JICA地方マスメディア派遣プログラム 体験レポート 前編

2023.11.08

JICAは、国際理解教育/開発教育の実践と推進に意欲のある教員を開発途上国に派遣し、開発途上国の現状・課題、日本との関係、国際協力の意義について理解を深めてもらう「教師海外研修」を実施しています。研修に参加した学校の先生の皆さんが、本研修の成果を活用し、それぞれの学校や地域で国際理解教育/開発教育の理解促進を実践してもらうことを目的としています。

JICA沖縄では、2023年度の「教師海外研修」をパラオ共和国で実施しました(2023年8月8日~8月18日)。パラオ共和国は、2022年1月に沖縄県と連携協定の締結をしており、戦前には多くのウチナーンチュが滞在していた国です。また、JICA沖縄所管の草の根技術協力事業「北部沿岸漁業組合における回遊魚(カツオ・マグロ類)の漁獲技術向上と水産物の加工販売を通した組織強化プロジェクト」も実施中です。

今回この「教師海外研修」に、JICAの地方マスメディア派遣プログラムで琉球放送株式会社(RBC)の上江洲まりの記者と山田耕平カメラマンにも同行してもらいました。お二人に、パラオで実施されている国際協力事業や現地の様子、パラオと沖縄の繋がりを取材して感じたレポートをご紹介します。

遠い国パラオが一番近い国に

琉球放送株式会社 記者 上江洲 まりの

「パラオってどこにあるんだろう?」JICAのメディア派遣を受けることができると知り、私はまずスマホの地図を開いた。近いようで遠くにも感じるこの国での日々は記者として、一個人として、私の転機となった。太平洋に浮かび島々が連なる国、パラオ。温暖な気候やアメリカ統治にあった背景など、どこか沖縄と似ている。その共通点の多さからも、パラオを歩けば日本人の誰もが懐かしい気持ちになるだろう。

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パラオを近くに感じたきっかけは他にもある。なんと私の祖母がパラオで生まれていたのだ。しかし祖母のパラオでの日々は、戦争の記憶と重なっていて、今まで家族でさえも聞いたことがなかった。この取材に行くことにならなければ、私は祖母の心の中を知ることがなかった。奇跡とも言えるが、運命だったと思う。

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きっと私の祖母と同じように、パラオで過ごした日々を封印している沖縄出身者はほかにも多くいるはずだ。私はその声に耳を傾け、記者としてもマイクを向ける必要があると心から感じた。

「JICA」認知度世界一!?

パラオの美しい青い海を見渡すことができ、パラオ国内を移動するには必ずと言っても過言ではないほど利用するパラオ最大の橋、「日本パラオ友好の橋」。パラオ人のドライバーが「これもJICAの支援でできたものだよ。」と教えてくれた。パラオの町を歩くと、至る所でJICAの支援によりできた施設などを目にする。
その影響はインフラ設備だけでなく、地元の人たち自身にも根付いている。学校や農村部などあらゆる場所で青年海外協力隊らの影響が見られ、何より地元の人たちが隊員との思い出を楽しそうに話してくれる。
JICAパラオ事務所によると、国内人口に対する青年海外協力隊の派遣人数の比率の高さが「世界一」だという。日々の生活の中にJICAの活動が根付く環境には驚いた。
パラオと日本、ひいてはパラオと沖縄の強い関係が今でも続いているのは、JICAの日ごろの活動があってなのだと実感した。

パラオが教えてくれたこと

 現地取材で出会った人の中で最も印象的だった女性がいる。フユコ・ヒロイチさん、87歳。地元のシニアセンターを訪れたこの日、教師海外研修の取材をする私の手を優しくも強く握り声をかけてきた。「私、日本人です」とやや片言の日本語で話すフユコさん。彼女は日本人の両親のもとパラオで生まれ、戦争を経験。フユコさんの姉妹や父は飢餓で犠牲となり、家族は幼いフユコさんを残し日本に帰ったという。私は思わず言葉が詰まった。日本人として生まれ、今では「パラオの人」と言うフユコさんの半生は、私たちが取材してきたパラオと日本の繋がりの奥深さと同時に、悲しさを表していた。何よりも、私はこの歴史を知らなかった。知ろうとしていなかったと言った方が良いかもしれない。

遠いパラオから日本を強く思う人たちがいるということ。そして私たちがその記憶を受け継ぎ2国間の絆として繋いでいかないといけないこと。パラオは大事なことを教えてくれた。そしてスマホで国の位置を探していた当初の私からは想像がつかないほど、パラオは私の第2の故郷のような場所になっていた。

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