JICA研修員と話すHIROSHIMAピーストーク スリランカ編~「共に生きる」とは?~
2023.12.09
2023年12月9日(土)、広島平和記念資料館での「JICA研修員と話すHIROSHIMAピーストーク」の開催日。スリランカの長期研修員、ウデシカさんとニヴァーシャさんが美しい民族衣装に身を包み車に乗り込んできました。2人は、今回のイベントのためにプレゼンテーションはもちろんのこと、衣装やアクセサリー、髪飾りにいたるまで綿密な打ち合わせをし、手作りの軽食と紅茶まで準備しました。これから始まるピーストークが、参加者にとってどんな時間になるのか、ワクワクしながら会場へ向かいました。
イベント開始の10時が近づくと、続々と参加者の皆さんが集まってきました。定員を大きく上回る34名の参加者にウデシカさんとニヴァーシャさんも嬉しそう。
最初にニヴァーシャさんからスリランカの概要について説明がありました。美しいビーチやおいしそうな食べ物、8つの世界遺産など「いつか訪れてみたい!」と思った参加者も多かったようです。その後、スリランカの民族についての説明がありました。多数派のシンハラ人と少数派のタミル人。この民族間の問題がもとでスリランカは26年間にわたる内戦へと進んでいきました。2つの民族は使う言葉も全く違います。タミル語とシンハラ語の「こんにちは」と「ありがとう」を教えてもらいましたが、全く違っていました。
ニヴァーシャさんが着ている衣装やアクセサリー、髪飾りはタミル人のものです。ウデシカさんのものはシンハラ人の衣装で、普通は髪飾りをつけません。手作りの軽食も、タミルの‟ワデ”とシンハラの‟コキス”を作ってくださっていました。同じスリランカに暮らす人たちですが、民族によって言葉や文化がこんなに違うのだと皆さん驚いていました。
美味しい紅茶と軽食をいただき、内戦についてのお話に進んでいきました。ここからはウデシカさんの説明です。単なる民族間の紛争ではなく、公用語をシンハラ語1つに決めたことによるタミル人の不満が内戦へと発展していったこと、民族全体ではなく一部のタミル人テログループとスリランカ政府の戦いだったことなどが説明されました。2人とも実際に内戦を経験しており、家を出る時に「(家族と)これでもう会えなくなるかもしれない」という不安があったことなどを話してくれました。
また、ネックレスを付けた子ども兵士の写真が紹介されたときには、会場内に衝撃が走りました。ネックレスの先には毒入りのカプセルがついていて、彼らが敵に捕まった時は、それを飲んで死ぬように教えられていたそうです。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
2つの民族が仲良く平和に暮らす方法はなかったのでしょうか。
結局、内戦はスリランカ政府側の勝利で幕を閉じました。そして、共生に向けた取り組みへと舵が切られていきました。
共生に向けた具体的な取り組みが紹介されました。「小学1年生から11年生まで、全校生徒が第2言語としてシンハラ語またはタミル語を学ぶ」「公務員は第2言語(シンハラ語またはタミル語)を話せなければならない」「公共の看板はシンハラ語、タミル語、英語で並記する」などです。また、民族間の理解を深めるために、様々な文化交流プログラムも実施されるようになりました。
ここで参加者に重大な発表がありました。
ウデシカさんとニヴァーシャさん、実は2人ともシンハラ人だったんです!!
この発表に参加者からは「え-っ⁈」と驚きの声があがりました。皆さんてっきりニヴァーシャさんがタミル人、ウデシカさんがシンハラ人だと思っていたようです。シンハラ人でもタミルの軽食が作れたり、タミル語が話せたり、タミルの衣装の着方を知っているなんて本当に素晴らしいことです。
スリランカは2つの民族がいがみ合って暮らしていくよりも、お互いの文化を理解し合って、共に生きていく方法を選びました。外務省のホームページには、スリランカの公用語はシンハラ語とタミル語、英語は連結語と書いてありました。「連結語」と言うのは、2つの言語、民族をつなげる言葉という意味です。英語を公用語にしてしまってもいいのかもしれません。しかし、お互いの言葉を公用語、英語を連結語というところに、スリランカの共生へ考え方が凝縮されいるように感じます。
「このイベントで参加者に1番伝えたいことは?」という問いに、「多文化理解と共生の大切さ」と答えてくれたウデシカさんとニヴァーシャさん。2人のメッセージが参加者の皆さんに伝わったことを願ってやみません。
グループ内で感じたことを共有、発表しました
2種類の手作りの軽食を試食する参加者
内戦について説明するウデシカさん
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