ユニチカ株式会社技術開発、製品開発そして国際協力にも
必要なもの、それは「情熱」。

  • グローバル人材の育成・確保

それを実現するのは、ユニチカです。

1889年(明治22年)、ユニチカの前身である尼崎紡績は誕生した。今年で創業121周年を迎えた同社のウェブサイトでは、「ユニチカ百年史」の閲覧が可能となっている。ここには同社が歩んできた歴史と共に、日本における繊維の歴史が刻まれていると言っても過言ではない。創業者、菊池恭三氏が重んじた「倹素(けんそ)にして困苦艱難(こんくかんなん)に耐え、創意工夫、変化と革新」の精神は今なお脈々と受け継がれ、現在の同社は活動拠点を海外にも広げ、繊維というフィールドのみならず、幅広い事業展開を見せている。

 そんな創業者の精神をそのまま引き継ぐかのごとく、2006年に青年海外協力隊員として西アフリカの大地へ羽ばたき、復職後も活躍し続ける同社の社員、井上邦子さん(平成18年度派遣/ブルキナファソ/村落開発普及員)を訪ねた。

チャレンジ精神に導かれ協力隊に参加

バスケットボールに明け暮れた中学、高校時代。その大好きなバスケットボールの選手として井上さんは実業団チームのあるユニチカに就職した。しかし2年後の2004年、バスケットボール部が廃部。ひた走ってきた道が閉ざされたとき、大概の人間は立ち止まってしまうものだが、井上さんは違った。「大好きなものがなくなってしまったのだから、新しい何かを見つけたい!始めたい!と思いました」と井上さんは笑顔を見せる。そんな折、同社の労働組合が発行している機関紙のとある記事に目が留まった。そこには、「フィリピン植林ワークキャンプ参加者募集」の文字。それは同社労働組合が支援しているNGO主催のもので、参加費用も同社労働組合が半額を負担するという内容だった。「これだ!と思って即決でした。たった1週間のワークキャンプでしたが、活動を通して見えてくる現地の人々の屈託のない笑顔や、参加者同士の間に芽生える信頼関係は、私の財産になりました」と井上さんは瞳を輝かせる。初めてとも言えるボランティア活動を通して「人のために考えること、人のために行動すること、その先には自分も含めたくさんの笑顔と信頼の輪が広がっていること」を知った井上さんは、2年後の2006年にも同ワークキャンプに参加。そこで出会った協力隊OB/OGに大きく影響を受ける。「協力隊参加経験のある人たちから実体験を聞くほどに、『自分も1週間という短期間ではなく、現地にしっかりと根を張って活動してみたい』と思うようになりました。ただ、社会人である自分の立場を考えると、具体的に何をどうすれば良いか分からない状況でした」と井上さん。そこで、職場の上司に相談してみたところ、同社にはボランティア休職の制度が設けられていること、また、過去に同制度を利用して協力隊へ参加した社員がいることを知らされる。志はあるものの、漠然としか描けていなかった夢が、上司からの助言により具体的な目標となった。井上さんは協力隊への応募を決意する。

たゆまぬ努力は必ず良い結果につながる。協力隊も仕事も同じです、と井上さん。

情熱を持った社員は会社の財産

1994年、ユニチカは「ボランティア休職に関する協定書」を労使間で結んでいる。その第2条には次のように明記されている。「ボランティア休職の取得対象とする具体的職務は、『青年海外協力隊』参加に係わるもの」。

 井上さんが参加を申し出る10年ほど前にも、この協定にもとづいて1名の男性社員が協力隊に参加。同社の人事総務部・人財グループ・グループ長である藤田正展さんは、井上さんから申し出があったときのことを思い出し、「10年ぶりの申し出にまず驚き、申し出た社員が若い女性社員と知ってまた驚き、そしてやはり安全面での心配をしたというのが最初の感想です」と話す。その後、井上さんの所属する「宇治事業所」の総務部では井上さんと面談の機会を設け、現地の治安は当然のことながら、本人の高い志や熱意、あるいは復職後のビジョン等を確認。その上で、井上さんの申し出を人事総務部としても正式に認めることを決定した。井上さんが働く職場では井上さんの協力隊参加をサポートする体制を整えた。

 「『情熱』は物事を動かしていく原動力になります。ボランティアでも仕事でも『情熱』を持っている人間は、周囲をも良い方向へ引っ張っていくことができます。井上さんと面談をした結果、井上さんがどれだけ情熱をもって協力隊に参加しようとしているかが分かりました。また、弊社では、社員の個性や自主性を非常に大切にしています。社員は弊社の財産ですから大切にするのは当然です」と藤田さんは語る。それを裏付ける良い例の一つが、同社では「人材」を「人財」と表記している点だろう。

社員は財産ですから、ユニチカでは「人材」を「人財」と表記しますと話す藤田さん。

「自分にもできる」という自信が今の自分の大きな支え

「協力隊として派遣されるからには、お客さん扱いはされたくなかったんです。村の一員として受け入れてもらい、仲間である村人のために出来る限りの活動をしたいと思っていました。ですから、協力隊の中に数多くある職種の中でも村落開発普及員は、私にとっては憧れの『ザ・ボランティア』(笑)。村落開発普及員として協力隊に合格したときは本当に嬉しかったです」、そう当時を振り返る井上さんが派遣された先は西アフリカのブルキナファソ。

 砂漠化が深刻な地域で井上さんは、未来を担う子どもたちの意識の変化が重要だと考え、学校では環境教育に力を注いだ。砂漠化防止のために、苗畑職人を育て組織化し、苗畑の生産を開始させた。多くの人からの関心を集めるために、植林コンテストも開催。一方で、村の女性たちの生活向上支援にも取り組んだ。より熱効率の高い「改良かまど」を普及させるために9つの村を奔走し、400人以上の女性にかまど作りのノウハウを指導した。村の女性からは「燃料になる木の量が減った」「調理時間が短縮された」「煙が減った」など、高く評価された。また指導を受けた女性の8割が、改良かまどを知らない人に対して作成指導ができるようになった。

 「言葉の壁に加え、若い日本人女性に指導されること自体を快く思わない人たちもいましたから、落ち込む日もありました。でも、どんな小さなことでも『継続は力なり』なのだと実感できることもたくさんありました」と井上さんはブルキナファソでの日々に思いを馳せる。例えば、環境教育の授業を実施しても、全員の意識を改革することは不可能だった。しかし、井上さんの授業内容に感化された数名の子どもたちが、自主的に植林や苗木の生産を手伝ってくれるようになった。改良かまどは、井上さんの指導を機に、着実に普及し続けている。また、自分の気分転換もかねて子どもたちに教えていたバスケットボールは、現地のスポーツ省に認められ、コーチを委託されるまでになり、実業団で使用していたボールやユニフォームを日本から送ってもらうこともできた。

 村人たちの心に撒かれた様々な種は、全てが発芽するかは誰にも分からない。しかし、確実に発芽し、苗となり、井上さんが日本に帰国した今も成長し続ける苗があることは事実だ。「『私にもできることがある』。こうした自信が、今の仕事を遂行する上でも私の大きな支えになっています」と井上さんは語る。

「改良かまど」の作成にあたっていた当時の井上さん。

復職後も生き続ける協力隊での経験

井上さんのように、困難を自力で乗り越えてきた人間は逞しいし、頼もしい、と語る松本さん。

2年にわたる任期を全うし、帰国した井上さんは理解ある上司と、温かい同僚たちに迎えられ復職。復職後1年間は、協力隊派遣前と同じ部署で仕事をこなし、現在は別の部署に異動。井上さんが働くユニチカ(株)中央研究所の所長を務める松本哲夫さんは、井上さんが復職してから今日にいたるまでを次のように話す。「井上さんは、今年の4月から異動になったのですが、実は以前いた部署とは業務内容が大きく変わりました。こうしたケースの場合、大概の人の場合は抵抗を感じるものです。しかし、井上さんは『どんなことにもチャンレジしていきます!』と頼もしい返事をしてくれました。もともと明朗快活で、社交的な人柄でしたが、協力隊に参加してからはさらに逞しくなりましたね(笑)。これは、あらゆる困難を自身の力で乗り越えてきた人間の強みなのだと思います」。

 井上さん自身は、協力隊参加後の自分を次のように分析。「色々なことを勉強して知識を増やすことの楽しさを知りました。また、具体的に目標を定め、計画を立てて地道に実行していけば、結果は必ずついてくると確信することもできました。そして、トラブルが発生したときに、優先順位を決めて冷静に対処する力も身についたと思います。こうしたことは、研究職である今の仕事には不可欠な要素だと思います」。

 井上さんは現在、水の「ろ過膜」の研究を主に行っている。途上国では、衛生面でも供給面でも常に水の心配がある。それをブルキナファソでの2年間の生活の中で体験してきた井上さんだからこそ、研究に対するモチベーションも高い。「水で困っている世界中の人たちに、安全で安心な水を継続的に供給していくための研究なのだと自負しています」と井上さんは話す。

 現在は多くの企業が、環境に配慮した企業活動を展開させているが、同社では1973年に独自の「環境保全規程」を制定し、「大気汚染防止」「水質汚濁防止」「廃棄物削減」「地球温暖化防止」などに取り組んできている。『情熱』は目に見えるものではないが、121年前に綿紡績事業で始まった同社が、現在は高分子事業、環境・機能材事業、繊維事業、生活健康事業などの分野にも進出を果たし、人にも環境にも優しい製品を世に送り出し続けている事実は、同社があらゆるものに『情熱』を持って取り組んでいることの表れだと言えるだろう。

 2010年の秋、同社からは再び男性社員が『情熱』という翼を携え、ルワンダの地へ協力隊員として羽ばたくことが決定している。

※2011年8月29日読売新聞朝刊に掲載されたコチラの記事もご覧ください。
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PROFILE

ユニチカ株式会社
『暮らしと技術を結ぶことによって社会に貢献する』ユニチカ!が経営理念。121年にわたりみなさんの生活を豊かにするために貢献してきました。

『テラマック』~トウモロコシなど植物由来のポリマーからなる素材で、CO2削減や石油資源問題に貢献するバイオマス素材です。最終的には水と炭酸ガスに分解、再びトウモロコシなど植物に吸収され、大きな意味での「リサイクル」な素材で、生分解性素材でもあります。衣料、食器、携帯電話のボディ、化粧ボトル、包装フィルムなど、その用途が拡大しています。

『世界初の独自技術』~「同時ニ軸延伸法」により生み出されるナイロンフィルム『エンブレム』は食品包装用フィルムとして世界市場の約半分のシェアを誇り、「界面重合法」により世界で先駆け量産化に成功したポリアリレート樹脂『Uポリマー』はより高機能なエンジニアリングプラスチックとして自動車、光学機器、精密機器分野で活躍しています。
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