地方分権とケニアの政治

2016年7月19日

2015年8月に始まった本プロジェクトの第2期も10月目となりました。分権後の保健行政も少しは落ち着きを見せはじめていますが、保健サービスの改善には、まだまだ道のりは長いと感じています。

今回は、ケニアにおける地方分権とその背景にある政治の問題について書きたいと思います。

ケニアには40とも50とも言われる部族がありますが、そのうちの大きなものに、中部のキクユ族と西部のルオー族があります。ケニア独立の父、ジョモ・ケニヤッタ(今の大統領の父親)はキクユ族です。第2代のモイ大統領(1978年〜2002年、カレンジン族)の時代からルオー族とキクユ・カレンジン族の対立は続いています。一時期、キクユの大統領とルオーの首相で連立政権を作るという時期もありましたが、根本的には解決されず、その後2007年末の選挙では1000人以上が死亡し、数十万人が一時的に国内難民になるというケニア史上最大の内乱が起こりました。この内乱を扇動したとして、現職の大統領と副大統領が国際司法裁判所で人権侵害の罪に問われるということにまで発展しています。

現在の地方分権の法的根拠は2010年に改定されたケニア国憲法によるものですが、この憲法改正も、その背景として、このような部族間対立を避けるために各地(部族ごと)に自治権を与えるという考え方があると言われています。その結果、4500万人の国で47ものカウンティ(自治行政区)が生まれました。このように、ケニアでの地方分権は非常に政治的な性格を帯びたものでもあります。

このような背景による問題の一つとして、中央政府とカウンティ政府の間の基本的な信頼関係を築くことが容易でないということがあります。カウンティ政府には保健行政上必要な様々な知識・技術が不足していることは確かなのですが、これを中央政府が支援しようとすると、カウンティ側は越権行為だと頑なになることがあります。特に保健セクターは、医師・看護師・その他の医療従事者など、公務員や関連施設の数が多く大きなお金が動くため、他のセクターよりも問題がセンシティブです(ちなみに教員は今でも国家公務員)。中央政府も不要な摩擦を起こしたくないため、様子を見ながら恐る恐るという側面と、カウンティも基本的には国の政策に沿うべきだという側面の間で難しい舵取りを強いられています。

地方分権を開発の観点からは見れば、受益者に近いところで事業を計画・実施することで、より効果的かつ効率的な行政サービスができるようになることが期待されるはずなのですが、ケニアでの現実はなかなか複雑です。

次の大統領選挙は来年の8月に予定されています。すでに野党第一党(ルオー族中心)による様々な対抗活動が始まりつつあります。これがプロジェクトの活動にどのような影響をもたらすかはわかりませんが、プロジェクトはともかく、まずは2007/8年のようなことが起こらないことを祈るばかりです。

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プロジェクトメンバーとの誕生日会ランチ
本文とは関係ありませんが、キクユ族、ルオー族、カレンジン族、キシイ族、ルイヤ族と日本人(静岡、千葉、福岡、山口、大阪)の大混成チームです(一部メンバーいません)。