「プロジェクトニュース(障害者雇用の優良事例)」Case11 ソフトストーリー社

【CASE 11】聴覚障害者が働くカシミア工場

「テクノロジーを活用して兄と共に世界市場の開拓に挑む」

ソフトストーリー社を立ち上げた母親のトゥムルフーさんと談笑するゾリグトさん(右)と、弟で聴覚障害者のアルタントゥグスさん

ソフトストーリー社を立ち上げた母親のトゥムルフーさんと談笑するゾリグトさん(右)と、弟で聴覚障害者のアルタントゥグスさん

両親から受け継いだ会社

モンゴルの冬は厳しい。毎年1月から2月は氷点下30~40度まで気温が下がるこの国の寒さから人々を守り、あたたかく包んでくれるのが、セーターやマフラー、コートなどのカシミア製品だ。毛が細い上に密度が高く、保温性と肌触りに優れたカシミアは、「繊維の宝石」との別名を持つ。激しい寒暖差と乾燥した空気、広大な牧草地、良質な水源というモンゴルの大自然の中、遊牧民たちが冬営地、春営地、夏営地と移動しながら育てたカシミアヤギから採れるカシミア繊維は、特に品質が良いことで知られており、世界の生産量に占める割合は3割とも4割とも言われている。金や銅などの鉱物資源を除けば、カシミアはモンゴル最大の輸出商材であり、カシミア産業に携わっている国民は少なくない。まさにカシミアはこの国の人々にとって、生活の上でも、経済の上でも欠くことができない存在なのだ。

「繊維の宝石」と呼ばれるカシミア製品 © Johnstons of Elgin / Unsplash

「繊維の宝石」と呼ばれるカシミア製品
© Johnstons of Elgin / Unsplash

モニターで織柄のデザインについて指示を出す兄のゾリグトさん

モニターで織柄のデザインについて指示を出す
兄のゾリグトさん

2022年7月上旬、ウランバートルの北西部、第4地区にあるソフトストーリー社を訪ねた。モンゴル国内に60社以上あるというカシミア工場の1つだ。
数棟並んでいるアパート群の一つに入り、地下駐車場を進んだ奥に、その会社はあった。にこやかに迎えてくれたのは、ゾリグトさんだ。
同社は2020年にゾリグトさんが両親から引き継いだ。創業は2006年に遡る。カシミア大国のこの国でトップレベルのブランドとして知られるゴビカシミアで24年間勤務し、工場長まで務めた母親が、その経験と知見を生かし、洗濯石鹸やシャンプーの製造・販売を手掛けていた父親と立ち上げたのが、前身のベストカシミア社だった。しばらくは母親の友人のカシミアプロジェクトから発注を受けてドイツ向け商品を製造していたが、4年後に独自経営を開始。ドイツ側が主導していた製品のデザインも自分たちで手掛け始めるようになった。当時、大学で生産ラインの自動化について学んでいたゾリグトさんも、挑戦し続ける両親の姿に刺激を受けて、いつしか「2人を支えよう」と決意していたという。大学卒業後は、カシミア産業に関する知識を吸収するために、母親がかつて勤務していたゴビカシミアでプログラマーとして10年間勤務働いてから両親の会社に入社。1年半後、両親は全面的に経営から退き、ゾリグトさんが社長に就任した。

聴覚障害者を積極的に雇用

ゾリグトさんの弟、アルタントゥグスさんは3歳の時に高熱が原因で聴覚を失った

ゾリグトさんの弟、アルタントゥグスさんは3歳の時に高熱が原因で聴覚を失った

そんな同社は、創業2年目の2008年から、常時、聴覚障害者を雇用してきた。最も多かった時は、全従業員70人のうち7人が聴覚障害者だったという。
同社が早くから聴覚障害者の雇用を積極的に進めてきた理由は、ゾリグトさんの弟、アルタントゥグスさんの存在が大きい。
アルタントゥグスさんには、後天性の聴覚障害がある。3歳の時に突然、高熱を出し、注射を打たれたことが原因で聞こえなくなった。小学校から高校を卒業するまで特別支援学校で文字や手話を学んだ後、かつて両親や兄も学んだモンゴル科学技術大学に入学し、グラフィックデザインを学ぶ傍ら、自分と同じ聴覚障害がある仲間たちと「天使の若者」という団体を立ち上げて、熱心に活動するようになった。アルタントゥグスさんの両親がこの団体のメンバーたちを工場で受け入れることにしたのは、手に職をつけさせ、将来、自立生活を送れるように後押ししたいとの思いからだった。

アルタントゥグスさん自身も、2011年に入社した。幼い頃から絵を描くことが好きで、グラフィックデザインの専門を生かせる道に進もうと、夏休みの時期にデザイン関係のアルバイトをしたこともあるが、採用に至らなかったため、工場で働くことにしたのだ。
そんなアルタントゥグスさんに、いきなり大役が任された。モンゴルでは当時、ひし形の模様が編み込まれたセーターが流行っていたため、手先が器用で絵心があるアルタントゥグスさんに、両親がデザインを一任したのだ。
いまでこそ最先端の機器を導入し、機械化を進めている同社だが、当時はまだ古いタイプの機械しかなく、すべてが手作業だったうえ、ひし形の模様を出す作業は難易度が高いうえ手間もかかり、1枚のセーターを完成させるのに何日もかかったという。
「最初はとてもつらかったけれど、完成したセーターを見た時に作業の意味がようやく分かりました」「セーターを喜んで着てくれている人を見た時に嬉しさがこみ上げました」と、アルタントゥグスさんは振り返る。それと同時に、「モンゴル中で自分だけが手作業でひし形の模様を編むことができるんだ」という誇らしさも湧いてきたという。

グラフィックデザインの知識を生かしてソフトストーリー社で奮闘するアルタントゥグスさん

グラフィックデザインの知識を生かしてソフトストーリー社で奮闘するアルタントゥグスさん

入社から1年が経った頃、アルタントゥグスさんは両親から新しい相談を受けた。工場で導入したばかりの新型機械の操作方法を研究し、使いこなせるようになってもらいたいという依頼だった。
作業の機械化を進めて生産効率を上げるために両親が思い切って購入したのは、日本のニット機械製造・販売メーカー、島精機製作所が誇る最新機器で、デザインから縫製までの全工程をコンピューターで自動制御するタイプだった。まったく見当がつかない操作方法を研究して扱えるようになることは、前回のひし形模様よりはるかに難しい課題に思えた。
悪戦苦闘を続けるアルタントゥグスさんを、兄のゾリグドさんは全面的に支えた。勤務が終わって帰宅すると、ゾリグドさんは毎晩、アルタントゥスさんにパソコンの使い方を教え、機械の操作方法を一緒に研究した。努力の甲斐あって2人が自由自在に機械を扱えるようになったのは、1年後のことだった。
当時、モンゴルでこの最新型の機械を導入している企業はまだ少なかった。「この機械を操作できる障害者は、この国で自分だけかもしれない」。そう考えると、アルタントゥグスさんは背筋を正されつつ、再び誇らしい気持ちになったという。

二人三脚で開く兄弟の未来

同社は当初、モンゴル国内での販売も視野に入れており、ウランバートルと地方に店舗を開いたが、その後、徐々に海外市場へのシフトを進めた。現在は、日本、韓国、ドイツ、スイス、オランダ、スウェーデンの企業と取引している。このうち日本や韓国の企業は、両親がドイツの展覧会に参加した際に知り合い取引するようになったが、それ以外の企業は、ゾリグトさん自身が国際展示会に出向いたり、中小企業の振興策の一貫として商工会が開いた展示会にオンラインで参加したりして積極的に開拓してきたという。最近ではセーターなどの衣料品のほか、毛布などの生活用品も注文が増えているうえ、カシミアだけでなく、ヤクやラクダの毛を使った商品も扱うようになった。基本的には刈り取った毛を遊牧民から買い取って自分たちで製糸し、商品をつくっているが、遠方の場合は製糸作業も地方の工場に委託しているという。
事業の拡大に伴い、いまや欠かせない存在になっているのが、兄弟で操作方法を研究したコンピューター制御の編機だ。
「手作業だとどんなに単純なデザインであっても1日に作れるセーターは、4~5枚がやっとでしたが、この機械のおかげで1日に20枚作れるようになりました」「取引先の要望に応じて配色を変えたり模様をアレンジしたりと、商品のバリエーションを増やすことも簡単です」と、ゾリグトさんは胸を張る。

最新型の機械は兄弟で試行錯誤しながら使い方を研究した

最新型の機械は兄弟で試行錯誤しながら使い方を研究した

その一方で、作業の機械化を受けて体制は合理化を図った。現在は、創業以来、最大の取引を6人の社員で回している。聴覚障害者は現在、アルタントゥグスさん1人だ。
しかし、障害がある人々の自立を後押ししようという同社の取り組みは、今も形を変えて続いている。2020年にはアルタントゥスさんが通った聴覚障害児のための特別支援学校の恩師から相談され、卒業後に就職を望んでいる後輩を20人、インターンとして受け入れて研修させ、うち10人を国内の大手カシミア企業に就職させた。モンゴルでコンピューター制御の編機を使える人材はまだまだ少なく、ソフトストーリーで使い方を学べるのは貴重な機会であるため、「あの時紹介してもらった人たちは今も頑張っています。ぜひまた紹介してください」という依頼が今も企業から寄せられるという。
さらにアルタントゥグスさんは、モンゴルで大人気のケンタッキーフライドチキン各店で据え付け型のタッチパネルの導入が進んでいることを例に挙げ、「客が自分でオーダーし、カウンターでは整理番号に従い商品を渡してレジを打つだけで良くなったことにより、障害者の雇用が増えています」と指摘。「テクノロジーをうまく活用すれば、障害者にとって働きやすい職場環境も増えるのです」「今の仕事にとてもやりがいを感じています。この会社のために兄と一緒にまだまだ頑張りたいです」と続けた。

ゾリグトさんとアルタントゥグスさんは、二人三脚で両親から引き継いだ会社を守っている

ゾリグトさんとアルタントゥグスさんは、二人三脚で両親から引き継いだ会社を守っている

最近、アルタントゥグスさんには、もう一つ、夢ができた。「天使の若者」の活動を通じて知り合い、結婚した妻とコーヒーショップを開き、自分たちと同じ聴覚障害がある若者をバリスタやウェイトレスとして育てることだ。ベトナムやタイで、障害者が当たり前のようにコーヒーショップで生き生きと働いている様子をインターネットで見たことがきっかけだった。
「特別支援学校の生徒たちの多くは、進学せずに就職していますが、専門性がないために労働環境が劣悪な仕事しか見つからず、コミュニケーションが取れずに退職に追い込まれるケースが後を絶ちません」「適切な環境さえ与えられれば、障害者はどんな仕事でもできるのです」と、力説するアルタントゥグスさん。そんな弟を優しいまなざしで見つめながら、兄のゾリグトさんも「作業を覚えるまで見守って支える人がいれば、障害者も働けるはずです」と、声をそろえた。

ソフトストーリー社は、従業員数から言えば決して大企業とは言えない。しかし、最先端の機械をいちはやく導入し、世界に向けて商品を作り続ける同社には、国内の大手カシミア企業も注目している。特別支援学校の学生たちを育成して企業へと送り出す同社が目指す社会は、障害者と企業をつなぐジョブコーチを育成するDPUB2が目指す社会とも親和性が高いことは言うまでもなく、モンゴル社会の変革のカギを握っているのは大企業だけではないことを、同社の挑戦から学ぶことができる。

障害者の可能性を信じて挑戦し続けるソフトストーリー社とDPUB2が手を携えて進む未来に、障害者雇用を巡るモンゴル社会のパラダイム転換が待っている。

企業概要

企業名 Soft Story(カシミア工場)
事業 カシミア製品の製造と輸出
従業員数 6人(一時は70人、機械化により削減)
うち障害者数 現在は1人(一時は7人)
インターンとして受け入れた聴覚障害者数 約20人
(うち10人が大手カシミア企業に就職)
雇用のきっかけ 聴覚障害がある次男や友人たちの就労と自立生活を応援するため
雇用の工夫 手作業中心だった時は自社で採用を進めていたが、最新のコンピューター制御型織機を導入したのを機に、特別支援学校から聴覚障害者をインターンとして受け入れ、使い方を教えたうえで大手カシミア企業に紹介し、就職をあっせんしている

【ジョブコーチ就労支援サービスとは】

ジョブコーチを通じた障害者と企業向けの専門的な就労支援サービスのことで、モンゴル障害者開発庁が中心となって2022年6月から提供が開始された。
このサービスを通じて、今後、年間数百人の障害者が企業に雇用されることが期待される一方、障害者の雇用が難しい企業には、納付金を納めることで社会的責任を果たすよう求められている。