海外での経験を日本の地域活性へ

清掃員と

2015年度2次隊/
バングラデシュ→スリランカ/
コミュニティ開発/
加藤愛子(高知県在住)

JICA海外協力隊に参加した理由

大学1年の時に参加したフィリピンでの学校建設ボランティアで仲間と学校を作った達成感はあったものの、同時にモノだけを与える支援に疑問も持ち始め、住民主体・持続可能な支援とはどんなものか考え始めました。その後、国際協力に関するゼミに入るも、「1日1ドル以下で暮らす=貧困」という文言を目にして、ふと疑問に思いました。1ドルという基準は誰の目線で決めたのか。都市部や田舎では生活が違うし、そもそも伝統的な自給自足生活をしている人は1ドル以下でも豊かな生活をしているのではないかと。

教室で教科書を読んで学ぶだけでなく自分が一度、開発途上国と呼ばれる国で生活してみたいと思い、1年間インドに留学しました。そんな中、南インドで活動していたNPOムラのミライ(旧ソムニード)のスタディツアーに参加した際に、村の青年が自分の言葉で「自分たちはこんな課題に気づいて、今こんな取り組みをしていて、将来はこんな村にしていくんだ」と語ってくれたのです。そこで初めてメタファシリテーション®手法に出会い、これを使って対話すると相手のモチベーションや能力を引き出せるのだと衝撃を受け、私の中で「持続可能な国際協力」の指針となりました。卒業後、一旦は一般企業に就職したものの、南インドで出会ったNPOスタッフのように海外で現地の人と顔を合わせて活動したいと思い、JICA海外協力隊に参加しました。

現地での活動・生活

当初はバングラデシュへ行く隊員として駒ヶ根訓練所でベンガル語を学んでいたのですが、派遣されてすぐに治安が悪化し、任地に行く前に日本退避になってしまいました。その後、スリランカへの派遣が決まり、シンハラ語を覚えるところからスタートしました。任地は第二の都市キャンディ。配属先はキャンディ市役所の廃棄物管理課でした。

ミッションはごみ収集・路上清掃員の労働環境改善とその妻の収入向上。最もゴミ収集や衛生状態が良くないエリア(路上清掃員の多くが住むエリアでもある)の担当職員と一緒に集落を歩き、清掃員の労働状況や住環境について聞き込みを始めました。溝に不法投棄されたゴミが詰まって汚水が床上に浸水したり、分別されたいままゴミが放置されたり、予定通りゴミ回収車が来ないなど、集落を歩けば住民からのクレーム対応に担当職員は手を焼いていました。

私も南インドで見たように住民が自ら問題へ気付き行動変化を促すようメタファシリテーションを試みましたが、そう簡単にはいきませんでした。

そこでNPOムラのミライに相談し、私の任地でのフィールドワークを行って頂きました。初めて訪れたムラのミライ職員がビニールゴミに関するクレームを訴えてきた女性にメタファシリテーション®を使って次々と情報を聞き出し、昔の生活の様子を思い出させるように促していると、彼女が自ら問題の解決策に気づき、「買い物の際はエコバックを持っていく」と行動変化を起こしました。私も担当職員も毎日通って何度もゴミの啓発をしていた場所で、その一回の会話から行動変化に至らせたことに感銘を受け、同時に悔しく思いました。

国内外の対人支援において、事実や課題を正確に把握し、相手にも自ら課題や解決策を気づかせる「メタファシリテーション®」はなくてはならないスキルだと実感しました。

メタファシリテーションブログ「青年海外協力隊の現場から~ゴミ今昔物語(前半)」
https://muranomirai.blogspot.com/2017/07/blog-post_25.html

【スリランカの風景】 コロンボのビーチ

【スリランカの風景】
コロンボのビーチ

【スリランカの風景】 フルーツ屋さん

【スリランカの風景】
フルーツ屋さん

【スリランカでの活動】 不要なサリーで布ぞうり試作

【スリランカでの活動】
不要なサリーで布ぞうり試作

【スリランカでの活動】 布ナプキン試作

【スリランカでの活動】
布ナプキン試作

【スリランカの風景】お寺の前で売られているお供えの花

【スリランカの風景】
お寺の前で売られているお供えの花

スリランカで仲良くしていた親子

スリランカで仲良くしていた親子

帰国後のこと・現在の活動

メタファシリテーションを習得したいと思い、帰国後はJICAのNGOインターン制度や外務省主催NGOインターン・プログラムを活用し、ムラのミライで職員としてメタファシリテーション講座の企画・運営を主に担当しました。農業プロジェクトを行っているセネガルにも同行し、そこでも住民が主体となって動いているのを見て再度メタファシリテーションの効果を実感しました。しかし新たに別の海外プロジェクトが立ち上がろうとしていた矢先に新型コロナウイルスが流行し始め、海外渡航が困難になってしまいました。

そんな時に高知県日高村が取り組んでいる防災対策・情報発信のための「村まるごとデジタル化事業」で、村の方の携帯電話に関する困りごとを聞きとって事業に反映させる人を募集していることを知りました。それならメタファシリテーションを使って経験を積みつつ、村のお役にも立てるのではないかと思い、日高村の地域おこし協力隊に応募しました。

まずは「スマホよろず相談所」に行って、スマホの相談や使い方を習いに来た方にお困り事など聞いていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。というのは、スマホに苦手意識を持っている方に、スマホの話題ばかりしても話が広がらないですよね。なので、スマホはいったん置いておいて、そもそも村の方のこれまでと今の生活を教えてもらうことにしました。そのうえで何かスマホが解決できる生活のお困り事を知りたいと思って。しかし、高齢の方に過去の話を聞くと、長い人生の中の出来事のため時系列がいったりきたりしたり、移住したての私が知らない地名が出てきたりと難しかったです。

そこで思いついたのは、趣味の写真を絡めた日高村の“今昔写真展”を企画して来場された方にメタファシリテーションを使ってお話を聞こうと。村に住む皆様から村の出来事や生活にまつわる古い写真をお借りして、役場の1階に展示しました。写真があると村の人は当時の事を思い出しやすく、私にとってもイメージしやすいしピンポイントで聞きやすかったです。なにより、懐かしいと喜んでくれて、たくさんお話を聞かせてくれました。

最初、写真に対する説明は、ほとんどつけていませんでした。古すぎたり、写真の持ち主さんも知らなかったりしたこともあったのですが、移住してまだ半年だった私が知っていることよりも、村の方から教えてもらったことの方がリアルで楽しいと思ったので。村の方から聞いた情報や記憶を紙に書いて貼り足していく、みんなに育ててもらう写真展にしました。知らないことが書かれていて地元の若い世代の方や移住者がみても面白いかなと思って。

その後、写真データや聞いた情報はまとめて、村の資料として保存していただきました。第二弾として現在の日高村の暮らしをテーマにした写真展を2022年10月に、そして2023年8月には現役の地域おこし協力隊17名の活動写真とインタビュー記事の展示や交流イベントを行いました。

そんなことをしているうちにスマホよりも写真のイメージが付いて、村の写真展やふるさと納税の写真を撮るなど、写真を軸に村の活性化を行っています。

次は技能実習生や家族での移住者など、海外から日高村に移住した方をテーマにした多文化共生のための写真展の企画を考えています。その際のインタビューにももちろんメタファシリテーションを活用する予定です。

まさかこれまで取り組んできたメタファシリテーションと大好きな写真を絡めた活動ができるなんて本当にありがたいです。日高村はその人の個性ややりたことを活かした活動を応援してくれるので、地方で何か挑戦したい方にはとってもおすすめです。ぜひ一度、日高村にいらしてください!

日高村「いきつけいなか」インタビュー記事 
https://nosson.jp/blog/20230628_02/

日高村で開催した写真展にて (2022年10月)

日高村で開催した写真展にて
(2022年10月)