社会福祉法人青少年福祉センターグローバル化する国内で生きる
協力隊の経験

  • グローバル人材の育成・確保

さまざまな事情を抱え、家庭からの支援が受けられない子どもたちを迎え入れる児童養護施設と自立援助ホームを運営する、社会福祉法人青少年福祉センター。2007年に初めて青年海外協力隊経験者を採用し、現在は3人が児童指導員として勤務している。その活躍ぶりや協力隊経験者にかける期待などについて、同センター理事長の荒船旦子(あらふね・あさこ)さんに話を聞いた。

自立支援のパイオニアとして

当センターは、児童養護施設と自立援助ホームを運営しています。さまざまな事情から家庭で過ごせない子どもたちを受け入れることに変わりはないのですが、養護施設は「就学支援」、つまり、子どもたちが学校に行けるように支援するところです。他方、自立援助ホームは「就労支援」を目的としており、義務教育を終えてから20歳までの子どもたちを対象に、社会に出てしっかりと働けるように暮らしの場を用意するなどの支援を行っています。

当センターは、日本の自立援助ホームの草分け的な存在です。1958年、自立援助ホームという言葉がまだなかった時代から就労支援に取り組んできました。1955年ごろから、第2次世界大戦で親を失い養護施設で育った子どもたちが施設を出て働き始めましたが、住み込みで働くことが多かったので、仕事につまずき職場を離れると、住む場所も失ってしまうという問題に直面するようになりました。今は高校を卒業するまで養護施設にいることができますが、当時は中学を卒業すると同時に施設を出なければいけませんでした。中学生といえば、まだまだ大人の助けを必要とする年頃です。そうした子どもたちのための「家」を作ろうと、1958年に当センターの創始者である長谷場夏雄が、東京都豊島区で四畳半のアパートを借りて始めた共同生活の場が、日本初の「自立援助ホーム」となりました。

このような経緯でスタートした当センターですが、「就学支援」の児童養護施設も、中学生と高校生を対象として運営しています。現在は東京都足立区に本部を置き、同区のほか、新宿区、中野区で事業を行っています。入所している子どもたちは約90人、嘱託も含め約90人の職員で運営しています。

当センターが、最初に青年海外協力隊の経験者を採用したのは2007年です。実は協力隊の方を採用したいと考えていたわけではなく、たまたま採用した方が協力隊経験者だったのです。その方の働き振りがとても素晴らしく、その後、JICAの国際協力キャリア情報サイト「PARTNER」に求人を出すようになると、関心を寄せてくれる帰国隊員の方々が少しずつ現れるようになり、現在までに4人を採用しています。私自身、夫の仕事の関係で、マレーシア、ニカラグア、アルゼンチンなどに住んだ経験があり、その国々で協力隊の方に会う機会がありましたが、当時から、その高いコミュニケーション能力と行動力には感心させられていました。

理事長の荒船旦子さん

「指示がない」とは無縁のたくましさ

当センターに入職した協力隊経験者たちの中に“指示待ち人間”はいません。新人でありながら、自分でちゃんとすべきことを探してきて、こうやってもいいですかと提案をしてくれます。子どもたちと接するときにも、視野の広さや、引き出しの多さなど、協力隊経験者らしさを随所に感じます。例えば、子どもたちの活動に野球を取り入れて、来日したアフリカの野球チームと試合をするなど、国際色のある取り組みを行っている職員がいます。

協力隊経験者が良い影響を与えているのは、子どもたちだけではありません。一緒に仕事をする同僚も以前にも増して、積極的かつ主体的に取り組んでくれるようになったと感じています。協力隊経験者は、当センターにとてもいい刺激をもたらしてくれています。

中学生、高校生といえば、普通の家庭でも難しい年ごろなのですが、入所してくる子どもたちは心に傷を負い、多くの問題を抱えています。そうした子どもたちも協力隊経験者に対しては、理由は分かりませんが、一定の信頼を寄せているようです。

センターに入所してくる子どもたちも、実はグローバル化しています。近ごろは親のどちらか、あるいは二人ともが外国人という子どもも入所してくるようになりました。以前はフィリピンや中国などが多かったのですが、多様化しています。そうした意味でも、協力隊の経験を生かせる場面が増えてきているのではないでしょうか。いずれは、協力隊経験者や現役の協力隊の方々を通じて、開発途上国の同じような施設と交流できたらと考えています。そうした中で「生きる力」を育み合える関係がつくれたら、とても素敵なことだと思います。

子どもたち、職員、ボランティアでお手伝いくださる方、寄付をしてくださる方など、このセンターに関係するすべての方が「関係してよかった」と思っていただけるように―。そのためにも、今後とも協力隊経験者の力を借りながら、より良いセンターにしていきたいと考えています。

JICAボランティア経験者から

自立援助ホーム 長谷場新宿寮 児童指導員 中澤敦子(なかざわ・あつこ)さん
(2003年度派遣・2006年度派遣(短期)/モンゴル/青少年活動)

帰国隊員の活躍の場が豊富にあるセンター

大学を卒業して、商社などでOLをしていましたが、自分の人生はこれでいいのかと思い、高校時代の夢だった保育士の資格を取って転職しようと勉強を始めました。その頃に知ったのが児童養護施設でした。保育士の資格を取得した後、「若いうちに海外で施設の子どもたちに関わる仕事がしたい」と思い、青年海外協力隊に応募しました。

私が赴任したのはモンゴルの孤児院でした。そこで活動しているうちに、施設を出た後の自立支援も必要だということに気づきました。施設を出た後、家に帰って親にまた暴力を振るわれたり、生活に困って自殺してしまったりする子どもまでいました。2年間の任期が終わってから、すぐに短期隊員としてモンゴルに戻り、こうした孤児院を出た後の支援にも取り組んだのですが、自分の知識や経験が不足していることを痛感して帰国しました。日本の現場で学びたい、そう思って調べていく中で見つけたのが、就労と自立支援を目的とした「自立援助ホーム」を運営している社会福祉法人青少年福祉センターでした。それから10年、当センターが運営する自立援助ホームの一つで、児童指導員をしています。

「子どもたちが社会で幸せに生きていけるようになってほしい」という気持ちは、協力隊の頃から変わっていません。自立援助ホームは15~20歳までが対象なので、子どもといっても、半分はもう大人の年齢です。そうした子どもたちを指導していくのは、精神的にも体力的にもとても大変で、自分自身が強くなければ務まりません。ちょっとしたことでは動じない心と体の強さは、協力隊で培われたものだと感じています。

私は当センターに入職後、日本にもこんなに貧しい子どもたちがいると知って衝撃を受けました。大学進学が特別なことではなくなった日本で、家庭からの支援が得られない上に、中卒や高校中退で働き、自立していかなければならない子どもたちがいること、そして彼らへの支援が必要だということを、もっと世の中の人に知ってもらいたいという思いがあります。開発途上国で貧困、暴力、非行、障害、教育など、さまざまな課題や問題に向き合ってきた協力隊経験者だからこそ、日本の子どもたちのためにできることがあるのではないでしょうか。

当センターには、協力隊経験者が活躍できる場が豊富にあります。活動を終え帰国した協力隊の方々に、ぜひ一度、当センターに足を運んでもらえたらと思います。

ウランバートル市郊外にある国立の孤児院で日本語などを教える隊員時代の中澤さん(写真上列右から3人目)

JICAボランティア経験者から

児童養護施設 暁星学園 ほきまホーム 児童指導員 多田春奈(ただ・はるな)さん
(2011年度派遣/ザンビア/体育)

異文化理解のスキルが役立った

自分の出身校でもある北海道の中高一貫校で体育の教員をしていましたが、学校がグローバル教育に取り組んでいたこともあり、感化されて青年海外協力隊に応募しました。

私が協力隊として赴任したのはアフリカにあるザンビアという国で、成績優秀校とされる学校の男子中高生に体育の授業などを行ってきました。協力隊に参加する時には、帰国したらすぐ学校に戻ろうと決めていたのですが、活動を通じて「日本と違い、現地の子どもたちの目はどうしてあんなにもキラキラしているのだろう」「日本の子どもたちに何が不足しているのだろう」という疑問が生まれました。

そうした疑問と、協力隊に参加する前に勤務していた学校にいたさまざまな問題を抱える子どもたちの姿が重なり、日本で子どもたちの自立を促すようなことができないものかと、JICA青年海外協力隊事務局の進路相談カウンセラーに相談しました。そこで紹介されたのが、協力隊経験者が活躍しているという社会福祉法人青少年福祉センターでした。

現在、私は当センターの児童養護施設で児童指導員をしていますが、協力隊時代に養われた異文化に対する理解力と対応力が役立っています。さまざまな家庭の問題を抱え入所している子どもたちは、心身ともに養育されず、虐待経験から生じた問題行動をとることがしばしばあります。そうした子どもたちを「異文化」を持つ存在だと捉えることで、少しずつ理解できるようになりました。

当センターに入所している子どもたちは、基本的なルールを守るという社会性が養われていなかったり、目標に向かってやり抜く力がなかったり、根本的に大人を信じていなかったりするところがあります。そうした部分を育成するために体を動かす活動に取り組みました。その一つに野球があります。私は高校、大学とソフトボールをやっていて、ザンビアでも体育の授業のほか、野球の指導もしていたのですが、野球に取り組む過程で子どもたちが成長していく姿が印象に残っていました。

また、「アフリカ野球友の会」という協力隊経験者も多く関わる日本のNGOの招きで来日したアフリカの野球チームと試合をしています。自分たちとは肌の色も話す言葉も違うアフリカの子どもたちとの関わりの中で、何かを感じてもらえればと期待していたのですが、「英語を話せるようになりたい」という子どもたちだけでなく、「協力隊に行きたい」と話す子どもたちも出てきたことは、嬉しい驚きでした。今後とも「協力隊らしさ」を大事にして、子どもたちに良い刺激を与えられたらと思います。

※このインタビューは2017年11月に行われたものです。

中澤敦子さんは「人とシゴト」でもご紹介させていただいています。
https://www.jica.go.jp/volunteer/people/19/

多田さん(写真下中央)が体育や野球を教えていたザンビアの子どもたち

PROFILE

社会福祉法人青少年福祉センター
設立:1958年
所在地:東京都足立区扇1-12-20
事業概要:児童養護施設および自立援助ホームの運営
協力隊経験者:3人(2017年11月現在)
HP:http://www.wfc.or.jp/
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