別府市“よそ者”が集まる街・別府市
市役所職員として地域づくりに奮闘する
JICA海外協力隊経験者たち

  • グローバル人材の育成・確保

大分県別府市は、温泉で有名な観光都市だ。歴史的に国内外からたくさんの観光客を受け入れてきたことから、別府市民は“よそ者”に対してとても寛容だという。90年代後半には立命館アジア太平洋大学が開学し、世界各国から教員や学生が集まる多文化共生の街となった。そんな別府市の行政を司る市役所に、コロナ禍で派遣延期となったJICA海外協力隊の合格者受け入れに尽力した2名の協力隊経験者がいる。市民福祉部(教育部併任)の縄田早苗さんと防災局の河合亜留土さんだ。お二人がどのような思いから合格者受け入れに手を挙げたのか、それぞれの協力隊経験や現在のお仕事を交えて話を伺った。

別府市から海外へ
“よそ者”として活動した協力隊経験を振り返って

 

市民福祉部共生社会実現・部落差別解消推進課(教育部学校教育課併任)参事 縄田早苗さん
(ホンジュラス/小学校教育/1996年度派遣)の場合

私は別府市の生まれです。1996年、JICA海外協力隊の小学校教諭隊員として、ホンジュラスへ派遣されました。幼い頃から外国人観光客が訪れる街で育ってきたので、自分でも気がつかないうちに“よそ者”に寛容であるという意識が醸成されていたと思います。

協力隊では、小学校教員に算数の指導方法を伝える活動に従事しました。ホンジュラスでは、現在でもJICAの算数指導力向上プロジェクト(以下、算数プロジェクト)が行われていると聞いていますが、その初期段階に関わっていたと言えるでしょうか。現地では、師範学校を卒業すれば教員になれることもあり、指導方法や内容は十分ではありません。日本と比べて、研修を受け自身のスキルを向上させようという意識が低い教員へのモチベーションアップには、とても苦労しました。良い指導が最終的に子どもたちの幸せに繋がるのだ、ということを繰り返し伝えていましたね。そのうち、私の行う研修に参加していた教員が友だちを連れて来るようになり、こうして仲間が増えていったことに喜びを感じることが出来ました。結局、活動を1年延長し、3年間をホンジュラスで過ごしました。

私は、大学時代に社会教育主事(注1)の資格を取得しましたが、残念ながら日本では、資格を持っているだけでは具体的な活動が出来ませんでした。しかし幸運なことに、協力隊で算数プロジェクトに関わったことで、社会教育的経験を積むことが出来ました。単純に指導方法の改善であれば学校教育になりますが、算数プロジェクトのように現地教員らが指導法改善に向け、ネットワークをつくり自ら学んでいこうとする活動を促進する取組みは、社会教育の側面をもっています。日本における社会教育というと、公民館や図書館、博物館など学校以外の地域で行われている教育活動全般と言えば分かり易いでしょうか。例えば、まちづくりなどの大きなテーマにおいて、地域住民を繋ぎ、地域が抱える生活課題に向けて一人ひとりの背中をそっと押してあげる、という役割を担う仕事です。

協力隊という思わぬところで資格を活かした経験ができたことが、帰国後の進路に繋がり、これまで大分県内で小学校教員や県や市の教育委員会事務局職員などの立場から社会教育の現場を経験してきました。過疎地域における住民参加型のまちづくりなど、協力隊活動にとても近いような仕事を地元で主導することが出来たことが、私の一番の誇りになっています。

現在は別府市役所に在籍し、人権教育などの多文化共生に関わる仕事を担当しています。これからも人と人との繋がりづくりに関わる仕事をしていきたいですね。ゆくゆくは、自分の力で子どもやお母さんたちの“居場所づくり”ができたらいいなと、これからのライフワークを思い描いています。

市民福祉部共生社会実現・部落差別解消推進課(教育部学校教育課併任)参事の縄田早苗さん市民福祉部共生社会実現・部落差別解消推進課(教育部学校教育課併任)参事の縄田早苗さん

 

防災局防災危機管理課主査 河合亜留土さん
(エルサルバドル/防災・災害対策/2013年度派遣)の場合

私は“よそ者”に寛容な別府市に、“よそ者”として移住してきました。幼い頃からいつか海の見える街に住もうと決めていたので、社会人になって10年目に思い切って当時の仕事を辞め、海のある街を探して日本一周の旅に出ました。そこで辿り着いたのが別府市でした。

それまでは埼玉県で救急救命士として働いていたため、別府市に住むと決めてすぐに目に止まったのが市の消防本部の募集。迷わず応募したのですが、別府市初の女性消防官、かつ初の救急救命士としての採用だったことを合格後に知りました。埼玉県とは異なり、別府市では日頃から外国人を救急搬送することが多かったため、自然と英語を学ぶ習慣がついており、JICA海外協力隊の募集を知った時、海外活動にチャレンジしたいと思いました。上司に相談したところ、現職参加(注2)の制度があることが判明。帰国後のキャリアにも繋がるだろうと参加が認められ、2014年に防災・災害対策隊員としてエルサルバドルへ派遣されました。

現地では任地変更もあり、2箇所で活動しました。最初は人口4万人規模の街の市役所で、防災課の新設を担当。次は首都にある消防庁で、体力トレーニングや日本から届いた中古消防車の使い方などの指導を担当しました。いずれも、日本での消防経験が十分活かせる内容でしたが、私は現地の事情や状況に合わせようと努めました。例えば、食糧も水も十分でない地域で非常食を備えさせることは、とても難しいことです。また、カトリック教徒が多い国のため「災害は神様が私たちの犯した罪を罰するために起こす」と自然に抗おうとしないことも、住民との対話をより難しくさせました。そんな中で私が意識的に行ったのが、日常生活でも家族のために役立つ応急手当など、身近な知識から伝えていくことでした。相手の文化や価値観に寄り添うことで課題に目を向けてもらい、風土や暮らしに見合った方法で防災・減災への行動を伝えていきました。結局、置かれた状況は違えども、何のための防災・減災なのかという課題意識の根本は、日本もエルサルバドルも同じだったのです。

帰国後、大学に編入して社会福祉士の資格を取得しました。日本の救急現場では、お金がなくて食べ物が買えないという理由だけで119番をしてくる人に出会うことがありました。協力隊を経験した後、こうした日本の福祉課題により関心が向くようになりました。現在は、一旦消防から離れ、市役所に出向して防災の仕事をしています。今後どの道へ進んでいくのか悩むことはありますが、これまでと同じように自分が出来ること、やりたいことを追求しながら、多様な価値観が交差する別府市で頑張っていけたらと思っています。

防災局防災危機管理課主査の河合亜留土さん防災局防災危機管理課主査の河合亜留土さん

協力隊経験がもたらしてくれたもの
協力隊合格者の受け入れへの思い

 

縄田早苗さんの場合

私は、今でこそ柔軟性を持って人と接することが出来ていますが、社会人になりたての頃は同調圧力から脱却できず、人の目をとても気にするタイプでした。そんな私を変えてくれたのがJICA海外協力隊です。身の回りのリソースを工夫しなくてはならない暮らしと活動が、自身の思考を柔らかくし、大きく成長させてくれたように思います。指導方法の改善に意欲的でない現地教員にその必要性を伝えようとすると、自ずと自身も“なぜ必要なのか”を考えるようになります。一つひとつの経験が、日本人としての、私自身の価値観を見つめ直すきっかけになりました。帰国後、以前の職場の仲間から「変わったね」と言われることがよくありましたね。

思い出深いホンジュラスや協力隊ですが、仕事で関わることはまず無いと思っていました。ですから、協力隊合格者の受け入れ先(注3)を募集する掲示を職場で見た時、真っ先に手を挙げました。すると「別府市役所に別の立候補者がいるので協働してはどうか」と、JICA青年海外協力隊事務局から提案いただいたのです。決して大きくない市役所に、同じ思いをもつ協力隊経験者がいると知って驚きましたが、こうして初めて会ったのが河合さんです。

協力隊同士というのは本当に不思議です。会ったばかりでも気持ちが通じ合い、協働の受け入れプランをテンポ良く作り上げていくことが出来ました。“ゼロイチ(注4)を楽しめる人間”を自称する河合さんと一緒だったことも大きいですが、自発的に行動してもらうためのプランニングができるのは、考え、実践してきた協力隊経験者の多くが持つ、素質のように思います。コロナ禍という状況でしたが、このような形で後輩の支援に関われたことを、とても嬉しく思います。

ホンジュラスで小学校教育隊員として活動した縄田さんホンジュラスで小学校教育隊員として活動した縄田さん

 

河合亜留土さんの場合

私は現在の職場に出向して5年目になりますが、JICA海外協力隊合格者の受け入れがきっかけで先輩隊員と出会い、一緒に仕事をすることになるとは思ってもみませんでした。縄田さんとは初めてお会いしたのですが、派遣先がホンジュラスとエルサルバドルという隣同士の国ということもあり、すぐに意気投合しました。

具体的な受け入れプランは、「地域学校共同活動」(注5)という別府市のプロジェクトと住民の防災教育を組み合わせ、教育側を縄田さん、防災側を私が担当しました。私たちの共通認識は、合格者に協力隊活動の模擬体験をしてもらうこと。大まかな目的を私たちが描き、それに基づいて活動してもらいました。「何も指示しないから自由にやってね」という私たちの言葉に、最初は合格者たちも戸惑ったと思いますが、そこはさすが協力隊に合格しただけあり、すぐにこちらの意図を汲み取って行動を起こしてくれました。そうした様子を見て、行動的で人との関わりを楽しめる人間の延長線上に協力隊が存在するのではと、あらためて昔の自分を振り返ったりしました。

合格者の活動が終了し1年数カ月経った頃に始まったのが、ウクライナ避難民の受け入れです。別府市は早い段階で支援を表明し、海外経験がある私がその業務を担当することになりました。課題だけを与えられて、自分で動き、情報を集めてスキームを作っていく仕事は協力隊活動に近いものがあり、やりがいを感じています。

ウクライナ避難民に関わるようになって、あらためて気がついたのが別府市民の“よそ者”への寛容さです。避難民の定住に欠かせないのが就職。日本語が分からないと職探しは難航するかと思われましたが、採用を申し出てくださったところが複数あり、「さすが別府市」と感動しました。しかも、歯科医師や職人など、母国の職業を尊重して採用して頂けたのはありがたい限りです。地域づくりに必要なのは人づくり。日本人も外国人も暮らしやすい街になり、そこに少しでも自分の力を活かしていければと思っています。

※このインタビューは、2022年11月に行われたものです。

注1:都道府県及び市町村の教育委員会の事務局に置かれる専門的職員で、社会教育を行う者に対する専門的技術的な助言・指導に当たる役割を担う。
注2:現在の職場を退職せずに、 所属先に身分を残したまま休職してJICA海外協力隊に参加すること。
注3:新型コロナウィルス感染症拡大の影響で派遣前訓練や派遣の延期を余儀なくされたJICA海外協力隊合格者のうち、希望者を対象に日本国内の地域が抱える課題解決に資する活動に参加しながら、住民参画を促すアプローチやコミュニケーションスキル、課題解決に向けた計画策定等、派遣国での活動に必要な実践的な経験や知識の習得を目的として実施した特別派遣前訓練。全国の自治体が受け入れ先となり実施された。
注4: 誰も考えたことがないような理論を成立させ、誰からも注目されていなかった領域で成果を挙げる能力。文字通り物事を0から1に傾け、固定概念を覆すことのできる能力を指す。
注5:地域の高齢者、成人、学生、保護者、PTA、NPO、民間企業、団体・機関等の幅広い地域住民等の参画を得て、地域全体で子どもたちの学びや成長を支えるとともに、「学校を核とした地域づくり」を目指して、地域と学校が相互にパートナーとして連携・協働して行うさまざまな活動。

エルサルバドルで防災・災害対策隊員として活動した河合さん(写真右)エルサルバドルで防災・災害対策隊員として活動した河合さん(写真右)

PROFILE

別府市
所在地:大分県別府市上野口町1番15号
協力隊経験者:3人(2022年11月現在)
HP:https://www.city.beppu.oita.jp/
一覧に戻る

TOP