宮崎国際大学宮崎から世界へ羽ばたけ!
グローバル人材を育てる「宮崎国際大学」

  • グローバル人材の育成・確保

宮崎国際大学は、リベラル・アーツを学ぶ高等教育機関として1994年に創立。「礼節・勤労」を教育理念とし、少人数による徹底した授業と学生サポートが充実しているのが特徴。国際教養学部のグローバル・リベラル・アーツコースでは、ほぼ全ての授業が英語で行われ、外国人教員比率は国内大学の中でも群を抜くなど、グローバル人材育成に力を注いでいる。教員や職員にはJICA海外協力隊経験者がいるほか、授業内でもJICAとの連携が進んでいる。「宮崎県青年海外協力隊を支援する会」の副会長でもあり、2021年4月から本学の学長を務める村上昇さんに、協力隊経験者への期待について話を伺った。

生きた学問を伝えてほしい
JICA職員や協力隊経験者への期待

リベラル・アーツとは直訳すれば一般教養であり、ともすれば掴み所のない学問と思われるかもしれません。私たちは国際大学として、グローバル社会で活躍できる人材を育成しています。そのためには、基礎的な語学力に加えて、表現力や発信力が不可欠です。メタ認知機能を高め、思考力や創造力などの非認知能力を涵養するための学問として、リベラル・アーツを採用しています。また、本学は国際教養学部と教育学部の2学部だけで構成されていますが、両学部とも少人数教育を推進しています。学問とは知識を蓄積することだけでなく、考え方を育てることでもあります。人数が少なければ、先生の世界観に直接触れることになるので、学生も自らの物事の捉え方を養うことにつながります。学生が世間に出た時に、机上の学問が通用することは稀です。新卒後の離職率が高いと言われていますが、こうしたことが原因かもしれません。ですから、本学では、実務家教員も採用し、生きた学問を学生たちに伝えるよう努めています。

実践的な教育の実施策として、JICAとの連携があります。JICA九州とは2014年にインターシッププログラムを締結し、毎年1名をインターン生として受け入れてもらっています。また、国際教養学部の必須科目である「キャリア・デザイン」においては、JICAから講師を招いてODA事業のリアルな現状についてお話しいただきました。将来的には、単位取得できるような継続的なコースが実現できたら良いですね。

私は長きに亘り教員をしてきました。その中で確信したのは、クローズドな机上の学問だけではもはや世界に追いつけないということです。日本に暮らす私たちの多くは、与えられたものを自由に選択できる社会で生きています。それが当たり前ではないことを知らずにいると、人は思考停止に陥りかねません。与えられる社会から、自分が与える社会へと意識を切り替えることが大切です。例えば、災害時に物資がなくなったとしたら、誰かに不満をぶつけるのではなく、どうしたら良いかを考えて行動する側に立つということです。こうした視点が現在の教育には欠けていると感じています。すなわち、知育偏重ではなく、さまざまな角度から思考し、最も効果的な方法を選び出す力を教育で育てて行く必要があるということです。

そうなると、こうした教育をどの時期にやるかということです。一つは幼児教育。本学母体の学校法人宮崎学園が運営する幼稚園では、“生きる根っこを育む保育”を実践しており、未来へのはじめの一歩の場所として、教員は子どもたちに主体性を仕向けるサポーターという役目を担っています。そしてもう一つは、社会に出る一歩手前の時期。ここに本学の教育の狙いがあります。やや学術的な話になりますが、人間の脳には大脳辺縁系という部分があり、思春期になると冒険心や探究心を司る側坐核が旺盛になり、また海馬や偏桃体の記憶や感情も爆発的に活発になります。いわゆる脳の思春期爆発と言われる現象です。学生たちがこの時期を無駄にすることなく、大いに学んで楽しむことを全力で応援するのが教員の務めです。リスクを恐れず大きなことにチャレンジできる貴重な時期。せっかくですから、学生たちにはどんどん外に飛び出して行ってほしいです。20歳から参加できる協力隊も選択肢として良いですね。個人的には、休学してJICA海外協力隊に参加したいという学生がいたら、喜んで送り出したいと思います。

学長の村上昇さん学長の村上昇さん

大らかさを育むJICA海外協力隊
参加者の成長ぶりに驚く

私は、現在「宮崎県青年海外協力隊を支援する会」の副会長を務めています。本会は、いわば
“協力隊の応援団”で、主に宮崎県にゆかりある隊員の出発時の支援や帰国後の就職活動などをサポートしています。私の50代の頃になりますが、教え子が青年海外協力隊に参加したことがありました。彼女が活動を終えて戻ってきた時、あまりの成長ぶりに驚き、青年海外協力隊経験が人を育てるということを初めて知りました。それから私はずっと協力隊を応援しています。若い時に協力隊と出会っていたら、迷わず自分も参加していたと思いますね。

長年、帰国した隊員のみなさんを見ていて思うのは、とても大らかな性格だということです。本学では2名の協力隊経験者が働いていますが、彼らに共通しているのは、ゆっくり考えて答えを出すという点です。おそらく協力隊の活動というのは、すぐに答えが出せない場面が多くあるのではないでしょうか。そのことによって自ずと、周りの状況をじっくり観察しながら的確な答えを導く力が養われたと想像しています。協力隊経験者ならではの能力や強みだと思うことの一つです。ところで宮崎県には、焦ってやっても仕方がないことを諭す言葉として“てげてげ”という方言があります。「ほどほどに」「そこそこに」という意味です。こうした表現が世界、特に協力隊が派遣されるような南方系の民族に共通しているのは面白いですね。学生たちにはぜひ、大らかに生きることを知ってほしいと思います。

JICAボランティア経験者から

教育学部 児童教育学科 教授 渡邊 耕二さん
(エクアドル/数学/2005年度派遣)

なぜ基本的な問題が解けないのか
目の当たりにした数学教育の格差

私は、地元の大学院で数学を専攻し、修士(理学)を取得しました。身に付けた数学と教員免許を生かそうと思い、数学の教員を目指しました。ですが、教員採用試験は思うようにいかず、将来を模索する日々。そんな中、地元を離れて経験を積みたいと思うようになり、協力隊参加を決意しました。

2005年、エクアドルに数学教師として派遣され、学校の教育改善を任されました。教員経験はほぼ未経験でしたが、着任早々、現地の人たちから尊敬の眼差しを向けられたことに驚きました。それは、エクアドルには数学の修士号や博士号を持っている人がほとんどいないためでした。そのようなこともあり、同僚のベテラン教員が若い私の話を熱心に聞いてくれたことにとても救われました。

私が担当した学校は、首都キト市にある市立の8つのモデル校。モデル校ということもあって、教育体制も整っており、学年が進むにつれて、数学の学力も向上するはずでした。しかし、高学年でも基本的な計算ができない状態に目を疑いました。また、子どものそのような実態に同僚や教員が気づいていないことにも驚きました。同僚と授業を見学したとき、簡単な分数の計算ができない子どもたちをみた教員が「こんなにできないのか」と知り落胆している様子に、私が落胆したことを覚えています。数学の教科書の内容は決して簡単ではなく、むしろ高度なレベル。それにもかかわらず、基本的な計算ができないのはなぜだろうと、赴任当初は不思議で仕方ありませんでした。

しばらくして、低い学力の理由がみえてきました。数学の得意不得意はセンスに依るようなところもあります。エクアドルにも高いセンスの子どもがいます。教える内容が複雑ということもありますが、教師はセンスある子どものみに注目し、全体として子どもがどれだけ理解したか、に目を向けることはほとんどありませんでした。このようなこともあり、私の隊員活動は、算数・数学の指導よりも、同僚や教員に子どもの実態を十分に把握することの重要性を伝えることにシフトしました。

エクアドルで数学隊員として活動した渡邊さんエクアドルで数学隊員として活動した渡邊さん

気づかされた日本の教育レベル
教員の卵たちに伝えたいこと

帰国後は、地元の中学校と高校で数学の教員として勤務しました。しかし、協力隊での経験から、開発途上国の理数科教育について学び、教育の質的向上を目指したいと思い、国際協力系の大学院に進学しました。博士号取得後は、本学に着任し、現在は教育学部にて、小学校教員を志望する大学生に理数科教育を指導しています。

教員採用試験のハードルは、私が学部生だった頃と比べると低くなっています。教員の長時間労働などが問題視されますが、私は教員が教科指導だけでなく、さまざまな場面で子どもと向き合うことこそ本質的な教育活動である、と感じています。日本の学校教育では、教員が子ども一人一人をよく観て、算数や数学を苦手な子どもに個別指導をしていきます。このような個別指導は、エクアドルではほとんど見られなかったものです。エクアドルに行ったからこそ、日本の教育の素晴らしい点に気付くことができました。教員の仕事に対する捉え方は様々ありますが、教員志望の大学生には、「あまり先入観にとらわれず、まずは飛び込んでみる」ことを伝えたいと思っています。教員という仕事のやりがいや楽しさを伝えていくことも、私の役目だと思っています。

余談ですが、一般的には、ひき算をしてお釣りを計算するはずです。途上国にありがちですが、例えば、600円のものに1,000円払ったお釣りを計算するとき、1,000円になるまで100円を足していき、足した分がお釣りになるというように、たし算でお釣りを計算することがあります。この場合、値段と支払われた金額の差額というお釣りの意味とは少し離れた計算になってしまいます。また、お釣りの意味は差額であるため、差を捉えるという比較という感覚がそもそも根底にあります。小さいことかもしれませんが、具体的な計算の前提となる感覚の程度が数学力の差となって現れてくるのではないか、と予想しています。

エクアドルの経験から、日本の算数・数学教育の繊細さに気付くことができました。また、エクアドルでも日本でも、キラリと光る子どもは“よく考える”という共通点があります。日本の子どもの学力は低下していると言われますが、“さらによく考える”子どもが増えるように、今後も日本と途上国の算数・数学教育に関わっていきたいと思っています。

大学は社会に出る一歩手前、教育の最終段階です。大学生には、自主性を持って学び、社会に羽ばたいてほしいと考えています。しかし、自主性という言葉は、妥協を許容してしまうという面もあるかもしれません。隊員の経験から、基本的な計算を身に付けるためには、教育が不可欠であることを学びました。ときに厳しく、学生にとことん向き合い、本当の意味での自主性に火をつけるような大学教員でありたいと思っています。

※このインタビューは、2022年9月に行われたものです。

教育学部児童教育学科教授の渡邊耕二さん(右)教育学部児童教育学科教授の渡邊耕二さん(右)

PROFILE

宮崎国際大学
設立:1994年
所在地:宮崎県宮崎市清武町加納丙1405
学部・大学院:
・国際教養学部比較文化学科
・教育学部児童教育学科
・国際教養研究科修士課程
協力隊経験者:2人(2022年9月現在)
HP:https://www.mic.ac.jp/
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