株式会社たなべたたらの里自分たちの仕事を創るのが僕たちの仕事
「一貫性」に固執せず、新しいことにチャレンジしていきたい

  • グローバル人材の育成・確保

中国山地の良質な砂鉄と豊かな森林資源は、かつて「たたら製鉄」という産業を育み、その営みと文化は宮崎駿監督作品『もののけ姫』でも描かれている。室町時代から、たたら製鉄を家業としてきた田部家の流れをくむ会社が「株式会社たなべたたらの里」だ。たたら製鉄の復興をはじめ、観光や飲食、農業や木工体験ができる総合的な里づくりを目指している。また、同社の親会社にあたる株式会社田部は、JICA海外協力隊のサポート団体である、 島根県青年海外協力隊を育てる会としても積極的に支援しており、その会長は、株式会社田部社長の田部長右衛門さんだ。今回、島根県育てる会の事務局長であり、たなべたたらの里の「里長代理」(里長は田部さん)・取締役副社長の井上量夫さんに話を伺った。

協力隊経験者に共通すること
コミュニケーション能力、積極性、明るさ

以前は、株式会社田部の枠組みの中で様々な事業をやっていました。より効率的かつ効果的に仕事をするために、2019年に住宅建設事業、2020年には飲食店のフランチャイズ事業がそれぞれ別会社に。2021年に独立した「たなべたたらの里」は、山林、養鶏、たたら、フォレストアドベンチャー運営といった地域に根差した事業を手がけています。

たたら製鉄は、すそ野の広い産業で、田部家のある雲南市吉田町のエリアは、かつて1万人もの人口を抱えていました。しかし、大正期にたたら製鉄が途絶えてからは減少し、現在は2千人を割り込むまでになってしまっています。そんな吉田町で約100年ぶりにたたらの灯がともったのは2018年のことです。その3年前、田部本家の第二十五代当主である田部長右衛門が、町の中学校から授業を依頼されたことがきっかけでした。現地に赴いた際、目の前にいる生徒数の少なさに危機感を覚え、「自分たちの力を出せる仕事の場を作ります。ここで一緒にやりましょう」と宣言。たたらの里プロジェクトが動き始めました。

たなべたたらの里の創業年である2021年に入社したのが、JICA海外協力隊経験者の橋本さんです。橋本さんを含めた協力隊経験者の方々に共通するのは、コミュニケーション能力と積極性、明るさだと私は感じています。日本で暮らしていたときとはまったく異なる環境の中で、活動を前に進めるならば周囲とのコミュニケーションが不可欠でしょう。相手を辛抱強く理解して、自分も理解してもらうこと。熱い想いと前向きな姿勢がなければできないことだと思います。

創業したばかりのたなべたたらの里は今、常に新しいことにチャレンジしています。そして、自分たちだけでは実現できないことばかりです。里長でもある田部長右衛門は、自分たち社員はもちろん、地元の方々もお客さんも事業に協力してくれる方々もすべて「里の民」なのだと定義しています。普段は別々の場所で異なることをやっていても、心さえ通じ合えばみんな同じ里の民なのです。

私たちは、復活させたたたら吹きで作られた和鉄製品や鶏舎で生まれた卵を使ったスイーツなどを販売もしています。単に売るだけではなく、その産品がどのような想いでどうやって作られたものなのかをお伝えすることが大切です。そして、賛同者すなわち里の民を増やしていきたいと考えています。

そのために必須なのは、やはりコミュニケーション能力です。私のように長年この地に住んでいると、地域の良いところも悪いところも気づかなくなりがちです。橋本さんのように海外でコミュニケーション能力を磨いてきた方が、新鮮な感覚を持ってこの地域で働いてくれることを心強く感じています。

里長代理で取締役副社長の井上量夫さん

地域にも多様な会社や事業がある
ご紹介できます、ぜひお声がけください

協力隊を育てる会の事務局としては、協力隊に参加する方々とそれを応援したい会員さんたちのつなぎ役をしています。島根県では、法人会員が約40社、個人会員が約40人です。会員はみな島根県から海外に旅立つ協力隊員との出会いを求めています。帰国後の報告会で現地での体験を聞くのは、特に楽しみです。帰国後、協力隊で得た経験を島根県内の企業で生かしたいという方もいます。会のつながりでいろんな会社や事業があるので、「ご紹介できますよ、帰国後はぜひお声がけください」と出発前から申し上げています。橋本さんともそういう流れの中で出会うことができました。

私自身、吉田町の出身です。高校卒業後県外に出て、大学と会社勤めで14年間ほど東京で過ごして地元に戻ってきました。田部グループに入って30年以上になります。この町の良さは、コンパクトさにあるかもしれません。町から近いところにたたら場やアスレチック施設があり、今後はキャンプ場も整備されていく予定です。高速道路のICからも近く、車さえあれば生活には困りません。長い歴史の営みが暮らしの中に伝わっているので、それを感じながら豊かな自然の中で便利に暮らすことができます。

ただし、雪かきは大変です。1メートル以上は積もりますから。除雪を前提とした町づくりが進められていますが、冬場は雪と向き合うことが必死です。まずは過ごしやすい夏場にお越しいただくことをお勧めします。でも、夜の雪景色も綺麗でいいものですよ。

地元の子どもたちが、大人になったときに前向きに働ける場を作りたいという想いを込めて、たなべたたらの里が作られました。様々な新しい仕事にチャレンジしているので、県外出身の橋本さんのような人にもぜひ仲間になっていただきたいと思っています。宿泊施設も充実させていく予定ですので、海外からのお客様にもゆっくり楽しんでいただけるでしょう。今後、多様な「里の民」が増えていくことを願っています。

JICAボランティア経験者から

地域開発部 橋本友太さん
(ジャマイカ/野菜栽培/2019年度派遣)

ジャマイカでの8か月間
上手くいったこともいかないことも唯一無二の直接体験

私の出身は広島県呉市ですが、島根大学に進学し、大学院では土壌学を研究していました。フィールドは、エチオピア高原です。農耕地における土壌中の栄養分を調査していましたが、農業系の学問を専攻しながら野菜を育てられないようでは恥ずかしいと思い、学部時代から自主的に構内の圃場を借りるなどして野菜作りを学んでいました。また、海外ボランティアに参加したり、留学生と交流したりすることもありました。「もう一歩国際協力に踏み込んで自分の力を試したい」と思ったのが、大学院を休学してJICA海外協力隊に参加した理由です。

赴任先のジャマイカでは、国から予算をもらっている農業教育系のNGOに配属され、主に小学校を巡回し、学校菜園での指導を担当しました。うまくいったことといかなかったことを挙げたら、うまくいかなかったことが多いです。例えば、NGOの同僚とのコミュニケーション。学校巡回などで一番お世話になった人ですが、彼は私に日本のお金を引っ張ってくることを一番期待していました。ビニールハウスなどを建てることがわかりやすい実績になるからです。しかし、実際の学校菜園は収穫まで至らないケースが多く、ハウスなどを使って収量を上げたりする段階ではありません。カウンターパートからの期待と必要性の板挟みになって苦労しました。

現地で使われているのは、公用語の英語とパトワ語です。活動・生活言語は主に英語を使っていました。パトア語のほうは習熟したとは言えません。私が言っていることはわかってくれるので、相手が言っていることはゆっくり理解してオウム返しに伝えて、ようやくコミュニケーションがとれるというレベルでした。

うまくいったことは、巡回する小学校を事前に絞り込んだことです。NGO側は学校菜園の活用を働きかけて手伝うことはできますが、予算を出すことはできません。余裕がなかったり、興味を示さなかったりする学校があるのは当然で、別に悪いことではないと私は思いました。逆に、私が行かなくても菜園を自力で営めている学校もあります。そこで、やる気があって、指導者を求めている学校を底上げすることを目標に定め、配属地域にある約70校のうち20校に絞って巡回しました。結果として、学校菜園を営む学校を3校増やすことができました。2019年度の学校菜園評価会への参加校数を増やせたことにも貢献できたと思っています。

派遣から8ヵ月経過した時、新型コロナウイルスのパンデミックによって緊急帰国になってしまいました。それでも、貴重な体験をさせてもらったと感謝しています。ネット上で世界各地に「行った気」になりやすい時代だけに、実際に8カ月も現地で暮らせたのは唯一無二の経験です。

ジャマイカで野菜栽培隊員として活動した橋本さん

チャレンジを続け、協力隊の強みを活かしながら
島根県に恩返しがしたい

たなべたたらの里のことは、赴任前の壮行会で知っていました。大学院のフィールドだったエチオピアでは、伐採によって樹木がどんどんなくなってしまっています。一方の日本の山には木がたくさんありますが、人の手が入らなくなって荒れてしまうという問題があります。山林事業を営むたなべたたらの里に興味を持ち、学生時代からずっとお世話になっている島根県に恩返ししたいという気持ちもありました。

もう一つの入社理由は、この会社ならチャレンジができることです。帰国後に大学院に戻り、就職活動をしながら一貫性に固執している自分に気づきました。私のバックグラウンドは農業や土壌学なので、たなべたたらの里では里山資源を生かした農業などはできるかもしれません。しかし、それだけにこだわっていたら面白くありません。むしろ「何でもやります!」という気持ちで入社しました。当時の上司からも「自分たちの仕事を創るのが僕たちの仕事だよ」と言われたのを覚えています。

いま私が担当しているのは、「フォレストアドベンチャー」という自然共生型のアスレチックパークです。昨年10月にプレオープンし、冬季休業中は2023年4月のグランドオープンに向けて整備をしています。フランチャイズに加盟しているので、本部の方に指導してもらいながら前に進んでいるところです。また、フォレストアドベンチャーとは別に、農協と提携したアグリキッズスクールの運営もしています。「木育(もくいく)」と称して、木工などの遊びを通して森林資源に触れてもらう企画です。アグリキッズスクールは昨年度2回担当しました。木育や里山の自然とたたらの営みについてのワークショップをしました。

自分で考えて行動すること。それでも自分だけではできないので他の人の助けを借りること。この2点はJICA海外協力隊経験者の強みだと思っています。フォレストアドベンチャーは、たなべたたらの里にとっては誰もやったことのない事業です。地域の人や他の会社の力を借りて情報も得なければ前に進めませんが、そういう泥臭い作業が私は好きな方ですね。

住んでいるのは、吉田町の北にある三刀屋町で、職場まで車で20分ほどの場所です。アパート一人暮らしは寂しいのですが、ALT(外国語指導助手)として近くで暮らしている外国人の先生と仲良くなったりして、少しずつ雲南市での生活に馴染んでいるところです。寒いのが苦手なので、晴れの日が多い広島を懐かしく思うことはありますが、私には田舎暮らしが合っていると感じています。自然豊かでのんびりしていて心地いいですよ。仕事では日々新しいことにチャレンジできていて、これからも楽しみです。

地域開発部の橋本友太さん

※このインタビューは、2023年2月に行われたものです。

PROFILE

株式会社たなべたたらの里
設立:2021年
所在地:島根県雲南市吉田町吉田2407
事業内容:山林事業(森林保全)、特産事業、たたら事業、地域開発事業
協力隊経験者:2名在籍

HP:https://tanabetataranosato.com/

 
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