師や看護師、環境衛生士がそれぞれひとりずつと、何名かのボランティアがいるだけ。僅かな医療人材で11の村の住民を診るという、決して良い環境とはいえないヘルスセンターでした。そうしたなか、初代隊員である私は、HIVやマラリアなどのアフリカ特有の病に始まり乳幼児や妊婦の栄養改善まで、幅広い範囲での活動を期待されていました。大学を卒業したばかりで実務経験の無い私には、とても重い任務でした。大学で学んだ知識を、英語さらに現地の言葉であるトンガ語に変換して伝えていかなければならないことには、特に苦労しました。しかし、先入観がなかった分だけザンビアで常識とされることをすんなり受け入れることが出来たのは、新卒ならではの強みだったと思います。

新卒ではありましたが、実は社会人経験を経て大学へ進学しました。以前から協力隊に憧れていて、20歳になった時に一度応募したのですが不合格。それでは専門的な技術を身につけようと、医療系の大学へ進学しました。看護師や保健師の分野で協力隊を受験することも出来たのですが、私は医療の資格を活かして住民とコミュニティ開発に携わりたかったので合格できた時の喜びはひとしおでした。

初めて任地に着いた時、サバンナに人がポツンと歩いている、まさに思い描いていたアフリカの景色を見て感動したことは忘れられません。電気や水道のない、火おこしの暮らしも、毎日が新鮮で驚きと学びの連続でした。生活環境にはすぐ順応し、雨水を溜めてドラム缶風呂をしたり、日持ちする食材を揃えて1か月買い物なしチャレンジをしたりと、工夫して暮らすことを楽しめました。ザンビアでは、トウモロコシの粉を練って作る「シマ」という食べ物が主食なのですが、無性に食べたくなることがあります。材料はインターネットを通じて小笠原村でも手に入るので、たびたび作ってはザンビアに思いを馳せています。

ザンビアでコミュニティ開発隊員として活動した梶原さん

アフリカのザンビアと小笠原村の共通点
離島ならでは人の触れ合い

ザンビアでの活動を経た今、保健師の立場で感じるのは、日本のお母さんの子育てに対する熱心さです。母乳や離乳食などの情報は特に敏感で、熱心に勉強されていると感じることが多いですね。反対に、ザンビアのお母さんは情報そのものが無いのと、何人も産んで育てているので、子どもひとりにかける余裕が無かったように思います。例えば、ザンビアに赴任した初日に参加した乳幼児健診で驚いたのは、子どもの虫歯の多さ。口の中が真っ黒でした。貧しい家庭の子どもは、歯ブラシ代わりにふやかした枝を齧っているだけで、もっぱら歯磨きの習慣はありませんでした。日本のお母さんは、仕上げ磨きまできちんとお世話していますよね。そういった状況を打破したくてお母さんたちを対象に歯みがき指導をしたりもしました。ただ、親御さん同士で、助け合って子育てをしているという状況は、ザンビアも小笠原村も同じです。子ども服を譲り合ったりしている姿を見ると、資源が限られた地域ならではの子育てスタイルだなと思いますね。

もうひとつ、ザンビアと小笠原村とで共通していることは、人材が不足している点です。出産に関していえば、どちらも助産師はいますが産科医がいません。産科医がいない小笠原村では妊娠8ヶ月を過ぎる前に妊婦さんは島を離れ、本土の病院で出産することになります。最低でも1ヶ月健診を過ぎるまで島には戻ってきませんから、少なくとも3か月は普段とは違う環境で育児をすることになってしまいます。こちらでは乳幼児健診も担当しているのですが、毎月行っている健診に来る子どもは5名程度。ザンビアでは、一度の健診で20~30名の子どもが会場に集ってくるので、賑やかさが全然違いますね。

小笠原村で仕事を始めて3年目になります。母島は人口が500名ほどですから、良い意味で人と人との距離の近さを感じます。仕事をしていても、生活をしていても、周りの人が自分のことをいつも気にかけてくれると実感できるのは、本当にありがたいです。かつて、ザンビアでバイクのタイヤをパンクさせてしまったことがあったのですが、周りの人たちが自宅から工具などを持ち寄り、みんなで協力して直してくれました。お金を払おうとしたら誰も受け取ってくれず、驚きと嬉しさが混じった、不思議な気持ちになったことを覚えています。母島にいると、どことなくその時のコミュニティの団結感のような感覚を思い出すことがよくあります。仕事の面では、母島は限られた環境ですが、妊婦さんから高齢者まで幅広く携われることが魅力です。多岐にわたる保健福祉の小笠原村の課題に真摯に向き合いつつ、さまざまな挑戦をして自分を成長させていくことが大切だと思っています。

保健師の梶原輝史さん

※このインタビューは、2022年12月に行われたものです。

PROFILE

東京都小笠原村
所在地:東京都小笠原村父島字西町
協力隊経験者:6名在籍

HP:https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/

 
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