「プロジェクトニュース(障害者雇用の優良事例)」Case15 チギレル社

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老舗調理器具メーカーに広がる障害者の笑顔

「モンゴルの人々の食と人生を健やかに」

股関節脱臼症のオユンゲレルさん(前列右から3人目)は、工場で働く障害者5人のリーダー役として頼りにされており、企業内ジョブコ―チのアマルジャルガルさん(前列左端)からの信頼も篤い

股関節脱臼症のオユンゲレルさん(前列右から3人目)は、工場で働く障害者5人のリーダー役として頼りにされており、企業内ジョブコ―チのアマルジャルガルさん(前列左端)からの信頼も篤い

チギレル社の本社ビルの外観。白い看板に描かれた料理人のイラストが可愛らしい。

チギレル社の本社ビルの外観。白い看板に描かれた料理人のイラストが可愛らしい。

規律と団結を重んじる企業文化

ウランバートルの観光スポットの一つ、ガンダン・テクツェンリン寺のほど近くに、ユニークなモンゴル企業がある。調理器具の製造・販売と、中国およびロシアからの輸入・販売を手掛けているチギレル社だ。学校給食の調理場をはじめ、工場や病院の社員食堂、レストランやデパートのフードコートなど、モンゴル国内のほぼすべての大型施設で同社が扱っている調理台や食器洗浄機、電子レンジなどが使われていると言っても過言ではなく、業界では他の追随を許さない圧倒的なシェアを誇る。特に、羊や牛のひき肉を水でこねた小麦粉の皮に包んで蒸すボーズや、油で揚げるホーショールなどの定番モンゴル料理を調理するための蒸し器や揚げ器、スープ鍋などの調理器具は、一度に600人分を調理できる、同社自慢の製品だ。
創業者のブムツェンデ社長は、社会主義時代に職業訓練学校で学んだ第1期の卒業生だ。当時はすべての企業が国営だったため、公務員の技術者として働いていたが、民主化を経て1990年にチギレル社を創業。2019年頭に自社工場を開設し、経理やマーケティングの機能を担う本社と、修理や注文、販売、配送、中古の引取を行う支社、商品開発や製造を引き受ける工場兼倉庫、そして4つの店舗を展開するまでに成長を遂げた。社員は現在、約120人。社名に掲げる「チギレル」は、モンゴル語で「方向」を意味する。

チギレル社の一日は、朝の体操から始まる(同社提供)

チギレル社の一日は、朝の体操から始まる(同社提供)

同社の一日は、ラジオ体操と朝礼から始まる。健康に直結する調理器具を扱う企業として、社員も健康でなければならないと日頃から気を配っているブムツェンデ社長が、モンゴル日本センターのビジネスコースで開講されていた研修に社員を派遣した時にこの習慣を知り、取り入れた。朝礼では、社員が交代で最近の出来事や今後の目標を皆の前でスピーチするほか、忘年会や新年会の代わりに毎年7月にスポーツ大会を開催するなど、徹底して規律と団結を重んじる、ストイックな企業文化だ。
そんなブムツェンデ社長は、下積みが長かった自身の経験から、いろいろな困難な状況に置かれた人の気持ちに寄り添ってくれる上司として社員からの人望が厚い。2022年からは障害者の雇用も積極的に進め、「今は誰がいつ、何のきっかけで障害者になってもおかしくない時代だ」「皆で支え合って生きていこう」と、ことあるごとに社員の理解を呼びかけているという。
同社が障害者を初めて雇用したのは、2022年8月のことだ。その後、急ピッチで採用を拡大し、3カ月後の11月末に11人を雇用した。下肢障害や聴覚障害、言語障害、脊髄損傷、小人症のある従業員が働いている。2023年初頭には、同社初の知的障害者も採用。年内に、さらに7人の障害者を雇用する計画だ。

打ち合わせをする人事マネジャーのアマルジャルガルさん(右)と エルデネチメグさん

打ち合わせをする人事マネジャーのアマルジャルガルさん(右)と エルデネチメグさん

部署異動を通じて培った横断的な視野

同社で障害者雇用を推進しているのは、人の好さが溢れるあたたかい笑顔が印象的な、アマルジャルガルさんだ。
モンゴル国立大学で学び修士号を取得し、旅行会社でしばらく勤務後、大学で教鞭をとっていたアマルジャルガルさんが、総務担当マネジャーとして同社に入社したのは、2016年のことだった。まず、マネジメント部門で2カ月勤務した後、注文修理部門に異動し、顧客とのやり取りについて学んだアマルジャルガルさん。その後、人事部にも移り、人事関連の業務を担当した。現在は、彼女が社内で部署異動を重ねながらキャリアを積み重ねることになった背景には、「さまざまな業務を経験してもらいたい」というブムツェンデ社長の計らいがあったという。「部署により業務の内容が全く違うため、苦労もありましたが、そのおかげで、会社全体を把握できるようになりました」と、アマルジャルガルさんは振り返る。
そんな彼女が社内で障害者の雇用推進を担当することになったのも、ブムツェンデ社長の意向だったという。人事部での業務を通じて、人材不足の深刻化や社会貢献機運の高まりなど、モンゴル社会の変化を肌で感じたのを機に、障害者雇用の必要性を社長に進言すると、「それなら、あなたが担当者として自分で思うようにやってみなさい」と任命されたのだ。それ以来、アマルジャルガルさんは、Facebookを活用して求人広告を出したり、言語障害や聴覚障害がある応募者とメッセンジャーでコミュニケーションを取ったりしながら、障害者の雇用を進めている。採用面接を通じてさまざまな障害者の生い立ちや暮らしぶり、日々の苦労を知るにつれ、「生活が不安定で精神的にも追い詰められがちな障害者に仕事を提供する意味は、非常に大きい」と確信するようになった。
特に重視しているのが、アセスメントだ。「求人を出すたびに、どんな障害者であれば、この仕事をできるのかと考えます」とアマルジャルガルさんは話す。たとえば、販売の仕事は言語障害のある人には難しいが、下肢障害や手の麻痺がある人なら問題ない、という具合だ。その上で、面接時には本人の状態や特徴をよく確認し、採用してからも、月に1,2回は本社と支社を回り、一人一人の働きぶりを把握するように努めている。工場は騒音が大きく危険も多いため、現状では残念ながら視覚障害者や知的障害者の雇用は難しいというが、「環境を整え次第、採用する障害者の幅も広げていきたい」と意欲を示す。
「困っている人の力になりたい」という思いが人一倍強いアマルジャルガルさんのあたたかい人柄と信念が皆に伝わるのだろう、彼女は社員たちから高い信頼が寄せられている。

チギレル社の本社内にある展示ブースで、大好きなアマルジャルガルさんと一緒に笑顔を見せるエルデネチメグさん(左)

チギレル社の本社内にある展示ブースで、大好きなアマルジャルガルさんと一緒に笑顔を見せるエルデネチメグさん(左)

巡り合えた居場所

後天性の身体障害があり、本社で事務員として働くエルデネチメグさんも、アマルジャルガルさんのことを慕う一人だ。

ウブルハンガイ県の学校で教師をしていた母親と、長距離トラックの運転手だった父親の間に4人姉弟の長女として生まれた彼女は、高校まで故郷で通った後、ウランバートルのモンゴル国立大学に入学。在籍中に幼馴染の男性と結婚して娘を出産し、卒業後は地元の社会保険局で経理の仕事をしていた。順調に思えた人生が一変したのは、2008年のことだ。ドイツ車の輸入ビジネスを営んでいた叔父が運転する車に乗っていた時、ロシアのウラル山脈内で転落事故に遭遇したのだ。股関節を脱臼してロシアの病院で10時間以上の手術を受けた後、ウランバートルの病院で半年間入院し、故郷に帰ってからもしばらくは寝たきり生活が続いたエルデネチメグさん。3年ほど経って公務員に復職したものの、すぐに退職。民間企業で働き始めたが、コロナ禍のあおりを受け1年未満で再度、退職に追い込まれた。その後は1年近く仕事が見つからず、心身の調子を崩して再入院するなど、不遇が続いた。

チギレル社の支店で働くスタッフたち

チギレル社の支店で働くスタッフたち

自信を喪失していたエルデネチメグさんに再び前に進み始めるきっかけをくれたのは、たまたま目にしたチギレル社の求人だった。「こんな自分を認めてくれる会社はないのかもしれない」と、忸怩たる気持ちを抱えながら思い切って応募すると、思いがけず、その日のうちに採用の電話がかかってきたのだ。喜びのあまりその夜はほとんど眠れないまま、翌朝、さっそく出社すると、さらに嬉しいことがあった。アマルジャルガルさんが自ら社内を案内しながら、社員一人一人にエルデネチメグさんを紹介してくれ、皆、あたたかく受け入れてくれたのだ。「ようやく居場所ができたことに感激し、涙が止まりませんでした」と、その朝のことを振り返りながら目をうるませるエルデネチメグさんは、入社以来、一日も休まず、毎朝、始業時間の30分には出社しているという。「アマルジャルガルさんのことも、会社も、両方大好きなので、毎日、出社が待ち遠しくてたまりません」「平日は家族よりも同僚と過ごす時間の方が長いので、理解し合える同僚に囲まれていることも幸せです」と笑顔が弾ける。

そんなエルデネチメグさんの隣で、「嬉し泣きする彼女を見て、私たちももらい泣きしましたね」と振り返るアマルジャルガルさんだが、最初はかなり心配もしたという。面接に来たエルデネチメグさんが、ひどくおどおどして自信なさげだったうえ、その時に募集していた販売・接客スタッフは立ち仕事が多く、彼女には負担が大き過ぎると思ったためだ。
しかし、「この1年、まったく仕事が見つかりません」「面接で私の障害を知ると、不採用の連絡すらくれない会社も少なくありません」というエルデネチメグさんの話を聞き、「今、自分も断れば、彼女はますます追い詰められてしまう」と感じたアマルジャルガルさんは、販売・接客担当ではなく、彼女のこれまでの経験を生かせる総務のアシスタントとして採用してはどうかと社長に提案し、彼女のためのポジションを新設して受け入れることにした。まさに、アマルジャルガルさんの機転によって、エルデネチメグさんの就労が実現した。

オユンゲレルさん(左)と一緒に工場で働く聴覚障害者の夫婦

オユンゲレルさん(左)と一緒に工場で働く聴覚障害者の夫婦

引きこもりから、職場のリーダーへ

チギレル社では、工場でも5人の障害者が働いている。
その一人、溶接後の調理器具に取っ手や部品をつけ組み立てる作業を担当しているオユンゲレルさんには、先天性の股関節脱臼があり、長年、歩行困難と痛みの症状に悩まされてきた。昨年、骨盤と大腿骨の位置関係を元に戻すための整復処置が無料で受けられるようになったのを機に、念願だった手術を受け、以前よりも楽に歩けるようになったという彼女の明るい笑顔からは、物怖じしない、明るく快活な人柄が伝わってくる。チギレル社には、昨年9月に入社した。

工場には現在、電子を担当する聴覚障害者の夫婦と下肢障害者の男性、そして溶接を担当する聴覚障害者の男性もおり、オユンゲレルさんは、リーダー役として日常的に彼らの相談にのっている。「自分なら障害者の気持ちが誰よりも理解できる。ぜひ他の社員との橋渡しをさせてほしい」と自ら名乗りを挙げ、アマルジャルガルさんが快く了承してくれたという。聴覚障害者たちとのコミュニケーションを深めるために、オユンゲレルさんは最近、手話の勉強も始めた。そんな彼女に4人が見せるリラックスした表情や、軽口を言って笑い合う様子からは、互いの信頼関の深さがうかがえる。

溶接担当の男性(左)とオユンゲレルさん

溶接担当の男性(左)とオユンゲレルさん

「障害者の力になりたい」というオユンゲレルさんの思いがこれほど強いのは、彼女自身が数々の苦労を経験してきたからにほかならない。
ウランバートルで生まれ、中学校まで通常学校に通っていたオユンゲレルさん。当時は、歩き方を理由にからかわれたりいじめられたりの連続で、いつもおどおどしていたという。その後、職業訓練校でシェフの勉強をして就職したものの、立ち仕事を続けることが難しく退職。清掃会社で働いたこともあるが、「滑って危ない」「けがをしても責任が取れない」と理由をつけられ、解雇された。タクシー運転手をしていたこともあるという。子ども手当や生活補助金をもらいながらなんとかしのいでいたものの、3人の子どもを抱えた生活は常に厳しかった。

6年前に入社し、2年前から工場長を任されているソドノムドルジさん。温和な風貌だが、一つ一つの商品を熱い口調で説明してくれ、商品への愛情が伝わってきた。写真は、2022年に新発売された自動食洗器の前で胸を張るソドノムドルジさん

6年前に入社し、2年前から工場長を任されているソドノムドルジさん。温和な風貌だが、一つ一つの商品を熱い口調で説明してくれ、商品への愛情が伝わってきた。写真は、2022年に新発売された自動食洗器の前で胸を張るソドノムドルジさん

そんな折、友人からチギレル社の求人を聞き、すぐに電話して面接を受けたオユンゲレルさん。「明日から働けますかと連絡があったので、今日からでも働きますと言ったんですよ」と笑う。入社してからの1年間で、オユンゲレルさんは生活のみならず、性格も変わったと感じている。これまでの職場は、同僚たちから陰口を言われたり、歩き方が変だとからかわれたりすることが多く引きこもりがちだったが、チギレル社ではそんなことはまったくないうえ、毎朝、笑顔で出迎えてもらえるため、勤務時間があっという間に過ぎていき、悲観的だった思考も楽観的になったという。

「仕事に前向きに取り組む姿を子どもたちに見せられるようになって嬉しいです」と微笑むオユンゲレルさん。「障害者の気持ちを誰よりも理解し、働く環境の大切さも実感している私だからこそできることがあるはず」「チギレル社がさらに多くの障害者を雇用できるように、私も協力して会社の役に立ちたいです」という言葉は、頼もしい。

労働社会保障省と企業が連携して進める職業訓練の一環として開かれているチギレル社の冠講座。

労働社会保障省と企業が連携して進める職業訓練の一環として開かれているチギレル社の冠講座。

同社は、社員のスキルアップや地域社会への還元にも取り組んでいる。この日は、工場内の一室で、溶接と電子に関する講義が行われていた。これは、モンゴルで年々、深刻化する労働者不足への対策として政府が進める職業訓練の一つで、受講生を8割以上採用することを条件に、労働社会保障省が協賛して開講する企業の冠講座だ。中をのぞくと、チギレル社員7人と、一般参加者16人が真剣に学んでいた。オユンゲレルさんも近々、受講する予定だという。

社員食堂で昼食をとる社員たち。(同社提供)

社員食堂で昼食をとる社員たち。(同社提供)

社内に広がるパワー

2022年11月、アマルジャルガルさんはメンテナンス部の部長に就任し、人事部を離れた。しかし、社員たちからの篤い信頼と、彼女自身の強い使命感をよく理解しているブムツェンデ社長に後押しされて、アマルジャルガルさんは今なお同社の障害者雇用の先頭に立ち続けており、後任の人事マネジャーからの相談にもしばしばのっている。2023年3月には、DPUB2が開催した「第1回ジョブコ―チ養成研修」に参加し、学んだスキルを身に付けて企業内ジョブコ―チとして奮闘中だ。
「これまでそれぞれの自宅にこもり悩んでいた障害者たちが、チギレル社で出会って親しくなり、リラックスして打ち解けたり、自分自身にも自信を持ち始めたりしている姿を見ると目頭が熱くなります」「周囲の社員たちも、障害者たちが生き生きと働く姿にエネルギーをもらっており、部署全体、そして会社全体のパフォーマンスにも良い影響が生まれています」という彼女の言葉は、同社と出会ったのを機に人生が大きく変わったエルデネチメグさんやオユンゲレルさんの姿とあいまって、絶大な説得力とともに胸に迫って来る。

国立母子保健中央病院に調理器具を寄贈したブムツェンデ社長(右から3人目)(同社提供)

国立母子保健中央病院に調理器具を寄贈したブムツェンデ社長(右から3人目)(同社提供)

モンゴルの人々の食生活を支える調理器具を長年にわたり作り続けてきたチギレル社。人々の暮らしに深く根差し、健やかな食と人生の実現に取り組む老舗地場企業ならではの家庭的であたたかい思想は、DPUB2が育成しているジョブコ―チとも親和性が高い。2023年の初めに雇用した初の知的障害者も、アマルジャルガルさんとは別のジョブコ―チの支援を受け、同社への就労が実現した。教えたことはきちんとこなし、経理アシスタントとして勤務を続けているという。
障害者雇用の取り組みを開始してまだ日が浅いチギレル社だが、障害があってもできる仕事は何かと常に意識し、時にポストを新設してでも積極的に受け入れ、一人一人の個性や強みを引き出して活躍の機会を提供しながら、あたたかい職場づくりを心がける関係者の意欲と、そんな同社に出会って人生が大きく変わった障害者たちの姿に勇気づけられる。 
チギレル社とDPUB2のさらなる連携によって、同社の障害者雇用がより一層加速され、モンゴル社会に確かなインパクトと機運を生み出すことは間違いない。

【企業概要】

企業名 Chiglel LLC
事業 調理器具の製造・販売・輸入
従業員数(チギレル社全体) 約120人(2023年5月時点)
従業員数(本社および店舗) 約100人(2023年5月時点)
従業員数(工場) 約20人(2023年5月時点)
障害者数(チギレル社全体) 約12人(2023年5月時点)
(下肢障害、言語障害、聴覚障害、小人症、脊髄損傷、知的障害者など)
障害者数(本社および店舗) 7人(2023年5月時点)
障害者数(工場) 6人(2023年5月時点)
雇用のきっかけ ・人材不足の深刻化
・企業の社会貢献の機運の高まり
雇用の工夫 ・求人を出す時に、どんな障害者ならこの仕事をできるかと考える
・一人一人の特性を理解し、継続的に働きぶりをフォローする
・障害のある社員の中で、まとめ役となるリーダーを任命する

【ジョブコーチ就労支援サービスとは】

ジョブコーチを通じた障害者と企業向けの専門的な就労支援サービスのことで、モンゴル障害者開発庁が中心となって2022年6月から提供が開始された。
このサービスを通じて、今後、年間数百人の障害者が企業に雇用されることが期待される一方、障害者の雇用が難しい企業には、納付金を納めることで社会的責任を果たすよう求められている。