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Comfort Zone「居場所」

“居場所かな。”
看護師として大切にしていることを尋ねたときの答え。
派手な言葉ではない。けれど、不思議と残る響き。

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写真1 患者さん目線から感じる雰囲気


2月初旬、以前のプロジェクトニュースVol.5:会議室と現場「影の主役」で紹介した男性看護師ボン・ロサヴァン氏(以下ボン氏)を訪問しました。勤務先は、ラオス北部ウドムサイ県ホン郡94村の一つ、ナシェンディ村の保健センター。2015年からこの村で働いています。首都ビエンチャンから電車で約3時間。さらに車で3時間、山道を抜ける道のり。地図の上では小さな点。けれど確かに人の暮らしがある場所です。ホン郡の中心地からナシェンディ村へは立派な舗装道路が敷かれていました(写真2&3)。1週間の旅程でしたが、移動や県保健局・郡保健局へのあいさつもあり、村に滞在できたのは実質1日半。非常に限られた時間でした。それでも見えてくる現場の空気。

そんな遠方への訪問目的は、2つありました。一つは、多民族国家ラオスにおいて、モン族やカム族のコミュニティが点在する山間部で働く看護師と保健センターの現状を把握し、政策を考えている人たちへ現場の声を届けること。もう一つは、同じような条件で働く看護職の励みとなるロールモデルになるか、その可能性を探ることでした。小さな希望の種です。

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写真2 ウドムサイ県庁からホン郡へは建設中の険しい道路が続く

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写真3 ナシェンディ村に近づくと国立公園のような緩やかな丘が迎えてくれる

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写真4 ナシェンディ村の玄関口に位置している保健センター

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写真5 センター敷地内には、新旧5棟の建物が整っている

山奥の保健センターと聞いて、みなさんはどんな風景を思い浮かべるでしょうか?人手不足、古い建物、足りない医療機器。そんな先入観でしょうか。確かにそのような環境を他国で見てきました。ウドムサイ県内でも地域によって差はあります。しかし、ナシェンディ村は、少し違っていました。

非日常と日常

訪問当日、実はボン氏とは連絡が取れない状況でした。そして、ホン郡から村へ向かう道中、救急車が私たちの車を追い越していきました。バイク事故の患者さんを郡病院へ搬送し、その帰りだったと翌日分かりました。その車内にボン氏。山奥なのに整った道路。救急車が日常的に動く環境。周囲に大都市があるわけでもなく、村の奥は川で行き止まりになっているため、少し意外な光景でした。村の中ではちょうど道路のセンターラインを引く作業中(写真6)。静かに進むインフラ整備。変わりゆく地域の兆し。

訪問時、保健センターは本来8人体制。しかし、出張などが重なり、ボン氏と検査技師のボランティア女性の二人だけで24時間対応していました。1日平均20名ほどの患者さん。妊婦さん、子ども連れの家族、かるいけがの人。途切れない人の流れ。問診、触診、処置、ワクチン接種。新旧の建物を行き来するボン氏の姿。慌ただしさよりも、むしろ落ち着いた集中という空気感です(写真7〜10)。

ナシェンディ保健センターの敷地内には、新旧合わせて五つの建物があります。1997年の旧棟、韓国支援、国際NGOの支援、そして昨年2025年にオープンした中国支援の最新棟(写真5,7,13)。現在はそのうち二棟が稼働中です。最新棟は、白い壁、高い天井、清潔な空間、圧迫感はありません。山奥という言葉だけで説明できない医療環境。幼児の体調をチェックする姿や聴診器に手を伸ばす動きに、医療者としての誠実さが自然に表れていました。

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写真6 村道に丁寧に引かれるセンターライン

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写真7 産婦人科エコーの設備やワクチン等の薬品類が整うメイン棟で幼児ワクチン接種の患者さんを見送るボン氏

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写真8 保管ワクチンを毎日チェック

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写真9 旧棟で生後8ヶ月の幼児にワクチン接種を行うボン氏

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写真10 昨年2025年にオープンした最新棟で幼児の体調について問診

一連の診察が終わるやいなや、村人からの体調相談電話に対応(写真11)、と午前中が一瞬で過ぎていきます。昼食は、近くの家庭が営む食堂で。揚げソーセージ、魚の串焼き、炊き立ての白米、地元の果物。店先では若者たちとの何気ない会話、仕事の話、家族の話、村の日常。医療者としてだけではなく、地域の一員としての関係が表れています(写真14,15)。

整ったインフラの意味合い

興味深い話も聞きました。前日に郡保健局のチーフへあいさつに訪れた際の小話です。冒頭でも触れましたが、県庁からホン郡まではまだ土道が多い一方、郡中心部からナシェンディ村までは舗装道路。理由の一つとして、近い将来の観光開発や鉱物採掘計画の存在が挙げられました。開発は生活を便利にする一方、地域社会に変化をもたらします。期待と慎重さ。その両方が必要な局面です。

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写真11 村人からの相談電話に応対

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写真12 束の間の休息

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写真13 体調不調を訴える女性への触診

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写真14 ランチ前には大衆食堂のお手伝い

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写真15 ランチ中は世間話で顔がゆるむ

少数民族のコミュニティー

ウドムサイ県は多民族エリアです。ナシェンディ村周辺はその縮図となっています。5kmほど先には平地を定住地とするカム族、20km先には高地に居住地を構えるモン族のコミュニティがあります。ボン氏はモン語を話せます。幼少期からモン族に友人がいたボン氏は頻繁にコミュニティへ出入りしていたようです。その彼が今では地元の医療スタッフとなり、通訳、橋渡し役の三役をこなしています。月に一度の定期巡回に加え、村から20km離れたモン族の村からは、週末になると、今でも仲の良い友人から夕食への招待があり、壊れかけのスクーターで出かけるとのことです。

カム族、モン族のコミュニティーは保健センターから遠く、未だ悪路でアクセスも良くありません。ボン氏は、巡回中に気になった点を村人に直接伝え、機会を見て保健センターへ来るように勧めていました。過去のワクチン副作用の経験から医療機関に慎重な世代もあります。自然療法を優先する人も少なくありません。それでも、巡回診療や日常の交流を通じて少しずつ築かれる信頼関係。時間をかけた医療のかたちだと感じます。

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写真16 少数民族モン族の言葉も話せるボン氏。村から20km離れたモン族の村・マー村を月に一度は定期巡回しラオス語を話せない部族の生活習慣の話に軒先で耳を傾ける

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写真17 足の傷口が化膿しないように一度保健センターで受診するようにアドバイス(モン族のマー村) 

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写真18 夜8時、自宅でシャワーを浴びたあと保健センターに戻り当直に備えながら患者さんからの緊急連絡を確認

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写真19 夜9時、急患連絡を待つ間、敷地内の宿泊部屋前でボランティア検査技師の女性家族と団欒

取材の最後、保健センター出発前にボン氏に改めて聞いてみました。
患者さんやコミュニティの人と接しているとき、何を大切にしていますかと。
彼は少し目線を下げたのち、顔を上げて答えてくれました。
“居場所かな。皆が安心できる場所だと思えるような、そんな居心地の良い空間と環境をつくりたいんです。”
シンプルな言葉。
けれど地域医療の本質を表しているように感じました。

郡や県の大規模病院に勤めている看護師さんたちの口からは、多忙な中、目の前の「処置」や「指示」に集中する場面も多いという話を耳にします。しかし村の保健センターは、地域そのものと向き合う医療の現場です。昔、ウドムサイ郡病院手術室に勤め、現在は県保健局・食品薬品局長となられた祖父の背中を見て育ったボン氏。そして、この村に今後も家族とともに残るという決意。要件は満たしているが、ライセンスの交付にはまだ至っていない状態のボン氏。尊敬する祖父から引き継がれた看護への思いを胸に、地域の人々の心と体を支えていくことでしょう。

後日

2週間後の2月19日、首都ヴィエンチャンに中央病院スタッフに加え、全国17県の県病院、県保健局、看護学校スタッフ約200名を招集し、継続教育システムの進捗について議論する全国会議を開催しました。会の後半、ブンフェン前保健大臣のコメントは、ボン氏のような人たちを見てきたかのような発言でした。“看護学校への入学者数が減少傾向にある昨今、看護師になりたい、そして看護師を将来にわたって続けたいと思ってもらえるような職種と環境づくりに力を入れないといけない、でなければ地方の奥地で働きたいと思う看護師は出てこない”

私たちのプロジェクトでは、こうした現場の姿を伝え続けます。看護職を目指した時の初心や原点を思い出すきっかけとして。そして学び続ける意味を考えるために。

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写真20 カム族の住む村をぶらりと訪問

文責:田中博崇(業務調整)

参照:ウドムサイ県ホン郡Wiki