[特集]〝職種〟を生かして日本で活躍する

職種:看護師▶「高齢者支援」

宮井美津子さん
宮井美津子さん
SV/基礎保健/ネパール/2007年度0次隊、看護師/バヌアツ/2010年度4次隊、ミクロネシア/2013年度3次隊・千葉県出身

看護師、介護補助員。東京逓信病院高等看護学院を修了後、東京逓信病院を経て横浜逓信病院に移り、看護部長も務める。働きながら、大学・大学院で学習を継続した。SVとして3度の派遣を経験し、現在、トカラ列島の十島村在住。


島のお年寄りと一緒に
元気に100歳まで過ごしたい

見守り支援で、日々何軒もの家を精力的に回る宮井さん

見守り支援で、日々何軒もの家を精力的に回る宮井さん

   鹿児島県のトカラ列島、十島村住民課の介護補助員として働く宮井美津子さん。看護師としてキャリアを重ねた後、60歳を前にシニア海外ボランティア(以下、SV)に応募、3度の派遣を通じて、途上国で看護技術を伝えた。その後、看護の経験を生かし、「日本の高齢化が進む地域で、お年寄りと元気に100歳まで過ごしたい」と地域おこし協力隊として同村に赴任し、介護を通じてコミュニティを支えている。

   看護学校卒業後に病院に就職し、働き続けた宮井さん。「趣味が勉強」というとおり、仕事を続けながら、大学、大学院で学びを重ねた。

   看護部長も経験した宮井さんの転機は、電車内で見た協力隊募集の中づり広告だった。見た途端、「これだ」と思ったという。自分の経験を生かすことで、社会への「恩返し」にもなるとSVに応募した。

   2008年、最初に派遣されたのは、ネパールだった。同国唯一の医学部、トリブバン大学医学部の看護学科で、「看護の理論と実践」について教えた。仕事中に腰を痛める看護師が多かったことから、腰痛の防止やストレス対処など安全な仕事の仕方も伝えた。

バヌアツ派遣時代。看護学校の生徒たちと宮井さん

バヌアツ派遣時代。看護学校の生徒たちと宮井さん

   看護学校では自立を目指す女性が多く学んでいた。もっと、そうした人たちの力になりたいと思いながら帰国した直後、新たな看護師職種の募集を知って応募。今度は、バヌアツ看護学校で実習などを担当することになった。東日本大震災の直後の派遣で、バヌアツの人たちはみんな震災のことを知っていて、日本から来た宮井さんを歓迎してくれた。災害看護について、災害とは何か、看護師に何ができるかということを教員たちとも一緒に話し合った。

   バヌアツから帰国し、3度目の派遣で程なくミクロネシアに派遣された。ミクロネシア短期大学の看護プログラムで基礎看護を担当し、「看護技術とコミュニケーション」や「専門職の質と態度」を教えた。

   ミクロネシアから帰国した後も、SVとしてさらに活動したい気持ちはあったが、応募には69歳という年齢制限があり、諦めた。「『生涯現役』で社会の役に立ちたい」と考えていたところ、十島村で看護師経験のある人を地域おこし協力隊として募集していることを知った。

   同村は、五つの無人島を含む12の島から成る。宮井さんが滞在する島は人口約80人。都市部の小中学生の離島留学やシングルマザーの移住などを積極的に受け入れているが、高齢化は止まらず、元々島で暮らしてきた人たちは65歳以上の人が約35%に及ぶ。村は島の診療所で看護師2名の体制を目指しており、医療と介護の連携と支援体制のため、宮井さんは高齢者の介護予防に取り組むことになった。

   日々の活動は、午前中の家庭訪問・見守りから始まる。毎日8軒ほどを回り、「お食事、食べた?」などの何げない会話をしながら、変わりないかどうかや困り事を確認する。

「健康以外に、時計の電池交換や、携帯電話が通じないという相談を受けるなど、電化製品に関する相談も多いです。鍋を焦がして困っている人もいます」

天気の良い日には島一周ドライブを行ったりと、外へ出てもらえるようにさまざまな取り組みを講じている

天気の良い日には島一周ドライブを行ったりと、外へ出てもらえるようにさまざまな取り組みを講じている

「これ、何が書いてあるか読んでください」と郵便物や役所からの文書を渡されることも多い。視力が衰えている人だけでなく、生活に追われ、学校に通えなかった人もいる。宮井さんは「これは、こういうお知らせですよ」と説明する。午後はコミュニティセンターで、デイケアに集まった島の人たちと共にゲームや工作をして過ごす。認知症の症状がある人や、歩くのが難しくなり、送り迎えが必要な人もいる。だが、「動かなくなると、さらに動けなくなる。動くのが一番のリハビリであり、介護予防」と、宮井さんはできるだけセンターに来るように呼び掛ける。

   センターには温泉があり、週3回、入浴して帰宅する。楽しみな時間である一方、風呂は高齢者の事故が多い場所でもあるため、事故が起こらないよう気を配り、入浴介助もする。

   宮井さんが、看護師やSVの経験が生きていると感じることの一つが、お年寄りとのコミュニケーションだ。SVとして海外で言葉があまり通じない環境を経験したことが、島に来て役に立ったという。

   医師のいない島における医療や看護、介護は、かつて活動したミクロネシアと似ている部分もあると話す宮井さん。「すぐに緊急搬送を要請しなければいけないのか、しばらく様子を見ていたほうがいいのかといった判断が重要です」。

   経験豊富な宮井さんは、村の看護師たちのやりとりにも加わる。「とっさの時に相談できる安心感は大きい」と同村の肥後正司村長からも評価されているという。

   当初の地域おこし協力隊の任期だった3年間は終了したが、契約を延長し、役場職員として活動を続けている。現在、夫は横浜で暮らしており、3カ月に1度会う程度だという。「デイケアのキャッチフレーズが、『元気で長生きパラダイス100』なんです。看護を必要とする現場でずっと苦労して一生懸命生きてきたお年寄りの力になりたい」

   宮井さんは、まだまだ現役だ。

地域おこし協力隊に応募するには

宮井さんが現在活動する平島の港にて

宮井さんが現在活動する平島の港にて

   地域おこし協力隊員は市町村などの地方自治体が個別に募集しているが、一般社団法人移住・交流推進機構(JOIN)が全国の自治体の募集をまとめてホームページで公開しており、地域や活動種別、待遇などのカテゴリーで検索できる。その他、各自治体がホームページで募集情報を公開している場合もあるが、どちらの場合でも、当該自治体の担当部署宛てに必要書類を送付するなどして応募することになる(独自の説明会や、専用の応募サイトを設けている自治体もある)。

   なお、募集案件によっては運転免許のほか、旅行業務取扱管理者や保健師といった特別な資格・免許が条件となることもある。宮井さんの場合も、看護師の資格を生かして応募している。

   地域おこし協力隊員の任期は最大で3年間だが、大抵はまず1年間の契約で赴任して活動し、その後、受け入れ先の自治体との協議で継続・延長を検討することになる。

※地域おこし協力隊の情報はコチラ

Text=三澤一孔 写真提供=宮井美津子さん

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