派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[セネガル]

長い派遣の歴史が紡ぐ
新たな絆

40年を超えて協力隊が派遣されてきたセネガル。課題を前に「自分に何ができるのか」と問い続ける姿は今も昔も変わらない。養殖、家政、小学校教育、看護師の隊員の活動を紹介する。

佐藤良雄さん
佐藤良雄さん
養殖/1983年度2次隊・東京都出身

PROFILE
海洋系の大学で漁業資源の増殖を専攻し、就職する前に何かにチャレンジしたいと協力隊に参加。帰国後は沖縄でクルマエビ養殖会社や水族館に勤務した後、開発コンサルティング会社に所属し、各国で養殖指導などに当たった。

横山真智子さん
横山真智子さん
家政/2002年度1次隊・岐阜県出身

PROFILE
大学を卒業し、岐阜県の教員として中学校で家庭科を中心に6年間教えた後、現職教員特別参加制度を利用して協力隊に参加。小学校に復職後、休職して大学院で家庭科教育について研究。復職し小中学校勤務。大学院で博士号を取得し2023年から三重大学教育学部家政教育学科講師。「青年海外協力隊活動におけるものづくりの意義」などの論文がある。

松尾雄大さん
松尾雄大さん
小学校教育/2016年度2次隊・福岡県出身

PROFILE
大学の教育学部在学中に1年間休学し、バックパッカーとして世界一周しながら、サッカーを通じて各地の子どもと交流する。復学して小学校教諭免許・特別支援学校教諭免許を取得し、新卒で協力隊に参加。帰国後、日本ブラインドサッカー協会に就職して国内外での普及活動に携わる。2020年4月に一般社団法人「WITH PEER」を共同創設。22年からセネガルでの活動を本格化。

賣野由紀子さん
賣野由紀子さん
看護師/2022年度3次隊・神奈川県出身

PROFILE
アフリカでの国際協力に憧れ、2006年、日本の大学在学中に交換留学でダカール大学にて1年間学ぶ。その時に協力隊の看護師・助産師の活動を見学し、母子保健での貢献を決意。大学卒業後、製薬会社に医薬情報担当者として勤務しながら学費をため、短大に進学し看護師資格を取得。さらに看護師として3年の病院勤務の後に修士課程で助産師資格を取得し、2年半の産婦人科病棟勤務を経て協力隊に参加。

零細漁民を組織化し生ガキの
販売ルートを切り開いた隊員

漁民の女性たちとマングローブの根元についたカキを採取する佐藤さん

漁民の女性たちとマングローブの根元についたカキを採取する佐藤さん

   アフリカ大陸最西端のダカール市内、その突端のアルマディ岬には生ガキなど新鮮な魚介類を食べられる屋台が複数あり、セネガル人や欧米人観光客でにぎわう。実は、このカキ小屋の一つは40年前に青年海外協力隊員がダカールからはるか200キロ南のソコンの漁民たちと一緒に始めたもの。1983年に養殖隊員として派遣された佐藤良雄さんがその人だ。

   配属先の水産局からの要請は、マングローブの根元につく天然のカキを採っている地元漁民に養殖技術を教えるというものだった。ただ、村に行ってみると、雨期に自給用の雑穀と換金用の落花生を栽培して乾期に漁業をする半農半漁が中心だった。そして、地元の人たちに生ガキを食べる習慣はなく、生ガキが高く売れることも知らない人が多かった。「最初に訪ねた村でカキを採っていたのは5人ほど。12月から4月の間、毎週土曜日に50キロほど離れた町で200~300ダースを販売して貴重な収入源となっていましたが、地方の町なので近隣にカキを食べる習慣がない事情もあり、それ以上の販売の拡大は望めませんでした。養殖という以前に商品化に力を入れなきゃいけないと思いました」と佐藤さんは話す。

   大きな市場としては外国人が多い首都が考えられ、既にダカールへの生ガキ出荷を行っていた町のカキ漁業組合に買い取りを交渉するも、買いたたかれてしまった。自分たちで売るしかないと思い至った佐藤さんはカキ採集ができる村に「ダカールで生ガキを売ってみたい。協力してもらえないか」と働きかけ、試験販売に着手した。

   水産局で出荷前の細菌検査を無料で行えるよう手配し、隊員支援のため置かれた駐在員事務所から借りたランドクルーザーに殻つきの生きたカキを積んで佐藤さん自らダカールまで運んだ(※)。出荷用の資材などは現地業務費で工面し、漁民2人と一緒にバイクに生ガキを積んでダカール市内のレストランやホテルを回って売り込んだ。

アルマディ岬のカキ小屋と、カキ販売用のバイク(写真は佐藤さんの後任隊員の時代のもの)

アルマディ岬のカキ小屋と、カキ販売用のバイク(写真は佐藤さんの後任隊員の時代のもの)

   カキの価格は、小売りならば1ダース500CFAフラン(当時の日本円で約250円)、レストランなどへの卸は450CFAフランで、その時代の農家の下働きの日給と同等。最終的に、このシーズンの試験販売の売り上げは約40万CFAフランにもなった。漁民の負担が少なかったこともあり、みんながぜんやる気になった。佐藤さんは次シーズンからの本格販売に向け協同組合をつくり、4カ村43戸が参加した。

   この地域のカキは小さく成長が遅い。まだ小さいカキは採らないこと、藻などがついて身入りの悪いものは避けること、出荷のためにカキを一つ一つ分けることなど、佐藤さんは採集や選別方法などを漁民たちに教えた。

   一方で、ホテルやレストラン以外の販路としてアルマディ岬にカキ小屋を造り、ダカール市場内の販売スペースも購入した。さらに、販売の会計で不正がないように各村から販売員を1名出してもらい、佐藤さんは販売員のバイクの免許取得からダカールでの下宿先の手配まで世話をした。

   貧しい漁民は現金があるといつの間にか使ってしまうことが多いため、組合員には出荷のたびに代金を支払うことはせず、半年のシーズン終了後にまとまった金額を渡すと伝えていた佐藤さん。販売期間中は毎日、売り上げを佐藤さんと販売員全員が電卓で計算し、村に戻る度に金額を報告した。

   2回目のシーズンでは1万ダースを販売することができ、経費を差し引いた利益は組合員1人当たり平均約7万CFAフランに。舟を持っていない漁民は、木舟やそれに取りつける船外機を買う元手にした。

「赴任当初はセネガルでの生活に慣れるのに精いっぱいで、〝ここで暮らしていける〟と思えるまで1年かかりました。それからは何でもやりましたが、縁もゆかりもない外国人を受け入れてよくついてきてくれたなあと思います」

   一緒に舟に乗り、作業用の籠編みをし、ウォロフ語でおしゃべりを楽しむなど佐藤さんは漁民たちと多くの時間を共に過ごし、任期を延長。誠実につき合った3年8カ月の成果だった。

   その後、2004年までに約10人のカキ養殖隊員が赴任し、組合の組織強化やカキ養殖の普及、天然カキの生育環境を維持するための環境教育などを行った。最後の養殖隊員が去ってから約20年。今もソコンのカキ組合はカキの一部を養殖ガキで賄い、ダカールへの出荷を続けている。

家政職業訓練校で
技術指導員候補生の優秀さに驚く

フランス刺しゅうのテーブルクロスにビーズで縁飾りをする横山さんの生徒たち。農村の生活改善を指導する公務員職のため、男性も少なくなかった

フランス刺しゅうのテーブルクロスにビーズで縁飾りをする横山さんの生徒たち。農村の生活改善を指導する公務員職のため、男性も少なくなかった

   セネガルでは村落での農業以外の産業振興や貧困層の収入創出を図るために職業訓練に力を入れてきた歴史がある。横山さんは、家政隊員として2002年からダカールにある国立社会家族経済教育学校(ENFEFS)で手工芸教育に携わり、その一翼を担った。

   ENFEFSは職業訓練校の指導員を養成する国内唯一の学校で、中学3年生以上の生徒がレストランやホテルに就職するための資格を取る専門課程や、地方の農村部で女性の生活改善に当たる指導員の養成課程、指導員資格を取得した人が進める女性技術教育センターの教員養成課程があった。

   横山さんへの要請は、セネガル人教師と共にかぎ針編み物やフランス刺しゅう、ビーズ小物、マクラメなど一般的にニーズのある手工芸を教え、デザインや材料、手法に関する新たなアイデアを提供すること。各課程のレベルに応じた授業を行った。

   印象に残っているのは生徒たちが高い修得能力を持っていたことだ。まだ年齢層の低い専門課程の1年生には編み方の名称や針と糸の持ち方など実演しながら丁寧に教えなければならなかったが、それに比べ、指導員養成課程や教員養成課程では教える労力は少なくて済んだ。指導員は国家公務員のため人気が高く、養成課程には中学修了後の選抜試験に合格した人材が全国から集まっていたからだ。

「私のフランス語での説明が多少下手でも、1人の生徒が理解すれば、その生徒が他の生徒にちゃんと伝えることで全員が理解できました」。おかげで、装飾的にひもを結んでつり籠などを作るマクラメなどでも、すぐに応用に進められた。教員養成課程にマクラメが得意な生徒がいて、教師に代わって応用作品を指導することもあった。生徒は自分の好きなように技術を組み合わせオリジナリティある作品を作っていった。

   長期休暇には、横山さんはバスを乗り継いで地方出身の生徒の家を訪ね、その高い修得能力の背景を知った。

「村落地域では紙が貴重で、小学校では教科書やノートを使用せず、先生が黒板に書いたことを個人用の小さな黒板にチョークで写し、次を書くためにすぐ消す。あまり記録しなくても学んだことを理解し覚えられる子が自然にふるい分けられ、入学・進学しているようでした」。さらに、フランス語やウォロフ語、アラビア語など複数の言語を理解できる生徒が何人もいて、耳から入る情報に強く、セネガル人が文字ではなく口伝で文化を継承してきたことにも納得がいった。その半面、文字や絵を書いたり、記録物を読んで理解したりすることは弱いと感じられた。

   伝統あるセネガル刺しゅうも口伝という。ENFEFSには教えられる教師がいなかったため、横山さんは残された作品から図案を取り、刺し方などを生徒に教えるという体験もした。

「日本人の私がセネガルの伝統的な刺しゅうを教えるのは不思議な状況でした。そして、日本のように、子どもの頃から日記を書いたり本を読んだりすることで培われる能力の大切さも改めて感じました」

現地のベテラン教師をモデルに
算数授業を改善

   セネガルでは1990年に60%だった初等教育就学率が2010年には90%に向上したが、急速な就学者の増加に対応するために教員養成課程が4年間から9カ月へと短縮された結果、教員の質の低下が課題となっている。セネガル南西部のカオラック県ンドファン市で、小学校教員の指導力向上を目的に算数の授業改善に取り組んだのが松尾雄大さんだ。

「静かにしよう」と壁に貼った絵を示して指示する教師。松尾さんは生徒にわかりやすいよう、掲示物や指示方法を工夫することを提案した

「静かにしよう」と壁に貼った絵を示して指示する教師。松尾さんは生徒にわかりやすいよう、掲示物や指示方法を工夫することを提案した

   市内の小学校では1学年に約100人の生徒がおり、2クラスに分けて教えているのはまだいいほうだった。一つの教室に生徒がひしめき合い、教室が足りず、青空教室で学ぶ姿もあった。授業は教師が教科書の内容を説明して問題を解かせる一方的なものが多く、理解できない生徒は集中力が続かず騒いでしまう。大勢の生徒を静かにさせるために教師がむちを使うことも、頭ごなしに否定するのは難しいのではないかとさえ感じさせる状態だった。

   松尾さんは巡回先の学校の授業に立ち会い、授業後には意見交換をして、教員を集めた研修会などでさまざまな改善提案をしていった。

   児童の算数力アップに直接つながるものとして提案したのは、かけ算の歌や百マス計算の導入など。また、教授法全般についても、板書の仕方に始まり、教材の活用法、教室内のルールを保つための掲示板の活用方法、授業案の組み立て方、生徒たちに伝わりやすい発問の仕方まで大学で学んだことを基に教師たちに提案した。

   特別支援学校の免許も取得していた松尾さんは、すべての生徒にわかりやすく伝えることにも配慮した。例えば、おしゃべりをやめて静かにするようにという指示をイラストで視覚化して先生が指さすようにすることや、数の概念を教える際にいきなり数字を示すのではなく石や葉っぱなどの身近な具体物を触ることから始めることなどだ。

   しかし、赴任後1年近くたっても、教師たちの反応はいま一つで、授業のやり方はあまり変わらなかった。

   悩んだ松尾さんが気づいたのは、教師たちが教員となるための教育をきちんと受けられなかったため松尾さんの提案内容への理解が進まず、自分たちが受けた教育と同じようにしか教えられないということだった。

   ただ、そのような教師たちの中に一人だけ素晴らしい授業を行うベテランの先生がいた。授業案がしっかりと構成されており、前回の復習から始める導入、個人ワーク、グループワーク、最後の振り返りまできちんと進める。わかりやすく、生徒たちを引きつける話し方をし、生徒の様子を見ながら上手に授業を展開させていく。むちを使うことは全くなく、生徒たちからの信頼もあった。

   松尾さんは、「セネガル人の先生なら教師たちにとって身近なはず。その先生の授業をモデルにして見てもらうことが一番いい改善方法になるのでは」と考えた。そこで授業の様子を映像化し、それを題材にした研修会を県教育委員会に提案、実現させていった。

「モデル授業から教授法を学んだ先生の授業で子どもたちがすごく楽しそうにしていたのが印象に残っています」

母子の健康向上のために
就労支援や性教育に取り組む

地域で赤ちゃんの体重測定を行う賣野さん

地域で赤ちゃんの体重測定を行う賣野さん

   セネガルの妊産婦死亡率や5歳未満児死亡率は、SDGs(持続可能な開発目標)が目指す値と大きな隔たりがあり、母子保健の改善は依然として大きな課題となっている。そうした背景の下、2023年1月から活動しているのが看護師隊員の賣野由紀子さんだ。

   配属先は、首都ダカールから北に140キロの半砂漠地帯にあるルーガ州ケベメール県ケベメール市と周辺地域から成る保健区。区内には保健センター(医師が最低1人はいる施設)や保健ポスト(看護師や伝統的産婆、無資格の地域医療スタッフで運営される医療施設)があるものの、医療従事者が不足していて、地域住民の保健衛生までカバーするのは難しい。賣野さんには、住民の健康管理・保健衛生の啓発活動を担う地域保健員や保健ポストをサポートしながら、母子の健康をめぐる課題に取り組むことが求められている。

   ある日、賣野さんは保健ポストに受診に来た女性の姿に驚いた。産後1カ月で体重は32キロまで痩せてしまっていた。母乳も満足に出ないこと、抱いている赤ん坊も低栄養になることが助産師をしてきた賣野さんには容易に想像がつき、話を聞いてみると、出産後に離婚され、頼りの実家も母親しかおらず経済的に厳しいということだった。そして、地域には同じような境遇の女性が他にも少なからずいることを保健ポストの長から聞いた。

   家庭の事情や学校の成績の問題で、高校まで無事に進学できること自体が当たり前ではないセネガル。中でも、賣野さんは若年での結婚・妊娠によって学業を中断する女の子たちが気になった。「夫に経済的に依存する女性も多く、夫がけがや病気で働けなくなったり、離婚したりした場合、あっという間に貧困に陥ってしまう。そのため、地域保健員が低栄養の母子に栄養について教えたところで、栄養のある食べ物を買うことができないんです」。

ケベサックの製作に携わる女性たちとのミーティング。右手前が賣野さん

ケベサックの製作に携わる女性たちとのミーティング。右手前が賣野さん

   そんな女性たちを何とかしたいと考えた賣野さん。巡り合ったのが「ケベサック」(ケベメールと、フランス語で鞄を意味するSacを合わせた名称)だ。地元の女性グループが経済的自立のために作っているアフリカ布のバッグのことで、実は04年にこの地に赴任した村落開発普及員隊員の活動から始まったものである。グループの名前はJIGEEN NU FARLU(ウォロフ語で、仕事へのやる気があふれる女性たちという意味)。色鮮やかな布を使うことで外国人などの土産物として人気になり、日本で行われるアフリカン・フェスタなどでも販売されてきた。

   06年にダカール大学に留学していた賣野さんもケベサックの活動を見聞きしていた。協力隊員としての赴任後、町中で賣野さんら隊員の姿を見て声をかけてきた女性がまさにケベサックのメンバーだった。アトリエに案内してもらうと、コロナ禍で活動は中断していたものの、「日本人ともう一度始めたい」と言われた。

   賣野さんはケベサックの再開を図り、同時に、困窮している女性にここでミシンの使い方などの職業訓練を行い、生活向上、ひいては母子の健康向上につなげたいと着想。保健ポストなどで、本当に支援の必要な困窮者のふるい分けを行いつつ、同じ任地の隊員と一緒にケベサックの店舗整備や商品作りを支援し始めた。

   一方、若年妊娠については、中学校の上級学年まで性教育の機会がないことも一因と考え、小学校教育隊員と一緒に、小学校での性教育授業を行う準備を進めている。

   留学時代と比べてはるかにインターネットが進化した今、賣野さんはケベサックを立ち上げた隊員をはじめ多くのセネガルOVとSNSなどでつながり、精力的にアドバイスを仰ぐ。

「セネガルのために奮闘された先輩たちの話を聞くと、とても勇気づけられます。任期はあとちょうど1年。うまくいかないこともいろいろ出てくるでしょうが、自分なりにできることを地道に積み重ねていくつもりです」

活動の舞台裏

サッカーを通じて深めた
セネガルとのつながり

   2016年から小学校教育隊員として活動した松尾雄大さんは、小学生時代から続けていたサッカーを通じ、任地に溶け込んだ。セネガルはFIFAのランキングではアフリカ圏で1位と、サッカーが最も人気のあるスポーツ。「赴任したその日から近所の子どもたちとボールを蹴っていました」。地域チームの選手、コーチを務めたほか、新たに少年サッカーチームを立ち上げて監督としても活動した。

2018年にセネガルで行われたブラインドサッカー交流イベントにて

2018年にセネガルで行われたブラインドサッカー交流イベントにて

   2018年のFIFAワールドカップの時、日本とセネガルとの対戦記念に行われたブラインドサッカー交流プログラムで協力隊チームのリーダーを担当したことが、人生を変えた。それまでは障害者スポーツに特別な関心はなく、障害者は支援される存在でどう接したらよいのかわからない、と思っていたというが、「実際にアイマスクをしてブラインドフットボールの練習に参加してみると、選手に全くかなわないんです。『障害』への意識が完全に変わり、セネガルのブラインドフットボール選手たちと友人になったことで、障害問題は〝自分ごと〟になりました」。

   帰国後は日本ブラインドサッカー協会勤務を経て、同じセネガル隊員の左近浩太郎(旧姓 山本)さん(小学校教育/2016年度1次隊)と一般社団法人『WITH PEER』を設立。「セネガルと日本で障害者スポーツを通じて障害課題を解決する仲間(=PEER)を集め、共生社会の実現を目指しています」。

活動の舞台裏

日本よりも便利な電子マネーサービス

「留学で滞在した17年前はダカールでさえ頻繁に停電や断水があったのに、今は地方都市のケベメールでもその回数がはるかに少ないし、インフラ整備がとても進んだことを感じます。何といっても電子マネーの普及にびっくりしています」と賣野由紀子さん。

電子マネーの引き出しや預け入れができる店舗

電子マネーの引き出しや預け入れができる店舗

   サブサハラ・アフリカでは個人の銀行口座を持っている人が少ない一方、スマートフォンを持っている人が増えたため、近年、銀行口座を介さない決済サービスが普及している。現金をスマートフォンや携帯電話にチャージして支払いができるだけではなく、窓口で現金を受け取ることもできる。

   首都や州都などには銀行やATMがあるものの、隊員の任地にはない場合が多く、「手持ちの現金が少なくなった場合、かつては州都にお金を引き出しに行くまで生活を切り詰めるしかなかったでしょう。今は近所の専用店舗へ行くだけで現金が手に入るのでとても便利です」

   協力隊を経て、今セネガルに拠点を置いて活動する松尾雄大さんも、この数年で急速に普及したと話す。「お金を安全に管理できるのはいいですよね。その半面、小銭を持たない人が増えると、道端にいる物乞いの人の収入減になったりしないかなとも考えてしまいます」

Text=工藤美和 写真提供=ご協力いただいた各位

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