日本精機株式会社信頼関係づくりに長け
相手の懐に飛び込める
青年海外協力隊経験者

  • グローバル人材の育成・確保

修理用エンジンバルブメーカーの日本精機株式会社は、大阪の下町で60年以上も続く町工場だ。中南米、東南アジア、中東の開発途上国を中心に製品のほぼ100%を輸出しており、同社が展開する「DOKURO」ブランドは海外で高い知名度を誇る。「エンジンバルブのデパート」と称される同社は、今後の事業戦略を見据え、2013年に初めて青年海外協力隊経験者を採用した。協力隊出身者に期待することは何か、また、現在の活躍ぶりなどについて、代表取締役社長の髙橋祐子(たかはし・ゆうこ)さんに話を聞いた。

今後の戦略を支える人材を探していた

日本精機株式会社は、戦後間もない1949年に私の父が創業した会社です。当初は日本の自動車メーカーの下請けをしていたのですが、開拓精神が旺盛だった父は海外の修理部品市場向けに自社ブランド「DOKURO」を立ち上げ、エンジンバルブの製造を始めました。それから今日まで、もう60年以上もエンジンバルブ一筋で事業を続けています。修理部品の市場というのはあまり広く知られていませんが、私たちが世界中を走る日本の自動車を支えてきたと自負しています。

現在、取引をしている国はマレーシア、グアテマラ、パナマ、サウジアラビアなど70カ国以上に上ります。これらの国々では、古いもので約40年前に製造された日本の車が走っているのですが、例えばサウジアラビアならトヨタのハイラックスが多いなど、国によって普及している車種はさまざまです。また、顧客も個人経営の小さな修理工場から比較的規模の大きな整備工場や部品の問屋まで、実に幅があります。そのため、それぞれの国や顧客の事情に合わせて、扱っているエンジンバルブの種類は約2,000種類にも上り、また20本ほどの小ロットの注文にも対応しています。当社は、いわば「エンジンバルブのデパート」というわけですが、まさにこれが当社の戦略です。また、製造から販売までを一貫して自社で行っているのも当社の特徴です。

例えば、グアテマラと取引をしているというと、「そんな小さな国の会社を相手にして儲かるのか」と不思議がられることがあります。でも、大企業が多く進出しているような大きな市場で中小企業が戦うのはとても厳しいのです。それに、たとえ市場は小さくても、多くの小さな国で多くの企業と取り引きする方がリスク分散にもなります。

私たちのような中小企業は、小規模でもこうした独自性のあるビジネスモデルを確立していくことが大切です。また、対象とする市場や国、地域は時の流れとともに少しずつ変化しているため、それをキャッチアップしていく人材が必要なのです。

代表取締役
髙橋 祐子さん

日本精機株式会社が製造・販売するエンジンバルブ。その種類は2,000以上と、世界中からのオーダーに応えている

活動報告を聞いて感じた魅力

「変化する市場をキャッチアップしていく海外営業」というと、何やら上品なスーツに身を包み、ビジネスバックを手に海外を飛び回るかっこいいビジネスマンのようなイメージを持たれてしまうかもしれません。しかし、当社の営業は、決してそのような華やかで美しい世界ではありません。営業部に若手を入れたいと考えていた私は、たまたま面識のあったJICAの職員に開発途上国の中古車市場について話を聞きに行ったとき、「自動車整備の協力隊経験者がいたら紹介してほしい」とお願いしたのです。

フランス語圏やスペイン語圏の開発途上国では、英語が通じないお客さまも多く、いくら英語が流暢でも、それだけで簡単にモノを売ることはできません。取引先の90%以上がオーナー会社なのですが、このオーナーの心をいかにつかめるかが商談成立のカギを握っているのです。当社にとって理想の人材とは「相手のことを尊重し、その懐の中に入っていける人」「海外市場を開拓してやろうという根性のある人」「先進国がすべてではないという価値観を持っている人」。自動車整備をやっていた協力隊経験者を紹介してほしいとお願いしたのは、こうした理想を兼ね備えているのではないかと考えたからです。

しばらくしてから、ぴったりの人材がいると紹介されたのが、元青年海外協力隊員の齋藤康幸(さいとう・やすゆき)さんでした。トヨタの整備工場で働いていた経験を生かして、エルサルバドルの高等専門学校で自動車の整備技術を教えていた人物とのこと。ちょうど神戸にあるJICA関西で彼の活動報告会があるというので聞きに出かけたところ、明るくて人当たりもよく、一目で気に入りました。この「気に入った」という感覚はなかなか説明しづらいのですが、何か人を惹きつける魅力を感じました。後日会社に来てもらう約束を取り付け、そこからとんとん拍子に話が進み、彼の入社が決まりました。

齋藤さんには今、得意のスペイン語を生かして中南米地域の営業を担当してもらっています。具体的な業務としては、メールなどでのやり取りはもちろん、日本を訪れる顧客のアテンドのほか、中南米諸国での営業活動などをやってもらっています。当社と取引のある約70カ国の半分は、中南米のスペイン語圏です。これまでは、間に通訳が入っていたので細かなニュアンスが伝わらなくてもどかしいことも多々あったのですが、今はダイレクトに話ができているので、交渉がとてもスムーズになりました。

2014年の初出張でペルーに行ってもらったときは、齋藤さんから「現地の修理工場関係者を対象に修理方法を解説するセミナーを開いてはどうでしょう」という提案がありました。エンジンバルブの着脱作業を実演しながら説明するセミナーを企画して告知したところ、200人もの人が集まってくれて大変好評でした。彼が話すスペイン語もとても流暢だったと聞いています。

グアテマラから来日した顧客にエンジンバルブの製造工程を説明する齋藤さん(写真左)

アフリカや中央アジアの市場開拓にも期待

正直に言うと、営業経験のない齋藤さんを営業職として採用することは、私にとってもチャレンジでした。もしかすると、協力隊経験者ではなく、営業経験が豊富な人材を採用した方が手っ取り早かったかもしれません。でも、今のようにモノがあふれ、海外の格安メーカーも含め競争相手が多い中で生き残っていくためには、ただ品質が高いモノを作るだけでなく、何らかの付加価値が必要です。相手の声に耳を傾けながら丁寧にニーズを掘り起こし、付加価値を見出していかなければなりません。

先ほど紹介したペルーでのセミナーがその一例だと思います。品質の高い部品もさることながら、修理の方法や技術を学べることが現地の技術者にとって会場を訪れる動機となり、大勢の人を集め、結果としてセミナー終了後の商談会も大いに盛り上がったのです。こうした途上国側のニーズに敏感になれるのが、協力隊として、しかも自動車整備士としての活動経験を持っている齋藤さんの強みなのです。

今年2016年の5月には、協力隊として活動したエルサルバドルに出張してもらったのですが、現地の旧車愛好家クラブのイベントに招待されて、参加したそうです。大歓迎を受け、さらにエンドユーザーである現地の人たちに自社製品をアピールすることができ、新たなつながりができました。そこから何かおもしろいビジネスが生まれるのではないかと期待しています。

また当社としては、新たな市場としてアフリカや中央アジアの国々にも目を向けています。小さい国、小さいマーケットのニーズを丁寧に拾って新しいビジネスにつなげていける人材として、今後も協力隊経験者に注目していきたいと思います。

今年2016年5月にエルサルバドルで新規の顧客の獲得に動く営業部長の浦本さん(写真左から2番目)と協力隊経験者の齋藤さん(写真左端)

JICAボランティア経験者から

これまでの経験を高く評価してくれたことが入社の決め手に

トヨタの自動車整備工場で働いていた時、同僚から青年海外協力隊に参加して自動車整備という職種で活動していたという話を聞いたことがきっかけとなり、協力隊に応募しました。私も以前から海外で働いてみたいと思っていましたし、30歳を過ぎたころでしたので、年齢的にもこの機会を逃すべきではないと考えたのです。

派遣されたのはエルサルバドルの地方都市にある高等専門学校で、自動車整備科の教師として2011年1月から2年間、活動しました。初めはスペイン語もあまり話せず、専門用語も多く飛び交う中で、同僚の教師や生徒と意思疎通を図るのに苦労しました。それでも、一緒に過ごす時間をなるべく多く持つことで、語学力の向上と信頼関係を築けるように努力した結果、少しずつ語学も上達していきました。

エルサルバドルに行く前は、日本式の高度な自動車整備技術を教えるのが私の仕事だと考えていました。ところが、いざ行ってみると整備技術以前に、整備工場内の整理整頓がまったくできておらず、また作業中の安全に対する認識も欠けているなどの問題があることが分かりました。そこで、駐車場の草刈りをしたり、通路をふさいでいた物をよけて通りやすくしたり、工具類を使いやすく分類して配置したりと、いわゆる日本の工場では当たり前とされている5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)を徹底することから始めました。少しずつですが、作業効率も安全に対する認識も向上し、生徒たちはもちろん、同僚の教師たちにも5Sの大切さを理解してもらえるようになりました。

年間を通じて30℃以上と気温が高いエルサルバドルから、日本へ帰国したのは真冬の1月でした。ウインタースポーツが好きな私は、2シーズンぶりの冬を満喫していたこともあり、就職活動はスロースタートでした。あっという間に初夏を迎えてしまい、そろそろ真剣に就職先を探さなければと考え始めていたころ、神戸市にあるJICA関西で協力隊での活動を発表する機会がありました。そこで出会ったのが当社の髙橋祐子社長でした。わざわざ自分に会いに来てくれたことに感動したのを覚えています。後日、面接に伺い、採用してもらえたことは幸運でした。

私が日本精機株式会社を就職先として選んだのは、日本の自動車整備工場で働いていた経験、そしてエルサルバドルで自動車整備の隊員として活動してきた経験を高く評価し、熱心に口説いてくれたからです。もちろん、まったく経験のない営業という仕事に不安もあったのですが、「挑戦してみよう」と前向きに考えることができました。協力隊経験を通して得たものの一つが、この臆することなく新しいことを始められる「チャレンジ精神」だと思います。

今後の目標は英語力を磨くことです。実は、入社後の初出張となったペルーで開催したセミナーは、慣れたスペイン語でしたのでとても上手くいったのですが、その後に立ち寄ったシンガポールとマレーシアでは英語力が不足していたため、なかなか思うように説明ができませんでした。スペイン語に加え、やはり英語も業務で使えるレベルにしていかなければならないと考えています。そしてもう一つの目標は、一人で海外出張に行って新規の顧客を開拓していくことです。今はまだ、営業部の浦本部長と二人で海外を回っている状況ですが、一日も早く独り立ちをして、営業部長の右腕として活躍できるよう頑張りたいと思います。

エルサルバドルの高等専門学校で自動車整備の隊員として活動した齋藤さん(写真左端)

PROFILE

日本精機株式会社
設立:1949年
本社所在地:大阪市生野区中川5-13-5
事業内容:エンジンバルブ製造、販売
従業員:50人(2016年5月現在)
協力隊経験者:1人(同)
HP:http://www.enginevalve.co.jp/japanese/
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