90年代後半から続く紛争により当地の保健システムは大きなダメージを受け、保健指標は他アフリカ諸国に比しても依然低く、劣悪な状態が続いている。(参考:妊産婦死亡率550[出生10万人あたり]、5歳未満児死亡率168[出生千対])。
同校は1935年に宗主国ベルギーによって医療補助従事者(看護師、助産師など)を養成する学校として建設された。1960年の独立以降、当地を離れるベルギー人医師に代わるコンゴ人医師第一号を輩出した学校でもあったが、1991年、1993年のキンシャサ暴動による度重なる略奪を受け、廃墟と化した。略奪以降、学校自体はキンシャサ総合病院の一角に間借りしながら、細々と授業を続けてきた。
このような中、コンゴ民主共和国政府は、保健サービスの質の向上のため、保健人材の強化を重点の一つとして掲げ、看護教育を含む中級保健人材の強化に取り組んでいる。同校は、こうした背景の下、中級保健人材養成強化の拠点とすべく、2013年7月、保健人材養成校として再建された。運営開始に当たり、名称が変更され、国立保健人材養成校(INPESS)となった。