公益財団法人福岡よかトピア国際交流財団遣唐使の時代から世界に開かれた街、福岡市
JICAとの連携で国際交流を推進する

  • グローバル人材の育成・確保

福岡らしい名称で外国人にも日本人にも親しまれている福岡市の国際交流拠点・福岡よかトピア国際交流財団。当財団は、1989年3月17日から9月3日までの171日間、“新しい世界のであいを求めて”をテーマに開催されたアジア太平洋博覧会-福岡’89(愛称よかトピア)の成功を記念して発足した公益財団法人よかトピア記念国際財団と、福岡市民の国際交流・相互理解の促進などを担ってきた公益財団法人福岡国際交流協会が合併し、設立された公益財団である。在住外国人や留学生支援事業などを手掛ける、同財団事務局長の有馬一秀さんに話を伺った。

グローバルな街・福岡市
暮らす外国人の3割が留学生

当財団は、福岡市における国際交流の促進や多文化共生社会の実現を目的として、さまざまな事業を展開しています。スタッフ数は多言語支援員も含めて22名。民間企業や教育機関で海外と関わってきた人や留学経験のある人など、もともと国際交流に関心のある人たちが多く働いています。また、当財団が入居する福岡市国際会館は、国際交流フロアや留学生宿舎があり、全体的に国際色豊かな職場環境と言えます。「よかトピア」という名称は、1989年に市内で開催されたアジア太平洋博覧会の愛称です。“よか”とは、福岡の方言である博多弁で“良い”を意味します。福岡らしい呼び名に、日本人にも外国人にも親しみを感じてもらえたら嬉しいですね。

福岡市は、国際貿易港である博多港をはじめ、古くから日本の国際交易・交流の拠点となってきました。また、専門学校を含めた高等教育機関の数も全国トップクラスであり、若者が多く暮らす街でもあります。そのためか、自然と海外から学生が集まりやすい風土があるのでしょう。現在、福岡市に居住する外国人の約3割が留学生であり、在留資格別で最も高い割合となっています。

以前から中国や韓国の留学生は多かったのですが、最近はネパールやベトナムからも学生が増えています。その多くは日本語学校等の専門学校生で、限られた時間を活用してアルバイトをしている学生も少なくありません。働きながら学業に励む外国人は全国的にも多いと思いますが、彼らの間では“福岡市は生活しやすい街”というイメージがあるそうで、留学先として人気が高いと聞いています。東京や大阪に比べれば、自然が身近にあることや、家賃や生活費が抑えられることも利点でしょう。一方で興味深かったのは、地震が少ないから福岡市を選んだという声も多かった点です。私は生まれも育ちも福岡なので、それを聞いた時は自分の故郷の良さをあらためて気づかせてもらった気がしました。

確かに地震は少ないものの、台風や大雨などの自然災害は多い土地です。有事の時避難所になるのが公民館。福岡市には小学校区にひとつずつ公民館があり、普段は地域住民の交流や自治活動の拠点にもなっています。当財団では、こうした公民館や地域で地域の日本人と外国人が繋がる交流イベントなどが行われる場合、職員を派遣して事業の企画運営をバックアップしたり、語学ボランティアを派遣して翻訳・通訳を行うなど、地域における多文化共生のまちづくりをサポートしています。

事務局長の有馬一秀さん事務局長の有馬一秀さん

課題は日本語指導
大切なのは母国文化に寄り添うこと

今、私たちが在住外国人支援で特に力を入れていることの一つに、地域の日本語教育への支援があります。福岡市ではすでに、日本語サポートセンターや日本語指導担当教員の配置など日本語指導体制が整備され、現在350名(R3年3月末時点)ほどの小中学生が日本語を学んでいます。しかし、こうした子どもたちの家庭では、親も日本語に不慣れな場合が多く、郵便物や学校からのお便りなどが読めないことも少なくありません。そのため、当財団では、令和4年度から「地域日本語共育コーディネーター」を財団職員として配置し、地域の日本語教育の推進を図るとともに、「チュータープログラム」により、語学ボランティアが、日本語が不得手な外国人家庭を支援する体制をつくっています。もともと福岡市は草の根レベルの日本語教室が多いので、今後もより多くの市民の方々が、地域の日本語教育に関わってくれることを願っています。

また、外国人には日本語を学んでもらうだけでなく、彼らのルーツやアイデンティティに寄り添うことも私たちの大切な使命です。特に日本で育った外国にルーツがある子どもたちにとっては、一歩家を出てしまえば母国の言葉や文化に触れる機会はほとんどありません。今年度は外国につながる子どもたちやその親に対するアンケート調査を実施します。よりリアルな現状や課題が見えてくるでしょうから、引き続き具体的なサポート施策を検討していけたらと考えています。

私たちは長年にわたり外国人住民に寄り添ってきましたが、こうした活動に欠かせないのは、相手の立場で考えて行動ができる人の力であり、当財団にとっての一番の財産は「人財」だと考えています。一口に多文化共生といいますが、頭では理解できても実際に行動に移すことは容易なことではありません。そういった点で、JICA海外協力隊経験者である浦越未来さんは、外国人に寄り添って行動できる大切な仲間のひとりです。2年間ブラジルで日本語教育に従事したという経験は、地域の日本語教育に取組む当財団の貴重な戦力となっています。個人的には、異文化にたったひとりで飛び込んだということだけでも、素晴らしい行動力と精神力の持ち主だと感心しています。他のスタッフにも良い刺激を与えてくれるはずだと、これからも浦越さんの活躍に期待を寄せています。

JICAボランティア経験者から

日本語教育担当 浦越未来さん
(ブラジル/日系日本語学校教師/2017年度派遣)

日本語ボランティアから協力隊へ
ブラジルのコミュニティを目指す

私は当財団で日本語教育に関連する事業を担当していますが、JICA海外協力隊に参加する前も地域の日本語教室でボランティアをしていました。大学卒業後、国際協力とは関係のない仕事に就きましたが、日本語教育に関心があったからです。今は財団の職員として地域のボランティアさんと関わっていますので、不思議な縁ですね。

私が海外に興味を持ったのは、中学生の時です。ユニセフの活動を知り、住んでいる国が違うというだけでこんなにも生活が違うということに、大きなショックを受けたことを覚えています。それをきっかけに海外、特に開発途上国に関心を寄せるようになりました。協力隊を意識したのは自身の進路を改めて考え始めた時です。中学生の頃に衝撃を受けたことをふと思い出し、応募を決めました。

協力隊のなかでも日系社会ボランティアを選んだのは、より現地の人に近いコミュニティで活動したかったからです。私が応募した当時、日本語教育の配属先の多くは学校でした。その点、日系社会ボランティアは、その名の通り日系人コミュニティの中での活動が中心となりますので、コミュニティの中心で日本語を指導したいという、私の希望にぴったりでした。

私が派遣されたブラジルの日系人社会というのは、今から100年以上も前に日本を離れた人たちが2世、3世へと日本文化を繋いでいる、非常に強固なコミュニティです。そういう点では、仕事で日本語を学んでいる人たちとはまた違った角度で、日本の文化や言葉と向き合っています。日本人会という自治組織があり、そこが運営する日本語学校が私の配属先でした。カウンターパートは日系2世の先生。日本人会のなかでも、特に日本文化の継承に強い思いを持たれている方でした。

配属先は“学校”という名称だったものの、言葉の堅いイメージとは違って地域にある“お教室”のようなところでした。子どもたちが放課後に遊びに来るような場所で、大人にとっても居場所のような存在でした。そこで私が担当したのは、日系3世、4世となる子どもたち。彼らの1世はだいたい70〜80歳代なので、普段から生の日本語や日本文化に接している子どもたちが多かったです。しかし、日常会話の基本はポルトガル語ですから、私とは日本語とポルトガル語を織り交ぜて話をしていました。

ブラジル移民というと、日本のある地域から集団で移住するイメージがあるかと思います。しかし、私がいた日系人社会は、移住後にリンゴ栽培をきっかけにサンパウロ州から移住した人たちのコミュニティでした。そのため、1世たちの出身地はさまざまで、多様な人たちで構成されていました。多様といえばブラジル全体がそうですね、現地で私が信号待ちをしていた時にブラジル人と間違われて道を聞かれたのも、日系人が多く暮らす国ならではの経験でした。しかし、相手が私を外国人だと思わない一方で、私自身は常に海外にいることを意識していました。最初の頃は、買い物に行く時ですら言葉が通じるかと緊張し、それだけで疲れ果てていました。今、日本で買い物をしている外国人を見かけると、「この人も緊張していないかな」とつい思ってしまいます。

日系日本語学校教師隊員として活動した浦添さん(後列一番右)日系日本語学校教師隊員として活動した浦添さん(後列一番右)

日系社会で知った日本人の情緒
アイデンティティを認識して誇りを持てる環境を

2年間にわたって日系社会で過ごしたという経験は、同じルーツを持つ日本人として驚きと発見の連続でした。ある時、日系3世、4世となる子どもたちに日本について聞いたところ、「お爺ちゃんとお婆ちゃんが生まれた国」とか「いつか行きたい国」という答えが返ってきました。そうかと思えば、日本語のことを聞くと、英語と同じような位置づけの外国語ではないと言います。国籍や民族では表現することができない、彼らなりのアイデンティティがあることを知りました。

また、桜を通して気づかされた印象的な出来事もありました。私の任地には、毎年9月ごろに満開になる桜がありました。日本から苗を運んだということもあり、コミュニティのお年寄りはお花見をとても楽しみにしていました。私も日本の反対側で見る桜に感激しましたが、心を動かされる感覚が日本で桜を見る時と少し違っていたんです。日本で桜が咲く3月、4月は、進学など節目の時期でもありますよね。私にとって桜は、そんな節目に抱く喜びや寂しさを重ね合わせて見てきたものだったんです。こうして同じ桜を眺めているのに、一緒に思いを分かち合える人はいないんだと思ったら急に日本が恋しくなってしまいました。

現在、私が担当している事業の対象者は、外国につながる子どもとその親たちです。彼らにもアイデンティティに紐づく情緒があり、私たちが知らないところで不安やもどかしさを抱えているはずです。日本語を知っていれば日本での暮らしは楽になりますが、彼らが母語や母国文化に誇りを持てる環境がなければ生きやすい社会とは言えません。これは、日系社会ボランティアに参加する以前の私には分からなかったことです。ブラジルでの経験は、私を大きく成長させてくれました。2年間の経験を活かし、これからも自分にできることを見つけていきたいと思います。

※このインタビューは、2022年9月に行われたものです。

財団職員で日本語教育担当の浦添未来さん財団職員で日本語教育担当の浦添未来さん

PROFILE

公益財団法人福岡よかトピア国際交流財団
設立:2014年
所在地:福岡県福岡市博多区店屋町4−1
事業概要:アジア太平洋博覧会-福岡’89を記念する事業、市民の国際交流を促進する事業、在住外国人及び外国人学生を支援する事業、グローバル人材を育成する事業
協力隊経験者:1人(2022年9月現在)
HP:https://www.fcif.or.jp/
一覧に戻る

TOP