フィリピン招聘者が来日 パート2 −宮城県東松島市とのきずな−

2016年4月5日

3月11日から15日にかけて、フィリピン台風ヨランダ災害の復興に取り組む被災地の自治体職員や国の出先機関職員など本プロジェクト関係者11名が日本を訪問しました。今回の招へいの目的は、宮城県仙台市で開催された防災未来フォーラムの企画イベントでの発表と、東松島市を訪問し、東日本大震災からの復興経験や教訓を学ぶことです。前回は仙台防災フォーラムでの招聘者の発表などをお伝えしました。今回はその続編です。
3月13日、14日にフィリピン招聘者は宮城県東松島市を訪問し、東松島市役所及び一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE)が企画した復興スタディツアーに参加しました。訪問先は、東松島市役所、大曲浜集合住宅地、野蒜集団移転地、廃棄物処理施設、(株)石巻青果、備蓄倉庫、野蒜小学校、スティッチガールズ(女性グループによる刺繍教室)など、復興に取り組む様々な現場から学ぶ機会を得ることができました。
訪問先のひとつ野蒜小学校は、津波の被害を受け、仮設校舎を利用しています。新校舎が2016年12月に完成するため、今年3月が仮設校舎での最後の卒業式となるそうです。校長室に掲示されていた「校舎は仮設であっても、児童の学校生活が仮のものであってはならない。教育の日常化のために最善を尽くす。」のメッセージ。未来を創造していく子供たちとかかわる皆さんの確固たる決意がうかがえる、印象に残る言葉でした。
校長先生から「給食の残飯率が99%に近い」とのお話を伺っている最中に、「血液を作るレバーもしっかり食べて、丈夫な体を作りましょう。今日は、からっとあげたポテトにケチャップを添えてみました。」と、生徒による校内アナウンスが流れました。生徒による残飯を出さない工夫に、フィリピンの人たちも笑みを浮かべていました。給食の時間に校舎を見学しました。元気に声をかけてくれる子供たちの姿にフィリピン招へい者ばかりでなく、私たちも元気と勇気をもらいました。

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子供たちと、「はい、チーズ」(野蒜小学校)

【画像】「校舎は仮設であっても、児童の学校生活が仮のものであってはならない」の掲示(野蒜小学校)

株式会社石巻青果では、フィリピンで出荷するときには緑色のバナナが、同社倉庫で保管して黄色に熟したものを出荷するという説明がありました。その後、「震災直後、倉庫で保管していたフィリピン産バナナ1,500箱を被災者に届け、食糧難の一助となった」という話がありました。フィリピンの人たちは、自国のバナナが被災者に大いに役立ったことを聞き、さらに関心を持って説明を聞いていました。バナナのエピソードからも伝わってきた石巻青果さんのフィリピンとのつながりが共有された貴重な機会でした。

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(株)石巻青果さんの視察

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廃棄物処理場の視察

2泊3日の東松島市滞在中、東松島市長、市役所及びHOPEの皆さんをはじめ、すべての訪問先で心からの歓迎を受け、熱のこもった説明にフィリピン招聘者全員が熱心に耳を傾け、制限時間いっぱいまで質問を続けていました。日本百名山の著者深田久弥さんの有名な言葉に「百の頂に、百の喜びあり」という表現があります。東松島市の一つ一つの現場を視察して、「百の現場に、百以上のプロあり」を実感した視察でもありました。

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現場視察に向かうバスの中での説明

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東松島市役所での説明

東松島市での昼食中に、「住民に寄り添った計画づくりや防災の取り組みなど、できるところから地元で取り組んでいきたい。」と招へい者の一人ベルナダスさんは決意を語っていました。東松島市役所の方々からは、「フィリピンをはじめ海外からの人々を受け入れることで、市に活気が生まれ、学びの機会を得る。」とのお話を聞きました。
計4回のフィリピン招へい事業を受け入れていただいた東松島市の皆さんと参加者とのきずな。ともに復興に取り組む「きずな」が、今後も継続し発展するように、国際協力を通じて貢献できるよう私たちも取り組んでいきたいと改めて思った訪問となりました。

【画像】招へい者が東松島市長(中央)を囲んで