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事例紹介2014.12.27

ネバー・ギブアップ、地域でサバイバル!~雨水博士のBOPビジネス(第2回)

Skywater Bangladesh Limited/会長 村瀬 誠 さん

地域:クルナ管区バゲルハット

テーマ:水資源・防災

団体の種類:民間企業

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雨水利用の世界的権威、バングラデシュの安全な飲料水確保に挑む

「日本の雨の源は、ベンガル湾に臨むバングラデシュです。そこに住む人々が飲む水に困っているのであれば、アジアの一員として恩返しをしなければならないと思うのです。」

村瀬氏は、雨水利用の世界的権威者である。東京都墨田区の職員として働きつつ、NPO法人「雨水市民の会」の事務局長や国際水協会雨水利用専門グループの副座長などを歴任し、2002年には環境分野のノーベル賞と言われるロレックス賞を受賞した。また2014年には第16回日本水大賞で国際貢献特別賞も受賞している。

そんな村瀬氏の雨水とのつきあいは1981年にさかのぼる。1976から東京都墨田区の保健所の衛生監視員として働いていた村瀬氏は、区内で大雨が降るたびに下水道から下水が逆流し、地下の飲み水タンクが下水で汚染される実態を目の当たりにする。仲間を集めた研究チームで調べたところ、アスファルトで覆われた地面では雨水はわずかしか地面にしみ込まず下水道に流れ込むため、それが都市型の洪水を引き越していた。原因は雨ではなく都市の設計であった。

この事実にショックをうけた村瀬氏は、研究を重ねた結果、一つの結論に到る。雨水を流すのではなく、貯めて利用しようと。実はその頃、東京都は水不足にも悩んでいた。調べると墨田区の年間降雨量は、墨田区が1年間に使う水の量とほぼ同じであった。貴重な水を流して捨てていたのである。流せば洪水、貯めれば資源ーこのことに気付いた村瀬氏は、いわば小さなダムとなる「雨水タンク」をたくさん作るアイデアを考える。

ちょうど同じ頃、両国に新国技館を建てる計画が持ち上がっていた。新国技館の屋根に降る雨を貯めて洪水を防ぎ、普段はトイレや緑化の散水に、非常時には防災や災害時の飲料水として活用する総合的な雨水利用システムを提案した。当初、多くの反対や抵抗があったが、村瀬氏等の熱意が、墨田区長を動かしそして日本相撲協会を動かす。1983年、1000トンという巨大な雨水タンクが新国技館の地下に設置することが決まる。

この事例が突破口となり、東京ドーム、東京都庁、大阪駅、大阪ドーム、甲子園球場、福岡ドームなど、全国各地の大規模施設に雨水タンクが設置されることになる。また墨田区では、雨水利用システムの設置が一定規模のビルの建築基準に義務付けられており、今や500以上のビルや住宅に雨水利用設備が入っている。2009年には東京スカイツリーにも大規模な雨水利用システムが導入され、村瀬氏はこのプロジェクトもリードした。

村瀬氏は2000年から休暇を利用して、世界の水問題と雨水の有効利用を調査することを始めた。そこで深刻な飲み水の問題を抱えるバングラデシュに出会い、なんとかしなければと思うようになった。世界の空は繋がっている。日本で降る雨水はインドやバングラデシュの空からやってくるのだ。恵みの雨を運んでくるバングラデシュの人々が困っているのなら少しでも恩返ししたいーこれが村瀬氏を支えるヒューマン・スピリットだ。以来15年間、バングラデシュの貧しく飲む水に困っている人々を対象に支援を行い続けた。しかし、それは決して平たんな道ではなかった。むしろ、波乱万丈とも言える困難に次ぐ困難の連続であった。

NGOという方法への失望

これはどういうことだー村瀬氏は、我が目を疑った。寄付した貯水タンクのペンキの色が塗り替えられ、別の支援機関の名前が書かれていた。

モレルガンジ

モレルガンジは川沿いの町であるが、海水面の上昇により、塩水が混ざり、飲み水とはならない。

村瀬氏は事務局長を務めていたNPO法人の活動の一環として、雨水タンクを現地NGOを通じて寄付する活動を始めた。日本からやってきたNPO法人の活動は、地元の人に歓迎され、順調に成果が上がっているようにも感じられた。しかし、当初は見えなかったものが、次第に見えてきた。

支援機関(ドナー)は、NGOに対して資金を提供して貧困者支援を推進するが、期間と予算が決められたプロジェクトが中心である。プロジェクト期間中には支援が継続されるが、終了すると、利用できなくなった設備だけが残り、人々は元の窮状に戻ってしまう。

NGOといえども、資金がなければ動けない。多くのNGOは、組織の存続のために、プロジェクトからプロジェクトを渡り、資金確保に奔走する。本当に支援が必要な人々に、支援が行き届いていない。こうした実情に失望を感じていた頃に、事件が起きた。

スカイウォーター・プロジェクトの開始

「まさか」と村瀬氏は声を失った。自分の寄付した雨水タンクの色が塗り替えられ、知らない支援機関の名前が書かれているではないか。別の支援機関から資金だけを受け取り、村瀬氏のNPOが寄付した雨水タンクを流用していたのだ。やるせない怒りがこみ上げた。

この事件をきっかけに、村瀬氏は寄付に頼るNGOの方法に見切りをつける。「寄付にたよっていてはだめだ。購入してもらうことで、サステナブルな支援の仕組みを作らなければならない。」バングラデシュに関わり、8年が経過した2007年のこと。自分たちでやろうーそう心に決めた。

村瀬氏のNPOは、2008年に「スカイウォーター・プロジェクト」を開始する。地元で雨水タンクを生産し、地産地消の持続可能なモデル作りに取り組む。一家族6名の1年間の飲料水に相当する4.4トンのタンクを開発した。バングラデシュの農村で普及していた直径80センチほどのコンクリートのリングを地面に埋め込んでつくるくみ取りトイレをヒントにして、直径180センチのコンクリートリングを地上に6段積み上げて作るコンクリート製リングタンクを開発した。値段は2万タカ(2万6千円程度)と設定され、販売を開始した。

コンクリートタンク

期待に胸を膨らませて販売活動を始めたが、なかなか成果は上がらない。「支援機関が無料でくれるものを、わざわざ自分のカネを使って買う人はいないよ。」こうして笑う者もいた。あるNGOは、村瀬氏の技術だけを盗み、支援機関から援助金をもらって平気でいる。思いが伝わらない。村瀬氏は、追いつめられて行く。

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