株式会社ミヨシグループ海外が「遠い」とも「怖い」とも思わない
地球規模の距離感覚で考え、
動ける感覚が魅力

  • グローバル人材の育成・確保

日本の優れた農産品の輸出に期待がかかる昨今、花や野菜の新しい品種を開発し、その種や苗を生産・販売する種苗業は、グローバルビジネスの先頭を走っていると言っても過言ではない。設立70年以上の歴史を持つミヨシグループは、世界中で種苗の生鮮、販売、仕入れを行っている総合種苗メーカー。自然豊かな開発途上国での生活を体験しつつ、現地での人間関係を築くのが必須であるJICA海外協力隊との相性は良く、150名ほどの社員のうち10名が協力隊経験者だ。同社の採用方針は「植物への興味があること」。そして、「明るく元気で礼儀正しいこと」。協力隊経験者ならではの特性に期待する、同社代表取締役社長の三好正一さんに話を伺った。

肉体的にも精神的にもタフな人
他人を慮る気持ちが強い人

肉体的にも精神的にもタフで、他人を慮る気持ちが強い。当社にはJICA海外協力隊の経験者が10名ほどいますが、あえて共通点を挙げればこの2点だと思います。

まずはタフさ。当社の業務は種苗の開発と育成に携わる「生産」と、それを国内外に販売する「営業」に大きく分かれます。例えば、営業担当者も生産者の温室を訪問することが多く、空調のきいた部屋でのデスクワークではありません。私たちは農業の一員なのです。温室の中は40度を超すこともざらで、猛烈な暑さの中で汗だくになりながら商談をすることもあります。タフでなければできない仕事です。

普段は休みがとれますが、この仕事には春と秋に繁忙期があります。消費者が同じ野菜や花を1年中購入できるのは、全国の生産者が時期をずらして栽培しているからです。夏場は北海道や長野などの寒冷地で作られ、冬場は九州などの温暖な地域で収穫ができます。私たち種苗会社はそれに合わせて、春と秋に納品することが多くなるのです。この時期は集中して働かねばなりません。

協力隊経験者である菊地健太郎さんたち海外営業担当者には、時差との戦いもあります。勤務時間は不規則になりがちですから、自己管理能力は必須です。精神的なタフさとも言えます。開発途上国の環境に適応して活動してきた協力隊経験者には、当社で求められるタフさが備わっているのです。

私たちのお客様は農家だけとは限りません。「種苗店」と言われる取次業者がお客様であることのほうが多いです。代表的な会社は農業協同組合ですね。また、菊池さんたち海外営業担当者は、各国にある販売代理店とのやり取りも多くなります。

お客様には立場によってそれぞれの事情があるのが普通です。繁忙期も微妙に異なります。営業担当者はそれをしっかりと理解しながら納品しなければなりません。もちろん、社内の生産担当者との調整も必要です。

営業は自分本位ではできない仕事なのです。開発途上国でのボランティア活動に従事してきた協力隊経験者の皆さんは、自分より先に他人を慮る傾向が強いようです。この特性は、当社の営業現場でも力を発揮していると思います。

代表取締役社長の三好正一さん代表取締役社長の三好正一さん

イチゴの苗で販売世界一を目指して
国内外の需要に応えるために必要な能力とは

当社はトルコギキョウ、カスミソウ、デルフィニウムなどの花卉の種苗では世界的なシェアを持っています。一方で、野菜の種苗の育成と販売も手掛けており、今後の目標の一つはイチゴの苗で世界一になることです。

イチゴは日本国内だけでも年間4億本以上の苗が出荷されています。一般に知られている品種は「あまおう」「スカイベリー」「とちおとめ」などでしょう。これらはすべて県や国、大学などの研究所が開発したものです。当社はイチゴの品種を独自開発して販売している日本で数少ない民間企業の一社であり、種子から出来るいちごを開発・販売している唯一の民間企業です。他社開発の品種と合わせた数字ですが、年間200万本以上を出荷しています。それでも、国内市場で1%のシェアも獲れていない。ということは、まだまだ伸びしろがあるということです。

コロナ禍前のインバウンド消費の影響で、「日本で食べた美味しいイチゴを自分の国でも食べたい」という需要が大きくなっています。当社のヒット品種である「ベリーポップ」には、毎日のように海外から問い合わせがくる状況です。この需要に応えるためには、各国のお客様とのコミュニケーションを密にして、売り逃しなどがないようにしなければなりません。協力隊でスペイン語とコミュニケーション能力に磨きをかけた菊地さんには、ますます期待しています。

私自身、大学を卒業して当社に入った直後、提携先であるアメリカの種苗会社 Ball Horticultural Companyに出向させてもらいました。花卉では世界トップの種苗会社です。最初はメキシコ人労働者たちと一緒に農作業をして、最終的には大規模な展示会の準備にも携わらせてもらいました。当時から社員一人一人にパソコンが支給され、経営から現場まですべて合理的に管理されていて、毎日が驚きの連続でした。

すでに30年近く前のことですが、アメリカでの3年間が私の人生を変えました。大げさに言えば、世界規模で物事を考えながら、発想して行動できるようになったのです。先日もオランダに出張してきましたが、海外が遠いとも怖いとも思いません。国内出張とほとんど変わらない感覚です。開発途上国で2年間、現地の人たちと同じ目線で活動してきた協力隊経験者の皆さんも、同じような感覚なのではないでしょうか。

地球規模の距離感覚で考えて動けること。世界の種苗会社と伍していきたい当社では、大いに活躍できる要素であり、今後に期待していきたいですね。

JICAボランティア経験者から

海外販売部 主任 菊地健太郎さん
(ホンジュラス/環境教育/2011年度派遣、ペルー/環境教育/2012年度振替派遣)

ホンジュラスでの衝突と和解
忘れられない出来事

JICA海外協力隊には学生時代から興味がありましたが、手に職がないと参加は難しいとあきらめ、大学院卒業後は造園会社に努めました。公園などの設計と管理を請け負う会社です。15年ほどキャリアを積んでいたある時、地元の後輩が協力隊に参加する話を聞きつけ、自身の心に火が付きました。すでに39歳となっており、当時の協力隊参加年齢制限ギリギリでした。

学生時代に学んだスペイン語と15年の公園管理などのスキルを活かすため、ホンジュラスに赴任。世界遺産でもあるコパン遺跡公園を整備し、来園者を増やす提案を行うこととなりました。
赴任したからには期間内に結果を出さねばと、私は活動に前のめりになりました。日本での仕事の進め方や価値観が通じないことは頭で理解していても、自身が決めたとおりに物事が進むことはありません。猛烈なフラストレーションを抱えながら、幾度も現地スタッフとぶつかりました。

私の赴任先には娯楽もなく、テレビもインターネットもありませんでしたから、暇を持て余して数少ないスーパーマーケットに足を運べば職場の同僚と顔を合わせるような環境でした。そんな日々の中で現地の生活に慣れていくと、「和を乱してもお互いに傷つくだけだ。ここでのやり方に合わせるべきは、外国人である自分のほうではないか」と気づかされました。自分と向き合う時間がたくさんある、そんな環境に身を置けることも協力隊の良さかもしれませんね。その後は、同僚との争いも無くなり、親交を深めるまでになりました。

一方で、自分に課せられた活動は全うしなくてはなりません。広い公園敷地内には案内サイン類が圧倒的に不足していたため、型紙とスプレーを使って案内板を何十本も自作しました。そういう姿は意外とみんなに見られているもので、「頑張っているな」「手伝うよ」と案内板作りをみんなが手伝ってくれました。日本に帰国してから一度、ホンジュラスを訪問したことがあります。公園スタッフのみんなは私を覚えていてくれて「お前が作った看板、まだ活躍しているぞ」と声をかけてくれました。忘れられない出来事です。

ホンジュラスとペルーで環境教育隊員として活動した菊地さん(写真はペルーにて)ホンジュラスとペルーで環境教育隊員として活動した菊地さん(写真はペルーにて)

ペルーへの転任
アマゾンの奥地で身に着けたコミュニケーション術

ホンジュラスに赴任して1年ほど、現地治安の悪化に伴い任期途中で撤退することになりましたが、同じスペイン語圏であるペルーに任地変更して活動することが認められました。アマゾン川の上流域にある、広大な自然公園が活動の舞台です。首都から公園の管理事務所に行くには、飛行機か船を使うしかなく、何をするにも日本の感覚や常識が通用しないことを、あらためて痛感しました。

国立保護区に周遊ルートを設置して観光誘致を計画しましたが、インフラ整備が整わず断念。そんな中、隊員活動として成果を残せたのが環境教育でした。
アマゾン川沿いの集落は環境意識があるとは言えず、瓶や缶などの現金化できるもの以外は、プラスチックも含めて川に投げ捨ててしまいます。それでは環境が悪化し、自然豊かな観光地としての魅力も薄れてしまいます。私は、現地の小中学校やコミュティセンターで日本の環境問題の実例を紹介し、住民に環境保全の重要性を訴えながら、外国人の視点で現状の印象や意見を伝える活動を始めました。「アマゾンの奥地に変わった日本人がいる」そんな陰口を言われたこともありましたが、アマゾンの多様な自然環境の保全に少しでも貢献したいと、必死だったのを覚えています。

帰国後、別の造園会社での勤務を経て当社に入社しました。宿根草に強い種苗会社として造園業界では名が通っていましたし、JICAが運営する国際キャリア総合情報サイト「PARTNER」の登録企業でもあったため、協力隊経験をポジティブに評価してもらえるのではと考えたからです。造園と種苗では業種が異なりますが、同じく植物を扱う仕事なのでこれまでの経験が7割ぐらいは活かせるという見込みもありました。

実際のところ、有効な経験は良くて5割ぐらい、国内営業を通して花と野菜を学ばせてもらうという再出発でした。その後、念願の海外営業に異動することが叶い、現在は南北アメリカに留まらず中東やアジア、ヨーロッパ、ロシアまで営業をしています。種苗という生き物を扱う仕事ですから、お客様からの問い合わせには迅速な対応が必要です。時差ぼけに苦しみながらも、得意とするスペイン語圏に集中すればさらに成果を出せるはずと、闘志を燃やしています。

営業に就いて分かったのは、商品知識だけでなくお客様とのコミュニケーションも大切だということ。ラテンアメリカのお客様に私のホンジュラスやペルーでの経験は話すと、「そんなところで何をしていたんだ?」と一気に人間関係を深めることが出来ます。ビジネスとビジネス、会社と会社ということではなく、人と人としてつながれる気がします。

海外では、自分から前のめりになってコミュニケーションをしなければ誰ともつながることができません。協力隊経験で前のめりの姿勢は身に染み付いていますから、当社での業務遂行にも大いに役立っています。

最近、協力隊を志望する若い人が減りつつあると聞きました。得難い経験ができる機会だけに、もったいないと思います。もっと多くの人に、自信を持って参加してもらいたいと思っています。

※このインタビューは、2022年8月に行われたものです。

海外販売部主任の菊地健太郎さん海外販売部主任の菊地健太郎さん

PROFILE

株式会社ミヨシグループ
設立:2013年(前身となる三好商会は1949年設立)
所在地:山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3181
事業概要:切り花・鉢物・花壇・栄養野菜の品種開発、種苗生産及び国内外への販売
協力隊経験者:10人(2022年8月現在)
HP:https://www.miyoshi-group.co.jp/
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