積水ハウス株式会社協力隊時代の学びを礎に国際事業部で活躍

  • グローバル人材の育成・確保
  • CSR活動

CSRの実践が企業経営の基盤をつくる

積水ハウス株式会社は、住宅業界初となる累積建築戸数200万戸を達成した2010年、創立50周年を迎えた。同社では、CSRを経営の基本と位置づけ、全社横断的に様々な活動を行っている。その取り組みの多様性・深さ・独自性は、日本財団による「世界に誇る日本のCSR先進企業実態調査」においても高く評価され、2009年、2010年連続で第1位に選ばれた。

 同社では、企業理念の根本哲学である「人間愛」を活動理念に、環境配慮や住文化向上といった本業に通じた活動はもちろんのこと、従業員のボランティア活動や国際協力、NPO・NGOとの協働および活動支援などにも力を入れている。そんな企業理念のもと、協力隊に参加した野崎悦宏さん(平成16年度派遣/フィジー/建築)にお話をうかがった。

休職制度導入までわずか3日

「大学在学中に旅先で出逢った人が、たまたま協力隊員でした。今思えば、そのときに初めて協力隊のことを知ったように思います」と野崎さんは話す。協力隊の世界をもう少し知りたい、そんな好奇心から募集説明会に足を伸ばしたこともあった。しかし、応募にいたることはないまま大学を卒業し、積水ハウスに入社。大阪市内の支店で現場監督を任されるようになってからは、協力隊のことはすっかり忘れていたという。自身が現場監督を務めた住宅が400棟を超えた頃には、入社後10年の月日が流れていた。「10年が過ぎたころに、ふと、この業界における自分の知識や技術は、世界のどのレベルにあるのか、どうしても知りたいと思うようになりました。そんな話を妻にしたら、妻が協力隊のことを口にし、それで、私の遠い記憶が甦りました。そういえば協力隊員の職種には建築関係があったと。それが応募のきっかけでした」と野崎さん。

 合格の通知を受け取った当時、同社には、現職のまま協力隊に参加できるような制度はなかった。そのため、野崎さんは、すぐに直属の上司に相談。「協力隊に参加したいという私の希望に対して、上司は深い理解を示してくれました。その後、上司とともに人事部へ、そして社長へと話は伝わり、3日ほどの間にボランティア休職制度を設置する方向で話が進められました」と野崎さんは話す。協力隊への参加が認められたことを嬉しく思う一方で、帰国後の自分に対するビジョンは、正確には定まっていなかったこともあり、協力隊への参加を、仕事仲間がどのように感じているのか、少々不安な面もあった。「そんなとき、ある先輩に『希望がかなってよかったじゃないか! おめでとうっ!』と嬉しい言葉をかけてもらいました。本当に有難く、心に染みる言葉でした」と野崎さんは当時を振り返る。

 合格から派遣までの約半年の間に、ボランティア休職制度は正式に設置された。理解を示してくれた会社と家族に見送られ、野崎さんは任地であるフィジーへと飛んだ。

「日本を離れたことで、日本人としてのアイデンティティを自覚することができました。いつの日か、シニアボランティアの経験もしてみたいです」と話す野崎さん。

企業の財産として社員の経験と成長を支援

同社の企業理念の冒頭には、「人間愛」を根本哲学とすることが記されている。具体的には、「人間は夫々(それぞれ)かけがえのない貴重な存在である、と云う認識の下に、相手の幸せを願い、その喜びを我が喜びとする奉仕の心を以って何事も誠実に実践する事である」との説明がある。こうした企業理念のもと、同社では環境配慮型住宅「グリーンファースト」の普及に全社をあげて取り組むとともに、環境保全活動も積極的に推進。また、社員参加型の寄付制度である「マッチング・ギフト・プログラム」(社員が給与から1口100円で希望口数を積み立て。集まった金額と同額を会社が助成金として上乗せし、寄付するという制度)によるNPO等への助成は、2009年度1,472万円に上った。こうした多岐にわたる取り組みは、日本財団による「世界に誇る日本のCSR先進企業実態調査」においても高く評価され、2009年、2010年連続で第1位となっている。

 CSRを担当するコーポレート・コミュニケーション部・部長の楠正吉(まさよし)さんは、同社がボランティア休職制度を導入した背景を次のように話す。「今の時代、企業は『企業市民』として、社会に貢献していくことが求められています。つまり、社員一人ひとりが良き企業市民として、地域に、あるいは世界に対して貢献し、活躍することが大切なのです。こうした流れが加速していくなかで、野崎が協力隊参加を通しての国際貢献に名乗りをあげてくれました。それまでの彼の仕事ぶりに対する周囲の評価は高く、そうした人材を失ってはならない、また、今後も同様のケースが出てくる可能性もあるということで、ボランティア休職制度を設置する流れになりました」。今後も、前向きな姿勢と熱意を持った人材を、協力隊に送り出す体制は整っていると楠さんは話す。「協力隊に参加するための制度を会社が設けたということは、社員が活躍できる新しい舞台を会社が準備したということです。したがって、多くの人材に制度を利用し、経験を積み、さらに成長してもらいたいと考えています。坂本龍馬を例えに出すのは大げさかもしれませんが、未知なる世界を知り、そこで経験を積むことでしか生まれない発想や、育たない問題解決能力があると思うんです。そして、それらは復職後に必ず役に立ちます。したがって、野崎の経験は本人のみならず、会社にとっても大きな財産であると言えます」と楠さんは語る。

「協力隊に参加したことで、彼は、自分自身、あるいは自分の仕事を客観的に見つめられたと思います。そうしたところから生まれる発想は貴重なものだと考えます」と楠さん。

「学ぶ姿勢」と「情熱」で町の発展に貢献

野崎さんが派遣された場所は、フィジーのレブカ町役場。人口約3,000人のレブカという町は、フィジーの旧首都だったこともあり、コロニアル建築の美しさで有名な町でもある。配属先となった町役場の職員は市長と助役、2名のタイピストと7名のワーカーのみ。野崎さんは、そこで、道路の改良工事や護岸の整備、遺産建築物の図面化や補修作業などに携わった。現地の現場作業者と仕事をする際に、「安全」「品質」「工期」「公害」「コスト」の面から指導を試みるも、現地には現地のやり方があることに気づき、指導の前に「まずは学ぼう」という姿勢に切り替えた。関わった作業は数え切れないが、たとえば、タウンホールの増築設計と施工、約30mの道路改良工事の提案と施工、11台分の駐車場の建設などに携わっていくなかで、工具や建材の種類および値段、調達先、工法、必要工期などを知ることができ、実体験を通して現地の実情を学ぶことができた。「何が正しいか否かを判断するのではなく、自分とは異なる価値観が数多くあることを知ることで、ものごとを多面的に捉える力がついたように思います。赴任してから1年間は、とにかく現地の人たちと現場作業を共にすることで、自分の知識と考え方の幅が広がりました」と野崎さんは話す。

 一方で野崎さんは、自発的にレブカの町を歩きまわり、住民と交流し、各委員会(遺産委員会、桟橋委員会、旅行組合など)にも顔を出しながら、役場が把握していない希望や要望を収集。それを役場に持ち帰っては、必要に応じて書類や見積書、図面などを作成し、助役の意見とともに関係各所へ提出した。なかでも、19世紀後半のコロニアル建築物が多く残る町並みを、ユネスコ世界遺産へ登録申請する動きが活発化した際、野崎さんは、役場、各委員会、政府関係部署の間を取り持ち、調整役として尽力。世界遺産リストへ登録されるまでには、非常に煩雑な手続きと、諸々の条件をクリアしなくてはならないため、長期に渡る取り組みが必要となる。レブカの町では今なお、世界遺産登録へ向けた努力が続けられている。

 レブカの人々に優るとも劣らぬ情熱で、レブカの町と人々を愛した野崎さんは、2年間の活動の集大成として、「LEVUKA TOWNへの期待」と題した、20年スパンでの町の基本計画案を作成した。市長、助役をはじめとした町議会と各委員会による合同会議を設定し、20ページにわたる基本計画案を発表。町の問題点および解決策、これからの町の理想像とそれを実現するための具体的なプロジェクトが盛り込まれた計画案に、多くの参加者が賛同したという。

「協力隊員として、つまり日本代表の1人としてフィジーという国や、人々とに関われたことは、今でも私の誇りです」と話す野崎さん。

どんな逆風も追い風に

帰国後は、協力隊参加前とは別の支店に配属され、再び現場監督として3年間務めた。そして、2009年に新設された国際事業部へ、2010年7月に異動となり、充実した毎日を送っている。現在の主な仕事は、海外プロジェクトの施工計画の検討や、技術面でのコーディネート、並びに現地の作業員に対する研修や技術指導をすることだ。「国や文化が異なれば、価値観も異なる。さまざまな角度から物事を見るようにすれば、新たな発見や学びがある。こうしたことを協力隊時代に学べたことは、今の仕事をするうえで、とても役に立っています」と野崎さん。

 楠さんは、今回の野崎さんの異動について次のように話す。「私は人事担当者ではありませんので断定はできませんが、彼が国際事業部への異動となった背景の一つには、おそらく協力隊での経験もあるのではないでしょうか。帰国後に行われたCSR推進委員の会議で、彼にフィジーでの活動報告をしてもらいました。生き生きとした、とてもいい表情で話す彼を見て、現地でもいい仕事をしてきたことは明らかでした。もちろん、普段からの仕事ぶり、お客さまからの評判など、本業での評価が大前提ではあります。しかし、開発と経済的自立のためのニーズの高い国で貴重な経験を積み、自分の仕事や自分自身を客観的に見つめたことのある人には、ビジネスにおいても国際舞台で活躍できる可能性があるように思います」。

 大きなやりがいを持って、現在の仕事に意欲的に取り組んでいる野崎さんには、協力隊時代に心に刻まれた言葉があるという。「当時、現地のJICA事務所の武下所長に、『土地と、人と、自分の仕事に惚れることができれば、どんなことでもできる。そして、任国を離れるときにも、その思いを持っていられたなら、協力隊としての活動は成功したと言っていい』と言われました。現在は、『自分の国である日本と、自分の会社と、そして自分の仕事に、今以上に惚れこんで仕事をしたい』と常々思っています。そうした思いを原動力に、どんな逆風も追い風にしていきたいと思っています」と野崎さん。

 現在のところ、同社からボランティア休職制度を利用して協力隊に参加した社員は野崎さんのみだが、実は、これまでに数名から、協力隊参加についての相談を受けていると野崎さんは話す。経営の基本にCSRの実践を掲げる同社から、新たな協力隊員が送り出される日も、そう遠くはないだろう。

PROFILE

積水ハウス株式会社
積水ハウスは2010年に創業50周年を迎えました。ちょうど同時に、累積建築戸数200万戸という金字塔を達成。住宅トップ企業として、CS(顧客満足)を第一に、高品質な住宅づくり、まちづくりを進めています。環境配慮住宅「グリーンファースト」が2010年度は受注の7割を占め、庭づくりを通じて生物多様性保全に寄与する「5本の樹」計画を進めるなど、CSRを軸にした事業活動を推進しています。2008年には環境省から「エコ・ファースト企業」として認定を受けました。国内では住宅を年間4万戸以上を販売してきましたが、ここ数年、先進の環境技術を取り入れた住宅づくり、まちづくりの実績が期待され、世界各地の新規プロジェクトに乗り出そうとしています。現在、オーストラリア、アメリカ、中国、ロシアでの取り組みが進んでいます。
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