〜訓練所の今〜
駒ヶ根青年海外協力隊訓練所

2019年5月には「開設40周年」を迎える駒ヶ根青年海外協力隊訓練所。派遣前訓練に「地域実戦」のプログラムを導入するなど、地域とのつながりをますます深めている。

駒ヶ根青年海外協力隊訓練所の外観。2017年度2次隊で修了者数の累計が2万人を突破した

語学講師と訓練所のスタッフたち

新たな始まりを応援する場所に

話=清水 勉・駒ヶ根青年海外協力隊訓練所所長

しみず・つとむ●2016年4月より現職。自身も協力隊経験者(ネパール・植物学・1988年度2次隊)。

 今年度、派遣前訓練に新たに「協力活動(地域実践)」を導入しました。座学では得られない実践的なスキルを養うことを目的に、地域で活動する様々な団体に候補生が出向いて、インタビューや話し合いを通じて共に課題を解決したり新たな取り組みを提案したりするものです。例えば公民館では「高校生と高齢者が『写真』の撮り方や『SNS』の発信を通じて交流する」という世代間交流と観光振興の新講座を提案したり、引きこもりやニートを支援する団体では「引きこもりの方を支援するつもりで行ったが彼らの姿勢に励まされた」という候補生の感想が出たり、協力隊活動のシミュレーションとして本講座が対人スキルの向上に繋がることを狙っています。そして候補生と市民が相互に理解を深め、さらには地域の活性化にも貢献することを期待しています。
 訓練所としては隊員の皆さんが派遣国で元気に充実した活動をしてくれることが一番の願いですが、帰国後のOB・OGとの再会も嬉しいものです。協力隊発足50周年を機に「信州駒ヶ根ハーフマラソン大会」に協力隊経験者枠を設けていただき、派遣時期も年齢も様々なOB・OGがそれぞれの派遣国の国旗を背中に背負って走っている姿を見ると、一人ひとりの人生にとって協力隊経験が大きな財産であることを実感します。
 つい先日も、訓練中に仲間と埋めたタイムカプセルを掘り起こしに帰ってきた隊次がありました。これからの駒ヶ根訓練所は、JICA海外協力隊員の出発点であるだけでなく、OB・OGの再会や新たな取り組みを応援する場所でもありたいと思います。皆さん、いつでも訓練所に戻ってきてください。

派遣前訓練は「変革の時期」

話=高坂 保さん(駒ヶ根協力隊を育てる会名誉会長)

こうさか・たもつ●元駒ヶ根市教育長、元青年海外協力隊駒ヶ根訓練所カウンセラー

 候補生との関係が深化したのは、1995年より「訓練カウンセラー」の職をお引き受けしたのがひとつのきっかけです。彼らの悩みや不安を共に解決し、派遣国へ送り出すという役目なのですが、8年間の任期で実に600人以上から相談を受けました。家族や人間関係、なかには「駒ヶ根マジック」に関する相談もありましたね。一方で、訓練や仲間との出会いを通じて意識が変化していく候補生たちの姿を目の当たりにしてきました。訓練所は、まさに若者の「変革の時期」なのです。
 私が隊員の活動現場を視察に訪れたのは、20年ほど前のことです。そのとき、さまざまな困難に直面しながらも、創造性やボランティア精神を持って活動する隊員たちの姿に感銘を受けました。派遣国での活動はたやすいことではありませんが、夢を抱き、問題を解決する努力を続けたときに、必ず道は開けるのだと感じました。その経験から、「辛苦のときこそ、道ひらく」という言葉を染め抜いた手拭いを、2012年度1次隊より、候補生に贈り始めました。手拭いはケガをしたときの応急処置にも有効ですが、そのように使用することなく健康に過ごしてほしい。苦しいときは汗を拭き、ねじりハチマキにして奮起してほしい。そんな思いを込めています。私が訓練の修了式で挨拶をしていたころは、実際にねじりハチマキをしてみせたものです。
 訓練の修了後、みなさんから届いた300通を超える手紙や、派遣国の紹介が盛り込まれた通信は、今も大切に保管しています。それらから、皆さんの活躍を窺がえるのは大変喜ばしいことです。OB・OGのみなさんには、協力隊で得た経験を、自ら進んで社会や教育現場に還元していただきたい。協力隊を経験した皆さんであれば、「道をひらく力」が備えられているのですから。

教え子たちは私の家族

話=デヴェンドラ・サヤミさん(ネパール語講師)

ネパール出身。1984年より派遣前訓練のネパール語講師を務める。送り出した教え子は1000人以上にのぼる。

ネパール語の授業の様子。教室には歴代の候補生が残した写真やパネルなども飾られている

 トマトとタマネギと卵を渡されたら、何をつくりますか? おそらく多くの方が「オムレツ」と答えるでしょう。ですが、答えはオムレツだけではないはずです。人間には、考える力、工夫する力、拡張する力が備わっている。それらがあれば、オムレツ以外の立派なレシピを考え出すこともできるでしょう。私がネパール語の指導で基本としてきたのは、候補生たちが持つこれらの力を削がないようにすることです。つまり、単語などの「食材」は提供するけれども、それを使ってある表現へと組み立てる「レシピ」は、生徒自身に考えてもらう。「覚えること」に終始するあまり、「想像すること」がおろそかになることのないよう、「この単語を覚えてきなさい」ということも言わない。言わば、私がやっているのは「サポート」であって、「教えること」ではありません。
 多くのOB・OGから、よく連絡をいただきます。そのようなときに私がこだわっているのは、彼らとネパール語で会話することです。「現地の人と共に汗を流し、同じ釜の飯を食べる」というのが協力隊のモットーですが、帰国後、現地の人たちに連絡したときに、言語力の衰えのせいで相手が話していることを理解できなくなってしまっていたら、きっと残念な気持ちになりますよね。皆さんにはそうなってほしくないのです。
 現在訓練中の2018年度3次隊は、私にとって104番目の隊次になります。教え子の人数は1000人を超えるでしょう。それでも私は、これまで教えてきたすべての候補生たちを覚えている自信があります。というのも、候補生には家族のように接しているのですが、そうするなかで深いつながりができていくと感じているからです。ですから、私が元気なうちに(笑)、また遊びにきてください。ネパール語で思い出を語らいましょう。

知られざるストーリー