産業レポート2017.06.13
地域:全国、
分野:全般
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う勇気が持てないからなのだ。 (『永遠平和のために/啓蒙とは何か』、カント、光文社古典新訳文庫)
そもそも啓蒙とは「蒙(暗さ)を啓く(開く)」という意味です。この言葉を聞くと、中学校の社会科で習った「啓蒙主義」を思い出す人が多いのではないでしょうか。即ち、「モンテスキューの『法の精神』やルソーの『社会契約論』等による啓蒙思想の普及が、市民革命を経て近世ヨーロッパに繋がっていった」と。中世ヨーロッパでは古からの因習や宗教的価値観により支配されていたことから、人間に内在する「理性」に基づいて考えて意思決定をしよう、というのが啓蒙思想の趣旨です。一方、ソーシャルビジネスを目指す日本企業からも、「啓蒙」という言葉がよく聞かれます。曰く、浄水装置を販売する為に「安全な飲料水の重要性を啓蒙します」。或いは、「換金作物の栽培方法を啓蒙します」などです。今回は、ソーシャルビジネスにおける「啓蒙」ついて考えてみたいと思います
バングラデシュにおけるソーシャルビジネスと言えばグラミン銀行の取り組みが有名です。1983年にムハマド・ユヌス博士により開始され、0.5エーカ-以下の土地しか保有しない貧困層を対象に無担保で融資を提供しながらも、高い返済率を維持しています。2017年4月時点で借手数は890万人、融資残高は1兆2,900億タカ(=約2兆5,800億円)に達しています。ムハマド・ユヌス博士は、このグラミン銀行の功績により2006年にノーベル平和賞を受賞しました。
グラミン銀行は、貧困層を対象とした金融サービスを商業ベースで提供してきたという意味で、バングラデシュのソーシャルビジネスの先駆けと捉えることが出来ます。では、何故グラミン銀行は、貧困層を対象に高い返済率を維持しつつ、持続的なビジネスを構築できたのでしょうか。
その鍵は「グラミン・モデル」と呼ばれるグラミン銀行が実施した一連の施策にあります。グラミン銀行は貧困層である借手により5人組と呼ばれるグループを作り、そのグループで返済に責任を持つ「グループ貸付」を導入しました。また、貯蓄・融資業務も借手が銀行に赴くのではなく、貸手であるグラミン銀行のスタッフが村を訪問して実施した他、グラミン銀行内 の事務手続きも標準化、簡素化しました。即ち、グラミン銀行が対象とした農村女性は畑仕事の他に家事や育児で日々忙しいことから、融資を借りる為に銀行を訪問することは困難です。そこで、事務手続きを村で行うことにより、これらの女性がアクセスし易くなりました。一方、融資を貸し出す際の事務手続きの手間は貸出額に比例する訳ではないことから、少額融資を貸し出す際には取引費用は高くならざるを得ません。この為、事務手続きの標準化を進めることで管理費用を抑えた訳です。更に、貧困層は貸し倒れリスクが高いことから、グループ貸付を導入することにより返済のモニタリングに掛かる費用を削減することが出来ました。このようにグラミン銀行が成功したのは、極めて実践的かつ現実的な対応策の積み重ねによるものであることが分かります
一方、実はグラミン銀行も「啓蒙活動」を行っています。グラミン銀行では毎週開催されるウィークリーミーティングで貯蓄や融資の手続きが行われますが、このミーティング時に借手である貧困層は以下のような「16の誓いi」を暗唱します。
この「16の誓い」では、古い因習や価値観からの脱却を目指すもので、グラミン銀行のソーシャルビジネスへ望むスタンスを明確に示しています。更に、興味深いのは、この中で「融資はちゃんと返済しましょう」とは一言も謳っていないことです。このことは、グラミン銀行の返済率の高さは、直接的には「啓蒙活動」によって担保されている訳ではないことを意味しています。
一方、日本企業から聞こえてくる「啓蒙」という言葉には、先にも記したように自分達のビジネスの周辺にある知識や実践的なノウハウの伝授といったニュアンスを含む場合が多くあります。では何故、彼らは「技術移転」や「訓練」と言わずに、わざわざ「啓蒙」という言葉を使うのでしょうか。それは、彼らはある種の思考停止に陥っているからです。即ち、「技術移転」や「訓練」といった言葉を用いる場合、必ず「何を」という部分が問われます。何を技術移転するのか、或いは何を訓練するのか、というように。そして、この「何を」を判断する為には、現地の問題点やニーズを事細かく把握する必要が出てきます。一方、「啓蒙」という言葉を使う場合、そこには「何も知らない人間に対し正しいことを教える」というニュアンスが存在します。即ち、「啓蒙」という言葉を使う限りにおいては、現地の状況やニーズを知る努力をすることなく、自分達の行為を正当化することが出来るのです。
カントは、啓蒙が必要な未成年の状態からの脱却について、以下の通り述べています。
自由を与えさえすれば、公衆が未成年の状態から抜け出すのは、ほとんど避けられ
ないことなのである。
(『永遠平和のために/啓蒙とは何か』カント光文社古典新訳文庫)
即ち、人々が自分で考えることが出来る自由が必要と強調するのです。自由とは、別の言葉で言えば「選択できること」です。一方、ソーシャルビジネスの意義を突き詰めて考えると、貧困層を生産過程に巻き込むことで「(貧困層の)収入獲得手段の選択肢」を増やすこと、或いは貧困層に対し革新的なサービスを提供することにより「(貧困層の)購買手段の選択肢」を増やすことであると言えます。即ち、ソーシャルビジネスの為に啓蒙が必要なのではなく、ソーシャルビジネスの広がりが結果として、人々の啓蒙の素地を養うことに繋がるのではないでしょうか。