障害者と企業をつなぐジョブコーチ制度をモンゴルへ <下>

学びを深め、帰国後のアクションプランを考える

今年2月、モンゴルで障害者の就労支援に携わる行政官やNGO、民間企業関係者らが来日し、大阪で日本の障害者雇用の仕組みについて学んだ。研修ルポ記事①②に続き、その様子を紹介する。

複雑で重層的な日本の支援制度

「高齢・障害・求職者雇用支援機構は、通称JEEDと呼ばれ、障害者を含め求職者の雇用支援を行う専門組織です」「障害者の雇用を促進するために制定された障害者雇用促進法の実施を担い、障害者雇用納付金を財源にしています」

神戸市にあるJICA関西の会議室に、DPUB2プロジェクトの業務主任を務める千葉寿夫専門家の声が響いた。前日まで3日間にわたる講義や視察を踏まえて学びを深めるグループディスカッションと振り返りが予定されていたこの日、研修員たちが作業に入る前に、障害者就労に関わる日本の支援機関について今一度整理し、それぞれの成り立ちや役割について理解を深めてもらおうと、朝一番で千葉専門家がまず解説を行ったのだ。

日本の障害者雇用の支援制度について説明するDPUB2業務主任の千葉専門家(左)

日本の障害者雇用の支援制度について説明するDPUB2業務主任の千葉専門家(左)

さらに千葉専門家は、「このJEEDの下部組織として国が各県に設置した一つが、3日目に説明を受けた大阪の地域障害者職業センターで、全国に52カ所あります」「JEEDや厚生労働省から助成を受けて運営されているのが、1日目に話を聞いた大阪職業リハビリテーションセンターです」「さらに地域に寄り添った支援を行うために、全国334カ所に障害者就業・生活支援センターも作られました」と続け、日本の複雑な支援制度について丁寧に説明した。また、「加島友愛会のように地域に密着して就労移行支援や継続支援を行っている事業所は、全国に1万2,000以上あります」と続けた。

4グループに分かれて帰国後の取り組みを議論

その後、研修員たちは、①納付金、②企業啓発、③ジョブコ―チ・就労支援制度、④委託制度の改善、の4グループに分かれて、帰国後の活動計画について話し合った。

グループに分かれ熱心に議論する研修員たち

グループに分かれ熱心に議論する研修員たち

頭を抱えて真剣に考え込む姿も見られた

頭を抱えて真剣に考え込む姿も見られた

グループディスカッションに立ち会った酒井専門家は、例えば②の企業啓発グループに対し、「まずはモンゴルでどんな業種で障害者雇用を進められると思うか考えてみましょうか」と問題提起し、議論を促した。また、メンバーから「啓発の際に最初に取り組むべきことは何ですか」と尋ねられると、「啓発活動は、そもそも障害がある人を雇い入れる企業がないと成立しません。障害者を雇用してこんな風に良いことがあった、と企業側から発信してもらうことが何より大切です」と指摘。「行政と民間が連携して発信する方が広がりやすいかもしれませんね」と述べ、マレーシアで行政が大手小売店とタッグを組んで障害者の採用計画を立てたり、雇用の取り組みを全国に発信し広めたりしたことで企業間のネットワークが生まれ、普及啓発の輪がさらに広がった事例を紹介した。

また、③のジョブコ―チ・就労支援制度グループに対しては、「障害のある人を見る際、できないことや課題に注目するのではなく、できるだけ“何ができるか”を見るように心がけ、強みと仕事をつなげることが大切です」と指摘。さらに、「特に知的障害者や精神障害者の場合、生活面でトラブルがあると就業面に影響したり、逆に就業がうまくいかないと生活もうまくいかなかったりしがちな傾向にあります」と述べ、「就業してからも、両方が安定しているかフォローアップする必要があります」「職場には、同僚や上司が変わったり、扱っている機械が変わったりというように、常に変化があります。そうした変化に対応できない人のためにジョブコ―チが変化に気付いて対応してあげる必要があるのです」と話した。

さらに、「日本には企業同士が連携して特例子会社を作っている例がありますか」と尋ねられると、「大企業は連結決算が条件になっているため、他の企業と一緒に特例子会社をつくることは、制度上、できませんが、中小企業の場合、自社で障害者を雇用することが難しいところが多いため、地域で協同組合を立ち上げ、各社が仕事を出し合って障害者を雇用することで、そこで働く障害者をそれぞれの雇用人数にカウントしている事例はあります」と紹介した。

4つのグループを回りながら、議論を促したり質問に答えたりする酒井専門家(左)

4つのグループを回りながら、議論を促したり質問に答えたりする酒井専門家(左)

また、「日本のジョブコーチは、いったん研修を受けて修了証をもらうと、更新したり、フォローアップ研修を受講したりする必要はないのですか」という質問には、「日本でも、まさに現在、その点について議論が進んでおり、上級者研修などを行う必要性も検討されているところです」と答えていた。

マニュアルの作成から生まれる循環

4グループは、昼食後も話し合いを続け、制限時間をめいっぱい使って帰国後の活動についてアクションプランを練った。各グループの代表者が順番に皆の前でプレゼンテーションを行ったのは、話し合いを始めて5時間あまりが経過した午後3時過ぎのことだった。

プレゼンテーションは、ホワイトボードやパワーポイントなど、思い思いの方法で行われた

プレゼンテーションは、ホワイトボードやパワーポイントなど、思い思いの方法で行われた

他のグループの発表に聞き入る研修員たち

他のグループの発表に聞き入る研修員たち

プレゼンテーションでは、例えば、ジョブコーチ制度の普及・啓発に際しては、民間企業だけでなく社会福祉系の大学の研究者なども広く巻き込むと良いのではないかという提案や、ジョブコ―チに関する法制度を整備する必要があるのではないかという指摘、さらに、専門の実施機関として「ジョブコ―チ・ネットワーク・モンゴリア」を新たに立ち上げ、ジョブコ―チの活動と就労移行支援をサポートしてはどうか、という提言などがあった。

また、サービス業と生産業を営む中小企業の中からモデル企業3社を選び、障害者を雇用できる環境が整っているかどうかアセスメントしたうえで、障害者雇用を進めてはどうかといった意見や、日本やマレーシアの企業も含めて障害者を多く雇用し法定雇用率を満たしている優良事例の広報、法定雇用率の周知イベントの開催、達成企業への奨励金の給付などを提案するグループもあった。

4グループのプレゼンテーションが終わると、千葉専門家は、「長時間にわたりおつかれさまでした。いずれの提案も大いに賛成します」と皆をねぎらった後、「今後、マニュアル作成に取り組みませんか」と呼びかけた。千葉専門家がこう提案したのには、理由がある。モンゴルで法定雇用率を満たした企業には、報奨金や減税、免税を受けられる制度があるが、実際には、制度が企業に周知されていない、あるいは申請方法が分かりにくい、といった理由からほとんど活用されていないためだ。企業に対して一方的に納付金を督促するより、報奨金や減税、免税など、企業にとってメリットとなる制度や就労支援サービスがあることを併せて伝えた方が、企業側が聞く耳を持ってくれるのは、言うまでもない。分かりやすいマニュアルがあれば、ジョブコ―チが企業に持参して、メリットと責任を同時に伝えることができ、企業の理解と社内の説得も進むというわけだ。それでも障害者雇用が進まなかった企業は納付金を政府に納めることになる。

「マニュアルを一冊、作成することによって、ジョブコ―チから企業へ、そして企業から行政へと、円滑な循環が生まれることが期待できます」という千葉専門家の説明に、研修員たちは一様にうなずきながら聞き入っていた。

それぞれの立場からつかんだ手応え

研修を終えた参加者たちの表情は満足感と充実感にあふれており、それぞれの立場からしっかりと気付きや刺激を得て、手応えをつかんだ様子が伝わってきた。

酒井専門家と笑顔を見せるトンガラクタミル局長(左)

酒井専門家と笑顔を見せるトンガラクタミル局長(左)

労働社会保障省のトンガラクタミル局長は、「非常に学びの多い研修でした」と振り返ったうえで、特に印象に残った内容として、「特例子会社という仕組みは、モンゴルにまだ存在せず、まったく知らない情報で非常に興味深く思いました」「また、行政が運営する職業リハビリテーションセンターの活動も、モンゴル社会で可能性が大きいと感じました」と話した。

さらに、日本がモンゴルに先駆けマレーシアに対しても障害者の就労支援を行ってきたことについて触れ、「日本とマレーシアの長い協力の歴史を踏まえ、マレーシアにおける教訓や学びを踏まえながら、モンゴル社会へのジョブコ―チ制度の導入と普及を適切な形で進めていきたいと思います」と、決意を語った。

自閉症協会の顧問を務め、ジョブコーチトレーナーとしての活躍も期待されるアルタンゲレルさん(中央)

自閉症協会の顧問を務め、ジョブコーチトレーナーとしての活躍も期待されるアルタンゲレルさん(中央)

自閉症協会の顧問を務めるアルタンゲレルさんは、「一般的に、身体障害者は、自分たちの権限について、ある程度自分で発言したり活動したりすることができるが、知的障害者の場合は、認知能力の問題もあって、社会に参加する機会が限られているのがモンゴルの現状です」と話す。自身にも自閉症の長男がいるアルタンさんは、「知的障害者や精神障害者の就労支援のためにアメリカで立ち上げられたジョブコ―チ制度がモンゴルに導入・普及されることになって、個人的にも大変嬉しく思っています」「ジョブコーチの働きかけによって、知的障害者や精神障害者の就労や社会参加が進めば、生活の基盤も高まってくるはず」と期待を寄せる。

モンゴルでは、今後、すべての障害者がジョブコーチ制度を利用できるような形で導入と普及が進められることになるが、アルタンさんは「個人的には、やはり知的障害者や精神障害者への支援に、特に力が注がれるべきだと考えています」と言う。そのうえで、「自閉症協会の顧問を務める立場として、自閉症協会だけでなく、ダウン症協会や障害児親の会などとも連携し、知的障害者の生活と社会的地位の向上に向けて引き続き力を尽くします」と、決意を新たにしていた。また、「知的障害者は社会にとって大きな“資源”だと考えています。ジョブコ―チ制度の導入によって、彼らの社会参加が促進され、自分たちが社会に貢献しているんだという実感を得られることを期待しています」と話した。

また、モンゴルで観光・貿易・建設業などを営む大手企業のアルタンゴビ社で人事業務に携わるオドバヤルさんは、昨年9月にウランバートルで開かれたDPUB2の企業啓発セミナーにも参加した。

オドバヤルさんは、今回の本邦研修に参加した理由について、「モンゴルでも障害者雇用に関する法律が制定され、企業の社会的責任が求められる機運が年々高まっている中、人事としては障害がある人も積極的に雇用したいという気持ちはあるものの、いざ雇用してもなかなか定着してもらえず困っていました。昨秋のセミナーに参加して、適切な方法を理解していないことに気が付いたため、今回の参加を決めました」と話す。そのうえで、「今回、採用時にはしっかりしたアセスメントが必要であることや、雇用者と当事者を結び付けるジョブコーチという第三者の存在の重要性について理解しました。私自身、ジョブコーチについてもっと知りたいと思います」と話した。

同社は今年、障害者を8人採用することを計画しているという。「この研修を通じて知り合った人たちと連携を取ってネットワークを構築し、障害者の雇用を適切に進めていきたい」と意気込むオドバヤルさん。「特例子会社という仕組みにも非常に興味を持ったので、モンゴルに戻ったら、特例子会社を作るための法的な環境について調べてみようと思います」と続けた。

グループで議論した行政の役割について発表するウランバートル市役所のムンフバヤルさん

グループで議論した行政の役割について発表するウランバートル市役所のムンフバヤルさん

他方、「大阪府と同じような制度はモンゴルにもありますが、モンゴルでは行政がすべてを把握して管理し、実施しようとする感覚が抜けていないため、制度がうまく機能しておらず、十分なサービスが提供できていないと感じました」と話すのは、モンゴルの総人口の半数が集中する首都ウランバートル市役所の労働福祉局で局長を務めるムンフバヤルさんだ。「大阪府が民間企業やNGOと積極的に連携し、サービスの委託も進めている点が、特に素晴らしいと思いました」と話すムンフバヤルさんは、「モンゴルでは、私たち行政を含め、障害者雇用に関する理解がまだまだ弱いため、帰国後は、今回の参加者たちとも連携を進め、ウランバートル市内の9つの区に対して障害理解を促進するための研修を実施することから始めたいと思います」と述べた。

充実した大阪滞在を終え、行政官、企業、NGOからの参加者10人と介助者がモンゴルに帰国した後、8人がさらに1週間、日本に残った。障害者支援団体や障害者開発庁などで活動しているメンバーで、今後、モンゴルでトレーナーとしてジョブコーチを育成する役割を担うことが期待されている。8人は東京に移動し、ジョブコ―チトレーナーとして研修を実施する際にはどんな点に留意すべきなのかや、研修の運営方法などを日本のトレーナーと共に学んでからモンゴルに帰国した。

今後、同様の研修が今年9月にも予定されている。日本とモンゴル、両国の関係者の思いをのせていよいよ本格始動したモンゴルのジョブコ―チ制度から、どのような障害者の就労事例が生まれ、モンゴル社会が変わっていくのか。これからが正念場だ。