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アフリカ開発会議(TICAD)とは何か?30年におよぶ日本のアフリカ開発貢献の歩みを振り返る

2022年9月26日

今年8月、第8回アフリカ開発会議(以下、TICAD8)がチュニジアで開催されます。29年前の1993年に第1回が東京で開催されて以来、今回で8回目となります。本記事では、TICADの歴史を振り返り、各会議の重要なポイントを時系列で紹介することで、これまで発展してきたTICADの理念とTICAD8の方向性を明らかにします。

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2019年のTICAD 7には、アフリカ53カ国から42名のリーダー、52の開発パートナー国、108名の国際機関・地域機関のリーダー、そして市民社会と民間セクターのパートナーなど、1万人以上が参加しました。

TICADとは?

TICAD(アフリカ開発会議)は、アフリカの開発をテーマとする国際会議です。(1)参加するアフリカ諸国の指導者と開発パートナーとのハイレベルな対話を促進し、(2)アフリカの自助努力による開発活動の支援を結集すること、を目的としています。

1993年に初めて開催され、日本政府が主導で、アフリカ連合委員会(AUC)、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行と共同で開催しています。

TICADの歴史

(1)TICAD開催以前

TICADが初めて開催された1993年当時、欧米の先進国はアフリカに対する関心を一時的に失いつつありました。なぜなら、冷戦が終結した直後のこの時期、ソ連解体後の東欧諸国との関係構築が西側諸国にとって最も重要な課題となり、それまで冷戦の最前線だったアフリカの戦略的な重要性が低くなったからです。また、欧米先進国によるアフリカ支援の効果が目に見える形で現れてこないことに加え、欧米先進国自身の経済も停滞していたことによる「援助疲れ」も起こり、こうした国々はアフリカ支援に消極的になっていきました。

当時、日本政府は冷戦後の国際社会における新しい貢献のあり方を模索していました。1980年代後半に経済成長の絶頂期を迎えた日本は、1989年に世界1位のODA拠出国となります。欧米先進国がアフリカに対する関心を失っていくなか、日本の政策担当者たちは、ポスト冷戦という新しい時代に、自分たちが何をするべきなのかを盛んに議論しました。このような背景のもと、最初のTICADが開催されることになりました。

(2)TICAD I - TICAD II;日本が打ち出した「オーナーシップ」と「パートナーシップ」

1993年10月5~6日、東京でTICAD Iが開催されました。主催は国連、アフリカのためのグローバル連合(GCA)、日本。アフリカ48カ国が参加し、アフリカの首脳5名が出席。援助国12カ国、欧州共同体、8つの国際機関が参加しました。会議の目的は「アフリカの政治・経済改革を支援し、アフリカに対する国際社会の関心を喚起すること」です。成果文書として採択された『アフリカ開発に関する東京宣言』(注1)には、アフリカ諸国の自立、民間セクターの活動による経済発展、地域協力・統合、今後の東アジア・東南アジアとアフリカとの「南南」協力などの項目が盛り込まれていました。これらの項目は、後のTICAD会議でも繰り返し言及されることになります。

細川護煕首相(当時)の基調講演は「オーナーシップ」と「パートナーシップ」という重要な概念を想起させるものでした。これは、今日に至るまでTICADの基本理念となっているだけでなく、各国・各機関のアフリカ開発会議のスタンダードにもなっています。

「オーナーシップ」あるいは「オーナーシップの尊重」とは、途上国の自助努力を積極的に支援するという考え方です。日本は欧米に先駆け、いち早くこの概念を唱えてきました。日本は、それまで東南アジア諸国への援助を行ってきた歴史と経験から、被援助国が率先して自国を発展させることこそ、真の経済的自立につながると考えていたのです。オーナーシップの尊重は、今では日本以外のさまざまな国際機関でも重要な考え方として扱われています。

また、パートナーシップの尊重とは、被援助国のオーナーシップを支援するために、国際機関やNGOなど多様なアクターと協力するべきだという考え方です。

TICAD Iは、「アフリカと日本だけでなく、複数の国々が協力してアフリカの開発をしていくために議論をする、開かれた場所」というTICADの特徴を決定づけ、欧米の先進国のアフリカへの関心が薄れつつあるなか、アフリカ開発の重要性に対する国際社会の認識を高めることに貢献しました。この「開かれた場所」という点は、TICAD I、IIの成功を受けて2000年代に中国やEUなどが始めたアフリカ開発フォーラム-これらフォーラムは、当該国・地域とアフリカの二者の間の閉じた会議として開催-と比較すると、TICADの独自性であることがわかります。

5年後の1998年10月、「貧困削減と世界経済への統合」を主要テーマとしてTICAD IIが開催されました。国連開発計画(UNDP)が共催者として加わり、80カ国、40の国際機関、22のNGOが参加しました。成果文書として採択された「東京行動計画」(注2)では、オーナーシップとグローバル・パートナーシップの重要性を再確認し、TICAD Iで提起されたさまざまな課題を「社会開発と貧困削減」「経済開発」「開発の基盤」の3つの柱に整理しました。特に「社会開発」の分野では、優先的な政策・行動が具体的な数値目標とともに設定されました。

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タンザニアのキリマンジャロ農業研修センター(KATC)では、日本人が数十年にわたって支援してきた様々な種類の米が栽培されています。

(3)TICAD III - TICAD V 人間の安全保障と新興国の経済成長

TICAD IIIでは、アフリカの23か国の首脳とアフリカ連合委員会(AUC)議長、そして世界銀行が新たにTICADの共同主催者として迎えられました。この時期、冷戦の終結から10年が経過し、国際紛争は減っていたものの、民族・宗教・文化の違いによる国内・地域紛争は依然として根強く残っていました。さらに、国際テロ、犯罪、感染症などグローバル化の負の側面が拡大し、気候変動やエネルギー問題など地球規模の問題も見過ごせないものになってきました。これらの問題に対処するため、国際社会では、人間一人ひとりの生存、生活、尊厳を脅かすものに対する「保護」と「エンパワーメント」を基本とする、「人間の安全保障」という考え方に注目が集まります。

2003年のTICAD IIIで採択された『TICAD10周年宣言』では、TICAD発足当初から提唱されてきた「オーナーシップ」「パートナーシップ」の成果を確認したうえで、「リーダーシップと国民参加」「平和とガバナンス」「人間の安全保障」「アフリカの独自性、多様性、アイデンティティーの尊重」が未来への道しるべとして提示されました。また、2002年にアフリカ統一機構(OAU)から発展したアフリカ連合(AU)のプログラムである「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」の取り組みへの支持も表明されました。当時の小泉純一郎首相は、優先的に支援すべき分野として3つの柱を示しました。「人間を中心とした開発」、「経済成長を通じた貧困削減」、「開発のための基盤」の3つです。これらの柱はTICAD IIまでの枠組みを踏襲していますが、「人間中心の開発」には、2000年の国連ミレニアム・サミットで打ち出されたMDGsの概念や「人間の安全保障」の考え方が反映されています。国連ミレニアム・サミットでは森喜朗首相(当時)が「人間の安全保障委員会」の設置を呼びかけるなど、日本は国際社会のなかでも「人間の安全保障」に関する議論をリードする立場にありました。

2000年代に入ると、新興国の経済にも大きな変化が見られるようになります。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)などの新興国がこの時期に目覚ましい経済発展を遂げ、アフリカへの新興ドナーとして「南南協力」を推し進めました。 中国が2000年から3年ごとに実施している中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)など、さまざまな開発協力フォーラムも誕生しました。アフリカ自身も資源ブームを背景とした高度成長期を迎え、1980年代から続いた「失われた20年」から抜け出しました。こうした状況は、それまで先進国と途上国の間にあった、援助者と被援助者という単純な関係性を根本的に変化させることとなりました。

2008年に開催されたTICAD IVは、前例のない41カ国のアフリカ首脳を横浜に迎え、「元気なアフリカを目指して-希望と機会の大陸」をテーマに開催されました。成果文書である横浜宣言では、「成長の加速化」を第一の議題とし、「ミレニアム開発目標の達成-人間の安全保障の経済社会的側面」「平和の定着とグッド・ガバナンス-人間の安全保障の政治的側面」「環境・気候変動問題への対処」がそれに続く項目とされました。

最初の議題である「成長の加速化」は、2000年代初頭からのアフリカの経済成長を踏まえつつ、今後の持続的な成長のために一次産品に依存した経済構造を改革することを目指すとしています。具体的には、人材育成、産業発展の加速、農業・農村開発、貿易・投資、観光振興などが挙げられ、官民の連携強化による民間セクターの横断的な役割に重点が置かれていることが明記されました。TICAD IIIにおいて、TICADプロセスの常時モニタリングの必要性が複数のアフリカ首脳から指摘されたことを受け、2009年のTICAD IV実施時にTICAD事務局/合同モニタリング委員会/閣僚会議の3層構造からなるフォローアップ・メカニズム(注3)を立ち上げることが発表されました。福田康夫首相(当時)は、日本のアフリカへのODA支出を5年後に倍増させることを表明しています。

TICAD V はアフリカ連合委員会を共催者に加え、2013年に開催されました。ここで採択された「横浜宣言2013」は、「強固で持続可能な経済」、「包括的で強靭な社会」、「平和と安定」を主要課題として掲げています。横浜宣言2013では、(1)アフリカ独自のイニシアティブの尊重と支援、(2)女性・若者の権利確立と雇用・教育機会の拡大、(3)人間の安全保障の推進という基本原則のもと、民間セクター主導の成長の促進、インフラ整備の促進、農業開発、防災・気候変動対応・天然資源・生物多様性管理によるレジリエンスの確保、初等教育・保健サービスの全員提供、平和・安定・グッド・ガバナンスの確立を掲げています。TICAD IVから引き続き、民間セクターとの連携による持続可能な経済成長が重要視されています。

TICAD Vでは「援助から投資へ」がスローガンに掲げられ、成果文書で示された内容以上に、アフリカへの民間投資の拡大が注目されました。安倍晋三首相(当時)は、今後5年間で官民から320億ドルをアフリカに投資することを約束しました。

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ブルキナファソにおける公立小学校建設プロジェクト

(4)TICAD VI - TICAD7 持続可能な開発に向けて

TICAD V以降、TICADは3年ごとにアフリカと日本で交互に開催されることとなり、2016年にはTICAD VIがケニアで開催されました。

TICAD VからTICAD VIまでの3年間で、アフリカでは重要な変化が起こりました。一つは経済成長の停滞です。2002年以降高水準だったアフリカの実質GDP成長率は、2013年頃から鈍化しました。これは一次産品価格の下落が直接の原因であり、アフリカが一次産品に依存し、脆弱な結果であるといわれています。

もう一つは、2013年9月のケニアのショッピングモール襲撃事件、同年12月の南スーダンでの内戦勃発、ナイジェリアのボコ・ハラム勢力による学生拉致事件といった、過激派グループによる紛争やテロ事件など、政治・社会の脆弱性が露呈したことです。西アフリカでは2013年末から2016年初めにかけてエボラ出血熱の流行も発生しました。

アフリカの新たな脆弱性を踏まえ、TICAD VIでは、アフリカの経済成長を持続可能なものにするための施策に改めて注目が集まりました。TICAD VIで合意されたナイロビ宣言のテーマは、「アフリカの持続可能な開発アジェンダの推進、繁栄のためのTICADパートナーシップ」です。ここでは3つの主要な課題が指摘されました。「世界的な一次産品の価格下落」、「エボラ出血熱の流行」、「過激化、テロ、武力紛争及び気候変動」。これらの課題へのアプローチとして、新たに3つの柱を優先すべきものとして設定しました。「経済の多角化・産業化を通じた経済構造改革の促進」、「生活の質の向上のための強靭な保健システムの促進」、「繁栄の共有のための社会的安定化促進」です。また、指針として、2015年にAUCが策定した「アジェンダ2063」との整合させることが表明され、「オーナーシップ」の原則に則り、アフリカの自主的な取り組みの尊重が強調されました。

また、持続可能性を重視したTICAD VIは、2015年に国連総会で決議されたSDGsに沿ったものでした。この流れを受けた2019年のTICAD7における「横浜宣言2019」では、TICADはSDGsの国際的なコミットメントに沿うべきだという点が明記されました。加えて、横浜宣言2019では、気候変動、自然災害、生物多様性の損失、貧困と不平等、人の移動、過激化、テロなどの地球規模の課題を特定し、開発と経済成長を進め、加速させながらこれらの課題を克服する必要性を強調しています。その方策として、「イノベーションと民間セクターの関与を通じた経済構造転換の促進及びビジネス環境の改善」、「持続可能で強靭な社会の深化」、「平和と安定の強化」などが挙げられています。特に民間セクターとの協力については、TICAD7ではこれまで以上に民間セクターを初めてパートナーに加えたことで、多様なアクターの主体的な行動を促すというSDGsの理念に沿ったものとなっています。TICAD7では、「アフリカに躍進を!ひと、技術、イノベーションで。」というテーマが支持されたように、アフリカの若い起業家によるデジタル化とイノベーションの可能性にも焦点が当てられました。

新時代の課題とTICAD8

これまで見てきたように、TICADは第1回会合からオーナーシップとパートナーシップを軸にしながら、「人間の安全保障」や「持続可能な開発目標」など、それぞれの時代の課題に応じて協力関係を変革してきました。2022年夏に開催されるTICADでは、新型コロナウイルスの世界的流行、気候変動、ウクライナ情勢などの外的危機に直面するアフリカで、いかにレジリエンス、包摂性、豊かさを実現するかが問われることになるでしょう。

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南スーダンに完成した「フリーダムブリッジ」。2022年5月19日に開通式が行われ、日本と南スーダンの国旗が掲揚された。

(本記事は、2022年7月14日に英語で掲載した「Three Decades of Promoting Ownership and Partnership:A Look at the History of TICAD」を和訳した記事になります)