三木プーリ株式会社社内改革を自らリードする社長と
社内活性化を牽引する
JICA海外協力隊経験者がいる会社

  • グローバル人材の育成・確保

神奈川県川崎市に本社を構える三木プーリ株式会社。高度経済成長期前に創業し、今では世界有数の動力伝動機器メーカーに成長したグローバル企業で、現在3名のJICA海外協力隊経験者が活躍している。入社からもうすぐ10年目を迎える協力隊経験者の清水恵子さんは、人事担当としても協力隊の採用に関わってきた。同じく清水さんが採用に関わり、他の協力隊経験者とも交流があるという経営企画部の濱崎裕佳里さんとともに、同社のグローバル展開の拠点である座間市のテクニカルセンターで話を伺った。

社長をファーストネームで呼んでOK!
創業時の想いを守りながら新しい風を入れていく

当社の前身は三木製作所といって、昭和初期に神奈川県川崎市で創業した小さな町工場です。ベルト式無段変速機という機械装置で特許を取得し、当時の日本の技術革新に大きく貢献しました。ベルト式無段変速機にプ-リ(滑車)が使われていることから、今の社名に引き継がれています。現在、当社の実質的な本社機能は座間市のテクニカルセンターにありますが、登記上の本社は川崎市から変えていません。創業当時の思い出がつまる地域を大切にしていきたい、という思いからだと聞いています。お客様も、その頃からお付き合いしているところが多く、今もメンテナンスを繰り返しながら当社の製品を使い続けてくださっています。

日本がちょうど高度経済成長期に差し掛かった頃、当社ではアメリカ企業との技術販売提携がスタートしました。そこから欧米を中心に海外向けの販路を拡大。機械装置を作っていた小さな町工場が、わずか四半世紀でグローバルな組織になっていったのです。時代とともに求められる技術や製品も変化しますから、当社も無段変速機にとどまらずに領域を拡大し続け、現在の主力製品はカップリングや電磁ブレーキとなっています。これらは全て機械内部の装置なので、なかなか見る機会はないと思いますが、例えば、駅のホームドアのような開閉する機械に当社の製品が使われていたりします。人々の便利な暮らしの実現に当社が貢献していると思うと、とても誇りに感じますね。

いまはこのように自社の製品やアプリケーション事例を説明できますが、実は、入社するまではプーリ(滑車)すらも知りませんでした。学生の頃は、人材教育分野への就職を志望していたので、機械メーカーについて知る機会がなかったのです。それがあるとき、定着率の高い地元企業だということで当社のことが目に留まり、気軽な気持ちでインターンシップに参加。その後、プログラム中にチームでプレゼン発表した内容を社長が聞きたいと声をかけてくれ、もう一度当社にて、社長の前で改めてプレゼンをすることに。学生でしたのでとても緊張しましたが、その頃の私にとっては、とても貴重な経験となりました。こうしたこともあって、就職するなら「自分が好きになれる会社」で選ぶことも大事と思うようになり、当社への就職を決めました。今、こうして、採用担当として求職者の方に、従業員や製品の魅力をアピールできるのは好きな会社で働いているということがとても大きいです。

インターンシップ生にも気軽に接する社長ですから、社長と従業員とがフラットな関係にあるというのが当社の特徴ではないでしょうか。社長自ら従業員の輪に入っていって対話をもちかけたり、新しい試みを提案したりすることがよくあります。今まで、部長や課長は役職名をつけることはなく、名前で呼び合っていました。最近は、社長の呼び方も「三木社長」ではなく「康治さん」と呼んでいます。従業員同士の心理的距離が近くなると、困ったことや分からないことがある時、まわりの人に助けを求めやすくなります。風通しの良い風土づくりを社長が率先して実行している、そんな会社です。

経営企画部の濱崎裕佳里さん経営企画部の濱崎裕佳里さん

JICA海外協力隊の圧倒的なバイタリティ
その原動力とは

私の同期に、エチオピアに派遣されていたJICA海外協力隊の経験者がいます。実は、最初に会った時は新入社員だとは気づかず、しばらく先輩社員だと思っていました。新人研修なのにすっかり周りに溶け込んでいたんですね、圧倒されてしまいました。そういった経験から、適応力や関係構築への能力が圧倒的に高い、というのが私の協力隊経験者の印象です。

現在、当社には3名の協力隊経験者がいます。共通して感じるのは、力強いバイタリティです。先ほども述べた通り、当社は全体的にフラットな雰囲気があり、いわゆるクリエイティブを創出する土壌がすでにあるわけなのですが、それでも「まだまだ足りない」というようなことは、彼らからよく聞きます。社内の誰よりも一歩先を見ているような気がしますね。そうした姿勢が、社長が今求めているものと合致しているため、社内活性化の牽引力として期待を寄せています。当社としても、良い時期に出会うことができて良かったという感じですね。

以前、協力隊経験者たちに「そうしたバイタリティの源はどこにあるのか」と聞いたことがあります。答えは「やるからには爪痕を残さないといけない」。協力隊時代、周りに”コミュニケーションお化け”なる人たちがたくさんいたとのこと。つまり、行動力や実行力が高い人たちに囲まれていた、と。そうなると、何かしらの実績を残さなければ自分が派遣されてきた意味がなくなってしまう。だから、自分にできることを見つけて全力を尽くすのだ、ということでした。この話を聞いた時、これと同じ思いで働いているのだとしたら、当社にとってかけがけのない人材になるはずだと実感しました。

当社で最初に採用した協力隊経験者は清水恵子さんです。過去の採用実績がなく、専門性も異なる分野に飛び込んだというのは、とても勇気がいることだったと思います。個人的には、いつも背中を見て学ばせてもらっている頼もしい先輩です。協力隊経験者がいるだけでその場の雰囲気がガラッと変わる様子を肌で感じてきたので、私にとって彼らと働けることは楽しみの一つです。

現在、当社では、留学生をはじめとする外国籍の方々の採用などを増やしています。また、外国籍の従業員とともに働いたり、海外拠点で活躍できたりするような人材のグローバル化も進めています。新しいことにチャレンジしようとする社風づくりや海外市場への販路拡大など、協力隊経験者が活躍できる場所が当社にはたくさんあると思います。これからも彼らの力には期待していきたいです。

JICAボランティア経験者から

経営企画部 清水恵子さん
(ネパール/環境教育/2010年度派遣)

学生の頃からネパール一筋
協力隊で再訪して感じた葛藤

私はJICA海外協力隊の環境教育隊員として、ネパールに派遣されました。任地は首都カトマンズの隣にあるラリトプール市。市役所の環境課に所属しながら、主に地域内のNGOと一緒に活動していました。女性たちと新聞紙でエコバックを作って売ったり、韓国国際協力団(KOICA)や現地の若者が運営するNGOと協働し、小学校で環境教育授業を実施することもありました。カトマンズには世界遺産が5つあるのですが、その一つであるパタン王宮広場で環境啓発イベントなども行いました。市役所が配属先ではあったのですが、縛られることなくどんどん自分で活動場所を開拓していきました。

実は、学生時代からネパールにはずっと関わっていました。環境教育を専攻していたので、大気汚染が深刻な国であるネパールで活動を行うプロジェクトに関わり、現地の学生とのフィールド調査などの経験もすでにありました。協力隊に参加した動機は、ネパールでの活動を継続したかったというのが大きな理由です。当時、環境教育の要請は他の国にもありましたが、社会人経験のない私の強みは現地の状況を知っていて、すでに活動したことがあることでしたので、応募時はネパールしか志望しませんでした。もしネパール以外になっていたら、協力隊には参加していませんでした。

協力隊でネパールに戻ったわけなのですが、すぐに活動ができるかと思っていたら、少し違いました。わたしの前任者は、ゴミ収集車に同乗し、ゴミの最終処分場にも行って活動をしていましたが、まずは現地に慣れるという観点から、配属先の方にゴミ収集車に乗ることすら止められ、オフィスにいることを勧められてしまいました。これでは何のために来たのか分かりません。葛藤の末、自らNGOに足を運ぶなどして、活動を広げていきました。最終的には、子どもたちへの環境教育や啓蒙活動など、当初やりたいと思っていたことは果たせたので悔いはありません。

帰国後も、仕事の休みを利用して何度かネパールを訪れています。私がネパールと関わりが深いことは職場の人たちもよく知っているため、2015年にネパールを襲った大地震では、職場の皆さんが募金活動に協力してくれました。きっかけをくれたのは、社長です。当社はネパールとの取引はないのですが、会社としての支援を提案してくれました。支援物資を持ってネパールを訪問したことは、とても良い思い出になっています。

ネパールで環境教育隊員として活動した清水さんネパールで環境教育隊員として活動した
清水さん

製造業の世界で再出発
協力隊経験を活かして邁進中

私は帰国後、第二新卒の枠で当社に入社しました。人事部を経て経営企画部に勤務しており、まもなく10年目になります。今は、日本が世界に誇れる業界で働いているという自負があり、とてもやりがいを感じています。

協力隊でネパールにいた頃、日本のニュースといえば景気の悪さばかりが強調されていました。そのため、帰国したら日本が世界に誇れる強みのある分野に関わり、日本を活気づけていきたいと考えていました。一方で、グローバルに仕事をしたいと思いながらも、しばらくは実家を拠点として活動をしたいという気持ちもありました。ネパールでは家族の絆が強く、親戚を含め日々コミュニケーションを密にとるのが日常で、結婚するまで家を出ないという暮らしが当たり前のこととなっており、自然な生き方に感じられて微笑ましかったんですよね。そうした思いの丈をJICAの進路相談カウンセラーに聞いていただいたところ、当社からJICA海外協力隊経験者向けの求人があることを教えてくれました。

入社後は採用や教育を主に担当し、時には英語を用いて訪日のお客様対応や海外拠点での研修などにもかかわってきました。入社当初は技術や製品の知識がなく、教えてもらう内容をイメージすることにとても苦労しました。知らない世界に飛び込んだ、という点では協力隊に通じるところがありましたね。当社は300名規模の組織ですから、全員の名前と顔を覚えることも難しくありません。コミュニケーションがとりやすい環境を存分に活かして、問題を一人で抱え込むのではなく周りの人に聞いたり、相談するようにしています。

ネパールで、一人の力の弱さを知れたことは良い経験でした。自分の弱みは、それを強みとして持っている人に頼ればいいのです。反対に、自分が力を発揮できる点を最大限に活かして、みんなと協力して、よりよいものができる方がよいと気づきました。これらの経験から、多様な凸凹をその人の個性として受け止められている気がします。当社ではチームで仕事をしています。チームで何かを進める時、自分一人で仕事を完了させようとする事は必ずしもベストとは限りません。責任感を持つことは大切ですが、よりよいものにするためにも、周りの力をかりることも大事なことです。みんなが一歩あゆみ寄れるように、私自身も相手の立場になって、何を求めているのか考えることも心がけています。日常の様々な場面で、このように協力隊経験が活かされているように思います。

当社にいる協力隊経験者が社内にて元気で活発な印象に映るのは、相手に引け目を感じるのではなく、自身の弱みや強みを把握し、相手の方のよさを理解して接しているからではないでしょうか。当社は、協力隊経験者にとっても、とても働きがいのある会社だと思います。個人的には、将来ネパールや言語の近いインドに関わる仕事ができればと願っています。今、当社はインド進出に力を入れていますから、まずは少しずつ自身の夢の実現も進めていきたいと思っています。

※このインタビューは、2022年8月に行われたものです。

経営企画部の清水恵子さん経営企画部の清水恵子さん

PROFILE

三木プーリ株式会社
設立:1939年
所在地:神奈川県座間市小松原1丁目39−7
事業概要:伝動機器の開発・製造・販売
協力隊経験者:3人(2022年8月現在)
HP:https://www.mikipulley.co.jp/JP/
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