横浜市JICA海外協力隊経験が
地域行政に生される国際都市・横浜

  • グローバル人材の育成・確保

横浜市中区役所の高齢・障害支援課で働く豊倉麗子さんは、日系社会青年海外協力隊の日本語教師隊員としてパラグアイに派遣された経験を持っている。日系人コミュニティにおける豊富な経験を活かして多様性に配慮した地域行政を実践している豊倉さんだが、派遣前は取り立てて地域社会を意識することのない暮らしを送っていたという。今回、人事担当部局からのお話に加え、豊倉さんから日本であまり語られていない日系社会の有様や、そこでの活動の様子などについてお話を伺った。

協力隊への期待
より良い市政の実現のために

横浜市では、JICA海外協力隊や民間企業などの経験を市政に生かしたいという意欲的な人材を求めています。横浜市は1859年の開港以来、日本でも有数の国際色豊かな街のひとつですので、協力隊のような異文化経験者が市政に入ることで、行政組織としての組織力の向上も期待できると考えています。特に横浜市は多文化共生社会の実現をひとつのテーマとしていますので、自ら外国に暮らす住民となって苦労を重ねた経験がある協力隊経験者は、外国人住民の立場に寄り添える良き理解者のひとりになれるのではないかと期待しています。

これまで横浜市が採用した協力隊経験者の活躍ぶりを見ていると、決められたことに従って一方的に動くのではなく、外国人支援なら外国人住民、高齢者支援なら地域のお年寄りなど、まずは対象者のニーズを探ることに努め、次に何をすべきかを考えて行動しているように感じます。特に地域行政は、住民ひとりひとりの顔が見えますのでそれぞれに合わせた対処が求められてきます。場合によっては、担当業務の枠を超えて対応することも迫られるので、常に柔軟な発想力と行動力が欠かせません。こうした高いコミュニケーション力が求められる業務の中で協力隊の経験が発揮されているように感じます。

このようにして協力隊経験者を採用してきた経験から、横浜市では協力隊員に対して、チャレンジ精神や忍耐力、さまざまな文化・生活様式などを持つ人々を理解できるコミュニケーション力、適応力などを持つ人材というイメージを抱いています。語学力や国際的な感覚だけを期待しているわけではありません。

また、みなさんが協力隊に参加した動機には、単にお金のために働くといった気持ちではなく、自分の成長のためとか、人や世界のためといった根本的な思いがあったのだと想像します。市政に関わる立場というのも同様で、公の貢献活動というモチベーションで、みんなが幸せになる世の中の実現という気持ちが常に念頭にあります。今後も、協力隊経験者のような様々なバックグラウンドを持つ方々を採用しながら、より良い市政の実現を目指していきたいと考えています。

地域社会の原点と
あるべき姿を知る協力隊経験者

横浜市では、定期的な面談を通じて職員の資格等を把握しており、外国語ができる職員は必要に応じて語学力を生かせる部署に配置するなどして、その能力を発揮してもらっています。中でも、言語だけでなく多様な人々が窓口にやってくる区政においては、根気よく親身になって対応する力も求められますので、文化や考え方の違いをよく知っている協力隊経験者はとても心強い存在となっています。

こうした中、横浜市中区役所に勤務する豊倉さんは、社会人採用の試験区分で採用した協力隊経験者のひとりです。採用後、市内の幾つかの区役所での地域行政経験のほか、研修派遣という制度で厚生労働省に派遣されていたこともある豊富な行政経験の持ち主です。

豊倉さんは、パラグアイの日系社会で日本語教師隊員をしていたと聞いています。そこでの活動は、日本文化や日本語の継承が主な目的のひとつになっていたと思いますが、現在関わっている地域行政は多様な人種や考え方を持つ人々との共生が大きなテーマなので、パラグアイで実践してきたこととはある意味真逆な仕事と言えます。しかし、住民同士が支え合って生きているという点では、パラグアイの日系社会も日本の多文化共生社会も大きな違いはありません。

また、日本における外国人コミュニティを語る上でのひとつのモデルケースが海外の日系社会だとも言えます。こうしたことから、協力隊を経験したことで地域社会の原点とあるべき姿を肌で知っていることが、豊倉さんの大きな強みと言えるのではないでしょうか。

豊倉さんは、仕事の傍らで青年海外協力隊神奈川県OB会の会長を務めていると聞いています。横浜市にはJICA横浜がありますので、今は豊倉さんが横浜市とJICAとの架け橋の役目を果たしてくれているのではないでしょうか。

職場でも、協力隊経験がある職員に積極的に声をかけて仲間同士の絆を深めている様子も見られます。あるとき偶然にも横浜市にパラグアイでの協力隊経験がある職員が3人いたことがあったそうで、チームを作って就業後にボランティア活動をしていたということも聞きました。公私の隔たりなく、社会貢献を実践しているところは素晴らしいと思います。

JICAボランティア経験者から

横浜市中区役所 高齢・障害支援課 高齢・障害係長 豊倉麗子さん
(パラグアイ/日系日本語学校教師/2004年度派遣)

パラグアイで継承される
日本文化に触れた協力隊活動

日系社会青年海外協力隊は、中南米の日系人移住地(以下、「コロニー」)からの要請に基づいて派遣されるJICA海外協力隊の種類のひとつです。職種はコンピュータ技術や幼稚園教諭など他の協力隊と大きな違いはありませんが、各コロニーにはほぼ日本語学校があるため、私の職種である日系日本語学校教師隊員の割合が高いです。

私が滞在した国、パラグアイは国土の東半分に人口の97%が集中しており、国内に10ヶ所ほど有るコロニーもこの一帯に点在しています。派遣されたコロニーは、首都アスンシオンからバスで8時間ほど行ったブラジルとの国境の街ペドロ・フアン・カバジェロ市にあり、ここのアマンバイ日本語学校が私の配属先でした。

この街は、ブラジルとパラグアイの国境を跨いで生活基盤が成り立っている地域で、町の中であれば両国を自由に行き来できる世界でも珍しい場所といわれています。アマンバイ日本語学校には、ブラジル側から通う生徒も多く、子どもたちの言葉はスペイン語、ポルトガル語、現地語であるグアラニー語、そして日本語が混ざっており、バイリンガルやトリリンガルが当たり前でした。

私自身、派遣前は南米へ移住した日系人のことについて深い知識を持っていなかったので、今日は日本社会であまり語られていない日系人社会について話をしたいと思います。パラグアイへの移住が始まったのは1936年ですが、第二次世界大戦をはさんで戦後の移住も多いため、南米の移住の歴史の中では比較的新しいほうです。そのため、私が滞在した2007年はまだ日系1世が身近におり、移住初期のエピソードを生の声で聞けたことはとても貴重な経験でした。入植した当時、ブラジル人やパラグアイ人が営む農園で住み込みで働きながら力を寄せ合って自分たちの社会を築き上げていった話などは、ドラマ以上に波乱万丈で、壮絶な人生だったことが伝わってきました。

また、日本が高度経済成長を遂げたことにより、移住という選択をしたことを悔やんだこともあったという話も印象的でした。しかし、どんな人生であっても、日系人が日本というものを心の拠り所にしていて、彼らにとっての古き良き日本をずっと大切にしていることは間違いありません。そのため、コロニーには日本語学校があり、言葉と文化の継承に努めているのだと思います。また、日本語学校の先生も、基本的には卒業生の日系人です。彼らは、日本に住む日本人以上に日本人というアイデンティティに誇りを持っているように感じました。移住地に暮らした経験は、私の人生に大きな刺激を与えてくれました。

パラグアイで日本語教師隊員として
活動した豊倉さん

日系人コミュニティが教えてくれた
地域社会との関わり方

協力隊に参加する前は、民間企業で営業職として働いていました。仲の良かった同期が協力隊員になり、その任地を訪ねたことがきっかけで、自分も参加したいと思うようになりました。現地で実際に協力隊が活動する様子を見て、2年という限られた時間で現地の課題解決に貢献するにはある程度要請内容が具体的な職種が自分には向いていると思って志望したというのが日本語教師を選んだ動機です。受験にあたって日本語教師資格を取得しましたが、実際に活動してみると、国語の教科書で日本語を教えるなど、国語教育と日本語教育の過渡期にあるパラグアイでの日本語教育のやり方に苦労した時期もありました。日本に暮らす日本人にとっては国語も日本語も差異はないように見えますが、日本語が話せれば国語ができるわけではありませんよね。

ある生徒が「瑞々しくて美味しい」を「水っぽくて美味しい」と言ったのですが、こうした微妙な表現の誤りを伝えていくことや、親世代から受け継いだ各地の方言による活用形の違いなどを正していくことは、ゼロから積み上げていく日本語教育とは違う難しさがありました。ただ、教師の立場を離れれば、日系人の子どもたちが彼らの母国語と日本語をうまくミックスさせて会話を成り立たせている日常に触れることができ、日本で育った私はとても新鮮な気持ちになれました。今も時々SNSでやりとりし、日本に来たときに会うなどして、パラグアイ時代の繋がりは大切にしています。

現在、私は横浜市役所の職員として横浜市中区役所で勤務しています。これまで2~3年刻みで様々な部署を異動してきましたが、そのなかでも協力隊経験を活かせたと実感できたのは地域振興課にいた時でした。私は首都圏の出身で、ご近所関係が比較的ドライな環境で過ごしてきたので、プライベートな行動がすぐ知れ渡るほど濃密なコロニーでの暮らしは、私にとって地域社会というものを意識した初めての経験でした。コロニーは、お互いが支え合って暮らしているという点で地域社会のあるべき美しさを示していますが、その裏で、そりが合わない人とも折り合いをつけて付き合っているという住民同士の現実を知ることにもなりました。日本の都会で暮らしていると仕事とプライベートを分けたり、気の合う友人とだけ付き合ったりということが可能ですが、小さなコミュニティで職住が切り離しにくいコロニーでの暮らしにどっぷり浸かれた経験は、地域振興課の仕事で住民と対話を重ねる際の大きなヒントとなりました。

私生活でも協力隊経験は気づかないところで生かされていると思います。不確実で不条理なことが起こる異文化での活動によって他者との関わり方を学び、その結果コミュニケーション能力が上がっただろうことは自信を持って言えます。私にとって協力隊は、“広い世界に飛び出したはずなのに狭い世界を知ることになった”という面白い人生経験のひとつですね。

横浜市中区役所 高齢・障害支援課
高齢・障害係長の豊倉麗子さん

※このインタビューは、2023年6月に行われたものです。

PROFILE

横浜市
所在地:横浜市中区本町6丁目50番地の10
協力隊経験者:複数名在籍

HP:https://www.city.yokohama.lg.jp/

 
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