あしなが育英会どのような状況下でも道を切り開く
協力隊経験者の「現場主義」

  • グローバル人材の育成・確保

病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした遺児への教育支援で知られる、あしなが育英会。近年は国内だけでなく、アフリカをはじめとした海外の遺児への支援にも取り組みを広げ、2006年からは青年海外協力隊経験者を積極的に採用している。あしなが育英会の活動と、協力隊経験者を採用することになった経緯や期待などについて、理事の岡崎祐吉(おかざき・ゆうきち)さんに話を伺った。

国内から海外へ、広がる支援のネットワーク

あしなが育英会は、親が病気や災害、自死(自殺)などで亡くなったり、重度の障害が残り働けなくなったりした家庭の子どもたちを物心両面で支える民間非営利団体です。よく知られているのは、経済的な理由で高校や大学、専門学校への進学が難しい子どもたちに奨学金を貸し出す物的支援ですが、親を亡くした子どもたちの心をケアするため、毎年夏休みには「つどい」という3泊4日の合宿型体験プログラムも全国各地で実施しています。

あしなが育英会が設立されたきっかけは交通遺児の支援活動ですが、支援を受けた交通遺児たち自身が、「自分たちは奨学金をもらって進学できるが、災害や病気などで親を失った子どもたちの中にはそうできない子どもがたくさんいる。そんな子どもたちを支援したい」と立ち上がったことで、災害遺児や病気遺児への支援が始まりました。

さらに、1995年に発生した阪神・淡路大震災の遺児が中心となり、1999年には海外の遺児を支援する活動もスタートしました。これも、被災後に世界中の人々から温かい支援を受けた遺児たち自身から「世界から受けた愛に恩返しをしたい」との声が上がったためです。

支援を受けた卒業生たちが、今度は支援する側にまわり、ネットワークを広げていくのは、あしなが育英会の理念の一つでもあります。奨学金を受けて大学を卒業した者の中には、教育に携わる人が多くいます。あしなが育英会の職員の約2割は元奨学生ですし、私自身、奨学金のおかげで教育を受けることができた交通遺児の一人です。「教育こそが貧困を脱する唯一の機会である」。皆がそんな思いで活動を続けています。

現在、海外遺児支援で特に力を入れている地域がアフリカです。「あしながウガンダ」は、エイズで親を亡くした子どもたちの心のケアに取り組むため2001年に設立された現地NGOで、2007年には基礎教育のための寺子屋も開設しています。2006年から「あしなが育英会海外遺児留学生プログラム」を開始し、当初はウガンダ、次いでアジアや中東の遺児を対象に、日本へ留学する機会を提供してきました。また、2014年からは「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」という、サブサハラ・アフリカ49ヵ国の優秀な遺児を世界中の大学に留学させ、アフリカのリーダーとなる人材を育成するプログラムを始めました。

こうしたプログラムを通じて、これまで79人の海外遺児留学生が来日し、あしなが育英会が運営する東京と神戸の学生寮「心塾」などで、日本の遺児と共同生活をしながら勉学に励んでいます。さらに世界中の大学を含めると、これまでに支援してきた海外遺児は137人にもなります。

理事の岡崎祐吉さん(写真中央)、協力隊経験者で現在、東京本部でアフリカ事業を担当する沼志帆子さん(同左)と林若可奈さん(同右)

現地スタッフから信頼される協力隊経験者

青年海外協力隊との出会いは、2005年に開催した「国際的な遺児の連帯をすすめる交流会」でした。この交流会は、日本に招いた海外の遺児たちと約2週間のキャンプを通して連帯を深めようという、海外遺児支援活動の一つです。この活動に通訳ボランティアとして2人の協力隊経験者が参加され、その一人が、後に協力隊経験者として初めての職員となる沼志帆子(ぬま・しほこ)さんでした。国際感覚や言語能力を含めた働きぶりに感心し、是非、あしなが育英会で活躍してほしいと思い、声を掛けました。その後、協力隊経験者を積極的に採用し、現在は現地採用スタッフも含め7人が働いています。

協力隊経験者に共通しているのは、「現場主義」であることです。言葉ができる、できないは別にして、現場で鍛えられたコミュニケーション能力があり、海外の人と物怖じせずに会話ができることは、非常に大きな魅力です。約束の時間に人が来ない、予定通りに物事が進まないことにも慣れていて、そうした状況の中でも最善の方法を探し出し、道を切り開いていく能力にも長けています。

現在、協力隊経験者のスタッフは、主にアフリカの遺児支援を担当しています。現地に赴任したり、東京と神戸の学生寮で留学生をサポートしたり、本部でさまざまな事業を調整したりと、重要な役割を担ってもらっています。また、協力隊員としてセネガルで活動し、同じセネガルで採用された人もいます。いずれも、人と接する現場の仕事、しかも相手はアフリカの方々です。協力隊の現場で経験したことを、あしなが育英会でも存分に役立ててもらえているのではないかと思います。

あしなが育英会は、事業内容もさることながら、働く人間もグローバル化、多様化しています。海外での遺児支援事業が広がっていく中で、どこの国の人とでも一緒に働ける人、現場目線で物事を進められる人は、非常に貴重な人材です。協力隊を経験した職員が、現地のスタッフから特に信頼されているのも、現地の人を思いやりながら活動した2年間があったからこそだと思うのです。あしなが育英会にとって、今後ますます、そうした人材が必要になっていくはずです。

海外の遺児支援はアフリカが中心ですが、日本の学生をアジアに1年間留学させたり、アジアの学生を日本の大学に留学させたりと、アジアの遺児同士の交換留学のような取り組みも行っており、これも今後、広げていきたいと考えています。また、今年からJICAインターンへの挑戦も始めました。このインターン制度では、開発途上国にあるJICAの事務所で3~ 8ヵ月ほど国際協力の現場を経験します。毎年、応募者が多いと聞いていますが、今年は3人が合格しました。学生時代にこうした経験ができることは、グローバル化が加速していく日本社会にあって、とても有意義なことだと思っています。

あしなが育英会も事業のグローバル化に向け、また、支援している遺児の方々に国際感覚を養っていただくためにも、JICAとの関わりを深めていければと考えています。

JICAボランティア経験者から

アフリカ100年構想第一課長 沼 志帆子さん
(2002年度派遣/ニジェール/青少年活動)

協力隊で得た「自信」が今の仕事の土台に

「命の大切さ」を実感した協力隊での2年間

父の仕事の関係で、小学校高学年から中学までドイツで、高校はアメリカで過ごしました。ボランティアに関心を持つようになったのは、高校2年生の夏休みに貧困家庭の子どもたちを支援するニューヨークのNGOが主催するキャンプに、ボランティアとして参加したのがきっかけです。その後、ボランティア活動を続けるなかで、開発途上国でできることはないかと考えるようになり、いろいろ調べるうちに知ったのが青年海外協力隊でした。大学卒業後、すぐに協力隊に応募し、2002年に青少年活動隊員としてニジェールに派遣されました。

配属先となったドッソ文化センターは、日本の児童館のようなところでした。私の活動は、そこに来る子どもたちにいろいろな遊びを教えたり、識字教室を開いて学びの場を提供したりすることでした。子どもたちの笑顔は私の活動の原動力になっていた一方で、経済的な理由から通うことができない子どもたちもいて、そのことがずっと心のどこかに引っ掛かっていました。

また、ニジェールという国で生活していて感じたのは、「死」が非常に身近だということです。ニジェールは世界最貧国の一つで、多くの人々は、体調が悪いからといってすぐに医療を受けられる環境にはなく、ついこの間会った人が亡くなってしまうことも珍しくありません。私がホームステイしていた家の子どもの一人も、私が帰国した後に亡くなったと聞き、非常にショックでした。日本とニジェールで人間の「生」がこんなにも違うのかと、痛感させられる出来事でした。

私が活動していた場所は首都から離れていたため、自分自身でしっかりと体調管理をしなければなりません。「命の大切さ」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、まさにそれを学んだ2年間でした。同時に、ニジェールでの経験は、どんな環境でも生きていけるという自信を私に与えてくれました。

配属された二ジュールのドッソ文化センターで、子どもたちに折り紙を教える協力隊時代の沼さん(写真中央)

社会情勢を超えた子どもたちの交流に感動

帰国後の進路は、「人を相手にする仕事」「語学を生かせる仕事」「青少年育成に携わる仕事」「非営利団体」がいいと考えていました。そして、帰国してすぐに訪れた協力隊事務局の進路相談カウンセラーから、「あなたにぴったりのボランティアがある」と紹介されたのが、あしなが育英会が主催する「国際的な遺児の連帯をすすめる交流会」での通訳ボランティアでした。

キャンプには、9.11の米国同時多発テロで親を亡くした子どもたちや、アフガニスタンとイラクの紛争で親を亡くした子どもたちも参加していました。当時、アメリカとアフガニスタン、イラクは戦争している頃でしたが、子どもたちはそんなことは関係なく、言葉や文化を超えて交流していました。その姿に感動し、こういう仕事に携わりたいと感じました。その後、「職員にならないか」と声を掛けていただいたこともあり、あしなが育英会に就職することにしました。

あしなが育英会には、未経験者でもプロジェクトを任され、「あとは自分で考えてやれ」という伝統があります。特に私が入った当時の国際課は職員も少人数だったので、企画から運営まですべてやらなければなりませんでした。それが合わない人もいると思いますが、私には合っていました。最初の4年は日本、次の4年はウガンダに駐在、さらに、アメリカ事務所の立ち上げにも携わり、忙しく世界中を飛び回っていましたが、そのすべてがやり甲斐のある仕事でした。

今、私が取り組んでいるのは「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」です。これは、サブサハラ49カ国から毎年一人ずつ優秀な遺児を世界の大学に留学させ、将来、母国の発展に貢献するリーダーを育てようという構想です。いろいろな国の学生がこのプログラムに参加しているので、一人一人のニーズをきちんと確認しながら、アフリカの発展に貢献できるリーダーとなるよう、サポート体制をつくっていくことが私の役割です。

あしなが育英会には協力隊出身者もいれば、奨学金を受けていた人もいますし、男性、女性、子育て中の人や外国人の職員もいて、ダイバーシティー豊かな職場環境です。私自身も1歳の子どもを持つワーキングマザーなので、さまざまな背景を持つ人にとって働きやすい職場環境づくりに力を入れていきたいと考えています。後に続く職員にとって、仕事と家庭の両立は決して無理なことではないと、私自身が示していけたらと思います。

※このインタビューは2017年8月に行われたものです。

あしなが育英会の職員としてウガンダに赴任していた頃の沼さん(写真中央)と、さまざまな体験を通じて地域社会のリーダーを育てる「リーダーズキャンプ」に参加する遺児たち

PROFILE

あしなが育英会
設立:1988年
所在地:東京都千代田区平河町1-6-8 平河町貝坂ビル
事業内容:遺児等の進学支援
協力隊経験者:7人(2017年8月現在)
HP:http://www.ashinaga.org/
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