第1期生 家族とともに、新天地で社会人へ

2020年7月6日

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2017年9月に「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム(JISR)」の第1期生として来日し今春、大学院の修士課程を修了し、日本企業に就職した研修員一家がいます。

Yさん一家は、奥様と小学生・幼稚園生の息子2人の4人家族です。一家が来日した3年前は子ども2人はまだ就学前の年齢でした。避難先の中東から、家族を抱え、遠い異国へ渡ることに不安はなかったのでしょうか。元々、Yさんは日本の技術やアニメ等の文化に触れて日本に親しみを感じていた中、UNHCRの情報でJISRを知りました。日本の文化や慣習がどういうものであるのか、また日本人のシリアやアラブ諸国に対する見方はどうであるのか等について、かつてJICA事業で来日経験のある現地のシリア人に尋ねるなどして、日本に対する知見を深めました。その結果、プログラムに参加して日本に来ることが自身のためにも家族のためにも最良であると考えるにいたったそうです。一方、奥様は当初、来日することに抵抗を感じていました。しかしYさんと話し合いをするなかで、抵抗も段々少なくなっていったようです。

Yさん一家は来日後、まず他の研修員やその家族とともにオリエンテーションを受け、日本で生活をするための心得や日本語の基礎を学びました。約1か月のオリエンテーション後、プログラムのサポートを得て一家4人で入居するアパートを探し、生活の拠点を確立しました。

学生生活から何年も離れていたYさんにとって、大学院で学業に取り組む感覚を思い出すのは容易ではなかったようです。さらに文化や言葉の異なる国で生活しているわけですから、大きな苦労があったことは想像に難くありません。大学の先生、事務の方やゼミの仲間のサポートを受けながら、Yさんは学業に励み、無事に修士(工学)の学位を取得し修了しました。

学業に留まらず、大学院の友人との交流を通じて、様々な課外活動にも積極的に参加しました。空手や剣道に触れたり、大学の文化祭では家族や他のシリア人留学生とともに来場者にシリア料理を振舞ったりもしました。こうした学内の活動に加え、日本人との交流の場にも積極的に参加し、家族でホームステイをしたり、アパートに日本人を招いたりもしたそうです。アパートでの生活を見てもらうことで距離も縮まり、中東の国から連想される水タバコやラクダのイメージに留まらない、自分たちのより本当の姿を知ってもらう良い機会になったと話していました。

学生生活において最も注力したことが学業であることはもちろんですが、その一方、大学院修了後の就職についても取り組む必要がありました。日本語能力を習得することは、就職において大きな利点になります。Yさんは来日直後から将来を見据え熱心に日本語学習に取り組み、2年半で会話と読み・書きをほとんど全て日本語で行えるほどに日本語能力を向上させました。Yさんの日本語能力と人柄が評価され、最終的に専門を活かせる建築設計会社から採用されました。Yさんは2020年4月に同社に入社、コロナ禍において、必死に業務を学び、現在では社内のプロジェクトメンバーの一員として設計業務に携わっています。Yさんは、今後も、様々なプロジェクトに携わりこれまでの経験と大学院で学んだ知識を活かしながら尽力していきたいと語りました。

Yさんの奥様Dさんは、来日してから、日本での生活の難しさを感じたこともあったと言います。Yさん一家はイスラム教徒であり、女性のDさんは外出の際には、頭や体を覆う布(ヒジャブ)を身に着けています。その姿を見慣れない人にとっては、抵抗感があるかもしれません。Dさんが子どもをショッピングモールの遊び場に連れて行くと、子どもは息子たちと一緒に遊ぼうと寄ってくるのですが、親とはコミュニケーションをとるのが難しいと感じることがあったと話していました。ただ難しさを感じても、日本の生活に順応していかなければなりません。Dさんは、2人の息子が小学校と幼稚園に通っている間、お弁当を作る工場でパートをしました。母国では教職に就いていたDさんにとって、工場で作業をすることは、言葉や風習に不慣れな地であることも含めて、とても大変であったと話していました。それでもDさんは、持ち前の明るさでパートに励みました。そうしたパート先での経験や、子ども達を通じた小学校や幼稚園での交流を通して、日本の生活に徐々に慣れていったようです。

就職に伴い引っ越しをした春先から、ちょうどコロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言が出され、2人の息子は通学、通園できず、Dさんが家で勉強を見たり、自転車の練習に付き添ったりしていました。元気な男の子2人を終日相手にすることについて、Dさんは、父と母の一人二役は大変!と話していました。このインタビューを実施した頃には小学校も幼稚園も再開し、生活も落ち着いてきた様子で、パートを探しているとのことでした。

3年前の来日時、まだ幼い子ども達にとって大きな環境の変化に対応するのは大変だったと思います。しかし、今ではすっかり日本の生活にもなじみ、お寿司などの日本食も大好きになったようです。言葉の面も不自由がなく、長男にいたっては、小学校の国語の成績が優秀で褒められるほどです。また、彼は柔道を学び、地方の大会で上位に入るほどの実力を身に着けました。今はサッカーにも興味をもち、将来サッカー選手になることを夢見ているようです。幼稚園に通う弟も、兄を追いかけるようにサッカーに興味をもつようになっています。家では兄弟間の会話は日本語が多くなったため、家ではアラビア語で話すようにと新しい家庭内ルールが出来たとのことでした。

今回のインタビューは家族全員と、日本語で行いました。子どもたちは、日本人の子どもたちが話すような言葉を使い、Yさんは丁寧語を混ぜながらきちんと話をしてくれました。インタビューの最後に「日本が本当に大好きです」と言ってくれたYさん、人知れず努力をし、嫌な思いや辛かったことも少なからずあったと思いますが、これまで一度も弱音を吐くのを聞いたことがなく、何に対しても感謝の気持ちを持って接してくれました。

本プログラムで学んだことを十分に活かして、日本社会で活躍し、その先の未来には、Yさん一家がそれぞれの立場で、日本とシリアの架け橋になることを願っています。

(注)Yさん一家へのインタビューは2020年5月と6月に実施しました。