日本から学び、モンゴルで歩み始めたジョブコーチたち(後編)
障害のある人が力を発揮できる社会の実現に向けて
2009年に障害者権利条約に批准後、障害者の権利保障と社会参加を促進する施策の強化を進めているモンゴル。2016年には障害者の権利を定めた「障害者権利法」を制定し、翌17年には障害者の就労促進を国家目標に掲げるなど、法制度の整備にも取り組んできた。そんなモンゴルが、障害者雇用の推進に向けてさらなる一歩を踏み出した。後押ししたのは、同国の家族・労働社会保障省とJICAが2021年から実施してきた技術協力「モンゴル国障害者就労支援制度構築プロジェクト」(DPUB2)だ。4年にわたるプロジェクトの終了を前に、関係者たちは確かな手応えを口々に語った。
障害者雇用を進めるモンゴル企業を訪ね、関係者への多角的なインタビューを通じて障害者と企業の双方が笑顔になれる就労のあり方を伝えてきた全40回にわたる連載記事の総括として、DPUB2がモンゴル社会に残した足跡を2話にわたり振り返りたい。
(前編はこちらからご覧いただけます https://www.jica.go.jp/oda/project/1941622/news/20250516.html)。
モンゴル政府も社会の変化を実感
障害者の雇用を巡って社会に変化が生まれつつあるモンゴル。同国の社会福祉政策を司る家族・労働・社会保障省の人々も、確かにその兆しを感じている。
モンゴルでは、DPUB2に先立ち、障害者の社会参加促進を掲げるプロジェクト(DPUB1)が実施されていた。DPUB1からDPUB2にいたる通算8年間、日本の支援に関わってきた障害者開発課のレグゼン課長は、「障害者の就労には、家計の収入増加や社会参加の促進、家庭内暴力の減少など、さまざまな意義がある」と指摘。「特に、障害者に対して “家にいて何もせず国からお金だけもらう人”という従来のイメージが変わることが非常に重要」だと続けた。さらに、「ジョブコーチ就労支援サービスによって、障害当事者だけでなく、その家族も含めて生活の質が向上している」「モンゴルの人々の意識が変わり始めているのは、日本が障害分野の専門的な知見を踏まえてきめ細やかに助言し、協力してくれたおかげだ」と感慨深げに振り返った。
家族・労働社会保障省障害者開発課のレグゼン課長(2024年10月撮影)
また、DPUB1で障害平等研修(DET)を受講してDETトレーナーになり、障害者開発課シニア専門家として障害者の社会参加を促進するために、日々、奔走しているボロロさんは、「モンゴルにはこれまで”障害の社会モデル”という考え方も、“アクセシビリティ”という言葉もなかった」と指摘。そのうえで、「DPUB1の時に、障害とは社会にあるバリアが問題なのだという視点を得たことが、今の私の原点になっている」と振り返った。さらに、「DPUB1もDPUB2も、政治家レベルで改善を働きかけたことが大きな成果につながった」と話す。そんな彼女には、忙しい日々の合間にSNS上で積極的に情報発信を行い、多くのフォロワーを持つインフルエンサーとしての顔もある。
障害者開発課でシニア専門家を務めるボロロさん(2024年10月撮影)
さらに、10月下旬に開かれたDPUB2の最終セミナーには、プロジェクトの開始時から約2年にわたり人口開発政策実施調整局の局長として参画したトンガラタミルさん(現在はモンゴル人権委員会調査分析課課長)も来場した。同氏は「ジョブコーチ制度はまだ始まったばかりで改善点は多々あるだろう」としたうえで、「企業と障害者の架け橋となるジョブコーチは、必ずやモンゴルの歴史に残る存在になるはず」「支援対象者をまるで我が子や兄弟姉妹のように気に懸け、時間的にも予算的にも助成金の支給対象枠をしばしば超過して支援している。行政はより手厚く支援すべき」だと述べた。
一方、自身も障害当事者で、障害者開発庁で障害者の就労を担当しているチュルンエルデネさんは、「これまでモンゴル社会では障害に対する理解がなく、特に知的障害者が働くということは想像すらされてこなかった状況を考えると、ジョブコーチ制度が開始され、知的障害者も仕事に就いて家計を支える一助になり始めているという事実を思うと、感無量だ」と話した。
地方で養成されたジョブコーチたちも始動
ジョブコーチは、首都ウランバートルに加え、フブスグル県やアルハンガイ県など、地方6県でも養成された。研修は、実際にジョブコーチトレーナーたちが手分けして訪ねたほか、DPUB2が製作したビデオ教材も活用された。
ダルハンフーズの人事マネジャー、ムンフツェツェグさん(右)と
知的障害があるバドチメグさん(2024年10月撮影)
北部に位置するダルハン・オール県では、18人のジョブコーチが養成された。同県の中心で、モンゴル第二の都市でもあるダルハン市に本社を構えるダルハンフーズの人事マネジャー、ムンフツェツェグさんもその一人だ。1971年の創業以来、パンやクッキーなどのベーカリーをはじめ、アイスクリームなど市民に身近な食品を製造し続けてきた同社では、訪問時点で81人の従業員が働いていた。同社の規模の企業が法定雇用率を満たすには、4人の障害者の雇用が必要だ。ムンフツェツェグさんは、「まず自分たちが障害のことを理解しなければ、障害者が長く働いてくれないだろう」と考え、ジョブコーチ養成研修を受講したという。「障害者に指示を出す時に、言葉をかけるだけでなく、自分も一緒にやってみせたり、手添えしたりすることを学んだ演習が、特に印象的だった」と振り返る。
そんな彼女に採用された知的障害があるバドチメグさんは、社屋の清掃と社員の制服の洗濯を担当している。25歳になる息子と2人で暮らしているバドチメグさんは、「ここで働き始めて生活が良くなった」と笑顔を見せる。
ダルハンフーズで働く知的障害者のオユントヤさん(2024年10月撮影)
また、後天性の脳性まひによる下肢障害があるオユントヤさんは、「将来、自立して生きていくために仕事を見つけたい」との思いから、家族が住む生まれ故郷のザワハン県を離れてダルハン市に移ってきたという。労働社会福祉サービス局で同社のチラシを見て応募したというオユントヤさんは、「企業で働くのは初めてだが、ムンフツェツェグさんは分かりやすく仕事を教えてくれるのでありがたい」「長く雇ってもらえるように頑張りたい」と話してくれた。
見えて来た課題と今後の展望
もっとも、制度が新たに動き始めたからこそ見えてきた課題もある。その一つが、ジョブコーチの活動に対して支払われるべき助成金が十分に活用されていないという問題である。活動しても助成金を申請していないと話すジョブコーチは、その理由として「申請から承認までに時間がかかり、支援対象者を待たせてしまうから」と話す。また、地方のジョブコーチには助成金制度に関する情報が周知されておらず、ほとんど助成金が利用されていないことも明らかになった。
最終セミナーではジョブコーチが制度の在り方について議論した(2024年10月)。
写真右端がDPUB2の磯部陽子・副業務主任(2024年10月撮影)
その一方で、助成金の支給対象の上限枠に対する改善要望も寄せられている。前出の最終セミナーでは、「現状は60時間までしか認められないが、職場開拓とアセスメントを行うだけで優に60時間を超える」「時給1.5万MNT(約675円)も低すぎる。特に知的障害者の場合、社会経験が少なく職業準備性が足りない人が多いため、身だしなみを整えることから教えている。集中支援はほぼ持ち出しだ」という切実な声が相次いだ。
これを受け、DPUB2でジョブコーチの育成や研修方法の確立などの業務を担当した磯部陽子・副業務主任は、「ジョブコーチ自身の工夫と努力の範疇を超えた内容については、実態に合わせて制度の見直しや改正が必要になるかもしれない」と指摘。さらに「助成金の対象となるジョブコーチの活動も、現在は求職中の障害者を対象にした企業とのマッチングや定着支援に限られているが、企業からはすでに雇用している障害者への職場適応支援を望む声も多く寄せられている。今後は就業している障害者に対するジョブコーチ支援にも対象が拡大されることが望まれる」と語った。
ジョブコーチの支援対象の一つである食品メーカーのモンフードランドを視察する大妻女子大学の小川浩教授(右から2人目)(2024年9月撮影)
日本の障害者雇用と就労支援の第一人者で、大妻女子大学で教鞭をとる傍ら、労働政策の担当専門家としてDPUB2に参画した小川浩教授も助成金については問題意識を有しており、「高度な専門性が求められるジョブコーチの確保と労働に見合った制度が必要だ」と指摘する。
2024年9月にジョブコーチトレーナーが支援している飲料メーカーのAPUと化粧品メーカーのモノスコスメティクスを訪ねた小川教授は、「どちらの企業も障害のある人の力を生かして戦力化する視点を持ち、真摯に取り組んでいたのが印象的だった。必要かつ過剰でない配慮が行われていたのも、ジョブコーチの調整の成果だろう」と振り返る。そのうえで教授は、「モンゴルでは障害のある人が持てる力を発揮できる仕事、職域の可能性が多く残されている」「ジョブコーチ制度が今後さらに定着・発展していくには、働く意思と動機のある障害者の掘り起こしが必要だ」と指摘する。障害者をいきなりジョブコーチ支援で就職させるのではなく、事前に職業準備性を高めることができる就労移行支援施設の整備が必要だというのだ。
最終セミナーでDPUB2の取り組みを振り返り、成果やモンゴル社会で今後求められる制度などについて講演する千葉寿夫・業務主任(2024年10月撮影)
DPUB1とDPUB2の両プロジェクトで計8年にわたりモンゴルにおける障害者の社会参加と労働政策を指揮してきた千葉寿夫・業務主任も、「DPUB2の活動はジョブコーチの育成に注力してきたが、今後は職業準備性の向上や介助者支援の制度構築も必要になる」と指摘する。そのうえで、「ジョブコーチ制度の財源は企業からの調整金。これは障害者を雇用できない企業からお金をいただき、障害者雇用を進めたい企業への支援や障害者雇用を進めている企業への報奨金に充てることで、社会全体で障害者雇用を支える仕組みだ」と述べ、「政府は障害者雇用を進めたい企業に無料で就労支援サービスを提供しなければならない」と強調した。そんな千葉業務主任は「今後は障害者だけではなく、生活が困窮している人々を広く救済するために、行政機関がきちんと設計図を描き、国を挙げて社会保障制度全体の確立に取り組まなければならない」と、先を見据えている。
DPUB2によって刻まれた足跡
10月下旬、モンゴル商工会で通算21回目となる企業啓発セミナーが開かれ、障害者雇用に意欲のある企業17社から21人の人事担当者が参加した。これは、障害者に対するモンゴル企業の差別や偏見を変革し、ジョブコーチ就労支援サービスの利用を促進するために、DPUB2がジョブコーチ養成研修と並行して取り組んできた活動である。期間中、37人の障害当事者が企業啓発人材として育成され、彼らが手分けして開催した企業啓発セミナーを受講した企業は、ウランバートル市内と地方を合わせて計486社に上る。
企業啓発チームのリーダーを務めるバドチメグさん(写真左)とムンフトゥールさん(写真右の右端)(どちらも2024年10月撮影)
この日はまず、企業啓発チームのリーダーで車椅子利用者のバトチメグさんとムンフトゥールさんが、障害の社会モデルや障害種別、障害者雇用の義務と責任、法定雇用率、納付金制度や免税制度、職場の意識向上などについて交互に説明。続いて、ジョブコーチトレーナーとジョブコーチ6人がそれぞれ自己紹介しながらジョブコーチ就労支援サービスについて紹介すると、参加企業からは「そんなサービスができたのは知らなかった。ぜひ当社も利用したい」「DPUB2がもう終わるなんて残念だ」という声が次々と上がった。
モンゴル商工会で開かれた企業啓発セミナーでは参加企業とジョブコーチの相談会も行われ、部屋のあちこちで熱心に話し込む姿が見られた(2024年10月撮影)
その後、「私たちにはさまざまな障害者の情報がある。どんな障害者を雇用したいのか、各社のニーズを相談してほしい」というジョブコーチからの呼び掛けに応え、参加者たちは2、3人ずつに分かれてジョブコーチを囲み、部屋のあちこちで話し込んでいた。フェルトの輸出会社で15年にわたり人事を担当しているエルデネムンフさんは、「当社は従業員が約6000人おり、障害者も約100人いる。例えば聴覚障害者とは必要に応じて筆談でコミュニケーションを取ってきたつもりだったが、今日のセミナーを聞いて、今の制度や仕組みは障害のない人を前提にしたものであることに気付いた」と語った。
この日、モンゴル商工会の企業を相手に、タッグを組んで障害の社会モデルやジョブコーチ就労支援サービスについて堂々と説明し、質問や相談に熱心に答える企業啓発メンバーとジョブコーチたちの顔は、皆、自信と誇りに輝いていた。閉会にあたって、ジョブコーチトレーナーのバドツェツェグさんが「DPUB2が終わっても、ジョブコーチ養成研修はこれからも実施されます。ぜひ各社とも人事担当者のご参加をご検討ください」と呼びかけた言葉からは、これからは自分たちがモンゴルの障害者就労を率いていくんだという気概すら感じられた。
障害者の社会参加を掲げて実施されたDPUB1に続く形で4年にわたり実施されてきたDPUB2の活動も、終了する。しかし、この連載でも伝えてきた通り、プロジェクトを通じて養成された人々は、日本の知見をしっかり受け継ぎながらそれぞれの経験や問題関心の幅を広げ、自らの役割を自覚して頼もしい実践を重ねている。そして、そんな彼らがモンゴル社会にまいてきた変化の種がすでにあちこちで芽吹きつつあることを一連の取材を通じて実感している。障害のある人々が力を発揮できる社会の実現に向けて、モンゴルの人々の新たな挑戦が始まった。
(連載完)