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少人数の会社には痛手だが

当社は、報道やバラエティー、スポーツなどのテレビ番組を中心に制作する番組制作会社です。社員は10人ほど。田中さん(平成19年度派遣/マラウイ/エイズ対策)を含め、私以外はみなディレクターやアシスタント・ディレクターとして活躍しています。
 田中さんは協力隊に参加した当時、入社8年目の中堅ディレクターでした。担当していたのは朝の情報番組です。彼女は仕事ができるうえ人柄もよく、みんなを引っ張っていくようなタイプの存在でした。だから、田中さんから「会社を辞めて、青年海外協力隊に参加したい」と聞いたときには、正直びっくりしました。
 彼女はやりたいと思っていることをいつかはどうしてもやり遂げたいだろうし、協力隊の経験はその後、この仕事をしていくうえで何らかの形で役に立つかもしれない。そこで私は、「協力隊活動が終わったら戻ってきて、仕事を続けてほしい」という話をしました。すると、「辞めずに参加する制度もあるみたいですが…」と、現職参加制度について教えてくれたのです。
 少人数の会社なので、ディレクターのひとりが2年間いなくなることは痛手です。しかし、協力隊というのは若いときにこそ経験すべきものでしょうし、そのチャンスを会社が奪ってはならないと考えました。だから、「やるだけのことはやってきなさい。そして、帰ってきたらまた仕事をしてください」とお願いし、送り出したのです。当時の田中さんのポジションには、代わりに後輩に入ってもらいました。

代表取締役社長 プロデューサー
上野 久さん

2年間の協力隊経験を今の仕事に

私たちのような仕事は、社外のスタッフと付き合いを重ね、人間関係を築いていくことが何より大切です。そういう意味で、2年後に彼女が元の仕事にスムーズに戻ることができるかどうかはわからないという心配もありました。
 しかし、協力隊の任期が終わる2カ月前、たまたま田中さんを知るあるテレビ局のスタッフから、「田中さんが帰国したら、うちの番組の担当になってほしい。彼女なら2年間のブランクがあっても大歓迎です」とオファーをいただきました。仕事というものは、やっぱり人間関係が基盤です。彼女のように、長い時間をかけて人間関係を作り上げていくと、周りが自然と助けてくれるものなのだなと実感しました。そのオファーを受け、田中さんには現在、情報番組を担当してもらっています。
 田中さんがマラウイに赴任している間、私は2カ月に1度くらいの割合で電話をしたのですが、「エイズで亡くなった方のお葬式に行ってきました」や「近所に住む若い人がエイズで亡くなりました」といった話を聞くことが多々ありました。日本では考えられませんが、田中さんはマラウイで、そうした場面に幾度となく直面しているわけです。
 私は、田中さんの協力隊参加を、会社としての社会貢献だと考えています。だから2年間の活動をそこで終わりにせず、仕事に生かして、どんどん膨らませていってほしい。番組制作という仕事なので、マラウイについて多くの人に知ってもらうなど、何らかの形で絡めて行くことができると思います。それができて初めて、本当に派遣国の役に立つのだと、私は思うのです。

ディレクター
田中 加奈子さん
(平成19年度派遣/マラウイ/エイズ対策)

JICAボランティア経験者から

「取材される側」に立った経験がディレクターとしての成長につながった

専門学校を卒業後、当社に就職して8年。テレビ番組のディレクターとしての自信がつき、自分の好きなことを取材できるようになっていましたが、同時に「自分は取材対象者に対して傍観者の視点しか持てていないのでは」と感じ、悩んでいました。そして、「一度、取材される側がしていることを経験したほうがいい」と思い至り、会社を辞めてボランティアをする決心をしました。
 調べていくなかで協力隊のことを知り、説明会に参加しました。そこで現職参加制度があると知ったのですが、最初はリセットするつもりで、社長に「辞めたいのですが」と相談しました。しかし社長が「辞めずに参加できる制度があるなら、利用したらどうだ」と現職参加を認めてくれたのです。
 映像関連の職種もありましたが、「この2年間は、取材する側にならずにいよう」と、「エイズ対策」の職種を選びました。活動内容は、HIV陽性者をサポートする十数の小さなグループのコーディネート。どのような活動をしたいかを各グループに聞き、それを実現させるためのアイデアを出したり、講習を行ったり、グループ間の連携を強めたりするのが主な活動でした。私にはグループを統括する知識もないので、国際協力学を専攻した隊員にアドバイスをもらうなどして手探りで活動しました。しかし、一生懸命になってオロオロしていたら必ず周りの人が助けてくれて、最終的にはグループの人たちも納得してくれる形でコーディネートできるようになりました。
 活動を終え、取材する側に戻りましたが、ディレクターとしての自分にも変化を感じます。以前は取材を「こなしている」という感じがしたのですが、今は「取材を作業としてこなすのはやめよう。取材させてくれた人がいいと言ってくれるようなVTRを作ろう」と思っています。
 私は協力隊に参加するまで、HIV/エイズについての知識はありませんでした。今後、もっと勉強して、現実を真摯に受け止めて冷静に伝えられるディレクターになりたいと考えています。

協力隊時代の田中さん。配属先のスタッフたちと。

PROFILE

有限会社デラックスキッズ
設立:2000年9月1日
所在地:大阪府北区中崎西1アインズビル梅田801
事業内容:テレビ・ラジオの番組・CMの企画制作、DVDソフトの企画制作など
従業員数:8名
協力隊現職参加実績:1名
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