「臨床獣医学研修教材開発に関する研修」について

本プロジェクトでは獣医師の卒後教育にあたる教育スタッフの能力強化、いわゆるTraining of Trainee (TOT)にも力を注いでいます。その一環として日本の教育機関に送り出す本邦研修を実施しています。これまで、動物ウイルス病診断、畜産製品中の残留薬剤検査、獣医疫学解析、薬剤耐性菌検査法に関する研修を、北海道大学獣医学部、同人獣共通感染症国際研究所、酪農学園大学獣医学部などで研修を実施してきました。2023年度はこれまでと異なった視点での研修「臨床獣医学研修教材開発に関する研修」を企画、実施しました。

I 研修の目的、意義

獣医師の養成、研修には動物に触れることが不可欠であり、日本では6年間の獣医学教育のうち、最後の約2年間は「生身」の大動物、小動物を用いた臨床教育に充てられています。その前の解剖学、実験動物学などの基礎教育でも動物の取り扱いが不可欠です。一方、動物福祉の観点から、いわゆる3R(動物の苦痛軽減;Refinement、使用数の削減;Reduction、 動物代替法の導入;Replacement) の原則に沿い教育・実習を行うことが世界の潮流となっています。欧米の獣医系大学は先行して3Rの取り組みが進められ、解剖学実習、外科などの臨床実習用としてリアルな動物模型の作製が進み、獣医師育成の場面で活用されています。日本でも多くの獣医系大学で、動物模型を使った技術研修室(スキルスラボ)の設置が進められており、大きな教育改革が進んでいます。

このように、生きた動物に代わり作製されるモデルを使った実習は、色彩、触感、動きなど生体の再現性において解決すべき点は多いのですが、その利用にはメリットもあります。第一に、学生が好きな時間に、自主的に研修を行うことが可能で、多数の学生が獣医診療技術の模擬体験できることです。また、生きた動物を用いることによる危険性、例えば嚙まれたり蹴飛ばされたりといったケガや人獣共通感染症に罹患するリスクの低減が図れます。さらに動物モデルの価格は数十~数百万円と決して安くはありませんが、動物飼育管理に必要な施設、人員、経費が抑えられ、長い目で見れば高い費用対効果が得られます。

モンゴル生命科学大学獣医学部では一学年に100人以上の学生が在籍し、実習室のスペースも十分ではないことから、効率的、効果的な実習を実施することは困難で、社会で活躍できる獣医師の育成に向けて、ソフト、ハード面での教育体系の大きな変革が必要です。その一環として動物モデルの導入は上述のとおり有効かつ緊急の課題と判断し、北海道大学獣学部の基礎、臨床系の先生方と相談しながら2023年度の研修を組み立てました。

II 研修実施状況

1)解剖学実習用標本作製(写真1)
動物骨格標本やプラスチック素材置換による臓器標本作製法の講義、実習が行われました。また、3Dスキャナーによる解剖学教育用3D模型やビデオ教材作成にも取り組みました。現在ではスマートフォンを使った3Dスキャンニングアプリも利用できることから、特別な器材なしに教材作成が可能であり、モンゴルでも手軽に教材が作成できることを体験できました。

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2)3Dプリンターによる標本作製(写真2)
スキャンした3Dモデルから、3D印刷用ファイルを作成し、実際にプリントアウトしました。一連の研修で、設計図作成や出力までの手順を実際に体験することができ、最終的には模型の彩色も行いました。専門分野に応じて、頭蓋骨や外部寄生虫(ノミ)など作品を制作し、一部はモンゴルでの実習に使用するために、お土産として持ち帰ってもらいました。

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3)スキルスラボでの臨床研修(写真4)
小動物の外科手術法を習得するためには、プラスチック模型を用いた練習が効果的です。北大獣医学に設置されているスキルスラボは、学部学生の臨床教育に活用されています。研修員たちは、エコー診断、外科手術、牛の妊娠、胎児検査など臨床技術の体験できました。外科手術を担当する教員からは、シリコンゴム模型を使った皮膚切開、縫合のシミュレーション指導を受けました。

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4)高解像度顕微鏡による写真撮影(写真4)
マダニ、蚊など病原体を媒介する外部寄生虫の検査には、微細な構造を観察する必要があります。それに適した高倍率、高解像度の顕微鏡を使った観察と写真撮影実習が行われました。特殊な顕微鏡撮影装置を使うと、数ミクロン単位で焦点をずらして撮影し、ピントの合った画像を合成することで、厚みのある標本でも詳細な観察が可能となります。外部寄生虫の講義を分担している教員はノミ、マダニなどの固定標本を撮影して、帰国後すぐに学生実習用教材として使っているそうです。

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5)バーチャルリアリティーを利用した臨床教育
麻布大学獣医学部動物病院では、同大学臨床系教員が開発したVR教材を用いて、犬の気管挿入、牛の出産介助の手技を体験しました。写真のように、ヘッドマウントディスプレーを装着し、眼前のモニターに映し出されるリアルな3D映像上で手を動かして臨床手技を体験できました。今後もこのようなIT技術を活用した臨床教材開発がモンゴルの獣医学教育にも導入されることを期待します。

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6)獣医学標本展示方法に関する研修
東京の上野にある国立科学博物館は、国内でも最大の哺乳動物標本コレクションを有しており、視覚的効果の高い展示方法や、一般向けに興味を引き付ける展示の実際を視察しました。その他の科学技術に関する展示も含め、予定見学時間を超過するほどでした。また、人体、動物体に寄生する寄生虫を展示する世界でも類を見ない施設として有名な目黒寄生虫館も見学しました。獣医師でもある館員の方から専門的な解説、標本作製や展示の工夫についての説明も受ました。写真は人の腸管に寄生する日本海裂頭条虫(サナダムシ)の標本で、これ以外にも一般の人はもとより寄生虫学を学んだ獣医師にとっても強いインパクトを与える標本が系統的に多数展示されており、寄生虫研究の重要性が一般の方にも伝わる展示でした。。

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III 研修の効果と今後の取り組み

本研修終了後、他の2テーマの研修(ウイルス病診断、薬剤耐性細菌検査)と併せて、本グループ研修の最終報告会をモンゴルに帰国後に開催しました。3D研修参加者の発表では、学んだことを今後の学部教育、獣医師の卒後研修にどう活かすのかという点にも議論が及びました。獣医学部臨床系教員は帰国後すぐにモデル作製に取り組んでおり、スキルスラボ開設に学部長、教育担当教員も意欲的になっています。本研修が教員の意識改革のきっかけとなったことは大きな成果と考えられます。

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