埼玉県横瀬町「地域おこし協力隊」で活躍する
元協力隊員たち
JICA海外協力隊で培ったグローバルな視点を日本の地方創生に活かす

  • グローバル人材の育成・確保

都心から特急で約70分の埼玉県秩父郡横瀬町(以下横瀬町)。都会からのアクセスも良く、豊かな自然と文化に囲まれた横瀬町だが、「消滅可能性都市」のひとつに数えられている。近年は、「地域おこし協力隊」や移住者を受け入れるなど、町の定住化と合わせて多様性を目指す町づくりを積極的に行っている。JICA海外協力隊の経験を活かし、「地域おこし協力隊」として町の活性化を目指す帰国隊員への期待について、同町まち経営課 政策・秘書・広報グループ主任の町田修一さんに話を伺った。

「地域おこし協力隊」として
横瀬町がはじめて受け入れたJICA海外協力隊経験者

横瀬町の人口は約8,000名。いわゆる中山間地域といわれる小さな町ですが、隣はすぐ秩父市ですから医療や教育の面で不便を感じることはありません。自然も豊かですし、暮らしやすい町だと思います。私自身も、横瀬町で生まれて育ちました。現在は、町役場で働き「地域おこし協力隊」(注1)の受け入れを担当しています。

横瀬町は、「消滅可能性都市」(注2)と言われており、少子化や人口流出が顕著です。約8,000人の人口も、このままだとどんどん減少していく一方。そのため、横瀬町では今、町の定住化を強く推進し、移住者も積極的に受け入れています。「地域おこし協力隊」もその一環。2022年7月時点で12名の隊員が活躍中です。おそらく、横瀬町のような町の規模で12名は多いほうではないでしょうか。横瀬町の「地域おこし協力隊」は、年齢や条件に特別な制限はないので、皆さんのバックグラウンドはさまざま。このうち、龍孝行さんを含めて2名がJICA海外協力隊の経験者です。

龍さんには、農業と福祉の連携分野で活躍してもらっています。具体的には、福祉施設で水耕栽培を実践していくというプロジェクト。もともと、水耕栽培に関わっていたということもあり、これまでのネットワークを活かして県外の事業者をどんどん巻き込んでくれています。もちろん地域内の関係者とも友好な関係を築いていて、行動力やコミュニケーション力が素晴らしい。「地域おこし協力隊」は、やりたいことで事業を起こし定住してもらうという狙いがあるので、横瀬町としては大いに歓迎しています。

実は龍さんの場合、当初から水耕栽培をお願いしていたわけではありませんでした。横瀬町が設立した地域商社のオープニングスタッフとして「地域おこし協力隊」を呼びかけまして、そこにエントリーされたのが龍さん。地域商社の目的は、地域の産品などの販路を拡大し、新しい経済循環を起こすことにあります。そのなかで龍さんから出たのが、”水耕栽培で農業と福祉を連携していく”というアイデアでした。横瀬町は、日本一チャレンジする町、と宣言していますが、日本一”チャレンジする人を応援する”町でもあるんです。ですから、ご本人に明確なビジョンがあるのであれば、地域商社の一スタッフとして留めておくのは、むしろもったいない。そんな判断から、龍さんには個人事業主としてそのプロジェクトを進めてもらっています。今後がとても楽しみです。

まち経営課 政策・秘書・広報グループ主任の町田修一さんまち経営課 政策・秘書・広報グループ主任の
町田修一さん

誰もが住みやすい町づくり
多様性のある「カラフルタウン」を目指して

横瀬町は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下オリパラ)で、アンドラ公国のホストタウンになりました。同国は、ヨーロッパ西部にある山間の極小国家。横瀬町のある秩父地域とは、山々に囲まれた豊かな自然環境というところがとても似ています。そんな共通点のある国からカヌー競技者が1名同大会に参加されるということで、町では総力をあげて応援していこうとホストタウンになりました。残念ながら、コロナ禍でイベントなどは実施できませんでしたが、横瀬町としてはとても良い経験になりました。

横瀬町に外国人は100名もいません。普段から外国人との接点が少ない町ですから、ホストタウンとして海外と交流すること事態が前代未聞。ノウハウが全くない中で、助け舟を出してくれたのがJICAです。横瀬町では、2019年から3年間、総務省の「地域活性化起業人」(注3)という制度を利用して、JICAから職員を派遣していただいていました。ちょうどオリパラとも重なっていたため、さまざまな知見を提供してもらうことができたのです。

現在も、JICAから1名の職員が町役場に来てくれています。外国人も少なく、姉妹都市などの取り組みもない横瀬町が国際交流事業に取り組むわけは、町のキャッチコピーにもなっている「カラフルタウン」(注4)、いわゆる多文化共生の一環です。大きな工場などがない横瀬町では、外国人は一時的な労働者というより、ほとんどが永住者。ですので、文化的な交流事業を積極的に推し進めていくというよりも、保育所といった公共施設の多言語化など、生活基盤の整備のほうが優先的な課題となっています。国籍に関係なく、誰もが暮らしやすい町を目指していくということですね。しかし、オリパラの経験で分かったことは、これまで知らなかった国のことを、何かをきっかけにして町民が理解を深めていくことの大切さ。横瀬町のような小さな町には、そのきっかけになるものが少ないですから、JICA職員や協力隊経験者などのみなさんをハブにして、どんどん国際交流の取り組みが推進されていったらいいなと思っています。

JICAボランティア経験者から

地域おこし協力隊 龍孝行さん
(ザンビア/野菜栽培/2017年度派遣)

協力隊仲間がつないでくれたキャリア
ザンビアから横瀬町へ

「地域おこし協力隊」に応募したのは、JICA海外協力隊時代の仲間から勧められたことがきっかけです。横瀬町を選んだのは、この地域に馴染みがあったこと。社会人になって初めて住んだ場所が埼玉県だったので、秩父地域にはよく遊びに来ていました。懐かしさもあって応募を決めました。

私は、協力隊から帰国後、いったん福祉施設に就職をしました。実は、そこも協力隊の仲間が紹介してくれたのがきっかけです。その施設で水耕栽培事業を始めるという話があり、野菜栽培隊員だった私に声がかかりました。興味深かったのは、有機質肥料活用型養液栽培という新しい技法だったことです。派遣国だったザンビアでは、農薬や化学肥料を使う露地栽培が中心だったため、有機肥料でかつ水を使うという点がとても新鮮でした。また、福祉施設で水耕栽培をやるということにも魅力を感じました。室内で行う水耕栽培は、天候にも左右されず労力も多くかからないため、福祉施設の利用者さんに向いています。環境にも配慮できるし、雇用も創出できるという点で、水耕栽培を媒介とした農業と福祉の連携に惹かれていきました。

そのうち、この取り組みを事業として始められないか考えるようになりました。その時、「地域おこし協力隊」で活躍している協力隊時代の仲間から応募を勧められ、今に至ったわけです。横瀬町へ来て半年が経ちましたが、最近、ようやく水耕栽培に理解を示してくれる高齢者福祉施設が見つかりました。野菜だけでなく花も栽培しようと考えています。施設の方が、利用者さんの生きがいややりがいにつながるのではと言ってくださっているので、とても励みになっています。

中山間地域の横瀬町には、大規模な農場のようなものはなく、農家は小規模です。他方で、水耕栽培は室内のスペースがあれば実現可能です。地域商社のスタッフとして着任し、町を見て回る過程で、横瀬町が水耕栽培に向いている環境であることを確信しました。課題や悩みは尽きませんが、その辺りの道筋の立て方はすでにザンビアでの協力隊活動で経験済み。どんどん水耕栽培のファンを増やしながら、ゆくゆくは自分の農場を横瀬町に持てたらいいですね。

地域おこし協力隊として横瀬町で活動する龍孝行さん地域おこし協力隊として横瀬町で活動する
龍孝行さん

現地の価値観を尊重する
草の根経験で学んだことを横瀬町で活かしていく

私が協力隊への参加を決めたのは20代の半ば、茨城県にある農業大学校に在学していた時でした。校内に掲示されていた協力隊募集ポスターが目に止まり、いつか参加してみたいと思うようになりました。大学校を卒業後、農業をやっている福祉施設に就職。2年ほど実務経験を積み、30歳の時に協力隊に応募しました。派遣国のザンビアが初の海外経験になります。

ザンビアでは、地方都市カサマ市の農業研修センターに野菜栽培隊員として配属され、きのこ栽培、野菜づくり、米づくりなど、様々な作物に関わりました。私は、それまで10年ほど農業を経験してきましたが、現地の農家から学ぶことは多かったです。特に、ザンビアに行くまでは、アフリカの農業は原始的という勝手なイメージがあったため、農薬や化学肥料で育てる慣行農業が主流だったことには驚きました。しかし当然、農薬や化学肥料はコストが高くて、一般的な農家ではなかなか手が出せません。そのため、灰や糞を利用して肥料を作ったりするなど、現地に見合った方法を現地の人たちと一緒に考えながら持続可能な農業を目指しました。それでも農薬や化学肥料を求める声は止まらず、葛藤の連続でした。農家の収入源という点では生産性を上げていかなくてはならず、農家の気持ちに寄り添えば寄り添うほど、慣行農業を全面的に否定することはできなくなりました。

そもそも、農業は大変な重労働です。今、横瀬町にいても感じるのは、高齢者や障害者が農作業をやることの厳しさ。当事者の現状を無視して、自分の価値観を押し付つけてはいけません。現地の人たちやその土地の文化・風習を尊重することの大切さを、私はザンビアで学ばせてもらいました。

日本にいて、ザンビアという言葉を見聞きすると、当時のカウンターパートや農家の人たちのことを思い出します。多分、私の任地でも、同じように私のことを思い出してくれる人がいると思います。日本から遠く離れた国の小さな町に、日本人が一人いるだけでプレゼンスになる。草の根交流の意味にはそういうこともあるのだと思います。だから、ザンビアを知る私が、横瀬町にいることでもできることはきっとあるはず。横瀬町での水耕栽培経験をザンビアに伝えるとか、ザンビアから横瀬町に研修生を招聘するとか、夢は尽きません。

※このインタビューは、2022年7月に行われたものです。

注1:都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながらその地域への定住・定着を図る、総務省主管の取り組。、隊員は各自治体の委嘱を受け、概ね1年以上3年未満の任期で活動する。2026年までに現在の6,000名から10,000名に増やす目標を掲げている。
注2:日本創生会議が2014年に発表した、少子化や人口流出により消滅する可能性の自治体。日本創生会議によれば、896の市町村区が該当するという。
注3:三大都市圏に勤務する企業の社員等が、そのノウハウや知見を活かし、一定期間、地方自治体において、地域独自の魅力や価値の向上、安心・安全につながる業務に従事することで、地方自治体と企業等が協力して地方圏へのひとの流れを創り出していけるような取組に対して必要な支援を行う、総務省主管の制度。
注4:彩豊かな四季折々の自然の美しさがある町で、多彩なライフスタイルや多様な幸せの形を創り上げていくプロジェクトの名称。

ザンビアで野菜栽培隊員として活動した龍さんザンビアで野菜栽培隊員として活動した龍さん

PROFILE

埼玉県横瀬町
所在地:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬4545
協力隊経験者:2人(2022年7月現在)
HP:https://www.town.yokoze.saitama.jp/
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