摂南大学協力隊への参加で生まれる
新たな目標

  • グローバル人材の育成・確保
  • 研究・教育プログラムの強化

大阪府に2つのキャンパスを構える摂南大学は、「世界を舞台に活躍するグローバル人材を育成する」という方針の下、青年海外協力隊への参加を積極的に支援している。2006年からこれまでに、協力隊となった学生の数は32人。現役大学生の合格者数としては全国でもトップクラスを誇る。同大学が協力隊への参加を推奨する理由や背景、また協力隊への参加がもたらす効果などについて、指導教員である外国語学部教授の浅野英一(あさの・えいいち)さんに聞いた。

協力隊経験で「逆境対応力」を身に付ける

摂南大学は「世のため、人のため、地域のため、理論に裏付けられた実践的技術をもち、現場で活躍できる専門職業人を育成する」ことを建学の精神としています。私が教える外国語学部でも、社会貢献活動や企業とコラボレーションしたイベントなどさまざまな体験を通じて、語学力だけでなく、知識や教養、専門性を身に付けることで、グローバルに活躍できる力を育んでいます。こうした教育方針の一環として力を入れているのが、在学生の青年海外協力隊への参加です。

グローバル人材の育成に、協力隊への参加が大きな効果を発揮すると考えた背景には、私自身の経験があります。私は専門学校を卒業し、土木コンサルタント会社でエンジニアとして働いた後、アフリカのマラウイで2年間、協力隊として活動しました。もともと国際協力に関心があったわけではなく、友人に誘われて説明会に参加したことがきっかけでした。しかし、そこで出会ったJICA専門家に憧れ、私はアメリカで学位を取得した後、ケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学で、JICA専門家として教官や学生の指導に長く携わってきました。

こうした経験の中で、私が感じるのは協力隊経験者の対応力の高さです。ジョモ・ケニヤッタ農工大学には、私のような協力隊経験者のほかに、さまざまな経歴や専門分野を持つ日本人がJICA専門家として活動していました。その中で、協力隊経験者はただ指導するのではなく、現地の人たちに歩み寄り、同じ目線に立って活動しているように映りました。価値観や宗教観、対人関係などを分析し理解した上で行動することの重要性を、その経験から学んでいるのです。

協力隊に参加することで得られるものの一つに「逆境対応力」というものがあると考えています。逆境対応力とは、状況に惑わされない「感情のコントロール」、自分の力を過小評価しない「自尊感情」、少しずつ成長していると感じる「自己効力感」、失敗も成功と捉える「楽観性」、一人で閉じこもってしまわない「人間関係改善」から生まれる逆境を乗り越える力です。異文化の中に飛び込み、その社会や人々の基本的な価値観や行動様式を理解することで、少しずつ望ましい行動がとれるようになります。近年、大学の就職課では若者の心の弱さに頭を悩ませているところが多いという話を耳にします。協力隊で育まれた逆境対応力は、国際協力の舞台に限らず、これからの人生の中で大いに役立つものではないでしょうか。

摂南大学外国語学部教授
浅野英一さん

日本の過疎地域で異文化トレーニング

そうはいっても、社会人経験のない学生が、言葉も文化も違う開発途上国で活動するのは簡単なことではありません。そこで行っているのが、和歌山県すさみ町での地域活性化活動です。学生たちは大学の授業で課題解決型学習(PBL:Project Based Learning)の手法を学びながら、「ボランティア・スタッフズ」というクラブに入り、町の活性化のために地元の子どもたちと一緒にキャンプを行ったり、地元の人たちとともに独居老人宅への訪問活動などを行ったり、休止していた江戸時代に始まった伝統的な祭りの復活をお手伝いしたりと、さまざまなプロジェクトに取り組んでいます。

私はこの活動を、赴任先の国や活動を想定した経験的学習と捉えています。住民と一緒になって限界集落が抱える課題を見つけ、それを乗り越える手段を考えていくことで課題解決能力を身に付けることができるのです。「ヒト」「カネ」「モノ」がないのは、途上国も日本の過疎地域も同じなのです。また、活動場所がすさみ町であることにも意味があります。すさみ町は大阪から鉄道で4時間、バスで5時間かかる過疎地域で、都会の学生たちとは、言葉(方言)も価値観も生活環境、生活習慣も違うため、同じ日本であっても異文化トレーニングになります。

これまで現役で協力隊に参加した学生の数は、計32人になります。20歳ほどの大学生が、平均年齢27歳、社会人経験のある他の隊員たちと同じように活動するわけですから、そのギャップを埋めようと、彼らも必死に努力しているのだと思います。2年間の活動を終えて帰国した時には、そうした努力もあって、彼らは大きく成長しています。私の場合は大学に入学した時から学生たちを見ているので、なおのことその成長ぶりが分かるのです。

任期を終え帰国した学生の「その後」も重要だと考えています。私が学生たちに言い続けているのは、協力隊はあくまでも通過点であるということです。協力隊参加が目標ではありません。そこを目標にしてしまうと、帰国後に燃え尽き症候群に陥ってしまうこともあります。帰国後に自分を見つめる時間をつくり、2年間の活動で何ができたのか、何ができなかったのか、これから協力隊経験をどのように生かしていきたいのかを考えさせることが必要です。そうした時間を持つことができるのも、学生時代に協力隊に参加するメリットの一つかもしれません。

日本の過疎地に活躍の場を求める者、企業に入りグローバルに働きたいと考える者、あるいは国際協力の世界に飛び込む者など、協力隊に参加した学生らのその後はさまざまです。共通しているのは、協力隊へ参加したことで、私もそうだったように「新たな目標」が生まれたということではないでしょうか。これからも多くの学生に協力隊に参加してもらい、微力かもしれないですが途上国の人々のために貢献しつつ、自分自身の将来を切り開いていってほしいと考えています。

学生たちは地元の人々と220年以上の伝統を誇る「佐本川柱松祭り」を復活させた

JICAボランティア経験者から

光畑梢さん(摂南大学外国語学部卒業)
ビジネスを通じて途上国と関わっていきたい

小学生の時から海外に興味はありましたが、体操を教えてくれたスポーツクラブのコーチが協力隊経験者だったことや、高校生の時に聞いたNPO法人ロシナンテスの川原尚行さんの講演などがきっかけで、私も開発途上国の人たちのために何かやりたいと考えるようになりました。そして、多くの学生が協力隊に参加していることを知り摂南大学へ進学しました。大学では協力隊から帰ってきた先輩の話を聞く機会もあり、自分もこういう人になりたいという思いが日増しに強くなっていきました。

私が選考試験を経て協力隊となったのは大学4年生の時でした。派遣先となったのは、インドのタミルナードゥ州ベロール県のカニヤンバディ村にある国際NGOが運営している貧困層の子どもを対象にした小学校です。私が取り組んだのは、英語力と計算力の底上げでした。子どもたちの学力レベルは低く、5年生になっても一桁の計算がおぼつかない子も少なくありませんでした。また、教科書は英語で書かれているにもかかわらず、子どもたちが話す言語はタミール語。当然、教科書の内容も理解できていないという状況でした。

活動をしていく中で一番大変だったのは、先生が不足しているため、何から何まで自分でやらなければならないことでした。そうすると、私の指導法がインドの子どもたちにとって効果的なのか、修正しなければならない点はどこかなど、アドバイスをもらうことも難しく、なかなか活動の方向性に自信を持つことができませんでした。しかし、私が2年間継続して指導したクラスでは、英語だけで授業ができるほどに語学力が向上しました。また、日本でも広く取り組まれている「百ます計算」を繰り返し行うことによって、計算力も着実に向上しました。こうした成果が具体的に現れたことで、忙しい中でも同僚の先生たちに関心を持ってもらえ、新しい指導方法として紹介することができました。

在学中、協力隊を経験したことで視野が広くなりました。以前は協力隊を国際協力のエントリーポイントと考えていましたが、現地でさまざまな企業がその国の人々の生活を支えているのを目の当たりにして、現在は、ビジネスを通じて開発途上国のために貢献してきたいと思うようになりました。困難な状況にあっても、地道に活動を続けることで結果を残すことができたという経験は、これからの私の大きな力になっていくと感じています。

活動場所となったガーデン・オブ・ピース学校の子どもたちと笑顔で話す光畑さん(写真中央)

JICAボランティア経験者から

石田裕貴さん(摂南大学大学院経済経営学研究科 修士課程1年)
日本の過疎地域を研究し途上国支援に生かしていく

私が青年海外協力隊への参加を考えるようになったのは、摂南大学に入学した後のことです。小さな頃から海外に対する漠然とした憧れというものはありましたが、特に明確な目標があって大学に入学したわけではありませんでした。それが、大学1年生の時に履修した浅野先生の授業や帰国した浅野ゼミの先輩たちから協力隊の話を聞き、私も開発途上国に行って活動したいと思うようになりました。

浅野ゼミに入り、和歌山県すさみ町での地域活性化活動に参加しながら経験を積み、大学3年生の時に協力隊員になることができました。派遣されることになったのはキルギスでした。首都ビシュケクからバスと車を乗りついで7時間ほどのところにあるナリン県エムゲクタラー村の中高一貫の公立学校が活動場所です。配属先からの要望は「日本語を教えてほしい」ということだけ。そこで、まず始めたのが日本語クラブをつくることでした。単に日本語や日本の文化を勉強するだけでなく、日本語を学ぶモチベーションを維持してもらうために、他の学校で日本語を学んでいる学生との交流会や日本祭りを企画したり、日本にいる同年代の子どもたちと手紙で交流したりしました。

日本語学習のほかにもう一つ取り組んだのが運動会です。日本ではどこの学校でも運動会が行われていますが、キルギスにはありません。生徒はもちろん、先生たちも一緒になって取り組む運動会は、学校行事として大きな意味があると思いました。種目は、日本でもお馴染みの障害物リレーや玉入れ、ムカデ競争のほか、キルギスの遊びを取り入れた競技も考案しました。運動会の練習には体育の先生も協力してくれたのですが、先生としての仕事より、放牧など家庭の仕事を優先するのが当たり前になっているキルギスでは、なかなか思うように準備が進みませんでした。準備不足から不安な気持ちで迎えた運動会でしたが、そこは本番に強いキルギス人。ふたを開けてみれば特に大きな問題もなく、全体としてスムーズに運営できたばかりか、生徒も先生たちも大いに盛り上がっていました。

協力隊に参加して私自身が変わったと思うのは、いろいろなことに興味を持ち、全力で取り組めるようになったことです。協力隊の活動は終わっても、将来に対する期待感からワクワクした気持ちが今も続いています。現在は、修士課程で過疎地域の経済について研究しています。実は、過疎は途上国でも大きな社会問題になることが予想されているのです。日本の過疎地域を研究することで、将来的には途上国の課題解決にも貢献できたらと考えています。

※このインタビューは2017年5月に行われたものです。

配属されたケリンバイ公立学校で日本語の授業を行う石田さん(写真左端)

PROFILE

摂南大学
設立:1975年
所在地:大阪府寝屋川市池田中町17-8(寝屋川キャンパス)
大阪府枚方市長尾峠町45-1(枚方キャンパス)
大学概要:7学部13学科で約8,000人の学生が学ぶ総合大学
協力隊経験者:32人(2017年5月現在)
HP:http://www.setsunan.ac.jp/

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