Special Interview
斎藤 工さん(俳優)

協力隊で鍛えられる「心の体幹」は
確実に人生を豊かにする

BSフジの番組『いつか世界を変える力になる』の取材で、派遣中の青年海外協力隊員の活動現場や、二本松青年海外協力隊訓練所における派遣前訓練の現場を訪ねてこられた斎藤工さん。俳優や映画監督として「人間」を描く仕事をされてきたその目に、協力隊はどう映っているのか、お話を伺った。








さいとう・たくみ●1981年生まれ、東京都出身。2001年に俳優としてデビュー後、数々の映画やテレビドラマに出演。12年の短編『サクライロ』で監督デビュー。長編映画としての初監督作品『blank13』(2018年公開)は各国の映画祭に正式出品され、第20回上海国際映画祭「アジア新人賞部門」最優秀新人監督賞など8冠を受賞。14年には、映画館がない地域に映画を届ける活動「cinéma bird」を開始。JICA海外協力隊の「今」を追う旅に出るBSフジの番組『いつか世界を変える力になる』(17年3月に第1部、18年3月に第2部を放送)の取材で、マダガスカルやパラグアイで活動している協力隊員、派遣前訓練を受けている隊員候補者などを訪ねている。

(斎藤さんは2017年10月に二本松青年海外協力隊訓練所を訪問。訓練中の隊員候補者を取材した一方、盆踊り大会が行われていた近くの岳温泉(写真)にも立ち寄り、候補者たちを支え続けてきた地元住民の方々とも懇談した)



「人生の使い道」を教わった

パラグアイの農村部で生活改善支援などに取り組む稲葉健一さん(コミュニティ開発・2015年度1次隊=写真左)の活動現場を訪ねた斎藤さん

——斎藤さんには、マダガスカルやパラグアイで協力隊の活動現場をご覧いただいていますが、斎藤さんご自身も、高校時代にバックパッカーをされたり、俳優や映画監督として各国の映画関係者と一緒に仕事をされるなど、「海外」とのつながりが強い人生を歩まれています。そういうご自身の経験に照らして、これまでに接した協力隊員たちをどのように受け止めていらっしゃいますか。

斎藤 協力隊の方々が僕と圧倒的に違うと感じるのは、「個人の馬力」とも言うべきものを持っていらっしゃる点です。僕はどちらかと言うと、人の力を借りながらプロジェクトを大きくしていく「巻き込み型」なんです。協力隊の方々も、人を巻き込みながら活動を進められているとは思いますが、その前提として、まずは「個人」として現地の社会に入っていかなければならない。「私はこういう者です」という看板を掲げ、現地の方々と関係を築いていかなければならない。それは本当に氷を溶かすような根気の要る作業で、「その土地の文化に馴染めない」など、不安や苦労も大きいと思います。しかし、そうしたなかでも、目標に向かう道を辿り続ける確かな馬力。それをお持ちだと感じています。
 おっしゃるとおり、僕は沢木耕太郎さんの小説『深夜特急』を読んで海外への憧れを持ち、高校時代にバックパッカーとしてさまざまな国を訪れました。そこで現地の方々と関係を築くようなこともしたのですが、しょせん旅行者であり、逃げ道だらけです。その経験と協力隊の経験は重ね合わせて見ることなどできない。協力隊は、それくらい素晴らしい経験なのだと思っています。
 僕が協力隊の方々とお会いするのは番組の取材がメインだったのですが、2018年の7月に「平成30年7月豪雨」の被災地で泥かきなどのボランティアをさせていただいた際には、偶然、やはり現場でボランティアをされていた協力隊のOB・OGの方々とお会いしています。

——OB・OGのほうから斎藤さんに声を掛けてきたのですか。

斎藤 そうです。『いつか世界を変える力になる』をご覧いただいていたようでした。僕が入ったのは、広島市内でも被災の状況が特にひどい場所だったのですが、OB・OGの方々は、そういう最前線で、僕が行く前から、そして僕が帰った後も作業をされていた。「自分が置かれた環境で、自分に何ができるか」ということを自然に考え、社会の支えが一番足りていないところを身を持って補っていく。そういうことができる方々なのだと、あらためて感じました。
 僕は俳優という仕事柄、ボランティア活動をすると、そのときに参加している作品などに良くも悪くも影響を及ぼしてしまいます。しかし、あのときはそういう利害などを考えている「間」が嫌で、所属事務所にも伝えず、まったくの個人の立場で現場に赴きました。同じ人間として、被災者の方々に自分は何ができるか。それだけを考えて動いた。そういう発想ができるようになったのは、協力隊の方々と接するようになってからだと思います。「人生の使い道」について、彼らに自然と影響を受けている。僕が広島の被災地に行ったのも、その表れのひとつだったので、そこでOB・OGの方々と出会ったのは意味深く、彼らに声をかけていただけたのはとてもうれしかったです。

仕事の本質に気づける場所

斎藤さんは、マダガスカルの農村部にある小学校で体育授業の質向上に取り組んでいた郡山文さん(青少年活動・2015年度3次隊)の活動現場を訪問。その際、郡山さんの教え子たちを相手に、映像づくりを体験してもらうワークショップも行った

郡山さん(中央左)やその教え子と共に、ワークショップでつくった映像を鑑賞する斎藤さん

——協力隊員に影響を受けたとのことですが、斎藤さんは『いつか世界を変える力になる』で協力隊員を取材される前から、本業のかたわらで「移動映画館」の活動もされていますね。

斎藤 僕が移動映画館の活動を始めたのは2014年ですが、当時はまだ、「社会の支えが一番足りていないところを、身を持って補っていく」といったことは今ほど意識してはいませんでした。映画に携わる者としてできることを、とにかくいろいろとやりたいという思いのほうが強かった。
 移動映画館の活動の端緒は3・11です。僕らの仕事は震災が発生した直後、電力の供給の関係もあって、撮影の現場が一時止まり、俳優はみんな自宅待機になりました。僕は自宅の壁に世界地図を貼っているのですが、僕が住んでいる東京と福島というのは、とても近いんですよ、世界地図では。それなのに、自分はテレビのニュースで被災地の状況を眺めていることしかできない。「音」というツールを持つミュージシャンたちは、被災者の方々に音楽を届けていたのですが、俳優である自分にはそういうツールが見当たらなかった。自分ができることで音楽ライブをやろうということで、僕も被災地を訪れたんです。避難所も回ったのですが、そのなかで、被災した方々には辛い現実から逃避する時間がほぼないということがわかった。寝ても悪夢を見る。子どもたちも、大人がそういう状況であるのを察して、不満を口にするのを我慢するんです。広島でもそうでした。
 そうしてあらためて、自分が携わっている「映画」がああいう事態でどういう効力があるかを考えたのですが、そこで思いついたのが、ドイツなどで盛んな「移動映画館」の取り組みでした。被災地では映画館も流されていたので、避難所などで映画の上映をしようと思ったわけです。結局、上映の権利について処理する方法が見つからず、震災の直後は実現できなかったのですが、それから2年ほど経って、日本の映画配給会社の協力を得ることもでき、移動映画館の活動をスタートさせることができたのでした。
 その活動が、今では日本国内だけに止まらず、さまざまな途上国の子どもたちに映画を届ける活動へと広がっています。それは、マダガスカルで協力隊の方の活動現場を訪ねたときの経験がきっかけでした。

——『いつか世界を変える力になる』でも、マダガスカルの子どもたちと映像をつくるシーンがありました。教室の白い壁を使って、出来上がった映像の上映会も開いていましたね。

斎藤 協力隊の方が活動していたのは、マダガスカルの農村部にある小学校だったのですが、僕が映像づくりを体験してもらったのは、彼女の教え子たちです。そのときに、撮影やメイクなど、映像制作に必要となるさまざまな技術を学んでもらうワークショップも合わせて行いました。その取り組みを通して、僕は映画というのは途上国の子どもたちにこそ観てもらうべきものだと確信したわけです。途上国の、特に農村部の子どもたちには、世の中にあるさまざまな職業についての情報が届いていないこと、映画はそういう情報を届け、彼らの未来を増やすツールになり得ることを知ったからです。電気も届いてないような村の子どもたちが、映画で人生の擬似体験をしたり、遠く離れた場所の景色を見たり、ときに人間以外のものに感情移入したりする。そういう経験を通じて、自分の夢を広げてもらえる。
 映画は、実は先進国の一部の富裕層の娯楽でしかなかったんです。自分がそれまで制作にかかわってきた映画の行き先が、そうした限られた範囲でしかなかったことのショック、そのことを意識すらしていなかったことのショックは、とても大きいものでした。そうして僕は映画の「本質」に気づかされたわけですが、協力隊員が派遣される場所というのは、いずれの職業であれ、日本人がその「本質」に向き合うことができる場であるということなのだと思います。
 そうしてマダガスカルから帰国すると早速、以前からカンボジアで映画を上映する活動に取り組んでいた日本のNGO「ワールドシアタープロジェクト」と共に、途上国で映画を上映する活動に着手しました。

——ご自身が制作に携わったクレイアニメ『映画の妖精 〜フィルとムー〜』ですね。

斎藤 そうです。世界のどこででも自由に上映できるよう、権利をフリーにしており、翻訳や吹き替えの手間が要らないよう、台詞もなくしてあります。現在は、スマートフォンに取り付ける簡易プロジェクターが売られており、白い壁さえあれば、スマートフォンの電池だけで上映会を開くことができるようになっています。それを使って、すでにアフリカを中心とする国々の40〜50万人にのぼる子どもたちに観てもらっています。上映会の開催に力を貸していただいた方の中には、派遣中の協力隊員の方々もいるんです。今後も、権利フリーの新しいクレイアニメを制作していく予定であり、派遣中の協力隊員の方々の力を借りながら、世界中の途上国に「映画館」を広めるというのが、僕が今、ひそかに抱いている野望です。

協力隊員はジャズプレーヤー

——『いつか世界を変える力になる』では、派遣中の協力隊員だけでなく、任期を終えた後に協力隊経験を生かしながら仕事に取り組んでいる人へのインタビューもされています。斎藤さんは、協力隊経験で得られるものについて、どのように感じていらっしゃいますか。

斎藤 協力隊員は、自分が生まれ育ったのとは違う場所、予想できないことだらけの環境に身を委ねる。その中で、現地の方々と自分との間の相違点と共通点を見つけ、自分というものの知らなかった側面に出会う。そうやって自分を広げる機会にほかならないと思います。
 日本人は、決められたことを、決められたとおりにこなすのは得意だけれども、「余白」がない。そこに海外との大きな差を感じています。僕自身も、かつて「20代はそういうものなのかな」と思いながら、分刻みのスケジュールで仕事をしていましたが、気がつくと、30代になった今でも同じような仕事の仕方をしている。海外の方と一緒に仕事をすると、「どうしてそんなに働き過ぎるのか?」と心配されたりします。「インプットをする余裕はあるのか」と。確かにそうだなと思います。良く言えば「勤勉」。職人的で美しい姿だと言えるのかもしれないですが、しかし、それは「クリエイティブ」ではないんです。傷は負わないけれど、展開もしていかない。
 そういう意味で、日本人の僕らには「冒険心」と「偶発性」が必要なのだと思っています。「決められていること」がない環境に思い切って身を委ねることで、予想していなかった景色、知らなかった自分に出会う。そのときに、「魂の必然」のようなものを感じる余裕を持たなければならない。「この瞬間のために、環境に身を委ねたのだ」と。「まさか」という偶発的なことが起こったら焦るけれども、一方で起こってほしいとも期待する。そういう「冒険心」と「偶発性」に満ちているのが、まさに協力隊の経験ではないでしょうか。

——予想できないことだらけの環境の中で生きていく力は、急速に変化する現在の日本社会で不可欠なものでもありますね。

斎藤 「決められていること」がないなか、協力隊の方々は自分の本質でぶつかっていくしかない。そうすれば、おのずとフレキシブルで力強い心、「心の体幹」とも言うべきものが鍛えられているはずです。そうなると、怖いものはないですよね。どこにいても、どんな状況に立たされてもやっていける。帰国された後、とても豊かな時間を過ごされるに違いないと思います。僕もそうありたいと、協力隊員に接するたびに思います。
 僕はジャズをよく聴くようにしているのですが、それは、放っておくと脳みそが「クラシック寄り」になってしまうからなんです。決められた譜面どおりに演奏するクラシックは、「正解」があらかじめ見えているから楽でもある。一方、ジャズは他のプレーヤーや観客、会場など、環境と「共鳴」しながら、その瞬間、その瞬間に宿ったもので音楽を紡いでいく。芝居も、ジャズのように瞬間に宿るものが重要だと思っています。リハーサルを何回もやり、決められたとおりに動こうとしているなかで生まれたものは、絶対に人の心など動かせない。自分の本質でぶつかって、ある「本物」とでも呼ぶべきものを宿すことができた瞬間に、観ている方もふと虚構であることを忘れ、ぐっと作品に近づいてくれる。自分の本質でぶつかり、挑戦と失敗を重ねるなかで、協力隊の方々は言わばジャズプレーヤーになっていくのだと思います。

——最後に、協力隊への参加に興味を持つ読者の方々に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。

斎藤 若い世代の方々は、思いのほか、自分の未来を描けてしまっているのではないでしょうか。日本社会では、「自分の未来を描き、それを実現するための努力をする」という生き方が良しとされているからです。もちろん、描いた未来があってもいい。けれども、それに縛られる必要はないと、僕は思っています。別のタッチで、別の筆で描かれる、まったく違った未来というものも、確実にあるはずだからです。それを描くためには、「セルフプロデュース」をいったん捨て、環境に自分を委ねてみることが必要であり、協力隊というのは、そういう機会のひとつにほかならないと思います。そうして、言わば環境に描いてもらった自分の新しい輪郭というのは、かつて自分で描いた未来より、よほど逞しく、鮮やかで、みずみずしく、光を帯びているはずです。ぜひ多くの方に、そういう新しい自分に出会っていただきたいです。

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