東京大会が、僕にとっての
バルセロナであるように。
価値観を揺さぶられる瞬間を
皆さんに届けたい。
2週間のJICA海外協力隊経験は、「サポートがあれば、自分にもできる」という自信につながりました。一方で、世界には、障がいがあることで必要な情報や優れた指導者に出会えない人もたくさんいます。その改善のために、何らかの協力をしていきたいという気持ちが芽生えました。
その後、2008年からアジアパラリンピック委員会のアスリート委員を務めることに。原点には、マレーシアでの気づきがあったと思います。
2020年1月に日本パラリンピック委員会の委員長に就任し、今の目標は、日本選手が活躍する環境を作り、東京パラリンピックの全会場を満員にし、大会を成功させることです。それによってメディアの報道量が増え、見る人が増えれば、皆の意識も高まる。それは、過去の大会でも証明されていることです。
僕は、パラリンピックは「人間の可能性の祭典」だと思います。来て体感して、選手と出会うことで、価値観が揺さぶられる瞬間がある。それこそがパラリンピックの目指すところです。人間の想像を超えたパフォーマンスに出会うことで、自分が無意識に感じていた限界に気づき、壁を壊すきっかけとなる。パラリンピックは選手の可能性を目撃すると同時に、自分自身の可能性を再認識する場なのです。今回の東京では、そんな“本物”に触れる機会を提供したいですし、会場や選手村、ホスピタリティにおいても、そのことを感じてもらえる大会になるはずです。
僕は1992年のバルセロナ大会に参加したときの驚きと感動を今でも覚えています。当時の日本ではパラリンピックに関する報道はなく、オリンピックとはまったく違う扱いでした。しかし、スペインではオリンピックと同じ会場で試合をし、多くの観客が観戦し、TVで放映されたのです。その状況に、17歳の僕は「いつか日本もこんな風になったらいいな。そうしたい」と思いました。
バルセロナ大会から約30年が経ち、ようやく日本も当時以上の環境になってきました。今大会では、パラリンピック最多の170近い国と地域から選手たちが参加する予定です。初めてパラリンピックに参加する選手や国もあるでしょう。その時に、彼らにとっての東京が僕にとってのバルセロナのようになってほしいと思っています。
東京パラリンピックでは、全国の「共生社会ホストタウン」にパラリンピアンが来日し、当地での練習を経て、本番を迎えます。今回サポートを経験するホストタウンが、その県のロールモデルとなり、今後、共生社会を進めていってほしいと思います。同じ気持ちを持った人が増えることが、それぞれの国や地域を発展させていくのだと信じています。
日本パラリンピック委員会では、子どもたち向けにパラリンピックを題材としたインクルーシブな学びを促す国際パラリンピック委員会公認教材「I'mPOSSIBLE(アイムポッシブル)」を、全国すべての小中高校、特別支援学校などに配布しています。授業に必要なものがすべてそろったパッケージで、パラリンピックのことをあまりご存じなくても負担なく授業できるようになっていますので、日本国内で学校の先生をしておられる関係者の皆様にはぜひご活用いただければと思います。
また海外の学校での任務に当たっていらっしゃる隊員の皆様には、是非国際版(英語)の「I'mPOSSIBLE」を学校でご活用いただければと思います。I'mPOSSIBLEの授業を行っていくことで、地域の障がい者への理解が深まり、彼らの社会参加が促進されることに繋がったという報告もあります。是非赴任国のパラリンピック委員会にお問合せいただき、共にパラリンピックムーブメントの推進にご協力いただければ幸いです。