ロート製薬株式会社知らぬ世界に一人飛び込み、
課題と人間関係を開拓した経験
企業での革新に役立つ

  • グローバル人材の育成・確保

ロート製薬株式会社といえば目薬のイメージが強いが、創業120年を超える現在では医薬品だけではなくスキンケア化粧品、機能性食品、再生医療や農業などに事業分野を広げている。実際、売上高の約6割を占めるのがスキンケア商品であり、有効成分を角膜から浸透させる技術は肌にも応用でき、「世界中に美と健康」を提供する企業へと変貌している。1988年には米国のメンソレータム社を子会社化し、1990年代以降中国、ベトナム、インドネシアなどに現地法人を設立し、海外展開を強化してきた。その大きな特徴は、日本の商品をそのまま販売はせず、社員が現地に赴き、肌感覚でニーズをつかんで商品開発・展開をしていくこと。草の根的なこの方針はJICA海外協力隊と通じるものがあり、現在4名の協力隊経験者が活躍しているという。企業と協力隊経験の合致する点はどこか、人事総務部副部長の山本明子さんに話を伺った。

90年代からの社内改革
意見を主張し自ら実行する人が多い企業

「自発性と主体性」。弊社が求める人材像のコアを端的に表現すると、このように言えると思います。何事も指示待ちではなく、自ら課題を見つけて考えながら動き、解決していく。個人が成長することが会社の成長につながり、会社が力をつければ個人が活躍する機会がますます増える―この循環をグルグルと回し続けようとしている企業が弊社です。

私が入社した1993年は、旧態依然とした制度や慣習が残っていました。しかし、現会長の山田邦雄が1995年頃から社内改革を始め、現在に至っています。例えば、様々な部署が一緒になったフロアにはパーテーションや個室がありません。部門長などの役職者のデスクは、フロアの奥ではなく通路側にあります。部門間をまたがるような問題が起きた場合、椅子を寄せ合うだけで話し合いをして迅速に解決するためです。

相手の名前は役職ではなく、ニックネームあるいは「さん」付けで呼ぶことを徹底しています。山田を「会長」と呼んだ新入社員が叱られていたこともあります。ちなみに私は「あっこさん」と呼ばれています。社内のコミュニケーションを活性化する目的で、勤務時間を使った全社員参加の運動会も定期的に行っています。昇格に関しても自ら手を上げて審査される形になっています。

このようなことを30年近く地道に続けてきたことで、風通しの良い組織風土になっています。私が入社した頃に比べても、自分の意見を主張し、自ら実行する人が増えたと感じています。

人事総務部副部長の山本明子さん人事総務部副部長の山本明子さん

ケニア、タンザニア、シリア、ベトナム
それぞれのJICA海外協力隊経験で得てきたもの

現在、弊社にはJICA海外協力隊経験者の社員が4名います。うち2名は協力隊から帰国してからの中途入社で、派遣先はそれぞれケニアとタンザニアです。ほかの2名はボランティア休暇制度を使っての現職参加(注1)。1名は内戦が起こる前の90年代のシリアに、もう1名はベトナムに派遣されました。

協力隊の方々は、全く知らない世界に一人で飛び込み、やるべきことや人間関係を開拓する経験をしています。まさに武者修行です。帰国後、弊社で何かしらの革新を起こすことに貢献しています。例えば、ケニアから帰国後に入社した社員は、1年半後にはケニアでの現地法人立ち上げを実現。ニキビ治療薬「メンソレータムアクネス」など、ロート製薬が長年取り組んできた美と健康の分野で、アフリカの人たちに大きく貢献しています。

20代で現職参加した女性は、「30代40代になる前に海外で自分が戦えるかどうかを確認したい」という意思を持っていました。最初は留学を検討していたようですが、学校で勉強するよりも現地の人たちと一緒に暮らしながら働くことのほうに魅力を感じ、協力隊を選んだそうです。合格後、ベトナムに派遣されました。

組織名を背負って派遣される駐在員とは異なり、協力隊はほとんど裸の一人として現地で活動しなければならない―その女性社員は振り返っています。そして、一人では何もできないため、「助けてあげる」のではなく「助けてもらう」ことのほうがはるかに多かったそうです。そういった環境で、新しいコミュニティに入って共感を得ながら活動することを、体験的に学んだのだと思います。何事も周囲を巻き込みながらでなければ成果を出すことは出来ません。彼女は帰国後、ロート製薬の一員としてベトナムに赴任しています。

就職活動を一度やめた学生時代
オーストラリアでの自由な半年間で価値観が変わった

私自身はJICA海外協力隊には参加していませんが、学生時代に片道切符でオーストラリアに行き、ワーキングホリデーで半年ほど過ごしてきた経験があります。私が入社した頃の世の中は、女性社員は結婚と同時に退職して家庭に入ることが普通でした。就職活動をしていた時、「このまま就職したら既定路線にはまってしまう」という危機感があったのかもしれません。休学し、到着日の宿も予約しないままに飛行機に乗ってしまいました。航空会社の人が心配してくれて、現地の宿泊先が決まるまで付き添ってくれたのを覚えています。私はもともと几帳面な性格だったので、それぐらいの勢いがなければ飛び出せなかったのだと思っています。

オーストラリアではアルバイトを転々としながら、シドニーとケアンズで暮らしました。日本ではない世界を初めて知り、「人間はどこでもやっていけるものだな」と感じたのを覚えています。協力隊に比べればぬるい経験だとは思いますが、私にとっては性格も価値観も180度変えるような体験でした。

結婚退職をしなかったのは、私が結婚したのが2000年で、職場環境も女性が仕事を続けやすい状況に差し掛かっており、私自身2回の産休育休を経て現在に至っています。ゼネコン社員で愛知県に単身赴任中の夫とは、ずっと共働きです。息子たち2人は受験生で、役割として受験勉強に集中するように促していますが「いい大学に入り、いい会社に入るのが正解」だとは思っていません。勉強ができなくても生きていけることは、オーストラリアで私自身が体験しているからです。

思ったら動く、意見はどんどん言う
JICA海外協力隊経験者もマッチする社風

弊社では、協力隊などの活動をキャリアのブランクとは見なしていません。むしろ、社内では学べないことを苦労しながら学んできた人材として、積極的に評価しています。副業や社内起業を奨励したり、退職して別組織で働いた後に戻ってくることを歓迎する「カムバック制度」を設けたりもしています。一度外に出た人は、いずれも強くなって帰ってくる印象です。

弊社の社風は、良くも悪くも「雑草的」なところがあります。かっちりとしたキャリアパスや研修制度などは設けていません。手取り足取り指導するようなことはしないため、何かを命じられることを待っているような人は向いていないと思います。
冒頭でお話したように「自発性と主体性」を何より重んじるため、「自分の意見をはっきり出す」ことが求められます。

マーケティングの手法も、一般的なセオリーに従った調査よりも、とにかく現地に飛び込み、自分の足と肌感覚を使って具現化していくやり方です。これは海外だけでなく、国内の営業活動でも共通しています。キレイな資料を使って担当者と会議室で商談するよりも、ドラッグストアなどの店頭に行って売り場がどうなっているのか、お客様がどう見ているのか、それを自分でつかむことを求められます。

協力隊の経験者はいずれも「思ったら動く、意見はどんどん言う」タイプですから、上司からしたら少し扱い難いかもしれませんが、それぐらいのほうが弊社とは長期的にマッチする人材だと、私は頼もしく思っています。

※このインタビューは、2022年10月に行われたものです。

注1:現在の職場を退職せずに、所属先に身分を残したまま求職してJICA海外協力隊に参加すること。

PROFILE

ロート製薬株式会社
設立:1949年(創業1899年)
所在地:大阪府大阪市生野区巽西1-8-1
事業概要:医薬品・化粧品・機能性食品等の製造販売
協力隊経験者:4人(2022年10月現在)
HP:https://www.rohto.co.jp/
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