現地の篤農家(とくのうか)が
イチゴの栽培技術を伝授

岸野和樹さん(スリランカ・コミュニティ開発・2016年度1次隊)の事例

零細農家の収入向上を目的に、イチゴ栽培の普及に取り組んだ岸野さん。自身にも同僚にもその栽培方法の知識や経験がなかったなか、師匠となってくれたのは、現地で大規模なイチゴ農園を経営する篤志な人物だった。

活動対象の農家が収穫したイチゴ。見栄えが悪いものも多かったが、ジャムの原材料としてコンスタントに買い取ってもらえるようになった

 岸野さんの配属先は、ウバ州政府農業局の地域事務所。その管轄地、バドゥッラ県バンダーラウェラの零細農家を対象に、収入向上につながるような新たな農産物の栽培を促すことが、メインの活動だった。そのひとつが「イチゴ」。農家グループを新たに立ち上げ、ビニール製植木鉢で育てる方法を伝えた。植木鉢での栽培を選択したのは、広い畑を持たない零細農家でも実践可能な方法だからだ。
 紹介する新たな農産物をイチゴにしようと決めたのは、着任して3〜4カ月の時期。任地とその周辺は標高が高く、冷涼な気候のため、国内の他地域では育たない農作物が育つ。そのひとつがイチゴで、バドゥッラ県の隣県にはイチゴを生産する会社も存在した。そこの商品が街中のスーパーマーケットで売られていたが、希少農産物の位置付けであり、キロ単価で比較すると他の農産物より小売価格が高かった。また、県内には国内有数の観光地があり、そこの市場での潜在的な需要は大きいと推測された。さらに、イチゴは苗を植えてから収穫までの期間が約6カ月と短いため、岸野さんの任期中に幾度も収穫に立ち会うことが可能。以上のような事情を勘案して選択したのがイチゴだった。

「イチゴをやります」と発信

Aさん(奥中央)の農園で行った農業普及員を対象とするイチゴ栽培の研修。奥右が講師を務めたBさん

 岸野さんの日本での仕事は市役所の行政職。農業全般について知識や経験は持ち合わせてはいなかった。一方、農家への技術指導を担当している配属先の「農業普及員」のなかにも、イチゴ栽培の知識を持っている人はいなかった。そのため、岸野さんは普及に向けて一からイチゴ栽培の勉強をしなければならなかった。
 インターネットでの情報収集を始めはしたが、いざ実践に移れば、対応しきれない問題がかならず出てくるはず。しかし、そうした問題も、隣県のイチゴ生産会社に指導を仰げばなんとかなるだろうと考え、岸野さんは栽培技術の勉強と並行して、活動対象とする農家グループの立ち上げも実施。配属先の農業普及員などの推薦をもとに、2つのグループが結成されたのは、着任から5カ月ほどの時期だ。
 対象グループが立ち上がった時点で、イチゴ栽培に関する岸野さんの知識はまだ心もとない状態だった。そこで、隣県のイチゴ生産会社に教えを乞おうと飛び込みで訪問。しかし、「特許技術があるから」という理由で門前払いされてしまった。
 知恵袋の当てがほかにないなか、岸野さんは任地の人から「何をやりに来たのか?」「何ができるのか?」と問われるたびに、「イチゴ栽培を普及したい」と伝え、なんらかの有益な情報が返ってくるのを期待した。すると案の定、「良い人がいる。話を聞きに行ったらどうか」と、ひとりのイチゴ農家(以下、Aさん)を紹介してもらうことができた。岸野さんの自宅からバスで1時間半ほどの所に住む、退役軍人の男性だった。Aさんは退職金を使って農園をスタート。さまざまな野菜と共に、6種類に及ぶイチゴを生産する、年商1000万円という規模の農園にまで拡大することに成功していた人物だった。
 岸野さんは紹介を受けると早速、Aさんの農園を訪問。すると最初は、「日本人が自分たちの金儲けのために来たのだろう」と警戒された。そこで岸野さんは、「ボランティアとして、スリランカ人の収入向上を支援するためにやって来た。そのひとつとして、イチゴ栽培の普及を行いたいと考えている」と説明。するとAさんは、「技術を教える相手は誰だ?」と質問。収入の低い農家で結成された2つのグループだと伝えると、ようやくAさんは「スリランカ人のためならば」と言って、協力を承諾してくれた。後にわかったことだが、彼は自分が持つ農業の知識をスリランカの人々に還元したいという思いの持ち主だった。

他農家への普及の動きも

岸野さんは、当初活動対象とした農家グループ以外に、女性グループへのイチゴ栽培の紹介も行った

 イチゴ栽培の普及活動では、配属先の農業普及員の1人(Bさん/女性)がパートナー役を引き受けてくれた。岸野さんはBさんと共にAさんの農園に通い、スリランカで育つイチゴの種類や、それらの栽培方法を教わっていった。また、岸野さんが勉強がてら自宅で栽培していたイチゴの様子をAさんに見に来てもらい、水や肥料のやり方などについて具体的なアドバイスをもらうこともあった。そんな師弟関係を続けるうちに、やがて互いの関係はAさんの家で夕飯をご馳走になるようなものへと深まっていった。
 Aさんから得た知識を土台に、岸野さんがBさんと共に農家への技術指導を開始したのは、農家グループを立ち上げてから2カ月ほど経ったころだ。年間を通して収穫できる品種を選び、その苗を各農家に50本ずつ配布。その段階でまずは、栽培方法を伝える1回目の講習を実施した。その後、巡回指導を重ねたうえで、収穫が近づいたころにふたたび講習を行い、育て方の軌道修正を促した。
 収穫したイチゴは当初、グループでまとめて街中のスーパーに持ち込んだ。しかし、パッキングや納品の手間がかかるうえ、ある程度まとまった量でないと買い取ってもらえないという不自由さがあることから、その後、グループのメンバーは自力で他の販路を模索。ジャム製造会社を見つけ出すことに成功し、そこが農家を1軒1軒回って買い取ってくれるようになった。そちらの買い取り価格はスーパーへの卸売より低かったが、形がいびつなものでもジャムの原材料としてなら問題ないことから、やがて販路はジャム製造会社に一本化。岸野さんの任期終了時には、平均すると1軒の農家が月に1000〜2000円の副収入を得ることができるようになった。
 任期の終盤、活動対象とした農家以外にもイチゴ栽培を普及させるため、配属先に所属するBさん以外の農業普及員十数人を対象としたイチゴ栽培の研修も実施した。そこでもAさんは全面的に協力。研修場所として自身の農園を使わせてくれたほか、Bさんと共に講師役も担ってくれたのだった。

岸野さんからのメッセージ

人間関係づくりは果敢に!
私は活動パートナーの家にお邪魔する際、直前に「今からお邪魔します」と電話をかけて押しかけ、夕飯をご馳走になってしまうということもよくありました。そうやってプライベートで共に過ごす時間を積極的につくることは、関係を深めるうえでとても大切だったと実感しています。

岸野さん基礎情報




【PROFILE】
1989年生まれ、東京都出身。大学卒業後、都内の市役所に3年間勤務。2016年7月、協力隊員としてスリランカに赴任(現職参加)。18年3月に帰国し、復職。

【活動概要】
ウバ州政府農業局の地域事務所(バドゥッラ県バンダーラウェラ)に配属され、地域の農家を対象とした主に以下の活動に従事。
●収入向上を目的としたイチゴ栽培の支援
●収入向上を目的としたキノコ栽培の支援
●可食野菜による家庭菜園を普及させるプログラムの支援

知られざるストーリー