群馬県甘楽町技術補完研修が育んだ協力隊と町の絆

  • グローバル人材の育成・確保

群馬県の南西部に位置する甘楽町(かんらまち)は、ユネスコ世界文化遺産に登録された富岡製糸場がある富岡市に隣接し、かつては養蚕で栄えていた。日照時間が長く、降雨量も多いことから農業が盛んで、1980年代から有機栽培を取り入れたり、首都圏に近い立地を生かして、朝採り野菜をその日のうちに首都圏のスーパーに並べたりと、先進的な取り組みを行っている。甘楽町は、町の強みである農業と村落開発をテーマとした青年海外協力隊の技術補完研修や開発途上国から来日するJICA研修員を受け入れているほか、帰国した協力隊員の起業や就農などを支援している。こうした甘楽町の「まちづくり」にJICAボランティアが果たしている役割や今後期待することなどについて、茂原荘一(しげはら・しょういち)町長に話を伺った。

協力隊経験者が甘楽町で立ち上げた「自然塾寺子屋」

甘楽町で青年海外協力隊の技術補完研修を受け入れるようになったのは、協力隊経験者の矢島亮一(やじま・りょういち)さんが、2003年に特定非営利活動法人「自然塾寺子屋」を立ち上げた
ことがきっかけでした。

青年海外協力隊の技術補完研修とは、選考試験に合格し隊員候補者となった人たちに出発前の期間を利用して、現地で役立つより実践的な知識や技能を補完するために行われているものです。

矢島さんは1999年から2年間、中米パナマで村おこしに携わった経験を生かして、開発途上国と日本の農村をつなぎ、地元である群馬で地域を活性化しようとしていました。当時、甘楽町の産業振興課長だった私はこの話に共感し、すぐに拠点となる古民家を紹介しました。ちょうどそのころ、甘楽町は全国で進められた「平成の大合併」騒ぎに揺れていました。自立の道を模索している中で、甘楽町で何かやりたいという若者が役場を訪ねてきてくれたことが、とても嬉しかったのを覚えています。

この「自然塾寺子屋」が甘楽町にできてから、これまで青年海外協力隊の技術補完研修に参加した方は500人以上、その他に実施しているJICAの研修員受入事業で受け入れた開発途上国の方も400人近くに上ります。

技術補完研修でも研修員受入事業でも、毎回必ず受講者全員で町役場に来てくれて、甘楽町で学んだことや感じたことなど、いろいろな話を聞かせてくれます。そうした話の中で、われわれがあたり前と思っていたことが、実は甘楽町の良さなのだと気づくことがあります。また、農作業や農産品を使った加工品づくりなどの研修で受講者を受け入れている農家や農協、地域の人々にも大きな刺激を与えてくれています。

群馬県甘楽町長
茂原 荘一さん

協力隊の技術補完研修は地元の農家が受け入れ先になっている

農産物を使った加工品をつくる研修の講師は、地元婦人会の女性たちだ

技術補完研修に参加した協力隊が「Iターン」

甘楽町で技術補完研修を受けた協力隊の中に、海外での活動を終えた後、甘楽町出身ではないにもかかわらず町に戻ってきて根付く人が続出しています。

例えば、モザンビークで野菜栽培の指導をしてきた宮城県出身の高野一馬(たかの・かずま)さんは、帰国後、「甘楽町一の豪農になる」と移住してきてくれました。町では、農業に適した立地にある一軒家を紹介したほか、地域の気候風土に合った農業を教えてくれる農家の方も紹介しました。それから7年ほど経ち、農業は軌道に乗ってきているようで、今後は法人化して地域の雇用に貢献していきたいと頑張っています。また、ネパールで村落開発に携わっていた東京都出身の浅井広大(あさい・ひろお)さんは、帰国後に「寺子屋」で働き、2016年度から「地域おこし協力隊」として、ここ甘楽町で観光振興に取り組んでくれることになっています。浅井さんは、かつて富岡製糸場を支えた甘楽の養蚕文化を復活させ、それを観光の目玉にしようと考えているようです。

そしてもう一人、ホンジュラスで現金収入の確保や保健衛生の向上、家族計画の推進といった女性グループの生活改善に向けた活動をしてきた京都府出身の森栄梨子(もり・えりこ)さんは、甘楽町で研修を受けたホンジュラス人と協力隊の活動中に知り合い、甘楽町の話を聞いたのがきっかけでここに移住してきました。彼女は今、「寺子屋」で協力隊の技術補完研修やJICAの研修員受入事業のほか、地域の人たちとともに、ここ甘楽町の振興に取り組んでいます。

協力隊の活動を終え帰国した高野さん(写真左)は、甘楽町に移り住み農業を営む

協力隊と目指す“甘く楽しい町”づくり

2012年には、私自身が「青年海外協力隊事業理解促進調査団」の団員としてマラウイを訪問する機会があり、「寺子屋」の卒業生が活動する現場を見てきました。視察した小学校では、教室に入りきれない子どもたちが、炎天下の中、屋外で勉強していたのですが、そうした状況でも子どもたちは目をキラキラと輝かせていたのが印象的でした。協力隊の方々も同じで、電気も水道もない厳しい環境の中でもいきいきと活動する姿に、たくましさを感じました。

現地の人々が、行く先々でわれわれを温かく迎えてくれたことは、協力隊が現地の地域社会に受け入れられていることの表れであり、帰国後に甘楽町で活躍する協力隊経験者のルーツを見たような気持ちになりました。「その国、その地域の人々の力になりたい」という協力隊の方々が共通して持っている精神は、さまざまな課題を抱える日本の地域社会にとっても貴重なものだと思うのです。

私は「甘楽町はどういうところですか」と聞かれると、活気があり、みんなが安心・安全に暮らせる「甘」くて「楽」しい「町」ですと、理想を込めて答えています。

技術補完研修で甘楽町を訪れたことがきっかけで生まれた協力隊と町の絆を、今後も大切に育てていきたいと考えています。そして、帰国した協力隊の方々がその経験を発揮する場として甘楽町を選んでくれるよう、行政としてできる限りの支援を続けていきたいと思います。

甘楽町で技術補完研修を受講したマラウイ派遣隊員の活動を視察する茂原町長

PROFILE

群馬県甘楽町
人口:13,536人(2016年1月末現在)
世帯数:4,783世帯(2016年1月末現在)
町役場所在地:群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡161-1
HP:http://www.town.kanra.lg.jp/index.html
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