株式会社トクスイコーポレーション インドネシア・アラフラ海のエビを日本の食卓へ
生産現場を率いる2名のJICA海外協力隊経験者たち

  • グローバル人材の育成・確保
  • 開発途上国でのビジネス展開

福岡県福岡市に本社を置く株式会社トクスイコーポレーション(以下、トクスイ)は、半世紀ほど前にインドネシアに合弁会社を立ち上げ、エビトロール漁を営んでいる。この現場を率いるのが、JICA海外協力隊経験者であり合弁会社社長の佐々木宣之さんと同社ソロン事業所長の鈴木寿典さんだ。世代の異なるお二人に協力隊経験について語っていただくとともに、海外駐在員のワークライフバランスが大切だと話すトクスイ東京水産営業部の松隈裕之さんに、その想いや同社事業、協力隊経験者への期待などについて話を伺った。

“暮らしに寄り添うCOMPANY”
品質の高さは現地の暮らしと自然環境を守ることからつくられる

弊社は、1924年に以西底曳網漁業を主体とした水産会社として創業しました。現在は、福岡県福岡市に本社を構え、海外や国内に複数の関連会社を置くグループ会社です。グループ全体としては、建材製造や電気設備などの事業も手がけていますが、主とする事業は冷凍エビ、冷凍魚やその他水産物の加工・輸入・販売で、特に、国内関連会社、国内提携工場や海外合弁会社、海外提携工場で漁獲、生産された高品質の製品の供給を受け、国内外の幅広いお客様に安定供給していることが特徴です。まもなく創業から100年を迎えますが、“暮らしに寄り添うCOMPANY”として、長きにわたり水産物に関わり続けています。

当社が扱う水産・加工品のお客様は、日本国内では、大手水産会社や生活協同組合などです。生協の会員であれば、一度は当社の商品が目に留まっているのではないでしょうか。よく知られている「チーズかまぼこ」は、“福岡の味”というキャッチコピーで当社が最初に作ったものです。現在は、このように日本で親しまれてきた品質の高い商品を、中国や台湾、ベトナムなどのアジアの国々に向けても展開を進めています。海外市場の拡大を狙って、これからもっと力を入れていきたい分野ですので、海外経験をされてきた協力隊経験者にも期待を寄せています。

インドネシア東部ニューギニア島の南側に、アラフラ海という大きな海域が広がっているのはご存知でしょうか。当社が扱うエビのほとんどがこの豊かな海で採れたものです。ここでは、トロール漁といわれる底曳網漁によってエビを採るのですが、トロール漁は大きな網をひき回すため、意図せずサメやウミガメなどがかかってしまうこともしばしばです。このため、当社のトロール船には大型魚を排除する装置を備えています。自然環境への配慮を第一優先とするのが、当社のトロール漁業の特徴でもあります。

こうしたインドネシアでの事業の拠点となっているのが、当国内に2つある合弁会社で、協力隊経験者に活躍してもらっています。1974年に西パプア州の州都ソロンにPT.DWI BINA UTAMA社(本社:ジャカルタ)の漁業基地を設置したのが始まりです。こちらでは長年、エビトロール漁業が中心でしたが、2021年には加工工場を立ち上げ、現地の零細漁民から水産物を買い付け加工輸出する事業も始めました。

なお、トロール漁業においては、現地の人の中からトロール漁船を運航する船舶航海士、船舶機関士を採用して育成するなど、技術伝承にも力を入れています。商品の品質は現地で働く人々によって支えられているわけですから、現地の暮らしを守ることも当社の務め。ワークライフバランスに配慮し気持ちよく働ける環境づくりが、日本でもインドネシアでも変わらない当社のテーマです。

東京水産営業部の松隈裕之さん

現地社員と一緒になって汗を流す協力隊経験者たち
社員のワークライフバランスを守るのが企業の務め

「P.T. Dwi Bina Utama」の社長、事業所長を務めるのが協力隊経験者の佐々木さんと鈴木さんです。

実は2015年に現地政府の方針で、トロール漁が全面禁止となったことがありました。当社の船も操業が停止し、試験操業を経てなんとか再開が認められたのが、2022年です。このように、予測不能な海外の現場で頼りになるのは、変化に適応し行動できる能力の持ち主です。その人材のひとりが、協力隊経験者ではないでしょうか。

当地では年に1度ドッグ工事という船舶の定期診断があるのですが、日本人も現地の人も一緒になって汗を流すという光景がみられます。また、日本のお客様のご要望に合わせて現地で商品を製造するのが当社の供給サイクル。現地の人をうまく巻き込みながら、日本との橋渡しをするという業務は、協力隊経験者が得意とする仕事のように思います。

協力隊は、生活インフラが整わない地域でも、現地に溶け込んで活動できるというイメージがありますので、人材採用の側からいうと、それだけでも、適応力や協調性などのかなりの経験を積まれていると想像します。弊社の事業は現地住民と自然環境に支えられていますので、現地の事情に対応しながら積極的に活躍してくれる協力隊経験者には、これからも期待したいところです。

海外市場を伸ばしていきたい弊社としては、中長期にわたって現場の業務に集中できる駐在員がいることはありがたいと感じています。しかし、インドネシアに合弁会社を設置して以来、およそ50年の経験のなかで得たことは、社員のワークライフバランスに寄り添うことが会社としての務めであるということ。もしかしたら、協力隊経験者のなかには、日本に戻らなくても大丈夫だという人が多いかもしれませんが、弊社では、海外に行きっぱなしにさせるのではなく、数年ごとに日本と海外を経験する勤務形態をとるようになってきました。本人にとっても、自分が関わっていた商品が、実際に日本で流通している状況を見られることで大きな気づきが得られ、キャリア形成にもつながると考えています。

また、当社が扱う水産・加工品のようなコモディティ化された商品の場合、高付加価値を追求していくとなると、作り手の経験やノウハウがどうしても不可欠です。これからも、社員のワークライフバランスと人々の暮らしに寄り添いながら、良い商品を作り続けられるよう頑張っていきたいです。

JICAボランティア経験者から

P.T. Dwi Bina Utama社長 佐々木宣之さん
(グアテマラ/漁業生産/1994年度派遣)

「日本の技術がすべてではない」
風土にあったやり方があることを零細漁民から学んだ協力隊活動

私は今、インドネシアの首都ジャカルタで暮らしています。「P.T. Dwi Bina Utama」の社長として、ローカルスタッフ3名とともに本社業務に専念しています。輸出や銀行関係のデスクワークが中心ですが、2022年にトロール漁が再開されてからは急に慌ただしくなり、月1のペースでジャカルタとソロンを往復する日々が続いています。

弊社に入社したのは、2000年です。グアテマラでの協力隊活動を終えた後、3年ほど漁具関連の会社で働いていましたが、水産関連で海外に関わる仕事がしたいと弊社に転職しました。最初の1年は東京で営業関連の業務を経験し、その後こちらに赴任し現在に至ります。今思うと、当時から社員育成がきちんとされていたので、国内で営業の勉強ができたことは良かったですね。特に私は、協力隊での職種が漁具生産という専門的な分野です。生産から流通販売までを一気通貫で担う弊社にとって、ひとつの分野に偏ることなく状況を把握することは、良い製品を作る上で必要不可欠です。自分が関わる製品が日本でどんなふうに売れているのか、生産の現場に着任する前にお客様の声に耳を傾けられたことは、とても良い経験でした。

協力隊経験については、もう記憶がおぼろげなのですが、思いだそうとすればするほど懐かしさが込みあげてきますね。大学生の頃、兄がNGO関連の仕事でアフリカにいて、一度遊びに行ったことがありました。私は水産関係を専攻していたので、国際協力には縁が薄かったものの、兄を通して開発途上国の情報が身近にありましたね。そんなこともあり、一度日本を出て、エネルギッシュな環境に身を置いてみたいなという気持ちが芽生えたのだと思います。それで、新卒で協力隊へ参加しました。当時のグアテマラは、とても治安が悪く、何度か危険な目に遭ったことを覚えています。インドネシアももう長いので、日本を離れていると、人を見る力というのが自ずと養われていると実感しますね。

グアテマラでは、サンホセという港町で、今と同じエビのトロール漁に関わっていました。漁具や漁法について助言をするような立場だったのですが、新卒でしたから私のほうが経験不足なんですよね。同じトロール漁でも、日本とグアテマラではやり方が違っていたのですが、それでも漁師たちは自分達のやり方できちんと漁ができている。その土地にあった効率的なやり方があることを逆に学ばせてもらった気がします。トロール漁というのも、実はメキシコが発祥なんですよ。そんな状況でしたが、ときには漁師たちと1日船に乗って、そこで日本式の漁法を試すことができ、自分が行った証は残せたんじゃないかなと思います。

P.T. Dwi Bina Utama社長の佐々木宣之さん

JICAボランティア経験者から

P.T. Dwi Bina Utama事業所長 鈴木寿典さん
(マダガスカル/コミュニティ開発/2018年度派遣)

「どこでも生きていける自信がある」
協力隊活動で自分の限界を知ったからこそいえること

私が弊社に入社したのは2021年。協力隊での活動を終えた後でした。協力隊では、コミュニティ開発の職種でマダガスカルに派遣されていたのですが、引き続き海外で仕事がしたくて弊社に入社しました。入社後は、半年ほど日本で経験を積み、インドネシアに赴任しました。

現在は、「P.T. Dwi Bina Utama」の漁業基地があるソロンで暮らし、こちらで事業所長を務めています。ここではトロール漁と水産物の加工が専業なので、漁船の入出港の管理や生産工場の運営、輸出に関わることなどが主な仕事です。日本人は私を含めて2名の現場です。

私は、30歳代後半まで金融機関で働いていました。仕事の性質上「今後は海外が大事です」ということを頻繁に口にしていたのですが、あるとき、自分は一度も海外をきちんと見たことがないことに気がつきました。そう思いはじめたら、お客様に話していることと実際の自分との矛盾に疑問を抱くようになってきました。就職する以前から、一度は価値観が違う国で暮らしてみたいという夢もあったので、思い切って退職して協力隊に参加することを決めました。

どうせ価値観が違うなら、日本とかけ離れた環境に身を置きたいと思っていたので、遠く離れたアフリカの国へ行けたことはとても良かったです。行く前はアフリカの国々に未開のイメージを抱いていましたが、実際に暮らしたことで、国や人種に捉われずフラットに接する姿勢が養われたと思います。いまではもう、お酒とWi-Fiさえあれば、どこでも生きていける自信がつきましたね。

マダガスカルでの主な活動は、農地の水利組合のサポートでした。お米が主食なので、反収(作物の1反(およそ10a)当たりの収量)を上げるために海外の援助でできた灌漑用水路があったのですが、農業用水を管理するための組合がうまく機能していませんでした。そうしたなかで、海外の援助に期待する状況、いわゆる“支援慣れ”というのを見てしまい、やがて自分の限界を感じるようになりました。

マダガスカル語で思うようなコミュニケーションが取れなかったことも苦労した原因でした。経済的に様々な状況に置かれた住民に対して、彼らの意図をくみ取りながらマダガスカル語でどう意思統一を図っていけばよいか悩んだ末に、残り1年くらいになった頃に方向転換に挑みました。それが、ティラピアという淡水魚の養殖です。冷凍設備が充実していないマダガスカルでは、内陸に短期間で育つティラピアは一定のニーズがありました。このチャレンジが、今の仕事につながり、経験を生かすことができていると思っています。


P.T. Dwi Bina Utama事業所長の鈴木寿典さん

マダガスカルでコミュニティ開発隊員として活動した鈴木さん

※このインタビューは、2023年1月に行われたものです。

PROFILE

株式会社トクスイコーポレーション
設立:1947年(創立1924年)
所在地:(本社)福岡市中央区港2丁目2番21号 トクスイコーポレーション 本社ビル3階
事業内容:貿易事業、食品事業、不動産事業、金融事業、コンサルティング事業
協力隊経験者:3名在籍

HP:https://tokusui.co.jp/index.html

 
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