有限会社アオキトゥーワン地域の課題を見つけて対策を考えて実行する
JICA海外協力隊と介護施設「しゃくじいの庭」との親和性

  • グローバル人材の育成・確保

明治時代に畳店として始まった有限会社アオキトゥーワンは、東京都練馬区における地域住民のニーズに沿った事業開発を続けてきた。生活の場を下支えする畳から派生して、1992年には内装工事事業を開始。2000年からは介護保険を活用した住宅改修工事も手がけている。2008年には「たがらの家」を開設し、小規模多機能型居宅介護事業を始めた。一般的に別々の事業として行われている「訪問」「通い」「泊まり」の介護を1カ所で提供するサービスだ。2015年には2店舗目である「しゃくじいの庭」を開設。1階の小規模多機能型居宅介護に加え、認知症グループホームを2階に併設している。「しゃくじいの庭」責任者であり、かつては開発コンサルティングで途上国援助の仕事をしていた安井英人さんに話を伺った。

地域住民が地域住民のために行う
小規模多機能型居宅介護

大学を卒業してから16年間は、開発コンサルティング会社に勤務していました。海外や国内の様々な調査やプロジェクトの管理が主な業務でした。入社当初は海外志向だったため、ODAによる途上国支援でソロモン諸島やインド、バングラデシュ、ホンデュラスやインドネシアなどに行かせてもらいました。その後、関心が変化し国内部門で地方自治体のまちづくりのプロジェクトを多く担当し、「市民参加」や「コミュニティ」という概念が身に着きました。

40歳の頃に退職し、海外や日本国内の様々な経験を活かしてNPOを設立しました。海外の若者を日本に招いて地域を体験してもらうことが主な活動内容です。そんな中、2011年の東日本大震災で支援活動をしていた際、旧知の青木さん(アオキトゥーワン代表取締役の青木伸吾さん)から「被災地で小規模多機能型居宅介護を始めるのはどうか」という相談を受けて今に至ります。被災した地域が復旧から復興を果たすには、住民が住民のために働いて報酬を得られる仕組みが必要です。無理なく働けて、地域の人が利用できる小規模多機能型居宅介護は、サステイナブルな事業ですし、介護保険制度を使えるためリスクが少ない事業であると感じました。

それまでは、介護とは関わりのないところで働いてきた私ですが、「開かれた介護施設を地域の中に埋め込んだらどうなるだろう。やるべきこと、やれることがどんどん出てくるのではないか」という興味が出てきました。2015年の「しゃくじいの庭」立ち上げのためにアオキトゥーワンに入社し、そのまま現在も責任者として働いています。

協力隊経験者は、飯塚さんで3人目です。開設メンバーでケアマネジャーでもあった、最初の協力隊経験者の女性は自分のやりたい仕事が見つかり次の道へ進みましたが、その方のガボン人の旦那さんは介護スタッフとして弊社で働き続けてくれています。他にもバングラデシュ人の女性がいます。スタッフに外国人がいることで、地域に住んでいる外国人も気軽に訪れやすい環境を作れていると感じています。コロナ禍前は、毎月1回無料でカレーを振る舞う「カレーライスの日」、庭を活かした音楽祭や地域住民との防災イベントを設けるなど、地域のみなさんとのつながりを大切にして来ました。

有限会社アオキトゥーワン事業開発担当兼
「しゃくじいの庭」統括責任者の安井英人さん

アウェイを痛感したからこそ
身近にいるアウェイな人たちのことを真摯に考えられる

協力隊経験者の飯塚さんは、得難い人材であると考えています。まず、看護師という医療職であること。病院などと比べると、介護施設では高額な報酬のお支払いはできないのですが、弊社のような小さな介護事業所が、飯塚さんのような優秀な人材を採用することができて大変ありがたく思っています。

また、弊社には「地域の課題を見つけて対策を考えて実行する」という特徴があります。それは、協力隊員が赴任地で取り組んできたことと似ているのではないでしょうか。そんな方が集まっている場を見過ごす手はないと思い、JICA海外協力隊員の企業向け帰国報告会には欠かさず参加し、私たちの問題意識と取り組みをお話するようにしてきました。

通常の介護人材の募集では、当社のような考え方の小さな介護の現場に興味を持ってくれる人材は限られていますが、JICAが主催するJICA海外協力隊経験者と民間企業との交流会では、当社に関心を示してくれる方が圧倒的に多いと感じています。こうして飯塚さんのような優秀で志が高い人材と出会えたので、今後も協力隊経験者と企業がつながる場に期待をしています。

飯塚さんが目指している「コミュニティナース」とは何か、彼女に語っていただけたらと思いますが、地域に根差した活動をする点では弊社の方向性と一致していると感じているので、出会った当初から「一緒に目指していこうよ」と飯塚さんと話しています。

だからこそ、入社1年後に彼女が鹿児島県の甑島で僻地医療の修業をしたいと希望したときにも賛同し、実際に彼女はパワーアップして弊社に戻ってきてくれました。いま、以前よりもさらに自信を持って業務に取り組んでくれていて、スタッフをまとめるリーダー的な存在になりつつあります。

介護という非常にローカルな事業には、グローバルな視点が必要だと私は感じています。なぜなら、アウェイを痛感した経験がある人だけが、身近にいるアウェイな人たち、特に社会的弱者のことを我が事のように考えられるからです。その点、協力隊の人たちは、まったく知らない土地、まさにアウェイに住んで自らの力を総動員してコミュニケーションを図った経験があり、本当の意味での多様性を体得した人たちです。まさに私たちが求める人材像と一致します。

一般的に、介護業界には、決められたことだけをやる安定志向の人が多いかもしれません。しかし、私たちは、常に新しいアイディアを出し合って実行しています。どんなときも「なんとかなる。いや、なんとかしてみせる」という楽観的な人が向いている職場です。そういった点でも協力隊との親和性は高いのではないでしょうか。

JICAボランティア経験者から

看護師・保健師 飯塚彩さん
(ソロモン/看護師/2017年度派遣)

流れのままに進学し看護師へ
現状に疑問を感じて協力隊へ

東京の江戸川区出身です。親から勧められて看護師を目指し、大学で看護師と保健師の資格を取ってからは、附属病院に就職し、消化器内科の病棟で勤務していました。順当なように見えますが、私の中では「流れのままに看護師になったけれど、本当にこれでいいのか?」という気持ちがありました。そんなときに電車のつり革広告で見て参加したのが、JICA海外協力隊の募集説明会です。

協力隊の存在は、子どもの頃から知っていましたが、私の協力隊参加の背中を教えてくれたのは、募集説明会に来ていた看護隊員の方の影響です。仕事も生活もとても生き生きと楽しそうに語っていて、「私もあんな風になりたい」と思いました。見知らぬ国で住みながら看護師として働けるのは、考えただけで面白そうだと感じたのを、今でも覚えています。「国際協力をする」という高い志ではなく、自分自身のワクワクを原動力にして参加しました。

協力隊での赴任地は、ソロモン諸島のキラキラという町です。私の名前は「ひかり」なので、現地で自己紹介をするときもつかみはバッチリでした。ソロモンの人たちはおおらかで親切な人が多くて、帰り道に魚をもらったり、家での食事に招いてもらったりしていました。ワクワクを大切にして協力隊に参加したのは、間違いじゃなかったと思っています。

配属先は、非感染性疾患、すなわち生活習慣病のクリニックです。JICA海外協力隊あるあるかと思いますが、私が赴任されることが配属先で上手く伝わっておらず、赴任当初に同僚の男性看護師から「何をしに来たんだ?君には何ができるんだ」と質問されてしまいました。そこで、まずは、彼がどんな仕事をしているのかを知ることから活動をスタートさせました。実際に診察の補助に入ると、ソロモンが抱える深刻な実態がわかってきました。

非感染性疾患は、がんや脳卒中なども含まれる慢性疾患の総称で、ソロモン人の死因の75%に達すると言われています。医療機器も薬も人材もまったく足りておらず、クリニックに来るときには、手遅れの状態になっていることも少なくありません。健康診断をする習慣もなく、山盛りご飯を食べてふくよかになるのを良しとする国民性もあります。そんな食習慣を少しでも改善して、生活習慣病にかかるリスクを抑えること。つまり、予防医療が国全体の課題となっています。

そこで、配属先の同僚と一緒に各地を巡回する際に、自分の体重計を持ち歩くようにしました。身長、体重、血糖値、血圧を測定することで、簡単な健康診断になります。適正体重や糖尿病のリスクなどを伝え、食習慣なども改善する啓発も行いました。外国人である私が珍しがられたのもありますが、誰も来ない日もあったクリニックが、1日に20人以上は訪れるようになり、ソロモンの予防医療にわずかでもお役に立てたのではと思っています。

ソロモンで看護師隊員として活動した飯塚さん

分かり合いと助け合いが当たり前の暮らし
地域に住む人たちに近いところで働きたい

人口2千人ほどのキラキラは、地域のつながりが濃かったことを今でも覚えています。モノはないけれど、分かち合いと助け合いが当たり前の地域でした。ある日クリニックに来たおじちゃんが、別の日には、私の家の草むしりを手伝ってくれたこともあります。協力隊経験を通じて地域のつながりの大切さを実感したことで、帰国後も患者さんと看護師の距離が遠く感じてしまう大きな病院以外の場所で働きたいと思えるようになりました。

ソロモンで予防の大切さを痛感したことも、地域住民に身近に感じてもらえる場所で働きたいと思った理由の1つです。自宅で暮らすことができるうちに、病院に行かずに済むような生活習慣の実践をするべきだったという場面を、協力隊の活動で何度も見てきました。また、帰国後に入社した「しゃくじいの庭」には、多国籍のスタッフがいますが、「ガボン人のスタッフもいる介護施設とはなんて面白いんだ」とワクワクしたのも入社の決め手の一つでした。

私は「コミュニティナース」を広げていきたいと目指しています。「コミュニティナース」とは、島根県の看護師の方が作った言葉で「町に出てお節介をする人」を指しています。地域の人と関わる中で課題をキャッチし、解決の糸口を持っていそうな人とつなぐことが役目なため、医療職である必要はありません。私は、看護師であり保健師でもあるので、地域の人と交わる中でさりげなく健康の話もしながら、元気でいられるお手伝いができる存在になりたいと思っています。

看護師・保健師の飯塚彩さん

※このインタビューは、2023年4月に行われたものです。

PROFILE

有限会社アオキトゥーワン
設立:1910年
所在地:東京都練馬区田柄4-10-25
事業内容:介護保険サービス、福祉住宅改修、福祉用具販売、内装工事・畳販売
協力隊経験者:1名在籍

HP:http://aoki-to-one.com/

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