株式会社コーエイリサーチ&コンサルティング社会経済分野の課題解決に貢献する
プロフェッショナル集団

  • グローバル人材の育成・確保

開発コンサルタント事業を専門とする株式会社コーエイリサーチ&コンサルティングは、2017年に株式会社コーエイ総合研究所とシステム科学コンサルタンツ株式会社が経営統合して誕生した。総合建設コンサルタントである日本工営株式会社(以下日本工営)のグループ会社として「志と創造力」を理念に掲げ、開発援助における経済開発分野・社会開発分野におけるコンサルタント事業のほか、国内の地方自治体の行政計画策定や行政マネジメント・市民参加の事業運営支援などにも取り組んでいる。開発コンサルタント(以下開発コンサル)の採用に関わってきた人事・総務部長の秋谷真琴さんに、JICA海外協力隊経験者への期待について話を伺った。

高い専門性が求められる開発コンサルタント
即戦力として期待される協力隊経験者

弊社は、日本工営株式会社(以下日本工営)が100%出資するグループ会社の一つです。1946年に設立した日本工営は、総合建設コンサルタントとして高い専門性と技術力を以って社会に貢献してきましたが、時代の変化などに伴い、社会開発や経済開発といった、いわゆるソフト分野に関する事業ニーズが高まりました。そこで同じ日本工営グループ傘下にあって、経済開発分野に強みをもつコーエイ総合研究所と、社会開発分野で実績のあったシステム科学コンサルタンツが2017年に統合し、新会社としてスタートすることとなりました。

現在、在籍する開発コンサルは90名ほど。JICAや国際機関等をクライアントとして、世界の開発援助に貢献しています。

開発コンサルというのは、実際に現地へ赴いて、現地の行政機関やコミュニティと協力しながら、プロジェクトを成功に導く仕事です。開発途上国には当然日本とは異なる文化、思想、制度、課題があり、日本のやり方をただ持ちこむだけでは、何事も上手くいきません。このため開発コンサルには、開発援助や該当分野に係る専門性はもちろん、高いコミュニケーション能力、そして開発途上国での生活や実務経験に基づく先方国に対する深い理解が必要となります。
その点で、開発途上国で実務経験を積んだJICA海外協力隊経験者は、貴重な人材であると考えています。

人事・総務部長の秋谷真琴さん人事・総務部長の秋谷真琴さん

求められるのは社会課題への志向性
協力隊はその通過点ではないか

日本と海外を頻繁に往復している開発コンサルですが、異なる国のプロジェクトを複数担当する場合もあるため、日本に帰ってきた数日後に別の国へ向かうということも少なくありません。決して楽ではない開発コンサルという仕事に対してポジティブに捉えていくためには、国際協力や開発援助に対する強い志が必要です。協力隊活動が、現地の人とともに目の前の課題を解決していくことが目的の一つであるとすれば、開発コンサルの仕事は、課題となっている社会構造そのものを対象としています。したがって解決のための方法や成果に伴う社会的インパクトの大きさはそれぞれですが「その国の人々ともに、社会課題を解決したい」という気持ちや嗜好性は共通だと思います。協力隊を経て開発コンサルにたどり着く方が多いのも納得できますし、そのマインドは非常に大切なものであると感じます。

また採用の観点からいえば、協力隊における職種が必ずしも自分の専門性と直結している必要はありません。志を持って国際協力の世界にチャレンジしたこと、そこで一定の成果を残したということが大切だと考えています。泥だらけになることを厭わず現地に飛び込んだこと、またこれからもそうであろうとする気概に、協力隊出身者ならではの頼もしさを感じます。

開発コンサルと話していると、小学生や中学生のころに、世界で起きているさまざまな課題や現実に大きな衝撃を受け、それがこの道に入るきっかけになったという話をよく聞きます。だからといって全員が最初から国際協力や開発援助に直結する仕事をしていたわけではなく、バックグラウンドもキャリアパスも十人いれば十通りで、これが近道や最善だというものはありません。むしろ開発コンサルとは全く関係がないと思っていた仕事や経験が、後になって自分の強みとしてじわじわと効いてくる、そんなことも多いのではないでしょうか。

つまり開発コンサルは、様々な経験を確実に自分のものにしてキャリアをつなぐことが出来ている、自らのキャリアは自ら切り開くという強い意志を持つことが出来る人たちだということです。協力隊経験もその一つ、社会課題を解決するという強い志をもち、そのために向上心を失わず学び続けられる人が、開発コンサルに向いているということなのかもしれません。臆することなく広い世界に飛び出し、自分の可能性を切り開こうとしてきた協力隊経験者の方々には、是非、開発コンサルという仕事にもチャレンジして欲しいですね。

JICAボランティア経験者から

コンサルティング事業部 主任コンサルタント 田島健二さん
(モンゴル/養護/2003年度派遣、ザンビア/養護/2006年度派遣(一般短期))

特別支援教育から平和構築へ
社会経済領域でつないできた経験

開発コンサルの間では、日本と海外を頻繁に行き来する出張スタイルのことを「シャトル型」と呼んでおり、タフでなければ務まらない仕事の代名詞にもなっています。私も現在、複数の国のプロジェクトに関わっており、A国のプロジェクトが終わった直後、B国に向かうという「シャトル型」出張をするという、慌ただしい日々を送っています。

個々の開発コンサルは、それぞれ独自の専門性を備えています。その上で、仕事をしながら少しずつ自身の得意分野を広げていくケースが多いです。私の場合は、モンゴルとザンビアでの2回のJICA海外協力隊経験と、日本での6年間の教員経験、また平和学と教育学の2つの修士号を専門性の基礎とし開発コンサルとなりました。協力隊は、2ヶ国とも養護という職種で派遣され、障がいのある子どもが通う特別支援学校で活動をしました。そこで直面した課題を自分なりに追求したいと思い、国連平和大学と国内の大学院(夜間)に通い、修士号取得に至ったという経緯です。

特別支援学校の教師と平和学は一見なんの脈略もないように思えますが、私のキャリアの流れとしてはとてもスムーズにつながっています。大学では特別支援教育を専攻していました。もともと教育に関心があったというよりも、開発援助の世界で活躍したいという思いから自分にできることは何かと考えた結果、教育学部の特別支援教育学科を選びました。その後、協力隊2回目のザンビア(短期隊員)のとき、国連のWFPが配属先となっていた隊員がおり、彼女の難民キャンプを対象とした活動を聴く中で、難民問題について関心が高くなりました。国のプライオリティとして、本当に大切なものは何か、それは平和ではないかと考えるようになり、帰国後に国連平和大学の1期生として国際平和学を学びました。なお、今従事しているザンビアの元難民支援のプロジェクトでは、前述の隊員が対象としていた難民キャンプで活動しており、10数年かけてやりたい場所でやりたいことが実現出来ています。

実際に、国連平和大学で様々な戦争・紛争の情報に触れ、平和構築のアプローチについても学びました。その中で、最も印象に残っていることは、アフガニスタンでの自爆テロ犯の80%が障がい者だったという報告です。戦争・紛争が多くの障がい児・者を生んでしまうことは知っていましたが、障がい児・者が紛争を加速させてしまっているという事実に驚愕しました。このような自爆テロを予防するには、自分のことを前向きに評価する気持ちである自尊感情の必要性を感じました。日本の特別支援学校で教員として勤務しながら、夜間で大学院に通い障がい児の自尊感情・自己肯定感について調査・研究をしました。

数年前から、平和に対する強い気持ちを持っている仲間と平和構築の研究会「#Projectぴ~す」を立ち上げました。今では実務者や研究者など、さまざまな立場の人たちが集まり、各自の実践、研究成果を発表しています。この活動がライフワークの一つになっています。おそらく私は、目の前で起こっている日常的な課題から社会課題に至るまで、それらを解決していく立場に身を寄せるのが好きなのだと思います。そういう意味では、開発コンサルも私の中では一つの通過点なのかもしれない一方、とてもやりがいを感じる仕事でもあります。

コンサルティング事業部主任コンサルタントの田島健二さんコンサルティング事業部主任コンサルタントの田島健二さん

モンゴルでの協力隊活動
専門性を深めて追及する原点に

現在、モンゴルのインクルーシブ教育のプロジェクトに関わっており、現地を16年ぶりに訪れました。協力隊時代の配属先であった特別支援学校を訪ねたり、当時の教え子にも会うことができました。彼女・彼らの元気な姿を見てホッとしましたが、何より驚いたのが首都ウランバートルの発展です!当時の配属先周辺は、首都とはいえ“モンゴルらしい”草原が広がっていましたが、今では高層ビルが立ち並び、高級車のディーラーが軒を連ねる街になっていました。

モンゴルに限らず、開発コンサルの仕事を長く続けていて感じるのは、開発途上国の目まぐるしい発展です。建物や道路などのハード面だけでなく、教育や保健医療などのソフト面でも変化を目の当たりにすると、こうしたところで私たち開発コンサルの力が活かされているのかなと感じます。モンゴルでの協力隊活動は、モンゴルの先生と一緒にクラスを受け持ち、直接子どもたちを指導することでした。大学で障がい児教育を学んだ後、ろう学校と知的障害特別支援学校で半年ほど実務経験を積みましたが、モンゴルでは全く勝手が違っていたため困惑したというのが、私にとっての最初の壁でした。

具体的な例を挙げると、文字を綺麗に書けるのに、その書いた文字が読めないという子どもが当時の配属先に多くいました。つまり、文字概念の基礎となる「モノ-音-文字」の3つの要素が結びついていないということです。そこで役に立ったのが、日本のろう学校での指導方法です。耳が聞こえない子どもたちに対して、モノの名前を書いた紙を対象物に貼って文字とものを結びつける方法です。例えば、【つくえ】という紙を、机の上に貼るということです。担当していたクラスで、モノの名前と対象物をひとつひとつつなぎ合わせ、読める文字を増やしていく指導を続けたことで、半年ほどで短い文章が読めるようになりました。

当時「文字が書けるけれど読めない子ども」という事例をインターネットや文献で調査をしても見つけられませんでした。今でも学会や書籍などで調べていますが、学習障害やディスレクシア(読字障害)といった類似事例には出くわしますが、半年で読みが大幅に改善する事例というのは見当たりません。今でもモンゴルで経験した類似事例を探しており、この追及する姿勢は、私の専門性を高める土台となっていると思います。

※このインタビューは、2022年10月に行われたものです。

モンゴルとザンビアで養護隊員として活動した田島さんモンゴルとザンビアで養護隊員として活動した田島さん

PROFILE

株式会社コーエイリサーチ&コンサルティング
設立:2017年
所在地:東京都千代田区麹町4-2 麹町ミッドスクエア9F
事業概要:
海外事業(民間セクター開発、インフラアドバイザリー/ファイナンス、ガバナンス、教育、産業人材育成、保健医療、平和構築、社会開発、建築設計・機材計画、社会保障)
国内事業(社会保障、まちづくり・地域活性化、民間企業の海外進出支援
協力隊経験者:十数名在籍(2022年10月現在)
HP:https://www.k-rc.co.jp/
一覧に戻る

TOP