途上国の子どもたちの教育を技術で支える

李 額尓敦(り・あるどん)さん
セイコーエプソン株式会社 ビジュアルプロダクツ事業部 VP事業推進部 シニアスタッフ

~「あなたらしく」生きていると思えるのはいつですか?~
人と人との付き合いから人のためになることをいい形でできていると思える時。

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子どもたちの教育のためにプロジェクターを活用したい。セイコーエプソンで教育関連の事業に携わるモンゴル出身の李 額尓敦さんは、途上国の子どもたちのための活動を行っています。2022年にはJICAと包括連携協定を結び活動の幅を広げる李さんに、活動を始めたきっかけや教育について、これからの活動に向けた想いを伺いました。

子どものころの経験が
活動を続ける原動力

「小さいころ勉強が十分できる環境ではありませんでした。振り返ってみると途上国の子どもたちにとっても教育を受けることは、自分で未来を選択できるようになるための有効な道の一つだと思います。そして私たちの技術が、そうした子どもたちにとって有益なことだと確信しています。だから、子どもたちのためになると思うと少し苦しくてもポジティブに考えられます」。そう話すのは、セイコーエプソンで教育関係の事業開発に携わる李 額尓敦さん。社屋がある長野県安曇野市は、間近に北アルプスを望むとても素晴らしい環境だと言う李さんは、やはり自然が豊かなモンゴルの出身です。「私は遊牧民の出で、代々遊牧を生業としてきました。父は子どもたちの意思を尊重し、勉強がしたいという私を小学校卒業後は都会の学校へ行かせてくれましたが、3人兄弟の一番下の弟は、勉強したくないと小学校を中退しました。親の世代は7人兄弟ですが、4人は学校に行っていません。そうした環境の中にあっても、私にとって勉強することが違う場所で違う人生を歩むきっかけになったのかな」と振り返ります。

そうした経験を持つ李さんは、コロナが始まり世界中がロックダウンされて子どもたちが教育を受けられない事態となったとき、自分たちにできることはないかと子どものころの教育環境を思い出しながら、状況を頭の中で具体的にイメージして考えました。「私の通っていた学校では、学年が始まって3~4か月たちやっと教科書が届くため、それまでは教科書がないままに勉強をしていました。だったら、ロックダウンが解除されこどもたちがまた学校に来ることが出来るようになった時に、みんなで大きい画面で勉強できたらどうだろう。しかも映像で勉強できれば、すごいインパクトじゃないか! と。そうした本当に単純なところからスタートしたんです」。

そうして途上国支援のための事業戦略を提案すると会社の方針とも合致し、内容に賛同してくれた3名とプロジェクトをスタートさせました。会社の経営陣のサポートも得ながら、いまでは経験と知見を持つ6名で専任チームを組み、活動を加速させています。
「会社の重要な活動の一つとなっています。個人的には、セイコーエプソンは私たち社員の話を聞き提案を取り上げてくれる、そうした柔軟な考えを持つ会社だと思っています。働きやすい環境です」

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会議室にはもちろんプロジェクターがあり、活動中の写真を見せてくれた。

JICAとの連携で
具体的な活動をスタート

そして李さんは、長野県を管轄しているJICA東京やJICA駒ヶ根青年海外協力隊訓練所に声をかけて活動の幅を広げていきます。「JICAは途上国に関する知見を日本で一番持っていると思いますし、コロナの始まりのころのどこにも行けない中で、JICAとの交流はとても有益な活動となりました。当時は海外協力隊の隊員さんたちが一時帰国されていて、オンラインでしたけれど途上国の教育現状を聞かせてもらって非常に助かりました」。その後、2022年3月にはJICAと包括連携協定を締結します。9月にはJICA内で、途上国の課題解決のためにエプソンのプロジェクターの活用アイデアを広く募り、具体的なJICA事業とエプソン社との連携が始まりました。また11月下旬からは、東アフリカ3か国を訪問し、事業の責任者をしている同社の役員も同行して実際にプロジェクターの活用状況の確認に行くなど、精力的に活動を展開していきました。「訪問した学校で、はじめて教室内でプロジェクターを使用した時は、生徒はみんなびっくりするんですよ。大きい画面で映すとすごく喜んでいました」。

マラウイでプロジェクターを活用する現場を訪問した李さんは、そこでひとりの教育分野の海外協力隊員に出会います。歌で覚える「かけ算ソング」の数式を映して視覚化し理解を深めるための工夫を行ったり、興味を引く映像を再生したりして、コンテンツを自分で事前に作って投影していたそうです。「新しい教育手法を持って現場に入るわけですから、すぐに活用できるように事前に考えて対応されていました」。それ以上に、李さんは「隊員の方は便利な生活を離れて自ら厳しい環境に身を置き、自分の人生の2年間を使うというのは素晴らしいと思った」そうです。活動の中で出会ったJICAの人はみな親切で、真剣に途上国のために活動をしているのを見た李さんは、もっと自分らしく、そして自社ができることを行っていきたいと感じたと言います。さらに感動したのが、JICAのスローガンである「信頼で世界をつなぐ」を体現する現場だったそうです。「信頼されているんだと感じましたし、JICAという名前がそこかしこで通じます。そして何より、活動を行う人の人間力がとくに印象的でした。現地、現場のために常に考えているということが伝わってくるし、考えているだけでなく解決するために活動をしている。しかも、活動を評価して次につなげていく。それが信頼となっていました。私たちもそうした存在になれるよう活動したいと思いました」。

一方で、活動を進めるうえでの難しい側面を知ることになります。「同じような環境で育った私でも、理論的なことと現実にギャップがあり、現地に行けば行くほど、自分が考えていることが果たして正しいのかと思うときがある」と言います。現地の教員は、プロジェクターを使った活動中は興味を示してくれますが、サンプルをデモ機として置いていても積極的に活用してもらえないこともあります。アレンジした内容や新しい資料を自ら加えて投影してほしいなどといった活用を望んでも、実際のところはなかなか困難です。プロジェクターの活用によって教育の質が良くなり、生徒たちの関心も高まるとわかっていても、先生の負担が増えるようなら続かないかも――と悩むこともあるそうです。
「プロジェクターによって1回、2回、さらに10回の感動はつくれると思います。ですがそこで終わらずに、感動から興味へ、そして本当に勉強のためになる教材として『ためになる存在』になるのが教育現場における私たちの役割でもあるのかなと思います」

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ルワンダでプロジェクターを使った活動を行った。

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ルワンダでJICAの活動現場を視察した。写真提供:セイコーエプソン

一番大切にしているのは
人と人との付き合い

「人が一番のベースです。アフリカでのフィールドワークでも、JICAとの連携でも、人と人の付き合いが基本です。いま仕事や活動をしている中で広く深く付き合えていることが一番の財産だと思っています。人と人との付き合いの中で、人のためになる何らかを考えて、それを実現していくことが一番良いことと思っているし、それが最終的に社会や、もっと大きなところにつながっていくと思っています」

人としゃべるのが好きという李さんはプロジェクトチームのことを、楽しく、何かあったときはみんなで助け合って、話しにくいということはない家族みたいなチームと表現します。チームメンバーの増澤孝介さんは李さんを「途上国の課題を肌で感じることができ、アプローチやアイデアが新鮮です。モンゴル語、日本語だけでなく中国語、英語も話せるのでさまざまな価値観を知っていますし、何より慣習や当たり前を打ち破る力があります。たとえばこのオフィスにあるゲル。柔軟なアイデアを出し合う環境づくりにオフィスにゲルがあってもいいよね、と。確かにそうですよね。日本人とは違う発想からは思いもよらない打つ手が出てきます。彼の存在は社内のダイバーシティを活発化させています」と話します。

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ゲルの中にはモニターもあり、打ち合わせなどにも活用されている。左が課長でチームメンバーの増澤孝介さん、右は同じチームの鈴木健吾さん。チームは6名でプロジェクトを担当しているが、この日は他の3名は出張中だった。

中国の大学を卒業した後、日本の大学院で映像に関する研究をしていた李さんは、学んだことを生かせると思いセイコーエプソンに入社したそうです。技術開発にも携わってきた経験は、現在の活動にも役に立っているといいます。「セイコーエプソンの技術は、さまざまな環境でも耐えられるように開発されています。だから途上国でも同じように機能を発揮できますが、私たちプロジェクトチームはその技術力の先を目指しています。技術をどう生かすか。そして、技術以外には何が必要なのか。途上国での活動はトータルに考えていかないと上手くいきません。厳しい環境にある教育現場で役立てていただくために、私たちはこれからも現地に出向き、人と会い、話を聞いていきたいと思います」。これからアフリカでの活動が中心になるという李さん。JICAから提案されたプロジェクター活用アイデアをどうサポートできるか話し合いながら、具体的な活動に落とし込んで行っています。

「子どもたちのためになるからと現地で行われてきたやり方や考え方を全部変えるのではなく、今の状態に合うところから始めて徐々に変えていったり、変える必要がないこともあるかもしれません。とにかく今の環境をベースにして、子どもたちとそれを支える人のためになることを考えていくということが重要だと思っています」。李さんは、途上国の子どもたちの未来のために教育を届けたい――その思いと技術でプロジェクトを推進しています。

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開放感があるオフィスは「いそがしくても手を挙げれば来てもらえるし、声をかけやすく、働きやすい」と李さんは言う。

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プロフィール

李 額尓敦 り・あるどん
途上国プロジェクトリーダー
中国・内モンゴル自治区出身。遊牧民の家に生まれ、中国の大学を卒業した後、日本の東京農工大学大学院を修了後、2009年にセイコーエプソン株式会社入社。技術開発に5年携わった後、現在はビジュアルプロダクツ事業部 VP事業推進部に所属。商品企画と事業戦略を担当し、事業戦略では教育をメインに担当する。