プロジェクトニュース_39

2018年4月5日

参加型保全活動の経験取りまとめシリーズ 第7回(最終回) 環境サービス・財の持続可能な利用

環境サービス・財とその持続的な利用とは

私たち人間の生活は自然環境がもたらしてくれる様々なサービスや財によって支えられています。水や空気を清浄にしてくれる調整サービスや、日々の食料、薬草、薪炭材、建材といった多様なマテリアル・財の供給などは分かり易い例です。その他にも、美しい自然環境はツーリズムやレクリエーション、教育、創作活動のインスピレーション等を支える存在でもあります。このように、人間の伝統や文化の多くは自然の中で育まれてきたものであり、自然の存在そのものが非常に大きな意味や価値を有していることがわかると思います。

先述のように環境サービス・財は非常にバラエティーに富んだ多面的価値を持っており、それは容易に貨幣的価値に換算して評価できるようなものではありません。しかし現実にはこうした環境サービスや財の多くは、便宜的に何らかの形や手法で市場的価値を付けられ、売買がなされています。

それは時として環境サービス・財の過剰な利用・搾取につながります。その結果として自然のプロセスが乱され、先述の調整機能などが大きく損なわれ、財の供給が不可能になるといった事態も生じています。

適正な環境サービスや財は自然のプロセスの中で生まれ、人間の都合など全く関知しないペースで育まれていくものです。人間の都合で輪転機の速度を変えて、いくらでも印刷することが出来るお金とは根本的に異なるものです。環境サービスや財を持続的に享受するには、自然のプロセスを理解し、それを乱さない範囲と速度で利用しなくてはなりません。

現在自然環境や生物多様性の豊かさで知られるコスタリカにおいても、過去に環境サービス・財の過剰な利用や搾取が急速に進んだ時期がありました。それは場所によっては現在進行形の問題でもあります。しかしそうした経験の中から、環境サービス・財の持続可能な利用に向けた様々な取り組みや工夫が生まれてきました。

今回プロジェクトMAPCOBIOで取りまとめたコスタリカにおける参加型保全活動の経験の中には、そうした環境サービスや財の持続的な利用に関する事例が3つありました。

1.オスティオナル野生生物保護区におけるウミガメの卵の利用

2.ゴルフォ・ドルセ森林保護区における村落開発

3.タラマンカ・カリベ地域生物回廊の経験

今回のプロジェクトニュースではこれらの事例についてご紹介し、21の経験取りまとめシリーズの最終回とさせていただきます。

1.オスティオナル野生生物保護区におけるウミガメの卵の利用

オスティオナル野生生物保護区はコスタリカの太平洋沿岸北西部、ニコヤ半島にあり、オスティオナル、ノサラ、ペラダス、ギオネスの4つの砂浜(総延長16km)と周辺のマングローブ林等からなる陸域(468ha)と、海岸線から3海里(約5.5km)沖合までいった海域(8.000ha)で構成されています。

コスタリカでは世界に7種類いるウミガメのうち6種類を見ることが出来ます。そのうちオスティオナル野生生物保護区ではヒメウミガメ(Lepidochelys olivacea)、オサガメ(Dermochelys coriacea)、アオウミガメ(Chelonia mydas)、タイマイ(Eretmochelys imbricata)の4種類の産卵が確認されています。

とりわけヒメウミガメについては、オスティオナル野生生物保護区のオスティオナルとノサラの砂浜で、一斉産卵現象(現地語に倣い、以後“アリバダ”と呼ぶ)が見られることが非常に有名です。このヒメウミガメのアリバダという現象は世界の9か所で確認されており、オスティオナル野生生物保護区のアリバダはメキシコのエスコビージャ・サンクチュアリに続いて2番目に大規模なものです。ひとたびアリバダが始まると、3日から10日ほどに渡り数千~数万頭ものヒメウミガメが砂浜を埋め尽くします。アリバダは乾季(12月から5月)には滅多には起こらず、雨季(6月から11月)には月1回、場合によっては2回以上の頻度で生じます。雨季の間に産卵に訪れるヒメウミガメの延べ頭数は、年によって変動がありますが、9万~18万頭に上ります。またエルニーニョ現象の年よりも、ラニーニャ現象の年の方が、はるかに多くの頭数が産卵に訪れることがわかっています。

コスタリカの太平洋沿岸部の砂浜では、オスティオナルに限らず、昔からウミガメの産卵が広く確認されています。オスティオナルの初期の定住者の話では、オスティオナルの砂浜でウミガメの産卵が見られ始めたのは1930年代頃からだそうです。そしてどういった理由や原因があったのかは全く不明ですが、1959年に突如オスティオナルの砂浜にヒメウミガメの大群が産卵に押し寄せるアリバダが始まったのです。

その当時、この地域の主要な産業は農牧畜業でした。地域の住民は木を伐り、焼き畑を行い、農牧地を広げていました。その他にマングローブ林などでエビやカニなどを採取して生計を立てていたといいます。

しかし1959年のアリバダの発生を受けて、近隣地域の住民は大挙してオスティオナルの砂浜に押し寄せ、ウミガメの卵を可能な限り収奪していきました。またウミガメの子供も家畜の餌として大量に捕獲されていきました。コスタリカでは1948年に制定された法律によって、ウミガメの捕獲やその卵の収奪は禁止されています。しかし当時の地域の人々に、ウミガメの卵の保全や個体群のコントロールといったアイデアは全くありませんでした。アリバダのたびに人々は大挙して砂浜に押し寄せ、卵やウミガメの子供を収奪し、それらを販売して生計を立てるようになっていきました。

それから10年ほど経った1970年代初頭、このオスティオナル周辺地域には米国のPeace Corps(平和部隊)のボランティアたちが入り、村落開発活動を支援するようになっていました。そしてそのボランティアの一人がコスタリカ大学の研究者にアリバダについて話をしたことで、オスティオナルのアリバダがコスタリカの動物学や自然環境保全の有識者の間でも知られるようになったのです。そしてコスタリカ大学の研究チームがオスティオナルを訪れるようになり、アリバダについての調査研究が始まりました。

当初オスティオナルの地域住民はコスタリカ大学の研究チームに対して非常に敵対的でした。まったくコントロールされていないウミガメの卵の収奪と密売行為について、研究者たちは規制をかけようとする存在とみなされたのです。

コスタリカ大学の研究者たちはアリバダのたびにオスティオナルを訪れ、調査を続けました。ウミガメの卵を違法に収奪し売買する地域住民と研究者の間では、しばしば衝突もあったといいます。また研究者らを守るために同行していた警官隊と地域住民の間で死亡者の出る事件なども起こりました。しかしそれでもコスタリカ大学の研究者たちは機会を捉えて粘り強くオスティオナルに通い続け、調査研究とウミガメ保全のための啓発活動を続けました。

1980年、地域にコスタリカ大学の研究者たちの活動に理解を示す人々も徐々に多くなっていた頃、コスタリカ大学はウミガメ研究のための研究施設をオスティオナルに建設しました。そうして国内外多くのウミガメの研究者がそこに常駐するようになり、アリバダやウミガメの個体群、ウミガメの卵の生存性や発達などについての研究が加速していきました。コスタリカ大学は以来今日に至るまで現地でアリバダのモニタリング活動を継続しています。またこのモニタリング活動は、世界の他の地域で見られるアリバダのモニタリング活動と共通の手法で行われており、調査結果は現地関係者や研究者に広く共有・活用されています。

そうした研究者の不断の努力もあって、科学的なデータに基づいた管理の重要さも地域の住民に徐々に認められていきました。それと共に、ウミガメとその生息地保全のためにオスティオナルを野生生物保護区にしようという動きも本格化していきました。

現地にはこうしたウミガメ保全の動きに反対する人々も依然として存在していました。しかしオスティオナルの内外で保全賛成派の声が勝り、1983年11月17日オスティオナルは正式に野生生物保護区となりました。

しかし野生生物保護区になったからと言って、オスティオナルで現地住民によるウミガメの卵の収集活動がなくなったわけではなく、引き続き収集活動は続けられていました。本来であればそうした活動を行うのは違法です。しかしそれまでのコスタリカ大学などの調査研究によって、アリバダ時にある程度卵を収集しても、現地のヒメウミガメの個体群に影響がないということがわかってきていました。そのため法的な課題を残しつつも、度を過ぎない程度のウミガメの卵の収集活動は、この時点では事実上黙認されることとなったのです。

アリバダ時には大量のヒメウミガメが砂浜に穴を掘り産卵していきます。既に産卵が行われた場所を、また別の個体が掘り起こし、その上に産卵するという行為が随所で見られます。その結果砂浜は掘り返された卵で溢れかえり、多くの水鳥やアライグマ、ハナグマ、コヨーテなどの野生動物も地表に露出した卵を狙って採餌に来ます。仮に動物の採餌を免れたとしても、掘り起こされて地表に露出してしまった卵から子ウミガメが孵ることはありません。

このようにアリバダ期間中に産み落とされた卵が全て孵化するということは有り得ず、必ずある程度の卵は自然のプロセスの中で消減してゆくのです。その自然減する分であれば、人間が収集してもヒメウミガメの個体群には影響を及ぼしません。逆に自然減以上の数量の卵を収奪すれば、現地のヒメウミガメの個体群は減少していき、卵の持続的な利用などは立ち行かなくなります。

こうしたことから、1984年に持続可能な形でウミガメの卵を管理・保全していこうとする、地域住民グループが形成され、そのグループは翌1985年に法人格を取得しADIO(Asociacion Desarrollo Integral de Ostional:オスティオナル統合開発協会)として活動をはじめました。こうした組織が厳格に卵の収集と流通の管理を行うことで、必要以上の卵の収奪を抑制し、現地のヒメウミガメの保全と、その卵の持続可能な利用を目指すようになったのです。

また同1985年には保護区のゾーニングを変更し、ヒメウミガメの保全体制が強化されました。保護区の範囲を満潮時の海岸線を基準として200m拡大する措置がとられたのです。こうしたゾーニングの変更は1993年にも行われ、オスティオナル野生生物保護区の正面海域も保護区に含める措置がとられました。オスティオナルの海岸線から3海里沖合までが保護区に組み込まれたのです。

1987年には漁業関連の法改正が行われ、オスティオナル野生生物保護区のヒメウミガメの卵に関しては収集・販売・流通が認められるようになりました。ただしそれは科学的なデータに基づいて作られた管理計画の枠内で行われることとされ、ADIOのみがその事業を行う権限を与えられました。こうしたオスティオナルにおけるウミガメの卵の収集・販売・流通についてはその後も1989年、1990年、1999年とこまめに法改正が行われ、ウミガメ保全の実効性や卵の取引の透明性などを確保するための動きが絶え間なく行われています。

実際にこうした法改正に対して、ADIOはこれまで責任をもった対応をしてきました。例えば卵の流通において、不正や密漁された卵が混入する等の問題が生じたことがあります。そうした問題が再度生じないよう、水産庁とADIOは協働して管理体制を構築してきました。現在ウミガメの卵はADIOのロゴが入っている正式な袋に入れられ、ADIOの印がしてある封でしっかりと閉じられています。そうして卵が詰められた袋にはバーコードが付与され、追跡が可能になっています。またADIOと水産庁の許可を得た事業者のみ、ウミガメの卵を取り扱い、流通させることができます。このようにオスティオナルのウミガメの卵については、流通経路の始点から終点まで、しっかりとした管理体制が敷かれ、不正が無いように管理の目が届くようになっています。

1997年、コスタリカは米州ウミガメ保全政府間協定(Convencion Interamericana para la Proteccion y Conservacion de las Tortugas Marinas:略称CIT)に署名し、自国のみならず国境を越えて米州のウミガメ保全の強化に取り組んでいくこととなりました。この米州ウミガメ保全政府間協定に従えば、ウミガメの卵の収集・販売・流通は原則できなくなります。しかしオスティオナルの事例のように、科学的なデータに基づいた管理と保全を厳格に行っている場合に限り、アリバダ時の卵の収集や販売が認められるのです。

ADIOの活動は1985年の創設以来、常にコスタリカ大学や農牧省、環境エネルギー省、水産庁などと連絡を密にとり進められてきました。ADIOの活動には経済・社会・環境の3つの軸があります。経済の軸においては、アリバダ時の卵の収集で得られる収益の70%をADIOの会員に平等に分配する事としています。社会の軸においては収益の残り30%を地域のインフラ整備や社会福祉活動など、地域社会全体のためになる事業に充てています。

環境の軸はウミガメの保全活動です。オスティオナルの海や砂浜をきれいに保ち、密漁を防ぐためのパトロールも行っています。また卵から孵った子ウミガメが、鳥や野生動物などに襲われないよう海に戻るまで見守る活動もしています。さらに、掘り返されて地表に露出してしまった卵の中から状態のいいものを集め、掘り返される心配のない場所に埋め戻し、卵を孵化させる活動などにも取り組んでいます。この人工的な埋め戻しを行った卵は、自然状態よりも2倍から4倍孵化成功率が高いそうです。こうした孵化促進活動では年間約100万匹の子ウミガメが海に帰っていきます。またウミガメ保全活動の重要性についての環境教育やツアーガイドの育成なども行われています。

こうしたADIOの活動は、コスタリカ大学や水産庁など多様なアクターが参加する形で作られた活動計画に基づいて進められています。ADIOが発足してから2005年までは1年毎に活動計画を策定し、事業の振り返りなども行っていました。2006年以降は、5カ年計画をたてて事業を進めています。

このように当初はウミガメとその卵を搾取するだけだったオスティオナルとその周辺地域ですが、人々がその資源的な価値と保全の重要性に気付き、現在ではその保全と持続可能な利用を基礎として豊かな地域社会を形成しています。自然資源の無分別な利用と搾取は、それに依存していた人間の生活だけでなく、それに関係する多くの生き物の生態学的な繋がりさえ破壊してしまいます。生活の基礎が何に支えられているかを知り、環境サービスや財を適切な範囲内で利用する視点が、持続可能な社会の形成には欠かせません。

【画像】

オスティオナル野生生物保護区のアリバダの様子

2.ゴルフォ・ドルセ 森林保護区における村落開発

コスタリカの太平洋沿岸南西部にあるオサ半島は、内湾のゴルフォ・ドルセ(ドルセ湾)に面した一部の地域を除けば、半島の大部分の土地が現在コルコバード国立公園やゴルフォ・ドルセ森林保護区などの保全地域に指定されており、コスタリカでも屈指の生物多様性の豊かさを誇る地域として知られています。

このゴルフォ・ドルセ森林保護区の中にランチョ・ケマードと呼ばれる村があります。この村の名称を直訳すると、“焼け落ちた小屋”となります。

オサ半島では1937年に金の鉱脈が見つかり、国内外から多くの人々がやってきて、採掘が盛んに行われた時代があります。オサ半島とその周辺で採掘された金は現在までで20トンほどに上ると推定されており、今現在でも手掘りで違法な採掘をする人々がいるそうです。1930年代後半から始まったオサ半島でのゴールドラッシュの際、カルメン・ピサロという人物が金鉱石を求めてオサ半島にやってきました。この人物は現地に掘立小屋を建て活動の拠点としていましたが、不運なことにその小屋は火事で焼け落ちてしまいました。それ以来そのあたり一帯はランチョ・ケマードと呼ばれるようになったのです。

オサ半島はコスタリカの首都などからも遠く離れており、開発が遅れていました。そのため1940年代から1950年代にかけて林業やフルーツ栽培などの外国資本を入れて、開発を進める政策がとられていました。こうした外国企業は現地のアクセス道路建設など、地域のインフラ整備を進めた一方で、大規模な森林伐採などを引き起こし、土地の利用方法や所有権などを巡って現地の農民との対立が目立つようになりました。結果外国の企業は徐々にオサ半島での活動規模を縮小し、撤退していきました。

1970年代に入ると、コスタリカ政府は開発一辺倒であった政策を転換し、自然環境保全に向けて国立公園、野生生物保護区、森林保護区などを相次いで設置していきました。先述のコルコバード国立公園は1975年に、そしてゴルフォ・ドルセ森林保護区は1978年に設置されました。

これによってランチョ・ケマードは森林保護区の真っただ中にある村となりました。それによって林業を促進するプログラムなどが行われたりもしましたが、依然としてこの地域一帯は開発の遅れた貧しい農村として取り残されており、さらなる地域開発の手段を模索している状態が続きました。

1980年代、この地域一帯の農村開発には“ドラケ統合開発協会”という住民組織があたっていました。メンバーはランチョ・ケマードを始めとした周辺のいくつかの農村の住民で構成されており、その下にはインフラ整備、保健医療などといったテーマごとの委員会が置かれていました。しかしこの統合開発協会はあまり有効に機能しておらず、地域の農村開発はあまり望めない状態でした。

そこでランチョ・ケマードの住民は1989年に独自に“ランチョ・ケマード統合開発協会”を設立し活動を始めました。ちょうどこの前年にネオトロピカ財団がボスコーサ・プロジェクト(実施期間8年)という林業支援プロジェクトを、ゴルフォ・ドルセ森林保護区を対象に始めていました。このプロジェクトはコミュニティーの生計向上と持続可能な林産物の生産などを目指したものです。

ランチョ・ケマード統合開発協会はこのプロジェクトのカウンターパートとして機能し、地域にペヒバジェ(ピーチ・パーム/学名 Bactris gasipaes ヤシの仲間で、栗のような味の実がなる)などの植林や養豚場建設などを進めました。しかしこのプロジェクトは林産物や食肉のマーケティングなどの要素はカバーされておらず、加えてランチョ・ケマードから街に出て農林産物を売るにしても、道路状況が悪いため、継続的に商売を行うことが困難でした。

同時期に現地ではストン・フォレスタルという米国の林業会社が、メリーナ(学名:Gmelina arborea)というブナの仲間の大規模植林事業を始めていました。

これらの植林事業などによって現地の雇用状況は多少改善し、生計も多少向上しました。しかし依然として他地域に比べて貧しい状況にあり、村を離れる人々も後を絶ちませんでした。

1990年代後半に入るとCoopeSoliDarというコスタリカの地方村落開発と自然環境保全活動を行っているNGOもゴルフォ・ドルセ森林保護区で活動をはじめました。“人と自然についての参加型教育”と名付けられたこのプロジェクトでは、自然環境と人々の繋がりについての様々な教材が作成され、環境祭りや環境教育などが行われました。ランチョ・ケマードの住民もこの活動に参加しましたが、自然の豊かさや地域の文化を知り、地域の人々の交流促進を図るといった活動は地域の人々の望んでいるような生計の向上を図るようなものとはかけ離れており、最終的にはCoopeSoliDarも現地での活動を取りやめることになりました。

2000年代に入り、ランチョ・ケマードにコスタリカ大学生物学部の研究者や学生たちが調査研究のために入ってくるようになりました。彼らの研究対象は保護区内の住民の土地所有状況やその管理状況の把握、そしてそこからもたらされる環境財の利用・管理状況といったものでした。

コスタリカ大学の研究者や学生たちはランチョ・ケマードを拠点として地域住民と共に様々な調査研究を行い、それと共に様々なコミュニティー開発のプロジェクトの提案書などが作成されてゆきました。例えば、倒木の有効活用方法、簡易製材所の建設、環境サービスへの支払制度の活用、土地の利用許可証を取得したオサ半島における散策道の整備とツーリズム促進などの提案書が出されました。

こうした事業の実施可能性などを調べるプロセスに地域住民も関わり、その際に自分たちの持っている自然資源の価値や活用の可能性に気付かされたといいます。そうしてランチョ・ケマードの12の農家が地域開発プロジェクトの構想を自主的に立ち上げ、その実施のため、コスタリカの地方開発庁(Instituto Desarrollo Rural:INDER)などの支援を得るべく動き出しました。

またこうしたプロジェクトを実現させるため、コスタリカ大学の研究者はランチョ・ケマード統合開発協会のメンバーや先述の12農家の人々に事業実施能力強化の研修などを行いました。

こうして外部の支援を得ながらも、現在では地域住民が自分たちで考え、必要だと認めた事業を実施しています。現在ランチョ・ケマードでは豊かな自然環境や、かつての金鉱石の採掘地などを案内する農村ツーリズムや、民芸品の作成・販売など、さまざまな活動が行われています。

【画像】

ランチョ・ケマードの農家

3.タラマンカ・カリベ地域生物回廊の経験

コスタリカのカリブ海側南東部リモン県、パナマとの国境線に接する地域にタラマンカ・カリベ地域生物回廊はあります。その域内にはブリブリ族やカベカル族など先住民居留地、カウィータ国立公園、ガンドーカ・マンサニージョ野生生物保護区、世界自然遺産に登録されているラ・アミスター国際公園などがあり、陸域の面積は110,086ha、海域の面積は4,500haに上ります。

この地域には1540年にスペイン人が初めてやって来ました。その後1610年に入植者が町を作りましたが、先住民との争いもありすぐに入植者たちは居なくなりました。その後も新たな入植者が幾度かやってきましたが、先住民との小競り合いが絶えないことから、この地域に定住するまでには至りませんでした。

1909年になり、この地に外国資本のフルーツ会社がやってきて、大きなバナナ農園を作りました。しかしこの地域の平地部分には湿地帯が多く、雨季は農地への浸水も激しく、経営は容易ではありませんでした。さらに農作物への病害も度々起こり、結局このフルーツ会社も撤退していきました。

こうした環境の厳しさから、この地では1970年代になっても小さな村落が点在する程度で、ほとんど手つかずの豊かな自然が残っていました。また首都など人口密集地からも遠く、政府の支援もほとんど当てにできないことから、現地に点在する小さな集落では相互扶助や自助努力の社会的風土が醸成され、それに伴い様々な住民組織が形成されていきました。

そうした住民組織の活動もあり、少しずつこの地域にもカカオ、プラタノ(加熱調理用のバナナ)などのプランテーションや、養豚などの牧畜業が広がっていきました。しかし依然として頻繁に生じる水害や、1991年に地域一帯を襲った大地震などの被害もあり、地域の開発指標はコスタリカ国内でも最低水準でした。

1992年、現地で長年にわたり自然環境・自然資源の保全活動を行っていたANAI協会(La Asociacion Anai,1978年にタラマンカ・カリブ地域で活動を開始したローカル環境NGO)は、タラマンカ地域全体で自然環境保全の強化と自然資源の有効活用を促進するべく、生物回廊を設置する構想を打ち出しました。ANAI協会は環境エネルギー鉱物省(現在の環境エネルギー省)、The Nature Conservancyといった国際NGOと協働し、生物回廊設置の実現可能性調査や調整を進めました。この構想は当初は地域の他の住民組織から反対されました。しかしANAI協会などの地道な啓発活動もあって、徐々に地域に生物回廊設置のアイデアとその有用性が認知されていきました。

生物回廊の設置とその管理には地域の住民組織の有機的な連携・協働が欠かせず、そうした住民組織協働の為のプラットフォーム設置の必要性が徐々に高まっていきました。そして1996年、ANAI協会を中心とした現地18の住民組織がメンバーとなり、タラマンカ・カリベ地域生物回廊協会(Asociacion de Organizaciones del Corredor Biologico Talamanca Caribe:以後ACBTC)が設立されました。1997年、ACBTCは法人格を取得し、組織の定款・約款を定め、活動の実施体制が整いました。それ以来ACBTCはこの地域一帯で実施される自然環境保全活動や地域産業の促進活動など様々なプロジェクトやプログラムのカウンターパートとして機能し、また外部のドナーにとってもそれまで地域に散在していた住民組織との個別調整などの必要がなくなったため、より支援を行いやすい体制になりました。

同1997年には環境サービスへの支払制度を活用した活動を始め、自然環境保全や自然資源の適切な管理を実施することによって地域に収益が入ってくる体制を確立させました。また1999年以降はこの地方を管轄する国家保全地域庁のラ・アミスター・カリベ保全地域事務所や教育省とも連携を強化し、環境教育の強化にも乗り出しました。2000年から種苗所を開設し、植林活動を地域住民と行うとともに、この環境教育の一環としてACBTCは2005年から毎年環境祭りを開催しており、今や毎回800名を超える来場者が訪れる、地域の一大イベントになっています。

またマイクロクレジット(失業者や十分な資金のない起業家、または貧困状態にあり商業銀行などからの融資を受けられない人々を対象とする非常に少額の融資)による地域の産業支援も行い、養鶏、養豚、ティラピア(カワスズメ科の食用淡水魚)の養殖、山羊のチーズ生産など様々な地域住民の事業を支援していきました。

2000年代後半からは廃棄物の適正な処理やリサイクルなどの活動も始まり、現在はタラマンカ市役所とも連携した活動を行っています。

2005年頃、タラマンカ・カリベ地域生物回廊の域内で石油の試掘を行うという政治的な動きがありました。政治の都合でACBTCや地域の人々がこれまで守ってきた自然が壊されることがあってはならないと、現地の人々は石油開発の動きに真っ向から反対し、この動きを阻止しました。そしてこうした政治の都合による開発行為が今後も引き起こされないよう、翌2006年からはACBTCの代表が地方評議会のメンバーとなり、現在に至るまで地方評議会においてタラマンカ・カリベ地域生物回廊の自然環境保全の重要性を発信し続けています。

当初は個々に活動を行っていた住民グループが生物回廊という枠組みで団結することで、地域をより幅広くカバーする視点が養われ、また外部のドナーも活動しやすい体制が築かれました。現在もタラマンカ・カリベ地域生物回廊の人々は、ACBTCを中心とした自然環境保全活動を行っており、そこから得られる自然資源を持続可能な形で管理しながら日々の生活を送っています。

【画像】タラマンカ・カリベ地域生物回廊の地図。薄い赤線が生物回廊の境界。パナマとの国境に接し、先住民居留地や国立公園、野生生物保護区などを含む。

環境サービス・財の持続可能な利用からの知見

 1.団結の強化

環境サービスや財の保全や持続可能な利用は、それに関係するアクターが集まり、団結することで達成される。また国家保全地域庁の地域事務所職員はそのファシリテーターとして重要な役割を担っている。

2.アクター間での取り決め

生物多様性及び環境サービスや財の保全と持続可能な利用の事業を進める過程では、アクターが責任をもって取り決めた事項や約束、その責務を果たすことが重要。

3.環境サービス・財の保全や持続可能な利用のためのツールとしての、土地に関係する法令の活用

先住民居留地、生物回廊、国立公園、野生生物保護区といった土地利用に関連する法令を適切に利用することで、その地域の環境サービスや財などを保全し、持続的に利用することが出来る。

4.資金調達の選択肢

事業実施の持続性を確保するには資金の調達が欠かせず、それにあたり公的な助成金やその他様々な民間の助成金などを利活用できるように、情報収集や助成金申請などの手続きを適正に行う。

5.適切な環境サービス・財の利用における科学的なデータの重要性

環境サービス・財を利用するにあたっては、科学的なデータが必要不可欠で、そのデータによって地域住民の環境サービス・財についての知識が強化されるとともに、意思決定なども容易になる。

6.アクターの特定

環境サービス・財の利用について関係するコミュニティーや団体などの参加を的確に促すには、それぞれの主要アクターを特定し、主要アクターを巻き込む必要がある。それによって全体的な合意形成などを図ることも容易になる。

7.事業プロセスへの継続的な関与

計画立案・実施・モニタリング・評価などの事業プロセスに継続的に関わることで、関係者間の信頼関係も醸成され、事業の実施も容易となる。またSINACとしても事業サイクルすべてに関わることで、ファシリテーターとして、また自然環境保全の監督省庁として果たすべき役割・機能を全うできる。

8.環境教育を通じた環境に対する感性の強化

地域住民に対して、環境サービス・財の価値や重要性について環境教育を通じて周知・啓発することで、その持続可能な利用が可能になる。

9.能力向上

事業の実施を通じ関係したアクターの能力が向上されることで、環境サービス・財の保全や持続可能な利用が確かなものとなる。

10.地域の文化・歴史・自然の価値の再評価

地域住民の歴史や文化を知ることで、その自然資源の利用の背景などを知ることが出来、意思決定や合意形成において非常に重要な情報となる。それがひいては環境サービス・財の持続可能な利用や保全につながる。

11.共通の目標

立場の異なるアクター同士で事業を行うには、共通の目標を持つことが重要で、それが参加を促したり、事業の実施を容易にしたりする。

これで21の経験取りまとめシリーズのプロジェクトニュースは終了です。コスタリカの参加型保全活動の経験は、SINACが関わっているものだけでも165事例が知られており、現在進行形のものや、SINACが関わっていない事例も含めれば、もっとたくさんの事例があることでしょう。

プロジェクトMAPCOBIOではSINACの関わった参加型保全活動の経験を体系的に整理し、文章化し、経験や教訓を引き出す作業を進めました。そうして得られた教訓や知見(knowledge)は、事業を円滑に進めるためのものであったり、活動の効果を高めるものであったりと様々なものです。そうした教訓や知見を蓄積させ、今後の事業に活用することで、コスタリカにおける参加型保全活動がより充実したものとなっていくことでしょう。